捕鯨 [2010年04月24日(Sat)]
今日の夕刊に、調査捕鯨にたいする大幅縮小案がIWCによって提案されるとの記事が掲載されていました。
今日、捕鯨は大きな国際問題となっています。 捕鯨をおこないたい国、条件付きで容認する国、認めない国 が、それぞれの立場からの意見で議論を展開しています。 日本の捕鯨の歴史は、 縄文時代前期(約8,000年前)まで遡れます。 当時のごみ捨て場であった貝塚からイルカ類の骨が多量にみつかっている例があります。 中期の土器の底部に鯨類の脊髄骨の圧痕が残っている例もありますし、鯨骨製の刀も出土しています。 弥生時代になると、線刻による捕鯨を表現したと考えられる絵が描かれた土器が出土しており、 このころには集団による積極的な捕鯨がおこなわれたことが伺えます。 ここ数年毎年、海底遺跡の調査をおこなっている 長崎県五島列島の小値賀島は、江戸時代には捕鯨基地として栄え、 その家屋が歴史民俗資料館に利用されている旧小田家は、捕鯨で財をなしています。 日本では、捕獲した鯨の肉は食用、油は灯火用や肥料、ヒゲ・骨は装身具や工芸品、筋は弓の弦、血は薬用、そして糞は香料に使われるなど、「捨てるところがない」と言われるように、 人びとの生活に必要なさまざまなものに利用されてきました。 また、鯨を祭った神社や鯨を供養する寺もあるなど、 鯨(捕鯨)は、日本人の生活とふるくから関係をもってきました。 このように、捕鯨は日本文化のひとつだったと言えます。 私も子どものころには、よく鯨肉を食べましたし, 給食の献立にもあったことを思い出します。 ちなみに,江戸時代末に日本にやってきて、開国をせまったペリー一行の来日の目的のひとつは、 太平洋での捕鯨用の寄港地を確保することでした。 ただし,当時の欧米の捕鯨の目的は,おもに燃料用の鯨油と工芸用の鯨ヒゲ・歯の確保です。 肉は食肉の風習はなかったようですので、ほとんど廃棄していたようです。 日本とは、鯨とのかかわりはかなり違いますね。 この違いが、捕鯨にたいする現在の各国の立場・考え方にあらわれているようです。 |