中国旅行記(その5)―高昌故城、火焰山そして蘇公塔―[2009年07月30日(Thu)]
週末のトルファンは、行きたいところをどんどん回ることができた。
まず、高昌故城。ここは、古代中国の都であったところだ。特に5世紀以降大いに栄えたと言われる。シルクロード上の要衝でもある。
この城の街は土の煉瓦で作られていた。それが2000年後の現在でも、風雪に直接晒されながら、かなり原型を残しているのである。

街の入り口から、中心の集会所たる大仏寺に入る。御堂というべき空間は青天(あおてん)なので、さすが天井は落ちてしまったのだと思ったら大間違い。もともと天井がないのだという。1年中ほとんど雨が降らないから、天井とか屋根は不要なのだ。
市役所と言われるところや居住区などを見て、入り口とは反対側の街の外に出てみた。広大な河原のようなところから、左右に高昌故城の外壁を見、正面には火焔山を遠望する、雄大な所に出る。

次いで、ベゼクリク千仏堂に向かう。途中、火焔山を目前に見るポイントがあり、その赤土色の砂の斜面と岩山に感動する。西遊記で孫悟空がいろいろな闘いで活躍したところである、と実感することができるような環境である。

赤く輝く斜面の地表は、日中は50℃以上にもなるという。ここの千仏堂は6−14世紀頃まで寺院として開かれていたが、ムスリムにより制圧され、閉院した。

ベゼクリクとはウィグル語で壁画を意味し、まさに多くの洞窟に1000年以上も前の壁画が多くあったが、フランス人などの考古学者に剥がされ持ち去られてしまって、何も残っていないのだ。どのようにして剥がしたのか知らないが、ひどいことをするものだと思う。欧米人は今、タリバンによる石仏破壊を極悪非道の犯罪呼ばわりするが、ここを見ていると、彼らにそんなことが言えるのかと、ふと思った次第である。
以上は、トルファンから40kmほど離れたところだが、市内に蘇公塔というイスラム礼拝堂がある。礼拝堂の横に大きな塔が建っているが、これは、中国への忠誠とイスラム教信仰のシンボルだという。

何か違和感を持って話を聞いていくと、18世紀にエミンホージャ(額敏和卓)というウィグル族の指導者(アホン=王)が、中国との争いを避け、中国に忠誠を誓う代わりにイスラム教とムスリムの生活を守ろうとして、この塔を建てた(正確には1777年83歳で死亡後、息子が建立を引き継ぎ完成)という。新疆では一番大きな礼拝堂という。
エミンホージャは、同じ少数民族のモンゴル族により起こされた中国に対する大規模な反乱を鎮圧したりしている。彼はもちろん偉人として讃えられている(と説明されている)が、他方でもちろん、少数民族からは裏切り者と映っているのではないかと想像する。
次元は違うかもしれないが、現在新疆における民族問題は、漢族とウィグル族との確執のみならず、あるいはそれ以上に、少数民族内における成功者、支配階級、高所得者とそれ以外の取り残された民衆との確執でもある。その原型を、この蘇公塔に見るような気がしたものである。少数民族との融和を見せようとここを案内した中国側の目的とは反対の感情を持ってしまったかもしれない。(続く)
まず、高昌故城。ここは、古代中国の都であったところだ。特に5世紀以降大いに栄えたと言われる。シルクロード上の要衝でもある。
この城の街は土の煉瓦で作られていた。それが2000年後の現在でも、風雪に直接晒されながら、かなり原型を残しているのである。

街の入り口から、中心の集会所たる大仏寺に入る。御堂というべき空間は青天(あおてん)なので、さすが天井は落ちてしまったのだと思ったら大間違い。もともと天井がないのだという。1年中ほとんど雨が降らないから、天井とか屋根は不要なのだ。
市役所と言われるところや居住区などを見て、入り口とは反対側の街の外に出てみた。広大な河原のようなところから、左右に高昌故城の外壁を見、正面には火焔山を遠望する、雄大な所に出る。

次いで、ベゼクリク千仏堂に向かう。途中、火焔山を目前に見るポイントがあり、その赤土色の砂の斜面と岩山に感動する。西遊記で孫悟空がいろいろな闘いで活躍したところである、と実感することができるような環境である。

赤く輝く斜面の地表は、日中は50℃以上にもなるという。ここの千仏堂は6−14世紀頃まで寺院として開かれていたが、ムスリムにより制圧され、閉院した。

ベゼクリクとはウィグル語で壁画を意味し、まさに多くの洞窟に1000年以上も前の壁画が多くあったが、フランス人などの考古学者に剥がされ持ち去られてしまって、何も残っていないのだ。どのようにして剥がしたのか知らないが、ひどいことをするものだと思う。欧米人は今、タリバンによる石仏破壊を極悪非道の犯罪呼ばわりするが、ここを見ていると、彼らにそんなことが言えるのかと、ふと思った次第である。
以上は、トルファンから40kmほど離れたところだが、市内に蘇公塔というイスラム礼拝堂がある。礼拝堂の横に大きな塔が建っているが、これは、中国への忠誠とイスラム教信仰のシンボルだという。

何か違和感を持って話を聞いていくと、18世紀にエミンホージャ(額敏和卓)というウィグル族の指導者(アホン=王)が、中国との争いを避け、中国に忠誠を誓う代わりにイスラム教とムスリムの生活を守ろうとして、この塔を建てた(正確には1777年83歳で死亡後、息子が建立を引き継ぎ完成)という。新疆では一番大きな礼拝堂という。
エミンホージャは、同じ少数民族のモンゴル族により起こされた中国に対する大規模な反乱を鎮圧したりしている。彼はもちろん偉人として讃えられている(と説明されている)が、他方でもちろん、少数民族からは裏切り者と映っているのではないかと想像する。
次元は違うかもしれないが、現在新疆における民族問題は、漢族とウィグル族との確執のみならず、あるいはそれ以上に、少数民族内における成功者、支配階級、高所得者とそれ以外の取り残された民衆との確執でもある。その原型を、この蘇公塔に見るような気がしたものである。少数民族との融和を見せようとここを案内した中国側の目的とは反対の感情を持ってしまったかもしれない。(続く)
Posted by 秋山昌廣 at 11:28 | この記事のURL | コメント(1) | トラックバック(0)





近日、トリノ博物館のエジプト展を見たのですが、展示されているみごとなエジプトの遺品群は、早い話が要は、ヨーロッパ人がエジプトからかっぱらってきたものです。
中国の芸術品にしても、日本の芸術品にしても、どれほど欧米に持っていかれて、彼らにしまいこまれているか。相当な数に上ると思います。エルミタージュ美術館の東洋美術コレクションなどは、一度、日本と中国の学芸員による合同調査をしてもよいのではないかと思われます。