伊豆半島の東海岸側にある河津(かわづ)町に
見高段間遺跡(みたかだんまいせき)という縄文時代の遺跡があります。
河津町は、先日紹介した西伊豆町のちょうど反対側にあたる位置にあります。
見高段間遺跡は縄文時代中期に、黒曜石の原産地として知られている伊豆諸島のひとつ、
神津島(こうづしま)から運ばれた黒曜石の陸揚げ地と考えられている遺跡で、
この遺跡に陸揚げされた黒曜石が、さらに南関東や伊豆の各地に運ばれたと考えられています。
実際に、神津島産の黒曜石は、これら地域の多くの遺跡から出土しています。
遺跡は海を見下ろす台地上にあり、
神津島とは約60kmの距離がありますが、遺跡からは天気が良いと神津島をはじめとする伊豆の島々を見ることができるそうです。
見高段間遺跡からは、これまでの調査で
多量の黒曜石が出土しており、なかには
重さ19.5kgの巨大な原石もあります。
また、1978(昭和53)年の第III次調査では、740m2の範囲から
総重量で254kgもの出土あり、この量は、他の遺跡と比較すると突出しており、遺跡が神津島産黒曜石の中継地であることをあらためてしめすこととなりました。
伊豆諸島と伊豆半島の間には
相模湾流と呼ばれる黒潮の分流が流れており、この流れによる
遭難の記録がふるくから多くあります。
とくに、
縄文時代の舟−丸木舟−ではその影響は、なおさらだったことでしょう。
近くの
天城山や、少し遠くなりますが
長野県には
黒曜石の原産地があります。
なのに、縄文時代の人びとは、
なぜ危険をおかしてまで神津島から黒曜石を運んだのでしょう。
見高段間遺跡を研究・紹介された池谷信之氏によれば、海岸のすぐ背後に丘陵がせまり、陸路が十分に発達していなかったという伊豆半島の地形的な特徴もあり、
舟によって多量の黒曜石を運ぶことができたことがもっとも大きな理由だったのではなかったのではないかとのことです。
神津島産黒曜石の見高段間遺跡での多量の出土は、舟本体はみつかっていないものの、
頻繁な海の行き来を間接的にしめす資料といえるととに、
縄文人のフロンティアスピリットをみる思いがします。
見高段間遺跡は、河津町立河津東小学校校地およびその周辺に所在している遺跡です。
校庭には復元住居があり、校舎内には展示室もあるそうです。
見学には、事前に河津町教育委員会への連絡が必要とのことです。
遺跡を紹介した本として、
池谷信之著『シリーズ「遺跡を学ぶ」014 黒潮を渡った黒曜石・見高段間遺跡』(2005年刊行・新泉社発行)があります。