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京を知っておこう-6 (12/14)
梅花祭[2012年02月14日(Tue)]



梅花祭

2012年2月25日(午前10時から午後4時まで)

御祭神菅原道真公が延喜3年(903)2月25日薨去された祥月命日に行われる祭典。


「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春を忘るな」

と詠まれた文道の大祖・風月の本主である菅原道真公は、ことのほか梅を愛され、菅公をお祀りする神社の宗祀である北野天満宮には約2万坪の境内に50種約1,500本の縁の梅がある。

早咲きの梅は12月中句頃からつぼみがふくらみ始め1月初旬には冬至梅・照水梅・寒紅梅等が寒さの中、春を告げるかのように咲き始め境内一円馥郁な香りで包まれる。

梅苑は例年2月初旬から公開され紅梅・白梅・一重・八重等の順に咲き始め、2月下旬から3月中旬までが最も美しい時期となる。

鳥羽天皇天仁2年(1109)2月25日にこの祭典が行われた記録が残っていることから約900年もの古い歴史を持っている。

この祭典には、貞明皇后参拝の古例により皇后陛下の御代拝が行われる。

古くは御祭神を宥(なだめる)と音の通じる菜種の花を供え「菜種御供(なたねのごく)」と称していたが明治以降新暦になり、菜種のかわりに梅の花を用いたことから次第に「梅花御供(ばいかのごく)」と呼ばれるようになった。

この御供は、四斗の米を蒸し大小2個の台に盛ったもの(これを「大飯(おおばん)・小飯(こばん)」と称す)で、古くより西ノ京に住む当宮の「神人(じにん)」の末裔らにより結成された七保会の会員が前日に参籠潔斎し調整する。

また白梅・紅梅の小枝を挿した[紙立(こうだて)《仙花紙を筒状にし底に小さなかわらけを敷いて中に玄米を入れ梅の小枝を挿し立てた特殊神饌「香立」とも書く》を男女の厄年に因み42本(白梅〉と33本(紅梅)づつ2台にわけて御神前にお供えする。

尚、授与所では「紙立」に用いた玄米を「厄除玄米」として授与する。


梅苑公開

大入600円(中学生以上)
小人300円(梅茶・菓子付)

2月上旬〜3月中旬(予定)30名以上1割引(但し25日・土曜・日曜・祝日を除く)


開催期間 2012年2月25日

開催時間 10:00〜15:00
祭典10:00から約50分(本殿) 野点茶会10:00〜3:00(境内) 梅苑10:00〜16:00(梅苑)

料金

野点茶会 拝服券1,500円(枚数限定) 梅苑入苑料 大人¥600 小人300円(梅茶・菓子付)

問い合せ先

北野天満宮社務所 (075-461-0005)

URL http://www.kitanotenmangu.or.jp/

アクセス

公共: 市バス 北野天満宮前 すぐ

車: 名神京都南IC 京都東ICより約30分

駐車場: 300台

*毎月25日は縁日のため駐車不可



大福梅とは?

大福梅は正月の縁起物で、カラカラに干し上げた梅の実を裏白とともに奉書に包んで授与され、新年の招福息災の祈りをこめ白湯にいれて戴くもので祝膳に欠かせぬものとして喜ばれている。

この起源は村上天皇の天暦5年(951年)疫病流行の折、「天皇御脳にかかり給いしが、この茶を服し給えば御脳たち所に平癒す。

これより王服(おおふく)と称して毎年元旦にこの茶を服し給い、萬民これを倣い年中の疫病邪気を除き長寿幸福を得るなり。」(「都名所図絵雑談抄」)と伝えられ、「大福」と書くのは、吉字をあてたものである。


大福梅 初穂料 1袋(約6粒入り) 500円

*当日予想参拝者:約15万人

北野天満宮

京都府京都市上京区馬喰町

問い合せ先 北野天満宮社務所 (075-461-0005)


http://www.e-kyoto.net/






城南宮七草粥の日[2012年02月06日(Mon)]


城南宮七草粥の日

2012年2月11日(土)

時間10:00〜16:00

料金七草粥授与 450円


源氏物語の「若菜の巻」にちなみ七種の若菜のお粥授与(有料)を頂きながら万病退散、不老長寿を祈願します。

セリ・ナズナ・スズナ・スズシロなど春の七草を神前に供え、参拝者は熱々の七草粥を食べ、植物のみずみずしい力を体内に摂りいれ、1年間の無病息災、延命長寿を祈願します。

春先に若菜を贈り息災を願う風習は『源氏物語』若菜の巻にも見られ、自然と一体になって四季を過ごした日本人の素朴な信仰に根ざしています。

城南宮では、旧暦の正月7日に近い、2月11日に毎年行い、大勢の参拝者で賑わいます(1膳450円)。


この春の七草は、楽水苑で見ることができます。



アクセス

地下鉄・近鉄電車「竹田駅」下車、徒歩約15分
市バス「城南宮東口」下車、徒歩約3分
京阪バス「城南宮東口」下車、徒歩約3分

住所: 京都市伏見区中島鳥羽離宮町7

問い合わせ先TEL 075-623-0846

公式Webhttp://www.jonangu.com/

阿含の星まつり[2012年02月04日(Sat)]


炎の祭典 阿含の星まつり

2012年2月11日(祝)午前7時30分

神仏両界大柴燈護摩供(しんぶつりょうかいだいさいとうごまく)

「阿含の星まつり」は、正式には「火の祭典・阿含の星まつり神仏両界大柴燈護摩供」と呼び、毎年2月11日(祝)、本山(京都市山科区北花山大峰)境内地において厳修される、阿含宗最大の行事です。

約30年の歴史を持つ、この行事は、参拝者が例年50万人を超え、京都の冬の風物詩として、その名が知られています。


神仏両界の秘法によって奉修

この護摩供は、仏教の総本尊「真正仏舎利尊」および、神界の主神として素佐之男命を奉安し、大導師を務められる桐山管長が長年の修行の中で体得された、「神仏両界の秘法」によって奉修されます。

神界壇・金剛界壇では「宝生護摩」(運気を転換して宝を生み出す)が、仏界壇・胎蔵界壇では「解脱供養護摩」(先祖をご供養して運を開く)がお焚き上げされます。

すばらしいお力がいただける、稀有の法会

本来、「星まつり」とは、人が誰でも持つ、一生の運命を司る星(本命星)と、その年の運命を司る星(当年属星)を供養し、個人の一年間の幸福、世界の平和・繁栄を祈る密教の秘法ですが、「阿含の星まつり」では「神仏両界の秘法」と「眞正仏舎利」の宝生力・解脱力という大功徳力が加わり、すばらしいお力を戴くことができる、稀有の法会です。

護摩供では、数度にわたって桐山管長ご親修の特別大護摩木加持と秘密九字が、執りおこなわれる。

この護摩供は早朝7時30分から午後4時頃まで修され、終日、両護摩壇からは天をつく十数メートルの浄火が燃えあがる。その運営は桐山管長を中心にのべ1万8千人の信徒修行者によっておこなわれる。
阿含宗とは

阿含宗(あごんしゅう)は、桐山靖雄(きりやませいゆう)により1978年(昭和53年)4月8日に創設された仏教系の新宗教。

毎年2月11日、「炎の祭典・阿含の星まつり」という修験道の儀式である護摩の一種大柴燈護摩供を京都花山にて開催することでも知られる。


全国から沢山の信者が集う壮大な催し。

「阿含の星まつり」は火の祭典そのもので聖火が龍神や仏となって現れ不幸や不運を焼き尽くし福を招くものです。

終日、自由に参加できます。

■場 所: 修法地(山科区北花山大峰町)

■時 間: 神仏両界大柴燈護摩供:7時半〜16時
山伏問答:8時、10時、11時半、13時

■アクセス: 当日「京都駅八条口」側より星まつり会場まで、
シャトルバスが運行されます(有料、7〜17時、予定)。

または地下鉄烏丸線「四条」駅より 京阪バス「上花山花ノ岡町」

■お問合せ: 075-761-1141(阿含崇関西総本部)







吉田神社・節分祭[2009年01月31日(Sat)]


節分祭は本宮並大元宮に於て節分の当日を中心に前後3日間に亘り執行される。主なる祭儀は疫神祭(えきじんさい)追儺式(ついなしき)火炉祭(かろさい)である。

疫神祭は本宮前日祭(午前8時)に引続き大元宮に於て行う
疫神を「荒ぶる事なく山川の清き地に鎮まります」事を祈り奉るために門外に向かって祭事が斎行される。

追儺式は前日の午後6時本宮に於て行われ、俗に「鬼やらい」と称す。

平安朝の初期より毎年宮中にて執行されていたものを、古式に則って厳修に伝承・継承されており、古の趣を現在に伝える数少ない神事の一つといえる。

その儀式、大舎人黄金四つ目の仮面を被り玄衣朱裳(げんいしゅしょう)を着装し盾矛をとりて方相氏(ほうそうし)となり小顔子(しんし)といへる小童多数を従え、陰陽師(おんみょうじ)祭文を奏し終れば方相氏大声を発し盾を打つこと3度、群臣呼応して舞殿を一巡。

最後に上卿以下殿上人が桃弓で葦矢を放ち疫鬼を追い払うのである。

平安京鎮護の神として、又全国の神を祀る社として、鬼即ち悪神を追い払い諸人の不幸を除いて人々の幸福と平和な生活を願うのである。

火炉祭は当日午後11時より行う本社の三ノ鳥居前に直径5m高さ5mもの巨大な八角柱型の火炉を舗設。

節分祭中参拝者が持参した旧い神札が積み上げられており、浄火を点じて焼上げる。

その有様は盛観を極め、火焔天に冲する時人々が待ち望みし春(立春)が訪れるのである。

参拝者には、その炎が無病息災をもたらし新春の幸運を授けると言われる。

大元宮正面に立つ厄塚は、参拝者の厄を負するという節分信仰の中心をなすもので、厄神や心に潜む鬼を塚に封じ込め、社殿と繋がった注連縄により八百万の神との感応を願い一年の健康を祈るものである。

他にも姓名や年令を記した紙に賽銭厄豆を包んで詣り厄を払い神の加護を乞う等、節分にまつわる信仰は数多く存在する。

これらのように、節分はわれわれの生活に深く根付いており、明朗な生活を願う大切な歳事である。


期間:2/2(月)〜/4(水)

時間:追儺式:2日18時〜 

火炉祭:3日11時〜

拝  観  料 

    無    料  お守り(800円〜)

駐  車  場 

参拝者無料 約30台駐車可 (但し、節分祭中を除く)

*2・3日の両日には約800店の露店が立ち並びます 

 


アクセス

京都駅方面より

市バス206系統

<東山通北大路バスターミナル行き>

「京大正門前」下車     徒歩 約5分

住    所

〒606-8311 京都市左京区吉田神楽岡町30番地

TEL     075-771-3788  





壬生寺  (節分)[2009年01月30日(Fri)]



京都の年中行事の一つに数えられる壬生寺の厄除け節分会(せつぶんえ)は、白河天皇の発願によって始められたといい伝えられ、九百年もの永い伝統を持つものである。

当寺は各社寺の中でも、京都の裏鬼門(南西)に位置し、京都の節分鬼門詣りの一端を往古より担っている。

ご本尊は重要文化財の延命地蔵菩薩であり、お地蔵さまの誓願である庶民大衆の除災招福を祈願して左記の通り、三日間にわたり古式どうり節分厄除け大法要を厳修する。

期間中は各地より参詣する老若男女で境内は雑踏をきわめる。

3日は厄除け護摩祈祷が本堂内で終日厳修され、年齢によって厄除けを祈願する星祭りの祈祷札が授与される。

また、壬生寺の節分詣では、節分厄除けお札・開運の起上がりダルマ守・お地蔵様があらゆる災難困難の身代わりとなって下さる身代り守・交通安全守なども授与される。 

さらに境内参道では、素焼きの炮烙(ほうらく)を求め、家族知人の年齢性別願いごとなどを墨書して奉納するという、当寺にしか見られない珍しい風習がある。

これら多数の炮烙は、四月二十一日から二十九日に行われる壬生狂言の毎日の序曲である「炮烙割」でことごとく割られる。 

この炮烙を奉納した人は、その年の災厄を免れて福徳を得るという信仰が伝わっている。 

狂言堂では、壬生狂言「節分」が前日同様に上演される。拝観は無料。 

また、境内にある塔頭(たっちゅう)[中院]では、本尊の十一面観音の宝前で、壬生地蔵講による御詠歌の奉納があり、一願成就の水掛地蔵堂や金運上昇の弁天堂も多数の参詣者でにぎわう。


八木家の歴史

八木家には元々但馬の国(兵庫県養父郡朝倉の庄)に祖を発し、鎌倉時代初期に、遠祖より八木安高によりて起りました。

源頼朝の富士の裾野の巻狩りの時、関東一円を震撼させた白い猪を射止めた功績で、頼朝より今の家紋(三つ木瓜)を拝領したと云われます。

(鎌倉武鑑)十数代の後、越前朝倉を経て天正年間中(室町時代)に、京・洛西壬生村に居を構え、江戸時代には十家程の郷士(壬生住人士)と共に、村の経営や壬生狂言に携わり、代々村の行司役をも勤めていました。又、壬生村と京都守護職や所司代とも大変深い関わりがありました。

(八木家、前川家文書)

幕末になり、江戸より浪士を預かり、後の“新選組”発足も京都守護職や所司代との関係であったことが伺われます。

壬生は往古より湧水の出ずるところで、水質にも大変恵まれ、壬生菜、菜種、藍などの産地でもありました。

その藍で染めた水色は壬生の色でもあり、壬生狂言に使用する手拭いの色にも古くから使用されています。

新選組が使っている羽織の段だら模様の水色は、この壬生の色を拝借したものです。

当家は、天正年間より当代まで15代を数え、代々血脈相続しています。




アクセス

京都駅から市バス

「壬生寺道」 下車  坊城通りを南へ200m

JR京都駅からは、烏丸中央口の26または28系統の市バス「壬生寺道」下車

阪急電鉄  「大宮」  下車    四条通りを西へ400m、坊城通りを南へ200m

京福電鉄  「四条大宮」 下車  四条通りを西へ400m、坊城通りを南へ200m

〒604-8821 

京都市中京区坊城仏光寺北入る

電話 075-841-3381  






風変わりの 節分行事ベスト5[2009年01月29日(Thu)]


風変わりの 節分行事ベスト5

1位 「お化け」

花街にでる「お化け」

「今晩は、お化けどす」祇園では節分を「お化け」と言って、芸妓さんがなにか趣向をこらしてグループで「仮装」を楽しみます。

ふつう祇園では、舞は井上流だけが認められていますが、節分のこの日ばかりは違います。

他流の踊りも許され、芸妓さん達は思い切り「男装」して、羽目をはずします。

「お染め・久松」「松の廊下」「水戸黄門」など。

こんな衣装のグループが信号待ちをしながら、お茶屋からお茶屋へ移動するのですから、通行人も思わず笑ってしまいます。

今では、お客もこれに加わり思い思いの仮装をする様になりました。

気のおけない友達とこの「お化け大会」をやってみませんか。

節分の夜は、常連のお客さんでお座敷はいっぱいだそうです。

ひと目だけでも「お化け」に会いたい方は花見小路、四条通り、新門前通りなど、夕方から深夜頃出かけてみましょう。

運がよければ宮川町、上七軒、先斗町のきれいどころの「お化け」の一行と出くわすかもしれません。

もっと身近に話したい方は、当「京都倶楽部どっとこむ」にご入会して頂くと、お茶屋さんの常連さんになる近道です。



2位  「めかご・かずかご」


一つ目小僧の鬼は、目の多いカゴを嫌うので軒下の竹竿の先にカゴを下げ、ヒイラギ・豆ガラなどの他に草履を片方だけつるして、たてかけて置くと、翌朝このカゴに鬼がひっかかっているそうです。

また、この鬼は1本足なので草履は片方だけなのです。



3位  「豆占い」


節分でまいた豆で今年の天候を占います。

豆を12こ(閏年は13こ)拾ってイロリの隅に並べて順に焼きます。

白い灰になると晴れ、黒くこげるのは雨、息を吹くのは風、早く焼けてしまうのは旱害(かんがい)といわれ、明治期には、全国的に行われていました。



4位   「厄おとし・厄はらい」



節分の夜に京都では厄落しといって「銭落し」をします。

年の数だけの小銭を包んで落としておき、誰かに拾わせる風習がありました。



5位   「モグラ追い」

むかしモグラの被害がひどかった為、防ぐための呪術(じゅじゅつ)行事です。

ナマコを藁(わら)のネットに入れ、縄(なわ)に付けて引き回していました。

現在は槌(つち)や杵(きね)に縄をつけて田畑(たはた)を引き、地面をあっち、こっちと叩きまわるのですが、モグラたたきの原点をみるようです。



http://www.e-kyoto.net/




節分 "豆" 知識[2009年01月27日(Tue)]


節分祭

節分 "豆" 知識

そもそも節分とは

節(せち)分かれといって季節が変わる節目のことで、立春の前日をさします。

本来の節分は、冬から春への変わり目で、自然の姿が変わることを大切な節目としていました。

今では外から邪気悪霊が入ってくるのを防ぐよう、庭からくる鬼に大豆を投げつけて追い払うように変わりました。


深泥池(みどろがいけ)の「豆塚」


むかしむかし洛北の深泥池には「豆塚」という塚があったそうです。

平安京の北に、鬼たちが毎晩出没し悪さをして人々を困らせていました。

この鬼たちは貴船の谷に住み、地下道を通って深泥池の畔の穴から地上に出て騒いでいたのです。

そこで人々は、鬼を退治するために鬼が嫌っている豆を投げ込んだところ、鬼は静かになり出てこなくなりました。

それ以来、鬼の出入りする穴に節分の豆を捨てるようになったそうです。

これが節分に豆をまき、鬼を追い払うことの始まりとも言われています。

文献には、この穴の跡に豆塚があったと記されていますが、それが近くの貴船神社ではないかと言われています。


追われた鬼の行方 ?

豆を投げられ追い払われた鬼達は、奈良の吉野の金峯山寺に暖かく迎えられていました。

そして鬼火の祭典で今までの悪行を改心し、すっかり「良い鬼」になっていました。

ですからこの金峯山寺では「福は内、鬼も内」と、他とは違ったかけ声で豆まきが行われるそうです。


どこに豆をまくの?

なまの豆をゆっくり時間をかけて炒り、切り火(※)をかけて神棚に供えたら家族揃ってパンパンと柏手(かしわで)をうって拝みましょう。

さー豆まきはこれからです!神さん、仏さん、土蔵、井戸、家の表、裏庭にも、「福は内〜」と言いながらまき、お手洗いには「鬼は外〜」と使い分けて、思い切り遠くに追いやりましょう。

※切り火・・・火打石で火花を散らし不浄を払います。



節分に豆といわし・・・そして太巻ずし


炒った豆を自分の年より一粒多く豆を食べるのが節分の習わし。

また、この日には塩いわしを焼き、家中、匂いと煙を一杯にして鬼を追い払います。

油がのったいわしには、大根おろしと麦ご飯がぴったりですね。

そして、いわしの頭をひいらぎの小枝につるし戸口にぶら下げて魔よけにしましょう。

さすがに今では家の中を煙で払うことはなくなりました。

そして太巻ずしを1本、切らずにそのままその年の恵方(今年は南南東)の方角に向かって無言でかぶりつくと1年間良いことがあるそうです。

話しかけられても「………お口はチャック」なのです。



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舞妓さん独占インタビューその1[2009年01月25日(Sun)]


お茶屋入門

舞妓さん独占インタビューその1

瓢亭(ひょうてい)の広いお座敷でそわそわしていると、宮川町のお茶屋『駒屋』の女将さんに続いて二人の舞妓さんが登場しました。 

その場が一気に華やぎます。 

座敷にいた人々の言葉にならない、呼吸の歓声を感じる瞬間でした。

舞妓さんのうちの一人は駒屋のとし美ちゃん。

もう一人は舞妓になって約4ヶ月という新人さんで、名前は「女将さんに聞かな分からへん。」ということで仮に

「Hさん」としておきます。 

とし美ちゃんとは以前お茶の稽古で知り合ったのですが彼女の仕事が忙しくなり、しばらく会えなくなっていたので、今回久々の再会を果たすことができたのです。

彼女はもう新米舞妓を連れている先輩だというのに、おろおろと相変わらず緊張してぎこちない様子。 

「ああ、変わってなくてよかった。」と微笑ましく思いながら、彼女たちが二手に別れて客人に酒を順に注いでくれるのを待ちました。 

周りの人たちも興奮気味です。 

私の近くに来て目が合った瞬間、「おねえさーん。」と、とし美ちゃんが手を振ってくれました。 

まるで少女のような可愛らしさ。

そこが舞妓さんの魅力なのかもしれません。

杯に酒を注ぐ彼女の顔は以前よりもきれいにおしろいが塗られ、伏せた目に赤いラインが映えています。

「前よりお化粧が上手になったね。」と言うと、「そうどすか?おおきに〜。」と、か細い声で恥ずかしそうに微笑むとし美ちゃん。 

ひとつ間違えればババくさくなってしまう京都弁でも、舞妓さんの小鳥のような声で言われると、とてもはんなりとした気持ちになります。

二十歳になったという彼女に成人式はどうしたのか尋ねますと、「仕事で行けなかったんどす〜。

おねえさんと同じ黒の振袖買ったのに着られないんどす・・・。」と残念そう。 

その代わりにお盆に自分の成人式をするとのこと。 

毎日着物に袖を通していても、特別な日にはやっぱり振袖を着たくなるようです。

成人した彼女は衿替え(舞妓が芸妓になること)も近づき、舞妓でいられる時間は少なくなってきました。 

今後の進路は、と聞くと、芸妓になるか絵の専門学校に行くかで迷っているようでした。 

しかし舞妓さんは仕事も忙しいのに果たしてデッサンなどの受験勉強をこなすことはできるんだろうか、と要らぬ心配をしてみたり・・・。 

舞妓さんの数が減ってきているという世の中、芸妓さんになる子が更に減少してしまうのは残念なことですが、彼女の人生は彼女のもの。 

口出しするのも良くないし、他の客が待っている所でそこまで込み入った話をするのははばかれるので、その話はひとまずおあずけにしておくことにしました。

季節によって変わる花かんざし、白い陶器のようなうなじ。

だらりと鮮やかな模様をあらわにする帯。

ふわり、ふわりとした立ち振る舞い。 

華やかな舞妓さんの姿はどこから見ても絵になります。 

隣に移り、酒をすすめる彼女たちにカメラを向けると、しっかりこっちを向いてカメラ目線になるのが面白かったです。 

さすが、鑑賞される側のプロ・・・。

男性客から逆に酒をすすめられたとし美ちゃんは、どうやらよっぽど笑いのツボにはまる事でもあったらしく、「涙が出てきちゃって、どうしよう〜。」とハンカチで顔を隠していました。

何年たっても彼女らしい愛らしさが残っていました。


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お茶屋入門[2009年01月23日(Fri)]


お茶屋入門


芸妓さん、舞妓さんに会いにいこう

舞妓さんや芸妓さんが生活するのが「置屋」、お座敷で客人に舞を披露したりする酒席の空間のことを「お茶屋」といいます。 

男女問わず、花街祗園で舞妓さんと遊んでみたいという人々はたくさんいます。

しかし、ガンと拒まれている感はあります。

でも一度はお茶屋遊びをしてみたい人(もちろん女性も大歓迎!)のために手引き致しましょう。


一、紹介者と一緒に。

お茶屋に馴染んでいる人に紹介して頂き、同伴していくというのがベストです。 

京都の知り合いで、お茶屋をよく知っていそうな人に頼む事が早道です。

伝統あるお茶屋です、いきなり入って来て「舞妓さんを・・・」なんて言っては相手にも失礼だし、不信人物だと思われかねません。

また、そういうコネが無ければ、京都の一流のホテルや旅館に紹介を頼んでみましょう。

宿泊客の頼みであれば、旅館の女将さんが手配してくれるでしょう。

お茶屋のバーとなじみになって、紹介していただくのも良いでしょう。

一回行っただけでもう信用がつくという事ではありませんので、常に紹介者を通じて予約するのがベター。

名刺ではものは言えないと肝に命ずるべきです。

二、女将さんにすべてをお任せする。

お茶屋の暖簾をくぐれたら、入門者の場合は女将さんに何を食べたいか、どんな舞妓(芸妓)を頼みたいのか伝えた方が良いと思われます。 

後は帰りのタクシーなど細かいことは考えずに、きれいなひとに会える事に胸をわくわくさせていましょう。

そこで気になる予算の事ですが、

・芸妓(舞妓)3万5千円/一人・2時間 くらい(税金、お花代、御祝儀込)

・プラス飲食費(一流の仕出し屋で一人当たり約1万5千円、弁当なら5千円から8千円)

・プラス席料

3人くらいで行くとしたら、5万5千円から6万円/一人を目安にしましょう。

もう少し安くしたければお茶屋に入る前に食事は済ませておいて、一緒に行く友人を増やす事で花代を割るという方法をとると、一人当たり3、4万円くらいで楽しめます。 

10人以上なら2万5千円くらいになります。

あらかじめ予算を女将に伝えておくと安心ですね。

三、最低限のルールは守ろう。

当たり前の事ですが、羽目は外し過ぎないように。 

舞を舞い、酒を注ぎ、唄を披露したりと雅で細やかなもてなしをしてくれているのです。 

外国からの客においても同様です。 

部屋や着物を汚したり、品性を欠く行動をしてしまうと、もうそのお茶屋に入れてもらえなくなってしまうのです。 

心地よく酔いましょう。

約束を守るのも当然の事ですが、予約していたのが都合で行けなくなったとしたら責任をもってすぐに断りの電話を入れる事が大事です。 

舞妓さんや芸妓さんだけでなく、女将さんもあなた自身のために他の予約を断って様々な演出を用意してくれているのですから、金銭的な事はもちろん、信頼関係も大事にしましょう。

以上の事を心得て大いに楽しみましょう。 

祗園の人々の口はとても堅く、お茶屋の中での噂話等は漏らしたりはしません。 

それが祗園のしきたりでもあり、誇りでもあるからなのです。


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西陣 富田屋[2009年01月22日(Thu)]


西陣 富田屋


国の登録有形文化財


【こだわりの本物の町家の造り】

[表屋造り]

店舗と奥の住居からなる京の町家建築様式。

通りに面した間口八間を有する店舗構えから、奥へ奥へとのびる空間が想像できるでしょうか。

神秘的な三つの蔵と季節の風の流れを感じる六つの坪庭、奥には茶室「楽寿」、能が舞われた離れ座敷など、本物にこだわった西陣の秘めたる暮らしぶりがうかがえます。

木材にこだわり主人自ら山に入って選び抜いた切れ目のない十メートルの赤松の廊下が歴史を感じさせます。


西陣の歴史と暮らしをいまに伝えて

室町のころより織物のまちとして栄えてきた西陣。

中心をなす今出川大宮は古く「千両ヶ辻」と呼ばれ、1日に千両に値する生糸が動いたといわれるほどにぎわいました。

その由緒ある大宮通一条に、約百二十年前に建てられた田中屋(屋号・冨田屋)は、京町家の中でも西陣の商屋特有の様式を数多く残しております。


明治の香りを伝える商屋

江戸中期から近世末まで伏見で九代両替商を営んでいた冨田屋が、西陣織の産地問屋としてこの地に移ったのは明治十八年ごろのこと。

通りに面した母屋と表蔵は典型的な表屋造りの特徴をもち、明治期の大店の姿をいまに伝えています。

昭和十年に増築された離れは、座敷と応接間、茶室の三棟で構成され、とくに茶室は武者小路千家官休庵九代家元・千宗守氏により「楽寿」の名を頂戴しています。

町家の活用で文化の継承を私度もでは、代々受け継いだこの家を、京都の歴史や文化を伝える建物として保存するとともに、歴代の主人が集めました伝統ある道具・調度類なども展示し、これまで会員の方々のみご利用いただく非公開施設としておりましたが、西陣の暮らしぶりを一人でも多くの方に知っていただきたいと考え、お茶事や文化教室、展示会などの催しにも、申し込み制にてご利用いただけるようにいたしました。

町家をご活用いただき、町衆文化に触れていただくことが、京の伝統継承の一助になれば幸いに存知ます。

                記 富田屋十三代目 田中峰子

アクセス

京都駅から市バス

 一条戻り橋下車     徒歩 約3分

 今出川大宮下車    徒歩 約3分


〒602-8226

京都市上京区大宮通一条上ル

TEL: 075-432-6701





 





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