< 衆議院・参議院の議員仲間58人が集まって、アジアで小学校を建設!>〜理事長の独り言 [2008年02月07日(木)]
アジアの子供たちに学校をつくる議員の会 (その1)
遠藤利明衆議院議員(前文部科学副大臣)に初めてお会いしたのは、2006年9月1日でした。あれから満1年5ヶ月。2008年1月31日。遂に「議員の会」が「タイ北部の小学校建設を支援」してくださることになりました。
遠藤利明議員と。
タイ・チェンマイの南西部オムコイ郡の山奥、チェンマイから車で5時間、「ファイコン小学校」の建設です。(但し、雨季には道がぬかるむため、6−7時間かかります。)
山にへばりつくように家が建てられている
この村は、ミャンマー国境にも近い、カレン族の村です。
生徒数325人、うち247人は遠くの村から来るため、寄宿舎で生活しています。
(AEFAブログ2007年12月7日に紹介した学校です。)
馬の背のような細い土地に、校舎や寮が並ぶ
スコール。雨が吹き込む
ここでは、あらゆるものが不足しています。
校舎、寄宿舎、食堂、台所、水タンク、トイレ、食器、食料、文具、衣料。
これらを総合して、「マスタープラン」を作成し、3年計画で総合的建設支援をしようというのもです。
寄宿舎の子ども。着る物が一枚しかなく、皮膚病になっている子もいた。
「議員の会」は1998年の結成以来、これまでにカンボジア6校、ラオス1校、ミャンマー1校の合計8校を建設してきました。今回のファイコン小学校が、9校目になります。
AEFA理念である、日本の学校との国際交流や、住民参加型の建設仕組みを評価して頂き、今回のご支援が決定しました。
議員の会の学校は、「ともだち学校」と名付けているそうです。AEFAが日本の交流校を「フレンドシップ校」と名付けているのと、奇妙にも符合しています。不思議なご縁とも言えます。
文責)谷川
Thanh Giang 小学校開校式に参加・・その1 [2008年01月19日(土)]
< ハノイから車で9時間・・でも報われた村人の祭典 >
12月11日 朝、成田を出てハノイに着いたのは夕方
HealthEdのToanさんとホテル近くの一膳飯屋に入って
6時から9時まで打ち合わせ
翌朝は早いと言うので、9時半就寝
5時:起床、
6時:出発・・車でLoiさんが迎えに来てくれた
途中、軽い昼飯を食べただけで南へ南へひたすら走る
14時:Thanh Giang 村に到着、実に7時間半の車
15時:開校式 子供達の踊りや、人民委員長挨拶など
南が丘小学校長からの「お祝いの言葉」を読み上げると共に
AEFA理事長挨拶をする
17時:村の主だった人や先生たちと一緒に歓迎パーティー
流石に食欲もなく、軽くビールを飲みながら歓談
と言っても英語が通じる人もなく、笑顔でビール飲むだけ
18時:村の人民委員会で簡単な打合せ・・契約書確認
19時:学校の校庭での村人のお祭り・・開校式打ち上げ祭り
子供達が沢山集まって、さながら日本の縁日のような雰囲気
教室を案内してくれた・・南が丘小学校へのお土産を入手
21時:ホテル到着・・学校から1時間半、車に揺られて・・
今日は実に9時間は車の中でした・・・疲れたー!
タンジアン小学校を訪問・・・その2 [2008年01月18日(金)]
タンジアン小学校を訪問・・・その2
< 三重県津市南が丘小学校の校長挨拶・・お返しの作品 >
1. 校長の挨拶の言葉
2. タンジアンの校長にお祝いの言葉を手渡し
3. 交流の展示室(学校の集会室)
4. 先生と生徒で作った作品を頂く・・写真で紹介
5. 人民委員会で工事完了の書類上の突合せ
6. 教室の様子紹介
新教室でうれしそうな子供たち
タンジアン小学校紹介・・その3 [2008年01月17日(木)]
< 本校600人、分校200人の大きな小学校です >
この小学校は首都ハノイから南部300kmにあるVinh市から、南西部に
更に50km(車で)1時間半のラオス国境山地にも近い農村部にあります。
東西に流れる川のほとりに細長く、広がった農村と言う印象です。
水田もあり、しかし地味は余り良くないようで、村人達は概して貧しいようです。
幹線道路から逸れて、デコボコ道を土ぼこりをあげながら走ること40分。
タンジアン村に到着しました。
中学校と小学校がフェンスを挟んで10mの至近距離で、建っています。
AEFAが建設した5教室・トイレ付きの立派な新校舎が南側に
屋根が今にも穴が開きそうな、窓もあちこち壊れた古い校舎が北側に、
校庭を挟んで並んで建っています。
古い校舎はあちこち壊れた箇所も多く、机もぼろぼろ、教室の2つは
余りに傷みがひどくて、現在は使われていません。
AEFAの校舎が建つまで、一日3回に分けて授業が行われていました。
午前の部: 8:00 − 11:30
午後の部:12:30 − 16:00
夜間の部:17:00 − 20:30
AEFAの新校舎では:1年A・B組と5年A・B・C組が勉強しています。
古い校舎は:2年A・B組、3年A・B組、4年A・B・C組の教室です。
新校舎が出来たので夜間の部はしなくて良くなりました。子供達には
大変な喜びであり、先生たちにとっても教える負担が軽減されます。
学校の見取り図でも分るように、新校舎の南には池が広がっています。
実は、校舎を立てる場所がない為、2年間かけて池を村人達が埋め立てて
きたと言うのです。漸く建設敷地が確保できたので、是非AEFAに学校を
建設して欲しいと村人が一丸となって陳情したそうです。
AEFAの理念である「村人参加」「おらが村の学校」という条件を満たす
というので2007年建設校に決定しました。
来年、時期を見て訪れ、子供達の元気な姿に再会したいと思うと共に、
今度は分校を視察して、何かお手伝いできればと、思います。
パチュドン物語1・・・私のラオスとの出会い [2008年01月11日(金)]
< 私のラオスとの付き合いは2004年秋、パチュドン村に始まる >
私のラオスとの出会いは、2004年晩秋である
10月28日:午前10時、首都ビエンチャンに到着した足で、そのまま教育省を訪問した。その後、現地のNGOであるケア・ラオスやVFI(Village Focus International)を訪問。何が何だか分らないままに一日が過ぎた。
10月29日:早朝6時発のフライトで南部の都市パクセに向う。
パクセ空港には、何だか元気そうなお姉ちゃんが迎えに来てくれた。彼女こそが、その後長い付き合いになるVFI現地トップのNongちゃんでした。
その日はサラワン県庁に挨拶に行ったり、VFIのサラワン事務所を訪れた。そして町で色々買い込む。野菜、米、水、ビール、肉や野菜、4WDの後部荷台はこれらのもので満載。
山奥のタオイ村に向けて出発したのは午後3時半。 何をしているのだか、訳が分らず、車に揺られて5−6時間。
途中、夕暮れを迎えた頃、思わぬ光景に遭遇した。とある村に差し掛かったとき、Nongちゃんが、「水牛が子供を産んでいる!」と叫び、車を停めた。将に目の前で、仔牛を出産し始めていた。荘厳なる光景でもあった。村人達の集まってきた。
静かに見守る中で、仔牛は無事生まれ、後は仔牛が立ち上がるのを静かに待ったが、なかなか立ち上がれず、已む無く心を残しながら出発。暗闇の中を走った。タオイ・センターに到着したのは夜8時過ぎであった。
10月30日:今にして思えば、パチュドン・パチュマイ・パチュジュンなどを連れて廻られていたのだ。パチュドン村の学校を訪問したことが鮮明に思い出される。
小さな学校(2教室)の前に先生と一緒に集まった50人くらいの子供達。先生の寝泊りしている掘っ立て小屋を見せられて、熱血先生の生き様を垣間見て、感動した。
パチュメイ村に行ったら、ここにも学校が欲しいと村人達から訴えられ、帰りに生きた鶏を2羽、お土産に渡されて戸惑ったことが思い出される。
その夜は、タオイ・センターで、近くの村人達が集まった研修会の流れと合同して、お祭りが催された。子供達が集まって踊ったり、民族の歌を歌ったり、最後には皆で一緒に踊った。私も何時か踊りの輪の中にいた。
お祭りも終って、一人静かに川岸に下りて川の流れの音を聞きながら、満点の星空を見上げた。南国の透き通るような夜空に煌く星の素晴らしさ。思わず、「ああ、素晴らしい」とため息が出ました。半年前には思ってもいなかった自分が今ここにいるのだと思うと不思議でなりませんでした。
パチュドン物語2 ラオスとの出会い2 [2008年01月10日(木)]
10月31日:この日は、パチュタイ村や他の村も2つの村を訪問した。いずれも道が狭く、車では入れないために、途中から徒歩で往復1時間。狭い道の両側には、「ねむの木」が群生していた。宮城まり子を思い出させた。
その後、サムアイ地区に足を延ばした。タオイ・センターから更に山奥に3時間半。激しい轍が残る山道を、ひたすら走る。
体が前後左右にゆれに揺れる道行きである。遠くには枯葉剤で未だに木が生えていない山々見える。途中の路にはベトナム戦争のときに投下された爆弾で出来たクレーターが、それこそ30メートルごとに点在している。未だに草も生えずにむき出しとなっている。
はげ山が続いている
点在して残るクレーター
アワイ村の学校を視察した。何もない村。日曜日であるため、学校は無人で子供達の姿はなかった。唯、小さな掘っ立て小屋があるばかり。机や椅子も申し訳程度が、土の上に雑然と並んでいた。
村人達と話し合うこともならず、(予告してないと村人達が困惑するそうである)、キャッサバが植えられている村の様子をやや遠くから眺めて、路を引き返した。途中で、近くの川に下りて持参の弁当を食べた。
その後、長い車の旅。実に7時間かけて山を下った。サラワンの町に下りてきたのは、9時半であった。実にこの日は11時間、車で走ったことになる。
11月1日:8時にサラワンの小さなホテルを出発、折角だからと南部の観光地を二つ、訪れた。カンボジア国境に近いところにある、メコン川最大の滝、コーンパペンと、世界遺産でもあるワットプーを楽しんだ。その夜はパクセの1泊10ドルの小さなゲストハウス。
11月2日:ビエンチャンに戻り、VFI事務所で打ち合わせ。Rick話し合う。日本財団の大野常務と再度合流。今後のプロジェクトの進め方について打ち合わせ。
11月3日:バンコク経由日本へ。こうして私のラオス初旅は、無我夢中のうちに終った。
そして、ラオスとの楽しい感動的な付き合いが始まったのである。
パチュドン物語3・・・パチュドン村と小学校 [2008年01月09日(水)]
2004年10月
< タオイへの道・・でこぼこ道を6時間 ! >
AEFAの最初の学校であり、モデル校として成長中のパチュドン小学校の物語を綴りたい。
文明との分かれ道:セドン川を渡る。
サラワンの町を出て、15分もすると大きな川、セドン川着く。ここには橋はない。
この川を渡ると、そこからは文明とはかけ離れた山岳地に入る。
将に「ルビコン河を渡る」と言う訳だ。例年だと10月末の今頃では未だ、車の中に水が入ってくるほど、川が深いのだが、今年は雨季が比較的短かったため、浅瀬を選びながらそろそろと渡る。
でこぼこの山道: 細い道・両側に森が迫る・深い轍の連続:タオイまで約87km
賽の河原道: VFIのJannyは“5000米の山・Five Kilo-meter Mountain” と名付けた。
旧ホーチミン・ルートだそうで、大小の石が敷き詰められた道が延々と5kmほど続く。余りにデコボコが激しくて、車とともに体中が前後左右に揺れ動く道である。
道を横切る谷川: タオイに着くまでに、大小約40の谷川を渡る。橋を渡ったり、橋が壊れている場合が多く、結局は川の流れを渡ったり。
深い轍の連続: 雨季にはタオイまでの5時間が8時間掛ることもある。
途中道端で虫を売っている
道はまるで「スープのようになる」とは、VFI代表リック氏の表現である。時には深い轍にはまって、身動きできなくなり、ウインチで抜け出したり、他の車に引っ張ってもらったり。(私も2006年11月の出張で、この泥道にはまり悪戦苦闘。抜け出すのに約1時間を費やした経験がある)
パチュドン物語4・・・建設決定! [2008年01月08日(火)]
2004年11月
< 熱血先生と生徒達・・・小さな小学校に子供達が50人! >
2003年、VFIがパチュドン村に建設したのは2教室の小さな学校であった。
私はこのパチュドン小学校を、2004年11月に初めて訪問した。縦横50mくらいの敷地。道路から40mほど入ったところに学校が建っていた。いかにも出来立てという感じの校舎があるだけ。
こじんまりした学校である。その前で、先生一人と生徒達50人ほどが待っていた。
パチュドン村のはずれに建っている。
この村には同じパチュと言う名が付く、パチュメイ、パチュジュン、パチュタイと言う村が、2−4km離れて隣接している。途中に川があって雨季には川を渡るのは子供には危険だそうだ。先生の家が、学校の道路沿いに建っている。将にあばら家で、中を見ると2畳間にハンモックが一つぶら下がってる。このハンモックで先生が眠り、他の2つ部屋は子供たちの寄宿用に解放している。部屋中にぼろ毛布や古着が雑然と置かれている。
寄宿している生徒はこの小さな家に8人もいるとのこと。
この家の下屋に色んな日用品の類(例えば・・・)が置いてある。どうしたのだと聞くと、麓のサラワン町から来る行商人から預かって、村人を相手に販売協力をして、得た金で子供達の学用品や食べ物の足しにしているのだそうだ。
感動した。心が揺すぶられた。ここにこのような熱血先生がいる。
子供達のため、あらゆる努力を惜しまない先生がいる。
この村にちゃんとした学校を建設しても、この先生が皆をリードしてくれるだろうと、私は確信した。
ここに学校を建設して、今の学校は寄宿舎として転用しよう。
こうして、建設候補地は確定した。
パチュドン物語5・・・建設計画 [2008年01月07日(月)]
2005年4月と9月
< 村人との対話集会:AEFAの担当が現地入りして詳細計画を立てる >
当時のAEFAのラオス担当は中薗久美子さん。彼女はタイのRTF財団(Racks Tai Foundation)の部長という経歴の持ち主である。タイ語とラオス語は非常に近いため、ラオス語が通じる。パチュドン村に入った彼女は、VFIの担当と共に、徹底的に村人達と話し合った。
学校のまわりの敷地を使って農業統合学校にしていく
その結果、
@ 4教室の校舎を建設する
A 現在の校舎を寄宿舎に転用するが、女子生徒用に一部増設する
B 思い切り学校敷地を広げる・・現在の50mx50mから、200mx150mにする
C 広くなった部分に、学校菜園、果樹園、鶏小屋、山羊小屋、マッシュルーム小屋を建設し、寄宿生達の食料を補う
D 台所、食堂、先生の家を新設する
E 学校の回りは果樹を植えて垣根とする
全体図
当時の校舎を寄宿舎にし、まわりの村の子供も受け入れる
しかし、この計画は到底1年では完成できず、校舎が完成した2006年2月、第一回開校式を取り行った。
パチュドン物語6・・・開校式 [2008年01月06日(日)]
2006年2月
< 開校式! 日本財団の玉澤課長とAEFA関係者4人が参加 >
2006年2月、パチュドンを訪問し、開校式に参加した。
出来上がっていたのは、校舎と寄宿舎のみ。机などは未だ一部しか揃っていなかった。先生の家は未だ基礎工事中。ただし、野菜畑や養魚池、果樹園、鶏小屋などは完成していた。
タイで購入したお土産の毛布や蚊帳や文房具をどっさり車に積んで運び込んだ。
開校式では通訳が二人必要であった。私が挨拶を英語でしゃべり、これをラオス語にVFIのNongさんが通訳、それを村の人がラオス語からタオイ語に通訳する。少数民族ゆえの不思議な光景であった。自分の国の言葉をしゃべれないと言うこの現実。いかに学校を必要としているかを実感する出来事でもあった。
建築途中の校舎
完成した養魚池
全体がまともな完成を見るには、2006年11月を待たなければならなかった。