アンコールワット遺跡群を訪問[2006年11月28日(火)]
先週の週末を利用して、前から訪ねてみたかったアンコールワット遺跡群の視察研修旅行に参加した。
遺跡復元のため、日本では政府が20億円を超える協力をしているほか、民間でも上智大学が石澤学長のイニシアチブの下、広範な活動を行っている。
全体としては、日、独、伊、仏などの国際協力事業となっている。
1992年に世界遺産に指定されたこと、カンボジアの内戦が収まり治安が回復したことなどから、近年、視察や観光の訪問客が急増している。
その相当部分が日本人である。遺跡群のあるカンボジア中央部のシェムリアップ市には、成田からバンコク経由で10時間程度で到達できる。
15年前、自衛隊が初めて国連PKO部隊を派遣した国、高田警視、民間ボランティア中田さんが殉職した内戦の地が、遠い昔のようなことだったと思わせるように、シェムリアップが立派なホテルが建ち並ぶ地に大きく変容していたのには、驚かされた。
到着した翌日、まずアンコールトムに出かける。説明は、日本から派遣されている早稲田大学の下田先生による。
12世紀の末に王位に付いたジャヤヴァルマン7世は熱心な大乗仏教徒だったから、13世紀初頭に建てられたこのアンコ−ルトムは仏教寺院である。
城門から中心にあるバイヨン寺院まで、塔に組み込まれた大きな四面神(写真1)が印象的である。観音仏という説もある。

回廊には、当時の戦いを印した精巧な彫刻が風雨に耐えて見事に残っている。
灼熱の太陽の下、象のテラスやライ王のテラスの遺跡を歩いて見て回る。他の遺跡もそうだが、全てが、砂岩を切り出し彫刻を施して積み上げた単純な建造物だ。
その建造方法、建造思想は未だよく分かっていない。今では多くが崩壊したため復元工事が進められているが、800年前のアジアでこれだけの石の文化があったのかと驚嘆する。
次いで訪ねたアンコールワットは、時代を少し遡る12世紀に建てられた広大なものだ。
建造主スールヤヴァルマン2世がヒンズー教徒だったから、これはヒンズー寺院である。
アンコールワットで唯一西に向いた寺院なので、王廟と考えられている。
中央にある3つの寺院は、ヒンズー教の3人の神、シヴァ神、ヴィシュヌ神、ブラフマー神が祭られたものである。他のヒンズー寺院は皆同様の形式だ。
アンコールワットの回廊の壁に彫られた彫刻は絶品である。戦争の彫刻に始まり、「天国と地獄」(写真2)を経てかの有名な「乳海攪拌(にゅうかいかくはん)」に至る。本来敵対する神々と阿修羅が一時的に協力して、引き綱たる大蛇を互いに引き合い、乳海を攪拌して不老不死の秘薬を作り出す物語を表したものである。

アンコールワットには、翌日早朝暗いうちにもう一度出かけて、寺院をバックにした朝日のご来光(写真3)を拝観する。

さらに2日間かけて、この他7つの寺院遺跡を訪ねる。
森林の中でほぼ完全に崩壊したままの姿で発見された寺院、大貯水池の中にある病を治癒したといわれる寺院、奇怪な大木の根が覆いかぶさる荒廃した寺院、アンコール初期の素朴な寺院などであるが、一つ紹介を省けないのが10世紀に造られたバンテアイ・スレイ寺院だ。
女の砦を意味する名前のとおり、東洋のモナリザと言われた女神デヴァータの彫刻(写真4)を始め、女神、男神が見事に彫刻された石が、柱として、門として、小ぶりの寺院として、積み上げられている。

砂岩でも非常に固い赤みを帯びたラテライトが素材となっているため、約1000年の風雨に耐えて深い彫りの彫刻(写真5)がほぼ完璧に残っている。植民地時代の宗主国、フランスが崩壊した寺院を発見し石を積み上げ戻し復元したものだが、実に美しい寺院である。

シェムリアップの近くに位置するトンレサップ湖は、雨季には乾季の3倍に拡大する湖で、その時は琵琶湖の面積の15〜20倍というから、海そのものだ。
伸縮自在のこの海は、カンボジアの地に洪水を起こさせない天然の用水池機能を持っている。また、その伸縮によって栄養物が豊かになるため、漁獲高もかなりのものと言われているが、近年環境汚染が進んでいるという。
さて、月曜日の夜バンコクに移り、夜行便に乗り換えて翌日早朝成田に到着、空港から直接新宿副都心のホテルに駆けつけて、10時開催の国際会議で無事議長職を務めることができたが、少し冷や汗物であった。
加えて、800年前のクメール王朝の栄華の歴史から現実の北東アジア安全保障問題への頭の切り替えに、やや時間を要したことを告白しておく。(完)
遺跡復元のため、日本では政府が20億円を超える協力をしているほか、民間でも上智大学が石澤学長のイニシアチブの下、広範な活動を行っている。
全体としては、日、独、伊、仏などの国際協力事業となっている。
1992年に世界遺産に指定されたこと、カンボジアの内戦が収まり治安が回復したことなどから、近年、視察や観光の訪問客が急増している。
その相当部分が日本人である。遺跡群のあるカンボジア中央部のシェムリアップ市には、成田からバンコク経由で10時間程度で到達できる。
15年前、自衛隊が初めて国連PKO部隊を派遣した国、高田警視、民間ボランティア中田さんが殉職した内戦の地が、遠い昔のようなことだったと思わせるように、シェムリアップが立派なホテルが建ち並ぶ地に大きく変容していたのには、驚かされた。
到着した翌日、まずアンコールトムに出かける。説明は、日本から派遣されている早稲田大学の下田先生による。
12世紀の末に王位に付いたジャヤヴァルマン7世は熱心な大乗仏教徒だったから、13世紀初頭に建てられたこのアンコ−ルトムは仏教寺院である。
城門から中心にあるバイヨン寺院まで、塔に組み込まれた大きな四面神(写真1)が印象的である。観音仏という説もある。

写真1 四面神
回廊には、当時の戦いを印した精巧な彫刻が風雨に耐えて見事に残っている。
灼熱の太陽の下、象のテラスやライ王のテラスの遺跡を歩いて見て回る。他の遺跡もそうだが、全てが、砂岩を切り出し彫刻を施して積み上げた単純な建造物だ。
その建造方法、建造思想は未だよく分かっていない。今では多くが崩壊したため復元工事が進められているが、800年前のアジアでこれだけの石の文化があったのかと驚嘆する。
次いで訪ねたアンコールワットは、時代を少し遡る12世紀に建てられた広大なものだ。
建造主スールヤヴァルマン2世がヒンズー教徒だったから、これはヒンズー寺院である。
アンコールワットで唯一西に向いた寺院なので、王廟と考えられている。
中央にある3つの寺院は、ヒンズー教の3人の神、シヴァ神、ヴィシュヌ神、ブラフマー神が祭られたものである。他のヒンズー寺院は皆同様の形式だ。
アンコールワットの回廊の壁に彫られた彫刻は絶品である。戦争の彫刻に始まり、「天国と地獄」(写真2)を経てかの有名な「乳海攪拌(にゅうかいかくはん)」に至る。本来敵対する神々と阿修羅が一時的に協力して、引き綱たる大蛇を互いに引き合い、乳海を攪拌して不老不死の秘薬を作り出す物語を表したものである。

写真2 天国と地獄
アンコールワットには、翌日早朝暗いうちにもう一度出かけて、寺院をバックにした朝日のご来光(写真3)を拝観する。

写真3 ご来光
さらに2日間かけて、この他7つの寺院遺跡を訪ねる。
森林の中でほぼ完全に崩壊したままの姿で発見された寺院、大貯水池の中にある病を治癒したといわれる寺院、奇怪な大木の根が覆いかぶさる荒廃した寺院、アンコール初期の素朴な寺院などであるが、一つ紹介を省けないのが10世紀に造られたバンテアイ・スレイ寺院だ。
女の砦を意味する名前のとおり、東洋のモナリザと言われた女神デヴァータの彫刻(写真4)を始め、女神、男神が見事に彫刻された石が、柱として、門として、小ぶりの寺院として、積み上げられている。

写真4 女神デヴァータ
砂岩でも非常に固い赤みを帯びたラテライトが素材となっているため、約1000年の風雨に耐えて深い彫りの彫刻(写真5)がほぼ完璧に残っている。植民地時代の宗主国、フランスが崩壊した寺院を発見し石を積み上げ戻し復元したものだが、実に美しい寺院である。

写真5 風雨に耐えた彫刻
シェムリアップの近くに位置するトンレサップ湖は、雨季には乾季の3倍に拡大する湖で、その時は琵琶湖の面積の15〜20倍というから、海そのものだ。
伸縮自在のこの海は、カンボジアの地に洪水を起こさせない天然の用水池機能を持っている。また、その伸縮によって栄養物が豊かになるため、漁獲高もかなりのものと言われているが、近年環境汚染が進んでいるという。
さて、月曜日の夜バンコクに移り、夜行便に乗り換えて翌日早朝成田に到着、空港から直接新宿副都心のホテルに駆けつけて、10時開催の国際会議で無事議長職を務めることができたが、少し冷や汗物であった。
加えて、800年前のクメール王朝の栄華の歴史から現実の北東アジア安全保障問題への頭の切り替えに、やや時間を要したことを告白しておく。(完)
Posted by 秋山昌廣 at 18:36 | この記事のURL | コメント(1) | トラックバック(0)



