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AEFAアジア教育友好協会はインドシナ半島での学校建設とその建設した学校と日本の学校の国際交流を推進しています。このブログはアジアの子ども、日本の子どもたちのために活動しているAEFAスタッフの活動日誌です。

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AEFA交流校〜福島県東舘小学校 宍戸仙助校長先生より[2011年04月16日(Sat)]
 3月18日(金)、19日(土)、福島原発事故から1週間。
収束が見えるどころか被害が深刻さが増しているようにも思える。

 テレビでは、福島原子力発電所の北東方向に、62kmほどもある福島市の放射線の量が高く、20マイクロシーベルトを超えていると放送している。
 「仙台から東京までバスが、運行を開始した。」というニュースとともに家の電話に、妻の携帯に、つぎつぎと連絡が入る。
「あっ、そう。避難するだ。放射能、怖いからね。行った方がいいんじゃない。」
 新潟県に、埼玉県に、東京に。親戚・友人、兄弟姉妹を頼って、近所が避難し、親戚が避難し、友人が避難する。
また、原発から60km離れた郡山で働く長女からは、「仕事も人生も、命があればこそなんだから、お父さんも、東京(次女の勤務先)にでも避難したら。」と、連絡が届く。
「学校の仕事を捨てては行けないでしょ。」
「そんなことを言ってたら。命が危ないんだよ。」
話し合いは平行線だった。

 東京で働く次女からも心配する電話が入った。
バス会社に電話をすると、郡山発東京行きのバスが1席だけ空いているという。
娘たちの心配も考え、妻はしばらくの間、東京の娘のアパートに身を寄せた。
「家族とは、友達とは、仕事とは、人生とは、生きるとは?」
本気で、多くのことを考える機会となる。

 自分は、単身赴任のアパートで、テレビで津波の被災地の様子、避難所での人々の苦しい生活、原発事故の収束の行方を心配しながらも、何もできず、懸命に考えても何の答えも出せず、ただ、悶々として数日を過ごす。
 高濃度の放射線の中、福島第1原発の4号機の使用済み核燃料貯蔵庫に
注水が必要となっていることが報道されている。
建屋の水素爆発で飛び散った高濃度放射線を放出するがれきが、
その作業を阻んでいる。そうした中、万難を排して注水作業が実施された。
東京都消防庁の職員3名とクレーン操作の建築会社の30代職員のテレビインタビューがあった。
 クレーン操作に携わった30代のオペレーターは、
「家族もあり、放射能被曝も心配だったが、
今は、自分がやるしかなかった。何とか日本を守りたかった。」と、話している。
「何とか日本を守りたかった。」何と高貴な、素晴らしい言葉だろう、意識だろう。
可愛い我が子もいて、愛おしい妻がいる。
これから大きな幸せの待つ家庭があるにもかかわらずである。

 さらに、東京都消防庁の方のインタビューでは、
「線量計の警報が鳴りっぱなしでした。」「見えない敵と戦う怖さ・恐ろしさを感じました。」と、語っている。
そして、「ご家族の方は、何とおっしゃっておられましたか。」という問いに、
「妻は、『平成の救世主』になって。と言って送り出してくれました。」と、声を震わせた。
私は、「平成の救世主」、「なんと思い上がった言葉だろう。」と初めは感じた。
しかし、これから高濃度放射線の生死をさまよう現場に向かう、最愛の消防士である夫に、
「行かないで。あなたでなくたって。」と涙ながらに懇願するのがあたりまえの状況で、
不安にさいなまれている夫に向かって、「平成の救世主になって。」と言って、最大限の理解と励ましの言葉で送り出せる、使命感を持った消防士の妻がそこにはいたのです。
まさに、「この妻あって、この夫あり。」なのだと、それぞれの使命感の強さと日頃からそれを支える家族の姿に目頭が熱くなった。
 わたしに東京避難を勧めてくれた長女も、気仙沼の海岸にボランティアに行ってきたという。「海岸には、死臭が漂っていた。」と語る。
 
 今の自分には、何ができるのだろう。
この「大いなる偶然」は、私に何を示唆しているのだろう。
考え続けていた。

宍戸仙助校長先生


 この大災害の中、在校生も来賓もいない会議室での卒業式。少しでも、子どもたちの思い出に残る卒業にしてあげたい。
そんな中、卒業式で卒業生が歌「遙か」を歌う姿と、
避難所に避難する「夢と希望」失いかけた人々との姿が重なった。
「避難所で、卒業生の歌『遙か』を。」



「遙か」 作詞・作曲:GReeeeN うた:GReeeeN

窓から流れる景色 変わらないこの街 旅立つ
春風 舞い散る桜 憧ればかり強くなってく
「どれだけ寂しくても 自分で決めた道信じて、、、」
手紙の最後の行が あいつらしくて笑える
「誰かに嘘をつくような人に なってくれるな」 父の願いと
「傷ついたって 笑い飛ばして 傷つけるより全然いいね」 母の愛
さようなら また会える日まで 不安と期待を背負って
必ず夢を叶えて 笑顔で帰るために
あの空 流れる雲 思い出す あの頃の僕は
人の痛みに気づかず 情けない弱さを隠してた
気づけばいつも誰かに支えられ ここまで歩いた
だから今度は自分が 誰かを支えられるように
「まっすぐにやれ よそ見はするな へたくそでいい」 父の笑顔と
「信じる事は簡単な事 疑うよりも気持ちがいいね」 母の涙

さようなら また会える日まで 不安と期待を背負って
必ず夢を叶えて 笑顔で帰るために
本当の強さ 本当の自由 本当の愛と 本当の優しさ
わからないまま進めないから 「自分探す」と心に決めた
春風 想い届けて 涙を優しく包んで
必ず夢を叶えて 笑顔で帰るために

さようなら しかられる事も少なくなっていくけれど
いつでもそばにいるから 笑顔で帰るから
どれだけ寂しくても 僕らは歩き続ける
必ず帰るから 想いが風に舞う あなたの誇りになる
いざ行こう

Posted by aefa at 14:11 | チームAEFA | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

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