中国の旅(その3)―新疆石河子市―[2009年07月08日(水)]
(下記のようなブログを掲載しようとしたときに、ウルムチでの暴動報道があった。ブログの出だしからしてノーテンキと言われそうで、さすがにちょっと掲載を躊躇して様子見となったが、書き換えるのも妙だし、結局そのまま修正せずに掲載することにする。実は前回も、今回も民族対立の背景に関わるものであり、実は次回も、民族対立あるいはこの地域の統治の歴史に関するものである。ウルムチ暴動に関しては、この佐官級訪中記とは別に、あらためて書き記してみたい。)
中国の宴会で乾杯といえば、まさに杯に注がれた酒を飲み干すのが習慣である。一般的に茅台酒などアルコール度の高い白酒で乾杯するので、これが何回も続くとかなり効いてくる。中国では、酒は一人で適当に飲むのではなく、飲むときはいちいち乾杯となる。8年前からこの交流事業が始まったが、始めの頃は、宴会での乾杯対策(いかに飲まないで済ませるか)が重要事項であった。最近は主人役の中国人も余り飲まないどころか、乾杯と言っても飲み干さない。飲んだと思ったらコップにいっぱい入った水とかヨーグルトを飲み干して、アルコールを中和する。飲み干さない乾杯(日本に多い。特にビールの時。)時は、本当は「随意(スゥイイ・好きなだけ飲んでください)」と声をかけるべきところ、これも最近は言わない。中国でも、職場、地域での定期健康診断が浸透して、中高年者の酒量へのチェックが厳しくなったのである。
ところがここ新疆ウルムチは田舎だからかどうか知らないが、新疆軍区幹部の主人(ホスト)のみならず参謀役のナンバー2まで、宴会中乾杯、乾杯だった。主人の方は乾杯と言いながら自分はほとんど飲まない。相手に強制的に飲ませる、あまりスマートではないもてなしだったが、ナンバー2は酒豪であった。日本側からも一人酒豪が対応して、堂々と乾杯しあう。ナンバー2はたまらず女性自衛官を相手に選ぶ。ところが彼女たちもなかなかの上戸。久しぶりに賑やかな宴会となった。
新疆軍区には前回報告した工兵団のほかに生産建設兵団がある。簡単に言ってしまえば屯田兵団だ。1950年代に人民解放軍は天山山脈の北麓中ほどの砂漠の荒野において開墾をはじめ、軍の設計、建設により、半世紀かけて現在の美しい石河子市を作り上げた。
石河子市(せきかしし、シーホーズー)はウルムチから西方に約150km、バスで2時間半走らなければならない。車は多くないが、こんな西部最果てにも我々の知るハイウェイが8割は出来上がっている。
前夜の影響で大半の参加者が移動中仮眠をとる中、バスがゴビ砂漠の中を走るというので、私はカメラに、このために持参した大きな望遠レンズをセットして、運転席の横でじっと構えた。しかし、見えるのは青々とした畑ばかりで、砂漠のかけらも見えない。聞けば、石河子市に限らず、このあたりの盆地は天山山脈から雪解け水を灌漑水路によって畑に引き込み、荒野を畑作に変えてきたのだという。戦後30万平方メートルの入植がなされた。今では、小麦、葡萄、トウモロコシが主要作物となり、新疆の葡萄は世界にも有名となる。
開墾された畑なので、区画整理も良くできていて、防風林との組み合わせが美しい。ゴビ砂漠の荒々しさを想像したが、これは翌日のトルファン行きの時までお預けとなった。
石河子市では、新疆生産建設兵団14師団の歴史を展示する「新疆兵団軍墾博物館」を訪ね、人民解放軍(PLA)による厳しい開墾の歴史を勉強する。
PLAはもちろん開墾をして城塞を築き、開墾地区を地域の開発モデルにするとともに、もちろんのこと、北西に広がる辺境の地の国境警備(対旧ソ連)を睨んだのであった。
石河子市の人口は60万人、ただし少数民族はわずかの5%で、新疆ウィグル自治区では特異な漢人の人工都市である。実は、整然とした市街地、緑の多い街路、近代的オフィスビル、住宅アパート群の建設など、昔を知らない、つまり昔と比較できない私たちには何の面白みもない訪問であった。しかし、当地は、新疆の観光ルートにさえもなっており、中華人民共和国政府が自慢する開墾大成功例の街なのだ。最大の少数民族ウィグル族の居住する広大な荒れた土地を、統治者たる中華人民共和国が軍隊を投入して開墾をし、国家の力を見せつけようとしたのである。したがって、新疆訪問者を当地へ案内することは、中国の統治の歴史から見れば極めて重要なのだ。
時間の合間を縫って、市の市場に出向く。窯の内側に貼り付けて焼くパン屋、肉屋などあらゆるお店の並ぶ中、昼間からゲームに興じる中国人というか中央アジア風中国人のグループを見る。(続く)
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中国の旅(その2)―新疆ウルムチ―[2009年07月02日(木)]
北京に3泊した後、新疆のウルムチに向かった。自衛隊佐官級訪中団が中国の西部地域に入るのは初めてである。昨年はチベットを訪問する予定であったが、例の暴動発生で計画変更を余儀なくされた。
ウルムチ市内のホテルの前にある人民広場では、毎朝早朝から大勢の市民が集まって太極拳が繰り広げられる。1時間もの太極拳が終わり、ふと見渡すと、近代的なビルに囲まれたこの広場に大きな塔があるのに気付く。見に行くと、その正面に堂々と「中國人民解放軍進軍新疆記念」と記されているではないか。
当地は古くは紀元前に、漢の武帝がその支配を確立したが、中国がずっと支配し続けたわけではなく、ウィグル族、ムスリムなどの地元勢力が統治者となり、あるいは王朝や国家を築いたりした。
1949年、中華人民共和国が成立したが、共和国は直ちに人民解放軍を進軍させ、新疆に対する中国の統治を明確にしたのである。進出なのか、進駐なのか、侵略なのか、ここではその議論は行わないが、人民広場のこの進軍記念塔は、間違いなくこの空間の主役である。
「進軍記念」、戦後日本からはなくなった言葉といっても良いもので、見ていてちょっとした感慨に耽る。20世紀には、当地はムスリム勢力の支配する東トルキスタン共和国が設立したりした。まさに、中央アジアの一角と言って良い。
訪中団は、当地でのメインの活動として、新疆軍区工兵団を訪問する。
これまで、なかなか西部に入れなかったのは、少数民族の反乱など政情の不安もあったと思うが、外国の部隊の訪問を受けられる、適当な人民解放軍部隊が見当たらなかったからである。施設、練度、説明能力、対応などの面で躊躇があったのであろう。
訪問した工兵団は、緑に囲まれたこざっぱりとした施設で、儀仗隊は訪中団長たる中尾1等海佐の観閲を立派に受けた。
会議室での映像を使ったレクチャーもなかなかのもので、訪中団員との質疑も行われた。少数民族の兵士はいるのか、軍はどのような対応をしているのか、との質問には、全体の5%程度、彼らの宗教や文化は完全に尊重しているが、軍隊での訓練などは全く同等である、との答えだった。
運動場に展示された工兵関係装備品(各種トラック、ブルドーザー、ショベルカー、工作機器など)が30項目、100点ほど展示され、熱心な説明が続いた。必ずしも最新鋭の装備ではなかったが、実にきれいに手入れしてあるのが目を引いたのと、保持する装備品をほとんどすべて展示していたと思われる。
質疑にも出たが、当地は少数民族の問題が大きい。新疆全体では漢人が3分の1、少数民族が3分の2と見られるが、省都ウルムチでは75%が漢人である。最大の少数民族はウィグル族であり、新疆全体の40%を占める。
ウルムチはウィグル語で「美しい牧場」を意味し、漢字は「烏魯木斉」と全くの当て字となっている。中国の最西端に位置し、現地のウィグル時間は北京時間マイナス2時間である。もっともこのローカル時間を使用するのは、南ウィグルなど、漢人のいないところに限られていて、ウルムチでは北京時間が一般である。
新疆ウィグル自治区博物館を訪ねる機会があった。この博物館は例のミイラ「楼蘭の美女」の展示で有名なところである。確かに1980年に、3800年前の40歳(推定)の女性が、タクラマカン砂漠でほぼ完全な形のミイラで発見されたのは、見ても感動を覚えるものであったが、私がこの博物館で非常に興味を持ったのは、少数民族の展示紹介である。
最大の少数民族ウィグル族は小さな帽子をかぶっており、緑色を好む。回族は白いスカーフやシャツを好む。カザフ族はフェルトのパオに暮らし、敷物で有名。キルギス族は赤色を好み、ウズベク族は紫色が好きだ。シボ族、タジク族はヨーロッパ人、この他、ロシヤ族、タタール族、ウズベク族、モンゴル族など多数の少数民族がいる。
実は中国人にとっても当地は観光地であるが、その要素の1つが異国情緒である。青い目をした「中国人」もいるし、レストランや劇場の案内役は大体がエキゾチックな風貌の美しい女性達だ。市のバザールに行けば、売る人買う人も殆どが少数民族である。
ただし、少数民族は一般的に低所得階層に属し、市のスラム地区の住民は全てが少数民族である。民族問題は経済格差問題でもあるのだ。
この地のもう一つの特徴は、土地の広さである。中国自体が広大な国であるが、新疆、正確には新疆ウィグル自治区の面積は中国全体の6分の1、日本の国土面積の4.5倍もある。
この自治区には、学生の頃世界地理で勉強をした中央アジアの大山脈、アルタイ山脈、天山山脈、崑崙山脈があり、その間にゴビ砂漠とタクラマカン砂漠が横たわる。中国人ですら、中国の大きさを実感するのは、当地新疆に来たときだという。(続く)
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秋山昌廣
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中国の旅(その1)−北京−[2009年06月22日(月)]
毎年恒例の、笹川日中友好佐官級訪中団に同行して、2009年6月7日から中国を11日間旅行した。この事業は10年計画の9年目に入り、来年で一応の区切りとなる。中国側からはこれまでに200人以上の佐官級人民解放軍人が訪日し、日本からは100人以上の佐官級自衛官が訪中した。
北京
北京では、これも恒例となった国防部最高幹部、今回は梁光烈国防部長への面会と中国国際戦略学会との意見交換のほか、訪中団としては初めて武装警察特警学院の訪問と外交学会の訪問があった。昨年に引き続き、清華大学の大学院生との交流も行った。
中国国防部最高幹部との面談
左から中尾団長、笹川日本財団会長、梁光烈国防部長、熊光楷氏
当方からの質問に答え、梁部長は核軍縮交渉について、「オバマ大統領の核軍縮呼びかけを歓迎する。中国は若干の核兵器を保有しているが核大国ではない。世界中の各国が核軍縮の呼びかけに応えていくなら、中国も積極的に対応する。」と答えた。また、秋に予定されている建国60周年軍事パレードの展示に関し「軍事パレードでは、建国後の人民解放軍の発展、規律、教育の状態を国民に伝えたい。実際に何を展示するかは、その時の状況、部隊の状況などを見て決めることとなる。
訪問団にどのような装備品を展示するかは相互主義によるが、中国では実際の演習を公開している。」と応じた。国際戦略学会では、専門家から中国の行う軍縮・軍備管理について説明を受け議論した。
武装警察特警学院では隊員の訓練展示(護身・格闘・制圧の徒手空拳技)を体育館内で視察したが、極めて錬度が高いものを見た。私は過去数年間このような訓練展示を見てきたが、武装警察の水準はかなり高い。実際のテロ制圧はまだないと言っていたが、あのオリンピック聖火ランナーの護衛は武警の隊員が民間の服をまとって実行したのだ。
武装警察の視察は初めてだったが、先方もかなりの力を入れていたし、当方団員もバスに乗る前まで熱心に質問をしていたのが印象的。
外交学会では、楊文昌会長自らが、中国外交の歴史的変遷を丁寧に説明してくれる。短時間だったが中国外交の骨格を理解することができたように感じた。清華大学では学長が我々代表を昼食に招くほどの款待であった。
行動日初日の北京は珍しく1日中どしゃぶりの雨だったが、北京にとってはことのほかの慈雨である。翌日はからっとした晴天となり、その青空は北京で初めて見るような素晴らしい青であった。
グリーンベルトをはじめ北京は緑が多く、10年前とは見違えるような美しい街に変貌しつつある。公共事業たる道路、橋、再開発が大きく進み、町並みは高層ビル群に一変、さらにオフィスビルとマンションの建設が続いている。
当然予想されたバブルは今なおはじけず、この国はどうなっているのかなかなか理解できないところがある。貧富の拡大、地域間格差、人権無視など社会的問題山積だが、公共事業的国家建設は大躍進し、また中産階級と言える国民の割合が増加しているのも実感できる。大国となるであろう中国は、毎年さらに見続けなければならないだろう。(続く)
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海洋政策研究財団、ポストシャングリラ会議を共催[2009年06月12日(金)]
2009年6月2、3日に東京で、ポストシャングリラ会議たる第2回IISS-JIIA国際会議が開催されたが、海洋政策研究財団もこの会議の共催者となった。その経緯は紹介する価値があるので、このブログに記しておきたい。
毎年5月の末か6月の上旬にシンガポールにて、世界各国の国防大臣が参集するシャングリラ会議が開催されているのはご存知の方が多いと思う。しかし、このシャングリラ会議は民間団体である英国のIISS(国際戦略問題研究所)が主催者なのだ。国防大臣がこれだけ集まるようになったのは最近のことで、当初は民間の研究者が大半の集まりであった。IISSは辛抱強く、アジアを中心とした各国政府安全保障当局の幹部、最終的には国防大臣を招へいし続け、最高幹部による相互信頼の場の構築に努力してきた。今世紀に入り、米国の国防大臣が毎年参加するようになって、会議は大きな注目を浴びるようになる。これは民間組織IISSの成功事業物語だが、背後でシンガポール政府が巨額の資金援助をし続けてきた。都市国家シンガポールの国際戦略のシンボルの一つでもある。
昨年、日本のJIIA(日本国際問題研究所)が企画した、政策担当者と研究者で構成するポストシャングリラ会議、IISS-JIIA会議が東京で開催されたが大変大きな反響があった。会議は、2008年7月に開催された洞爺湖サミットG8会議に大きな貢献をした。このときは日本が主催国となったサミット会議に寄与する関係国際会議ということで、国から大きな資金が出されたが、今年はサミット関係でもないので民間で資金を集めなければならない。
中国がポストシャングリラ会議を誘致しているという動きがあったので、何とか東京で継続して開催したいということで、JIIAの前理事長佐藤行雄大使から協力を依頼されたのである。笹川日本財団会長も日本での継続開催に強い関心を示していた。通訳も入らない、見方によっては至ってシンプルな国際会議としては予算規模の大きな事業であったが、東京での会議開催の重要性を考慮し、海洋政策研究財団は海洋安全保障をテーマとして取り上げることを条件に共催者となった。
会議の名前はIISS-JIIA会議だが、海洋政策研究財団はこれらと並んで共催者と明示され、外務、防衛両大臣からも共催者として当財団に対する感謝の言葉が述べられた。
会議の看板には共催者3者のロゴ
中央のOPRFが海洋政策研究財団
会議には海外から、マスコミも注目してその動向が報道されたスタインバーク米国務副長官をはじめ、イズブール英国際問題研究所会長、ブラックウィル米国際戦略問題研究所評議員、ルーキン露国立モスコワ国際関係研究所東アジアセンター長、チェラニー印政策研究センター教授、ヴァリン仏海軍インド洋統合司令官、カルダー米ジョンホプキンス大学東アジア研究センター所長その他中国、韓国、豪州からトップクラスの専門家が参加した。
日本からは、野上国際問題研究所理事長、薮中三十二外務次官、大河原良雄世界平和研究所理事長、久保文明東京大学教授、岡本行夫岡本アソシエイツ代表、西原正平和安全保障研究所理事長、国見昌宏海洋政策研究財団特別顧問など参加し、日米合わせて40人ほどの専門家が参集した。中曽根外務大臣主催の晩餐会、浜田防衛大臣主催の夕食会など政府も大きな力を入れていた。
会議のタイトルは、「アジアにおけるグローバルな戦略的挑戦」というもので、世界金融危機、対ロシア関係、核廃絶、航行の自由、アジアとオバマ政権、日米中各二国間関係について報告と議論が行われた。セッション4は「海洋航行の自由と安全の確保」がタイトルで、私が議長を務めた。仏海軍、印海軍、豪国立大学戦略研究部の、それぞれ現役幹部ないし教授からプレゼンテーションがあり、その後40分ほどの討議を行った。海賊の問題が討議の中心となったが、海洋安全保障戦略なども議論された。
このような大物専門家の集まる国際会議を定着させることは一朝一夕でできることではないが、来年以降も関係者の知恵と努力で、東京でのポストシャングリラ会議が開催され、世界のトップクラスの専門家による有益な討議を続けて欲しいものである。(完)
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秋山昌廣
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シンガポールで海洋安全保障国際会議に出席[2009年05月21日(木)]
2009年5月13日、久しぶりにシンガポールで開催された会議に出席した。以前はシンガポールにはよく来たが、何故か最近訪問する機会がほとんどなかった。豚インフルエンザが蔓延していて少し心配だったが、当地では殆ど問題になっていなかったし、ここでは多くの国際会議が開催されているので予定を変更することもせず参加した。
会議はS.Rajaratnam School of International Studies(RSIS)とRepublic of Singapore Navyが共催する「海洋安全保障国際会議」International Maritime Security Conference 2009というものである。
セッション2で、「日本の行うアジア太平洋地域の海洋安全保障イニシアティブ」(Japanese Engagement in Maritime Security and Safety in the Asia Pacific Region)と題して20分ほどスピーチをした。(スピーチ、パワーポイントに関心のある方はPDFをご参照いただきたい。)あとはディスカッションであった。このセッションは、主要国のイニシアティブないし見解を述べるものであるが、私以外は下記の人たちがそれぞれ15−30分スピーチを行った。
ADM Sir Jonathon Band: First Sea Lord and Chief of Naval Staff, Royal Navy
ADM Robert Willard: Commander US Pacific Fleet, the United States Navy
VADM Nirmal Verma: Flag Officer Commanding-in-Chief, Indian Navy
RADM Wang Xian Jing: Deputy Commander Lushun Naval Base, PLA (Navy)
RADM Bruno Paulmier: Deputy Secretary-General to the Secretariat General of the Sea, France
彼らは全員、各国の海軍現役最高クラスの幹部であり、私のみいわゆるシビリアンかつOBであった。中国代表は中国語でかつ予定時間を大幅に超える国際会議ルール逸脱のスピーチであったが、よくぞ現場の旅順地方艦隊副司令官がこのような国際会議に出てきたものである。いずれにしても、日本からは現役の制服幹部が出席する雰囲気はなかったといって良い。主催者のRSISのMr. Joshua Hoから、私に対して熱心に参加勧誘があった事情はよくわかる。
日本は海洋基本法が制定され、海洋大国などと言われているが、その国際活動は低調であり、基本法に示された原則の一つたる、「海洋に関する国際的な秩序の形成及び発展のために先導的な役割を担う」(海洋基本法第7条抜粋)ことには到底なっていないのが現状である。国際会議に出るたびに、日本の存在感がとても薄いことを感じてしまうのは、私だけであろうか。(完)
英文原稿
発表パワーポイント
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秋山昌廣
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2週間にわたる米国旅行(4)−日米シーパワーダイアローグ−[2009年04月28日(火)]
2009年4月16、17日の2日間にわたり、ワシントンにて第3回日米シーパワーダイアローグを開催した。このダイアローグは、昨年3月に当地で第1回を開催し、引き続き7月に第2回を東京で開催し、今回が最終回であった。
海洋には、不安定な安全保障のほか、環境破壊、資源争奪、漁業不振、境界画定争い、気候変動への影響など多くの問題が発生していると同時に、人類が求める食料と資源の確保、平和と安定の維持などに向けて、解決のポテンシャリティーが残されている。これら解決の基礎となる海洋の秩序の維持のためには、海洋大国である米国と日本が、その同盟を基礎としてリーダーシップを発揮することが必須であり、これにより海洋の平和と繁栄を確保すべきである、といった趣旨で議論が行われてきたのである。
最終回の今回は、一連の会議における議論をふまえて、特別提言を作成し提出した。
1日目はクローズド方式で、専門家による意見交換を行った。17日のオープンフォーラムは、参加者が200人を越えて大変盛況であった。
会議には、安倍晋三 元総理大臣が基調講演者として参加したほか、前原誠司 前民主党代表が特別講演者として、林芳正 前防衛大臣がパネリストとして参加した。このほか、谷内 政府代表、柳井 国際海洋法裁判所判事、夏川 元統幕議長、石川 元海上保安庁長官、北岡、阿川、村田各教授、金田、香田両海将(退役)などなど、日本側から多くの要人が参加した。
米国からもアーミテージ元国務副長官、アレン米国コーストガード長官、グリーン元大統領特別補佐官、クラウダ海軍参謀本部作戦副部長、ケリー元国務次官補、アワー、コッサ、クラスカ、オースリン、マクデビッド、マクファーソン各氏など専門家が多く参加した。
安倍 前総理は、約30分間、英語で素晴らしいスピーチをされた。質疑も十分時間がとれた。前原 前代表は、初日の夕食会において逐語通訳方式で1時間を超えるスピーチを行った。時間が少々長かったが、内容の濃い「外交演説」は参加者を満足させるものであった。林 前防衛大臣は、流ちょうな英語でパネルディスカッションをとりまとめたが、時間が少なくなって十分な議論にならなかったのが残念であった。
米側からは、アレン米コーストガード長官が、先方の強い希望で会議中に単独の基調講演を行ったほか、アーミテージ大使およびクラウダ作戦副部長のランチョンスピーチは内容があり、かつ質疑が十分行われたのは、アメリカ流と言うべきであろうか。
会議に先行して15日夜には、藤崎駐米日本大使主催のレセプション、16、17日の会議の一環としてのランチ(特別講演付)2回、夕食会(特別講演付)1回があり、これらのアレンジを当財団側の数人と笹川平和財団米国でこなしたが、会議のアジェンダ作り、招聘者の決定、提言作成、旅行手配、会議準備、会議の運営、夕食会の手配、会議での発表、メディア対策など、各自がいくつもの役を務める作業は大変なものであった。
私は、会議の総責任者として演出者のような役回りとなり、会議が始まると議論の中身よりも、会議の運営、参加者の発言時間の確保、講演やパネル討議を行う政治家や要人への配慮などにエネルギーを取られ、実は議論の中身が殆ど頭に残っていない。
幸い、良い会議だったと言ってくれる人が多く、また、読売新聞などメディアによる報道も内容のあるものだった。来年は、日米安全保障条約50周年、咸臨丸渡米150周年という記念すべき年であるので、米国で、もう一度このような会議を実施しなければならない雰囲気であった。(完)
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秋山昌廣
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2週間にわたる米国旅行(3)―海賊対策の専門家会議その2―[2009年04月20日(月)]
翌日7日の会議が始まる前、米国籍の船舶「アラバマ号」が海賊に乗っ取られ、20人の米国人船員が人質になったというニュースが流れた。これは大変なことになったと思っていたら、米側参加者の何人かが緊急会議に招集されたため、専門家会議は開催できずに中断という形になった。米海軍の艦船が現場に直ちに向かった。かたずをのんで情報を追っていると、残されたメンバーで会議開催となり、予定されたアジェンダによらず、現在起こっている事態についての緊急討議が始まったのである。
参加者から、事態への対応は一義的には船主に任せること、米国政府は船主の対応を全面的に支持するべきであるとの訴えがあった。問題はいくつかあった。米国籍の船舶がはじめてハイジャックされた。米国籍の船は船員全員が米国人である。船主は外国の会社、この場合オランダのマークス社である。船主と米国政府の関係。法律上の問題。身代金の支払いの是非などなど。
別のメンバーからは、身代金を払ってはならない、ソマリア沖の海賊行為は、ハイジャックされると身代金を払って解決するから、後を絶たないのだとの意見があった。これに対し、あくまで船主の対応を尊重すべきだと訴える。そもそも、その後起こる事態に対して責任はだれが取るのかという問題でもあった。
乗っ取られたのは米国籍船舶であるし、拘束されているのは米国人であるから、ことは外国船舶が海賊行為を受けているこれまでのケースとは全く異なるものであった。つまり、これは米国にとっても初めてのケースなのである。米国籍船舶だから当然米国の法律が適用になる。しかし、船舶は公海上にあり、海賊に支配されている。その適用の仕方は領土内における場合とまったく同じというわけではない。
米国内にて、銀行が武器所有者(テロリストというべきか。)に乗っ取られ、行員などが人質になり、身代金の要求があったらどうするのか、身代金を払うのか、最終的には突撃だろう、米国の法律が適用になる米国籍船でも同様ではないか、という強硬意見が出る。テロリストと海賊を一体として議論する者が多い。
そもそも、なぜ乗っ取られてしまったのか。この米国籍船は海賊対策の訓練をしなかったのか。武装警備員は乗せていなかったのか。乗せるべきではないか。乗っ取られた時のクルーの対応はどうだったのかなどなど議論は続く。
そうこうしているうちに、クルーが海賊から船舶を奪回したというニュースが流れる。海賊は2人海中に落とされ、1人は拘束したという。歓声が上がるも、船長だけが海賊側に人質となったまま海賊のボートに拘束されているという。米国は、艦船を数隻現場に急派し、海賊側を取り囲む形で状況をコントロールする。
会議は、やや落ち着きを取り戻し、残りの課題を議論する。海軍のアプローチ、外交的アプローチ、法的・政治的アプローチがテーマであったが、考えてみれば起こった具体的ケースについて、すべての課題が議論される形になったのは面白かった。
参加者は多様性に富み、中心となった米海軍大学のほか、米国内の研究機関、国際海洋委員会、船主協会、国際独立タンカー船主協会、NATO、インド、シンガポール、日本からの参加者などであり、それぞれのエキスパートから有益な報告があった。特に、ソマリア内戦の歴史的経緯と現状や、米海軍の海賊への対応、各国の海賊対策ないしそれに関する提案など、有益な情報が入手でき、また討議への参加が有益であった。
アラバマ号乗っ取り事件の結末は、人質となった船長フィリップが2度にわたる脱出を敢行し、1度目は海賊に再拘束されるも、2度目のときは米海軍艦船から狙撃により海賊を2人射殺して船長を救出し、幕を閉じた。船長の勇気もさることながら、狙撃の許可を素早く事前に出したオバマ大統領の決断も大きなものであった。Captain Phillipは今や米国では英雄である。アメリカらしい解決で、今後アメリカ籍の船舶は海賊の攻撃対象にはならないだろうと考えたが、何と海賊側は復讐を宣言したという情報が流れた。
ソマリア沖海賊行為はこれからも目が離せない。(続く)
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秋山昌廣
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2週間にわたる米国旅行(2)―海賊対策の専門家会議その1―[2009年04月13日(月)]
2009年4月7日、8日の2日間にわたって、米国海軍大学(Naval War College)が主催した標記専門家会議に参加した。昨年もこの大学主催の会議に参加したので、ここニューポートに帰ってきたという感じであった。両日とも、朝の8時過ぎから4時過ぎまで、目一杯のスケジュールだった。
討議内容は後述するが、朝食は会議室の外に出たところのホールで全く簡単なもの、パンケーキとフルーツとコーヒーをとる。これが7時半から始まる。昼食も同じホールで、野菜や肉を挟んだパンと、サラダとコーヒーをとる。テーブルもあるので座ってもいいし、立ったままで話ながらでもよい。話している人が多い。これが1時間。会議終了後のパーティーも、またこのホールで簡素に行われ、私の場合はポテトを肴にビールを1本ラッパ飲みして1時間。いろいろな人と話をする。アドミラルも、博士も、教授も、政府高官もこの待遇の中で議論に熱中している。久しぶりに、米国の合理的なシステムを楽しむ。
会議室は、半円形の階段式講義室で、中央前面の舞台とでも言うべき少し広いサークルを議長が歩きながら采配をふるい、発表者はスクリーンを使いながら前方の発表台で説明をする。説明の後必ず15分くらいは質問を受ける。参加者は40人位だが、楕円形のテーブルに、各自のために据えられたパソコンを利用しながら会議に参加する。携帯電話、パソコン、電子機器のほか、カメラの持ち込みも禁止なので、残念ながら写真を撮って紹介することができない。
さて、このパソコンには、発表者の発表内容が瞬時に速記されて表示(英語だが)される。しかも、意見や、質問のある人は、そこにどんどん書き込みができる。さらに、発表が終わると、全員を対象としたアンケート調査が、この画面で行われる。これが5分。時差などにお構いなく、これらの作業がどんどん進む。会議をサボる暇は全くない。調査結果はまた、瞬時に集計されて表示される。皆の意見や質問、それに対する答えもどんどんと表示されていく。
これらの結果は、会議終了後2週間程度で再編集され、発表されるとのことであった。米国らしい、実に合理化されたシステムを経験し、まさに驚きを隠せなかった。しかも、討議の項目、討議の内容が、実に深みがある。通り一遍のシンポジウムではなく、ある程度海賊に関する知識、経験のある専門家達が集まって、さらにお互い討議を通じ、知識や思考を一段と深めよう、我々は今何をしたらいいのかということを真剣に議論しよう、という目的を持って会議に臨んでいることが、実によくわかる。
討議内容は、次回に譲るが、1日目の討議事項を紹介しておくと、1.討議方法、2.脅威の評価:ソマリア沖の海賊、3.太平洋からの展望とアフリカの角、4.海上運送からみたアプローチ、である。(続く)
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2週間にわたる米国旅行(1) ―ジョセフ・ナイとの面談―[2009年04月09日(木)]
最初に個人的なことだが、2008年12月より、健康上の問題で、病院での検査、入院手術、退院などでかなり時間を取られ、職場に復帰したのが2009年3月の中旬となった。
そんなこともあって、ブログはかなりお休みとなってしまったが、今は100%健康を取り戻して、4月5日から2週間にわたる米国への出張に出ている。
この出張は、もう半年前から計画されていたので、逆算して手術日を2月下旬にセットし、予定通りに復帰して当地に来たというわけである。
4月6日、次期日本駐在米国大使の呼び声が高いハーバード大学のジョセフ・ナイ教授を同大学に訪ね、1時間にわたり面会をし、さまざまな事柄について意見交換をした。大使就任のことについては、あまりにも早く報道されたので揺り戻しがあり、指名されるかどうかはフィフティ・フィフティであり、また、新大使が決まるのは7月頃になるかもしれないとのことであった。身内に反対があるとの話もあったが、本人から返上ということはなく、実際に最終決定が遅れていると理解した。
オバマ新政権もこれまでと同様、各省の幹部がなかなか決まらない、特にこの経済危機において、財務省の次官、次官補が未定という事実を例示して、米国の政権交代時における極めて緩慢な政権作りを嘆いていた。しかし、雰囲気からナイ氏の新大使就任はかなり確率が高いと見た。
北朝鮮ミサイル打ち上げの影響、日本の総選挙の行方、小沢氏がもし党代表を退いた場合の後継候補者、民主党が政権を取ったときの日米関係など、多くの質問を受け、率直に答えつつ意見を交換した。
私からは、来年には必ずやってくる沖縄の普天間基地移設についての決定的な節目(知事からの埋め立て許可取得)、東アジアにおける当面の安全保障の課題(北朝鮮問題)、その中期的課題(台湾海峡問題と中国問題)などについて話し、特に普天間については、15年前、我々2人が現役の時手がけた問題なので、あの時の仲間でぜひ力を合わせて解決しよう、などと話し合った。
この訪問において大事なことであったが、ナイ氏から、我々の主催する日米シーパワーダイアローグへのメッセージを、ハーバード大学のレターヘッドのついた書類の形で手渡された。
米海軍大学(Naval War College)のクラスカ中佐が車で迎えに来てくれる。ボストンから2時間のドライブでニューポートに着いたのは、夕闇迫る午後7時過ぎであった。(続く)
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秋山昌廣
at 19:13
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海賊行為対処法案に一点だけ追加要望[2009年02月24日(火)]
政府与党で検討が進められている海賊行為対処法案について、報道で知る限りの内容を検討してみると、一つだけ欠落しているものがあるように思うので、ここに意見表明しておきたい。
経緯からして、ソマリア沖における海賊を取り締り、海賊から民間の船舶を護るため必要な法整備をしようとするのはよく分かる。昨年11月、われわれ海洋政策研究財団と日本財団の共催で開催したソマリア沖海賊対策緊急会議で提案したものとほぼ同じである。しかし、国連海洋法条約の批准国が所要の国内法整備をするという観点も忘れないでほしい。
国連海洋法条約は、第100条において、「すべての国は・・・海賊行為の抑止に協力する」と規定しているほか、海賊行為の定義、巡視船や艦船など公船による海賊船の拿捕、海賊の逮捕、財産の押収、海賊船の臨検、海賊の裁判などに関し、それぞれ「できる規定」が定められている。
今回の立法作業は、海賊取り締まりのための巡視船ないし艦艇の派遣のための法整備となっているが、巡視船にしても艦艇にしても、公海上を航行中にたまたま海賊行為を行っている海賊に出くわした場合、民間船舶を護る必要がある。これは、艦船などによる取り締まりのための派遣ではない。
自衛隊の災害派遣に関する規定において、近傍災害救援出動は、迅速性を尊重して、他の本格的な災害派遣の手続きと異なり、自己の判断で災害救援に出動できるようになっている。海賊取り締まりにも、似たようなケースは当然想定される。
このような事態において、また新たな立法で時間がかかる、というのでは海賊に遭遇した民間船は、目の前に軍艦がいるのに救援が得られず、孤立無援となる。(参照 2007年9月11日秋山ブログ マラッカ海峡航行中の海自練習艦に寄り添う民間船舶の行動)
国連海洋法条約によれば、通りかかった艦船等に海賊対策を実行してほしいということである。自衛隊法は、自衛隊の行動について制限列挙で規定しているので、通りかかったときに遭遇する海賊取り締まりも、自衛隊法の改正ないし特例規定が必要なのである。この点は、多分、今回の法案に一条追加すれば解決すると考える。ぜひ、与党政府における立法作業の中に織り込んでほしい。
国際法上は、奴隷運搬船の取り締まりと同じものである。ついでに言えば、現行国内法制では、海上自衛隊の艦船は、公海上において奴隷運搬船を発見しても何ら対処できず、見過ごさざるを得ないのである。これもおかしなことである。
自衛隊の行動を何とか制限的に考えようという考えから、こういった状況になっているのであろうが、奴隷運搬と同様、海賊行為は人類社会における犯罪行為となっていることを認識すべきであろう。(完)
アデン湾・ソマリア沖における商船護衛任務の様子
写真はいずれも2月18日に中国新華社より配信
Posted by
秋山昌廣
at 11:26
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