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沈没船だけじゃない [2012年07月07日(Sat)]
水中遺跡といったら,沈没船を思い浮かべるかたは,多いことでしょう.
また,水中考古学といったら,沈没船の積荷を引揚げて,それを研究する学問
だと思われているかたも多いかと,思います.

たしかに,沈没船は,その遺存状態にもよりますが,
当時の状態がそのままパックされて残されていることが多いため,
積荷は.遺物の共伴関係やその一括性をしめす良好な資料となり得ますし,
陸上では残るとこのほとんどない船体は,その実物資料となるなど,
考古学的には多大な情報提供がなされる遺跡・遺構です.

しかし,実際の水中遺跡は,沈没船だけではありません
何らかの原因で,水没してしまった遺跡も数多くあります.
水没(沈降)遺跡です.
時期は,旧石器時代からと多期にわたります.

沈没船と違って,もとは陸上にあった遺跡ですので,
もちろんその内容は,陸上にある遺跡とかわりはありません
残されている環境が違うだけです.
また,海岸から海底へとつながる潮間帯に所在する遺跡もあります.

このような水没遺跡の水没した原因をさぐることで,
自然環境の復原のみならず,
災害史を考えるうえでも多くの情報が提供される可能性があります.
水中にあることで,陸上では残りにくい植物体や木製品などの遺物や遺構が確認されることもあります.

実際に,滋賀県の琵琶湖では,滋賀県立大学による近世水没遺跡の調査が継続しておこなわれており,
水没原因が大地震によるものであることが明らかにされるとともに,
その成果は,将来発生が予想される大地震への備えへの検討材料となるなど,
水没遺跡ならでは,成果が得られています.

各地でその存在が確認されており,
その数は,沈没船遺跡より多い状況です.

元寇の鷹島海底遺跡でも水深25mの海底の包含層から,
縄文時代早期の土器が複数出土しています.

千葉県館山市にある海岸〜潮間帯〜海底に所在する縄文草創期〜早期の沖ノ島遺跡からは.
国内最古の可能性のある捕鯨の痕跡が確認されています.

日本の水中遺跡が初めて学会に報告され,研究されるようになったのも
水没遺跡です

今から100年ほど前の明治末に発見された諏訪湖底曽根遺跡(長野県諏訪市・旧石器〜縄文)です.

国内初の潜水発掘調査がおこなわれたのも,水没遺跡の網走湖底遺跡(北海道網走市・縄文.1963/1965年調査)です.

日本の水中文化遺産調査・研究は,水没(沈降)遺跡から始まっているのです

沈没船と比べると,一件地味に見えますが,
時代が多期にわたることが多いため,その情報量も多種多様で,
その内容は,沈没船に劣るものでは決してありませんし,
沈没船以上の情報も提供されているのです


水中遺跡として沈没船がクローズアップされることは多いですが,
水没(沈降)遺跡もたくさんあるんです
それも身近なとろに.
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