ラオス紀行〜中西重敏様より〜[2012年02月08日(水)]
2011年、ラオス・サラワン県ラオガム小学校をご支援してくださった中西重敏様より、「ラオス紀行」が寄せられましたのでご紹介します。
ラオガム小学校開校式の様子はコチラから。
それは、有る新聞記事を目にした時から始まりました。平成20年12月6日の北海道新聞の夕刊の一欄に北海道庁の職員で故人になられた馬場さんが、家族や有志の後押しでネパールに小学校を建てたと言う記事を見た時です。以前から、一生に一度位は「世の為、人の為」に何かお手伝いをしたいと考えては居ました。
その後、仕事を通しての友人からも同様の話(学校建設)が有り偶然その友人のお嬢さん(石川さん)がラオスの大使館でお仕事をされていた関係でラオスに学校を建てる事になりました。学校建設に当たっては、石川さんからラオスでボランティアのお仕事をされている岩品さんを紹介され、彼女の提案でラオンガム小学校の建設話が始まりました。岩品さんからは小学校建設の設計、建築行程、現地の状況などメールで詳しく報告いただき有る程度の事前知識を持って調印式の為に現地を訪問する事になりました。この間や現地では岩品さんに大変なお世話に成りました。改めて心からお礼申し上げます。
さて、平成22年11月7日小学校建設の調印式の為に大学の後輩の岡村氏と二人で羽田からヴィエンチャンで一泊し空路パクセーから現地のボランティアの方(ノンちゃん)の車で荒れた土地や家屋の風景を左右に見ながら、延々と続く一本道を走る事1時間30分、ラオンガム小学校に到着したわけですが、「聞くと見るとは大違い」現地の小学校の荒廃振りには同行の岡村氏と顔を見合わせながら言葉になりませんでした。65歳の私が子供の頃(約60年前)の日本の状況と比較しても、それはそれは非惨なものでした。ラオスの皆さんには大変失礼ですが、その校舎は私の子供の頃に近所に有った馬小屋より酷いと感じました。昔、病院として使用していた建物を教室に転用した、壁を竹で編んだ校舎、それもかなり穴だらけで・・もう一棟は馬小屋?(大変失礼) そして校舎の上には高圧線が走り(日本では当然建設許可は下りません)万が一の時にはどうするのか?我々の方が不安に成りました。その時に、「自分のしようとしている事が少しは現地の人達のお役に立つのかな?」と実感しました。

話は少し前後しますが、調印式の為にラオンガム村を訪問した時の子供達や村人、先生達の歓迎ぶりには熱いものが込み上げてくる位の感動を受け、特に現地の子供達の目は、日本の子供達からは感じる事が出来ない様な輝きを放っていました。身なりは兎も角、楽しい学校生活・家庭生活を送っていると言う感じの生き生きとした笑顔が印象的でした。現地では恒例の「バーシー」での歓迎も感動ものでした。言葉は分かりませんが我々の心に通じるものは十分に有りました。ラオンガムでは、現地でボランレィアをされているVFIに人達やJICAの青年海外協力隊の田澤さんにもお世話に成りました。
無事調印式を終えて帰国後、浜松町でAEFAの谷川理事長さんとお会いし、初対面にも関わらず無理なお願いをし最終的にはAEFAさんの全面的な協力で平成23年11月17日に無事に開校式を開催する事が出来ました。
平成23年は、私にとって一生忘れられない年に成りました。以前から「ラオスでボランティアをやりたい」とプロポーズしていた彼女と3月8日に結婚し(のろ気)喜びも束の間、3月11日の東日本大震災が日本を襲い大変な被害をもたらした年でした。その様な状況下でも岩品さんやAEFAの皆さんは我々の為に学校建設に向けて着々と事を進められ11月17日に立派に完成した白壁の新校舎の前で大勢の関係者ともども盛大な開校式を迎える事が出来ました。

今回は、私と妻と昨年同行の岡村氏そして大学の先輩の東野氏の4人とAEFAからは金子さん今井さんのお手伝いをいただきで開校式に臨みました。その時の歓迎ぶりは昨年以上で一列に並ぶ子供達からの花束贈呈から始まり各セレモニー、贈答品や記念品の交換会・子供達の踊りによる歓迎・バーシー等、初めて訪問した2人は大感激でした。

その後は参加者全員での食事会、そして交流会を実施致しました。日本からは、「竹とんぼ」・「綱引き」・「折り紙」「ベイゴマ」等を準備して行きまいたが何と言っても「綱引き」の盛り上がりは最高でした。綱を引いている時の子供達の輝いた真剣な目を見て嬉しく感じ、我々も加わり久し振りに必死に綱を引いたせいで次の日は筋肉痛でした。暑く燃え充実した楽しい一日を終えてホテルに帰った私の心の中には、ある種の達成感が満ち溢れていました。我々全員がAEFAさんのお陰で、貴重な体験が出来たと心から感謝しています。

ハード(小学校建設)のお手伝いが一段落した今後は、ソフト(日本の小学校との文通等の交流)のお手伝いをしようと考えている所です。こちらのお手伝いもAEFAさんの協力をお願いする事に成りますが、出来るだけ多くの日本の小学生にラオスの小学生の事を知ってもらい、お互いに交流する中で自分達に無いもの(物も心も)を求め合い、それを基に、お互いが成長できれば最高の効果だと思います。子供達の交流を進める事は、単に学校を建設するだけの効果より子供達の人間形成の上で大きな効果が有ると思います。
今後共、AEFAの谷川理事長さんはじめスタッフの皆さんのご指導とご協力をお願いし致します。有難うございました。

ラオガム小学校開校式の様子はコチラから。
◆◇ラオス紀行◇◆
中西重敏
それは、有る新聞記事を目にした時から始まりました。平成20年12月6日の北海道新聞の夕刊の一欄に北海道庁の職員で故人になられた馬場さんが、家族や有志の後押しでネパールに小学校を建てたと言う記事を見た時です。以前から、一生に一度位は「世の為、人の為」に何かお手伝いをしたいと考えては居ました。
その後、仕事を通しての友人からも同様の話(学校建設)が有り偶然その友人のお嬢さん(石川さん)がラオスの大使館でお仕事をされていた関係でラオスに学校を建てる事になりました。学校建設に当たっては、石川さんからラオスでボランティアのお仕事をされている岩品さんを紹介され、彼女の提案でラオンガム小学校の建設話が始まりました。岩品さんからは小学校建設の設計、建築行程、現地の状況などメールで詳しく報告いただき有る程度の事前知識を持って調印式の為に現地を訪問する事になりました。この間や現地では岩品さんに大変なお世話に成りました。改めて心からお礼申し上げます。
さて、平成22年11月7日小学校建設の調印式の為に大学の後輩の岡村氏と二人で羽田からヴィエンチャンで一泊し空路パクセーから現地のボランティアの方(ノンちゃん)の車で荒れた土地や家屋の風景を左右に見ながら、延々と続く一本道を走る事1時間30分、ラオンガム小学校に到着したわけですが、「聞くと見るとは大違い」現地の小学校の荒廃振りには同行の岡村氏と顔を見合わせながら言葉になりませんでした。65歳の私が子供の頃(約60年前)の日本の状況と比較しても、それはそれは非惨なものでした。ラオスの皆さんには大変失礼ですが、その校舎は私の子供の頃に近所に有った馬小屋より酷いと感じました。昔、病院として使用していた建物を教室に転用した、壁を竹で編んだ校舎、それもかなり穴だらけで・・もう一棟は馬小屋?(大変失礼) そして校舎の上には高圧線が走り(日本では当然建設許可は下りません)万が一の時にはどうするのか?我々の方が不安に成りました。その時に、「自分のしようとしている事が少しは現地の人達のお役に立つのかな?」と実感しました。

話は少し前後しますが、調印式の為にラオンガム村を訪問した時の子供達や村人、先生達の歓迎ぶりには熱いものが込み上げてくる位の感動を受け、特に現地の子供達の目は、日本の子供達からは感じる事が出来ない様な輝きを放っていました。身なりは兎も角、楽しい学校生活・家庭生活を送っていると言う感じの生き生きとした笑顔が印象的でした。現地では恒例の「バーシー」での歓迎も感動ものでした。言葉は分かりませんが我々の心に通じるものは十分に有りました。ラオンガムでは、現地でボランレィアをされているVFIに人達やJICAの青年海外協力隊の田澤さんにもお世話に成りました。
無事調印式を終えて帰国後、浜松町でAEFAの谷川理事長さんとお会いし、初対面にも関わらず無理なお願いをし最終的にはAEFAさんの全面的な協力で平成23年11月17日に無事に開校式を開催する事が出来ました。
平成23年は、私にとって一生忘れられない年に成りました。以前から「ラオスでボランティアをやりたい」とプロポーズしていた彼女と3月8日に結婚し(のろ気)喜びも束の間、3月11日の東日本大震災が日本を襲い大変な被害をもたらした年でした。その様な状況下でも岩品さんやAEFAの皆さんは我々の為に学校建設に向けて着々と事を進められ11月17日に立派に完成した白壁の新校舎の前で大勢の関係者ともども盛大な開校式を迎える事が出来ました。

左から:中西様重敏様、東野様、ひとりおいて中西紀子様、岡村様
今回は、私と妻と昨年同行の岡村氏そして大学の先輩の東野氏の4人とAEFAからは金子さん今井さんのお手伝いをいただきで開校式に臨みました。その時の歓迎ぶりは昨年以上で一列に並ぶ子供達からの花束贈呈から始まり各セレモニー、贈答品や記念品の交換会・子供達の踊りによる歓迎・バーシー等、初めて訪問した2人は大感激でした。

その後は参加者全員での食事会、そして交流会を実施致しました。日本からは、「竹とんぼ」・「綱引き」・「折り紙」「ベイゴマ」等を準備して行きまいたが何と言っても「綱引き」の盛り上がりは最高でした。綱を引いている時の子供達の輝いた真剣な目を見て嬉しく感じ、我々も加わり久し振りに必死に綱を引いたせいで次の日は筋肉痛でした。暑く燃え充実した楽しい一日を終えてホテルに帰った私の心の中には、ある種の達成感が満ち溢れていました。我々全員がAEFAさんのお陰で、貴重な体験が出来たと心から感謝しています。

ハード(小学校建設)のお手伝いが一段落した今後は、ソフト(日本の小学校との文通等の交流)のお手伝いをしようと考えている所です。こちらのお手伝いもAEFAさんの協力をお願いする事に成りますが、出来るだけ多くの日本の小学生にラオスの小学生の事を知ってもらい、お互いに交流する中で自分達に無いもの(物も心も)を求め合い、それを基に、お互いが成長できれば最高の効果だと思います。子供達の交流を進める事は、単に学校を建設するだけの効果より子供達の人間形成の上で大きな効果が有ると思います。
今後共、AEFAの谷川理事長さんはじめスタッフの皆さんのご指導とご協力をお願いし致します。有難うございました。












































