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神崎遺跡が国史跡指定へ [2011年02月13日(Sun)]
2月7日付けの官報で、
神奈川県綾瀬市にある神崎遺跡(かんざきいせき)が正式に国指定史跡になりました。

神崎遺跡は、弥生時代後期(今から約1,800年前)の環濠集落です。
弥生時代の環濠集落自体は、各地でみられるのですが、
集落全体(約5,000m2)が残っていること(これは全国的にみても希です)、
集落からの出土土器の大半が東海西部(愛知県東部〜静岡県西部)のものに極似していることから東海西部からの移住者のムラと考えられること,
などが評価されました。
http://www.city.ayase.kanagawa.jp/hp/page000021300/hpg000021232.htm

神崎遺跡は、今から約20年前の1989(平成元)年に本格的な調査が始まりました
このときの成果により、出土土器の大半が東海西部の土器であることがわかると、
その在り方はもちろんのこと、それまでよくわかっていなかった相模(神奈川県の大半をしめる旧地域名)の弥生土器研究が活発化するなど、
相模の弥生文化研究には、大きな影響をあたえることとなりました。

その後、神奈川県の中央を流れる相模川沿岸域(神崎遺跡もこの流域にあります)から、
東海西部の土器を多く出土するムラや少ないムラがみつかりだすと、
それまで、漠然と語られてきた相模の弥生文化が、
神崎遺跡という基準となる柱的資料を得たことで、
ヒトの移動を介して東海西部と深いつながりをもったものであることが、
具体的な資料により語られるようになりました。

国史跡指定までには、関係者の多大なご苦労やご尽力があったことと思います。
とくに、土地開発の著しい神奈川県内で、
遺跡全体を指定・保存できたことは、ある意味奇跡的なことであるとも思います。
頭が下がる思いです。

今後、綾瀬市では、国・県と協議しながら、遺跡の保存・活用を進めてゆく、とのことです。

この神崎遺跡の調査に当初から参加し、
詳細な出土土器の分析を通して、遺跡の持つ意味を報告書で説いた
若くして逝った友人がいます。
彼の報告がなければ、今回の史跡指定はなかったのかもしれません。

ですので、今回の史跡指定の報を彼はどのように受け取るのだろうか、と思うとともに、
彼がこの日にいないことが、残念でたまりません。
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