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2008年08月30日

日本におけるAIDの歴史

はじまり
1948年、慶應義塾大学病院にて初めて実施され、翌1949年に女の子が誕生しました。
AIDは男性側に原因があり、妊娠できない夫婦のためにはじめられたもので、第三者の精子を使うことへの反対や倫理的問題はあったものの、その後数十年の間は特に何の規制もなく、技術は行われ続けてきました。精子提供者は匿名で、提供者に関する情報はその精子を使って子どもを得た夫婦にもまったく伝えらませんでした。もちろん提供者自身にも、自分の精子が誰に提供されたのか、子どもが生まれたのかという情報は与えられてきませんでした。AIDに関しては、提供者、医師そして夫婦がその事実をふせ続けることで、表立って問題が起こることはなかったようです。


商業目的の精子バンクの誕生…
1996年、インターネット上で精子提供者を募集するという、国内初の民間精子バンクが誕生しました。このバンクの特徴は、提供者は匿名ではなく、利用者が希望すれば面接のうえ、提供者を選べるという点でした。
商業目的の精子売買という新たな問題が提起され、これに対し、日本産科婦人科学会は、1997年5月にはじめて、「非配偶者間人工授精と精子提供に関する見解(会告)」という形で、それまで行われ続けてきたAIDの技術を追認し、一方で実施する施設に一定の規制をする会告を発表しました。


日本産科婦人科学会の見解
この見解にはAIDを実施する際の夫婦の条件や、選択時の同意書の作成と保管、それら夫婦及び生まれてくる子どもへのプライバシーに配慮すること、精子提供者の条件、また提供者のプライバシーの保護と記録の保存、営利目的の精子売買の禁止、AIDを実施する医療施設の学会への登録等が示されていました。
しかし、これはあくまで学会の「見解」であり、学会に所属している医師に呼びかけられたものでしかありません。そのため、これに違反したときの罰則もなければ拘束力もなく、実際には実施施設後とのやり方に任されているのが現状と言えるようです。


議論のはじまり…
1999年から旧厚生省にて生殖補助医療技術に関する専門委員会の話し合いが始められました。(この議論がはじまった背景には、学会の会告に反し、実妹からの卵子提供による体外受精や、実父の精子を使っての人工授精などを行う医師が出てきたことがあったようです。)
2000年12月には「精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療のあり方についての報告書」が出されました。それを受け、さらに厚生労働省では2001年から生殖補助医療部会を設け、医師のほか小児精神科や法律、福祉、倫理等の専門家により、そのあり方が話し合われることになりました。
2000年の報告書では、提供者の情報は、「提供者が特定できないものについて」「提供した人がその子に開示することを了承した範囲内で」というように、出自を知る権利に一定の制限が設けられていました。
ところが2003年4月に提出された、生殖補助医療部会の最終報告書では、第三者からの精子・卵子・胚の提供を認める一方、代理出産や営利目的の精子売買は禁止とし、また生まれた子どもの「出自を知る権利」を認めました。15歳以上になた子どもが希望すれば、提供者の情報を個人が特定できる範囲まで認めるというものです。


法案化に向けて…
2003年に提出された報告書をの内容をもとに、法案を国会に提出する、とのことでしたが、2004年、2005年の通常国会への提出も見送られ、2006年10月現在、法案化への動きはまったく止まってしまっているようです。


法的親子関係について
法的な親子関係についての議論は、2001年から法務省に生殖補助医療関連親子法制部会を設け、親と子の関係、提供者と子の関係、子どもの出自を知る権利や近親婚の可能性などについての問題の話し合いが行われ始めていましたが、上記の法案化の問題などがほとんど棚上げ状態になっていることもあり、議論はとまってしまっているようです。

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posted by haru at 15:48 | TrackBack(0) | AIDとは
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