坂本龍馬の「いろは丸」 [2009年11月18日(Wed)]
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先日、NHKで放映された「歴史秘話ヒストリア」では、
坂本龍馬の海援隊が紹介されていました。 この番組のなかで、海援隊がチャーターし、衝突事故で沈没した 「いろは丸」の調査映像が流されていました。 「いろは丸」は、大洲藩(おおずはん・伊予国)所有の蒸気船で、 1867(慶應3)年の処女航海時に、 瀬戸内海の備後灘で紀州藩の「明光丸」と衝突し、 曳航中に、広島県福山市鞆の浦沖で沈没しました。 その後,この衝突事件は「いろは丸事件」として、 日本最初の海難訴訟事件へと発展しました。 この「いろは丸」は、沈没から約122年後の1989(平成元)年に、その船体が発見されました。 その後、現在、当研究所と今年度事業で共同調査をおこなっているNPO法人水中考古学研究所(当時は任意団体)により、2005年までに4回の調査(潜水調査)がおこなわれています。 調査では、さまざまな積荷の一部が確認され、 海援隊の交易の実態を明らかにしています。 海援隊は、衝突事故の訴訟で、 御三家のひとつの紀州藩相手に、巧みなやりとりから莫大な賠償金を得ています。 しかし、調査では莫大な賠償金の根拠のひとつとなった ミニエー銃400丁を積んでいたという海援隊側の主張を証明する遺物は、 銃本体はもとより、部品すらまったくみつかていません。 この事実は、海援隊隊長・坂本龍馬のはったり交渉を証明することもなり、 坂本龍馬の人物像をあらためて、知らしめる成果でもありました。 このようなことは、文献資料のみからではわかりにくいことで、 考古資料からこそ、わかる・わかったことでもあります。 調査の概要(4次調査)については、 財団法人京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館から リーフレットが発行されています。 (ダウンロードができます) http://www.kyoto-arc.or.jp/ 出土遺物は、いろは丸展示館に展示されています。 (広島県福山市鞆町) http://tomonoura.jp/irohamaru.html |




