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西伊豆町の遺跡 [2009年01月14日(Wed)]
先日紹介した田子のある静岡県西伊豆町には、水中文化遺産に関連した遺跡があります

仁科川河床遺跡(築地地先仁科川河床遺跡・築地遺跡)と鴨ヶ池遺跡です。

仁科川河床遺跡は、天城山地を源として、駿河湾に注ぎ込む仁科川(にしながわ)の河口付近の川底にある遺跡で、これまでの調査(河川復旧・護岸工事にともなうもの)で、縄文時代中期(中・後半)と弥生時代中期(中・後半)の遺物と縄文時代中期中半の人骨をともなった土壙墓が1基がみつかっています。
建物跡はみつかっていませんが、少なくとも当地に縄文時代中期から人びとが暮らしていたことがわかる遺跡です。
この遺跡が川底にある理由については、自然あるいは人為的な河道の変化によるものと考えられています。

鴨ヶ池遺跡は、現在、仁科港の一部(船溜まり)にあった遺跡です。
遺跡のあった地区には、古代の造船の場所としての伝承もあるそうです。
その発見はふるく、昭和8(1933)年で、もともと湿地帯(鴨ヶ池)であった部分を、船溜まりにする造成工事が発見の契機でした。
調査はおこなわれていませんが、工事による排土中から弥生土器片や石器が採集されています。
この弥生土器は,中期後半のもので、のちに駿河湾東部地域の標識資料(鴨ヶ池式)として評価されました。
工事中による採集資料のために、遺跡の性格や由来について明確にできないことは残念ですが、弥生時代の比較的早い時期に、伊豆半島にも同時期の文化が伝わっていたことをしめす資料です。
また、鴨ヶ池遺跡出土土器と類似する同時期の土器が、伊豆半島以外の静岡県の沿岸部や伊豆諸島にもあることから、海を介したひとの動きが垣間見えます



このほかに、水中文化遺産ではありませんが、西伊豆町には伊豆半島でもっとも南側に所在する古墳もあります
栗原昔穴古墳という古墳で、塚をかたち造っていた封土は残っておらず、現状は横穴式石室が露出している状態です。
発見当初から封土はなく、遺物もなかったようですが、石室の形状から後期古墳と考えられるものです。
当地の古墳時代後期のようすがよくわかっていないために、十分な評価はなされていなようですが、当地の古墳時代後期を考えるうえでは重要な遺跡です。

伊豆半島、とくに駿河湾に面した西海岸地域は,考古学的な調査が限られており、資料も少ないのですが、このなかで西伊豆町の遺跡は、人のうごきや文化の伝播経路等を考えさせる示唆に富んだ、非常に興味深いものといえます
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