自分の人生は自分の手で切り開く〜岩手県紫波郡紫波町川村教育長の話〜[2006年08月30日(水)]
今回の岩手県紫波郡紫波町訪問では、川村教育長のお話をお伺いすることができました。川村教育長は、以前は中学の体育教師として教鞭をとっていらっしゃいました。
・・・・時は昭和40年、中学を卒業した少年少女たちがいわゆる”金の卵”としてもてはやされ、大都市で労働力となっていたころ。
川村先生は、岩手の田舎の中学校に1年間だけ赴任されました。担当は3年生。
生徒たちは、卒業後は就職だから・・・・と、あまり勉学に熱意の無い様子です。
しかし、先生はこの1年間、「勉学も大切」と厳しく生徒に接し、英語から数学からほとんどすべての学科を教えました。宿題をしてこない生徒には、真冬の寒さの中、雪が積もったグラウンドを裸足で走らせました。
卒業生のうち、1人の女生徒は静岡にある紡績会社に就職。
夜学の定時制高校に通い、卒業後は看護婦を目指しました。住み込みで働きながら国家資格を取得し、ついには養護の先生になられました。
また他のある生徒は、川崎製鉄に勤めながら夜学で高校・大学までを修め、現在会社でも活躍中です。
働きながら夜も勉強を続け、卒業する・・ということは、並大抵の努力ではありません。
ドロップアウトする人数のほうが多いとも聞きます。
しかし、「川村先生の厳しさに比べれば、定時制の勉強はラクだった」そうです。
たった1年間とはいえ、川村先生のもとで学んだことは「苦しいことを乗り越えて、自分の目標を持ち、自分の手で人生を切り開く」ことでした。
AEFAとしても、子ども達に自分の未来を自分の手で切り開いていってほしい・・と願っています。学校建設で教育の機会が与えられることは、はじめの一歩にすぎません。
自分の人生に目標を持ち、自らの手で切り開いてゆく。そのような力をつけるのが、本来の教育の姿ではないでしょうか。

・・・・時は昭和40年、中学を卒業した少年少女たちがいわゆる”金の卵”としてもてはやされ、大都市で労働力となっていたころ。
川村先生は、岩手の田舎の中学校に1年間だけ赴任されました。担当は3年生。
生徒たちは、卒業後は就職だから・・・・と、あまり勉学に熱意の無い様子です。
しかし、先生はこの1年間、「勉学も大切」と厳しく生徒に接し、英語から数学からほとんどすべての学科を教えました。宿題をしてこない生徒には、真冬の寒さの中、雪が積もったグラウンドを裸足で走らせました。
卒業生のうち、1人の女生徒は静岡にある紡績会社に就職。
夜学の定時制高校に通い、卒業後は看護婦を目指しました。住み込みで働きながら国家資格を取得し、ついには養護の先生になられました。
また他のある生徒は、川崎製鉄に勤めながら夜学で高校・大学までを修め、現在会社でも活躍中です。
働きながら夜も勉強を続け、卒業する・・ということは、並大抵の努力ではありません。
ドロップアウトする人数のほうが多いとも聞きます。
しかし、「川村先生の厳しさに比べれば、定時制の勉強はラクだった」そうです。
たった1年間とはいえ、川村先生のもとで学んだことは「苦しいことを乗り越えて、自分の目標を持ち、自分の手で人生を切り開く」ことでした。
AEFAとしても、子ども達に自分の未来を自分の手で切り開いていってほしい・・と願っています。学校建設で教育の機会が与えられることは、はじめの一歩にすぎません。
自分の人生に目標を持ち、自らの手で切り開いてゆく。そのような力をつけるのが、本来の教育の姿ではないでしょうか。

AEFA谷川理事長、川村教育長




