「ラオス紀行」〜ろくさん基金 きょうこ様[2010年12月05日(Sun)]
「ラオス紀行」〜ろくさん基金 きょうこ様
それが父への別れを意味するような気がして、父の余命を主治医から伝えられても、私は最後まで父に感謝の気持ちすら伝えられずじまいだった。そのことは、今でも後悔の念として残っている。
だからこそ、父から託された遺志を実現しようと心に決め、その橋渡しをしてくれる団体を半年以上探した。そして、私たちはAEFAさんに辿り着いた。
私たちはAEFAさんの事務所を訪れ、谷川理事長と金子さんに会い、いろいろな話をした。
アジアの貧困地域では、学校を建設すればそれだけで問題が解決するのではなく、教育をとりまく問題が多岐にわたっていることを知らされた。AEFAさんが支援をした例ではないが、建設された学校を運営することが困難でゴースト化していることもあるという。建設後の学校を軌道に乗せることも重要な課題なのだと知った。「学校を建てるだけ」というのは単なる自己満足ではないかと気が付き、その気持ちを恥じた。確かに私は父が生きた証を残したいとも考えていた。
おそらく、谷川理事長はそんな気持ちも丸ごと引き受けてくださったのだと思う。
私は免疫学者の故多田富雄先生の「寛容の世界」を谷川理事長に感じた。
金子さんは1点の曇りもない太陽のような笑顔の人だと思った。
このはじめて訪問で、私たちはAEFAさんに父の遺志を託することを決めた。そして、金子さんから少しずつラオスの教育の現状を教えてもらったり、自分で調べたりするようになった。
今回、私たちは金子さんとともに支援校であるラオスのコッマイ小学校の開校式に出席した。
サラワン県コッマイ小学校
近隣5か村の基幹校となる。
二重屋根の明るく涼しいスペック。
森林面積の減少が大きな問題となっているラオス。
村人による製材で当初の予定より木材が足りなくなってしまった。
次の伐採許可が下りるまで、壁用木材を待っている。
近隣5か村の基幹校となる。
二重屋根の明るく涼しいスペック。
森林面積の減少が大きな問題となっているラオス。
村人による製材で当初の予定より木材が足りなくなってしまった。
次の伐採許可が下りるまで、壁用木材を待っている。
学校の「鍵」を贈呈するお二人
父の死後、私は何度か父の夢を見た。夢の中の父はやはり病気でいつも悲しい気持ちで夢から目覚めた。
明日は開校式という、ビエンチャンの夜。私は久しぶりに父の夢を見た。
夢の中で父は確かに微笑んでいた。
目覚めたとき「ああ、父は喜んでいてくれるんだな。」と思った。
ラオスで出会ったこどもたちの瞳は、そのラオスを訪れた人たち誰もが口にするように本当に素敵なものだった。その笑顔をみているだけで、こちらも自然と笑みがこぼれた。
たとえことばは伝わらなくても・・・
思いと笑顔は、同じ。
思いと笑顔は、同じ。
このこどもたちが新しい学校で学ぶ姿を想像するだけで胸が躍った。
また、ラオスのこどもたちの瞳と同じぐらい、私の心に響いたのは、ラオスNGOのVFIの人たちや青年海外協力隊員の人であり、現地で生き生きと仕事をする金子さんの姿だった。
開校式の夜。
VFI サラワンチームが一同に会した
VFI サラワンチームが一同に会した
VFIのニャイさんには、物静かな佇まいの中に秘めたる情熱を感じ、ノンさんに至っては、眼力の力強さに圧倒された。ヴィラソンさん、クムカムさんのこどもたちを見つめる瞳は優しく、何よりも真摯であった。青年海外協力隊員の田澤さんは、現地ラオスの人たちに寄り添う伴走者のようであった。金子さんは、ラオスのこどもたちの瞳がきらきらと輝く様子が素敵だと言う。そのこどもたちの瞳と同じぐらい、金子さんの大きな瞳は輝きに満ちていた。
みなを支える情熱はなんだろう、と考えた末、辿り着いたのは「使命感」という言葉だった。
「使命感」
それを感じて私は生きているだろうか。仕事に対して「使命感」を感じているだろうか。 私は宿題をおった気分だった。
「父の遺志を叶えるためにアジアに学校を建てよう」と思ってはじめたこと、それが実は、父が私たちに気づきを与えたのだと、ラオスへの旅を通じて解った。
村人と子どもたちに囲まれてバーシーの儀式
お二人の手首には、祈りをこめた、たくさんの白い木綿糸が結ばれた
お二人の手首には、祈りをこめた、たくさんの白い木綿糸が結ばれた
Posted by aefa at 11:35 | チームAEFA | この記事のURL | コメント(2) | トラックバック(0)
はじめまして。
お父様は、確かに喜んでおられます。天国から大きな愛で きょうこ様 ゆり様に ほほえみかけておられます。お会いしたことはございませんが、その笑顔がみえるような気がいたします。
私の父も、今年5月に他界しました。99年11ヶ月の一生でした。しかし、人生の大半を戦争に翻弄され、戦場で、その後抑留されて、生き地獄を何度も見たと語っていました。しかし、最後は、孫たちに囲まれ、孫の一人に最後を看取られ天国へと旅立ちました。今は、満面の笑顔で見守ってくれています。
私は、昨年9月のサラヴァン県の学校訪問の途中で、「ゴースト化」した学校を何校か見ました。そうです。村民参加。そこで生活する人々に寄り添った学校建築でなければ「単なる自己満足」なのですね。
コッマイ小学校だったのですね。支援校は。昨年コッマイ小学校の今にも倒れそうな暗い旧校舎に行くために、ヴィラソンさんのバイクの後ろに乗って旅しました、村に着くと同時に日本ではめったにないような夕立、屋根を叩く雨音で、人の声は全然聞こえなくなりました。しかし、ふと外に目を移すと、その雨の中、一人の少年が、ずぶ濡れになって日本の国旗に似たラオス国旗を降ろそうとする姿を見ました。私は、その時、自分たちの学校を大切にしようとする子どもたちの姿を見たように思いました。
雨上がりの中で、周辺5村の村長さんたちと谷川理事長さんの学校建築の話し合いがなされました。「学校が欲しい。」「自分たちの力で手伝います。」と訴える村長(むらおさ)たちの言葉が力強く響いていました。ノンさんが、「一つの村のためでなく、5つの村で協力することの大切さ」を伝えていました。 (下につづく)