独りぼっちの生存者−保護者とはぐれた子どもたち−「お母さんは私を見かけても気づかなかったんじゃないかって、私よく思うの。」16歳のジニー(Ginny)言います。
ハイチの田舎出身のジニーは、生まれてすぐに捨てられました。
彼女の人生には、母親も父親も存在したことはありません。
彼女は各地を転々として、いまとなってはもはや覚えていないような人々と暮らしたり、路上で生活したりしたこともありました。
4歳のときに、1人の女性が路上でジニーに話しかけました。
ジニーの境遇を知ったその女性は彼女を家に連れて帰り、わずかな間ジニーの生活はよくなりました。
「私、初めて学校に行けたのよ!・・・けれど5年生が終わったところで、その女性は学費を払うのをやめて、服も買ってくれなくなったの」と、ジニーは振り返ります。
そのころ、家に住んでいた男性が彼女を虐待し始めました。
「彼は私を叩いたうえに、夜になると私のところに来て、私をレイプしようとしたわ。私は叫んだけれど、誰も答えなかった。私はとても怖かったから、夜に眠るのをやめたわ。」
14歳のとき、彼女は引き取ってくれた女性に何が起こっているのかを話し、彼を追い出すように頼みました。
「彼女は何も対応してくれなかったから、私が出て行くしかなかった。私は隣人のところに引っ越した」とジニーは説明します。
いまだに学校へ通うことができずに、ジニーは新しい家で家事をして過ごしています。
まもなく、彼女がいま住んでいる家族の親戚が、またもや彼女を叩き始めました。
多くの理不尽な出来事と悲しい思い出をこらえて、彼女は単純にまとめました。
「私はたくさん苦しんできた。どこにいようとも、みんなが家にいるときに感じるような心地よさが、私にはなかった。いつだって・・・ 私はただ家に、お母さんのところに帰りたかった。」と、ジニーは言います。
「ある日、私はお母さんがポルトープランスに引っ越したって聞いて、紙切れに書かれた電話番号をもらったの。私はすぐに電話をして、家に行ってもいいかと尋ねたら、お母さんはいいよと言ってくれた。私には5人の妹がいるっていうことも教えてくれたわ!」
ようやく家に帰り、まだ見ぬ母親に会えるということに、ジニーは大喜びしました。
そして彼女は急いで母親を訪ねる計画を立てました。
しかし、悲劇的なことに、1月12日の地震は、ジニーのこれらすべての計画を台無しにしてしまいました。
かろうじて生き延びたジニーは、母親からもらったばかりの住所へと急ぎました。
恐ろしいことに、その住所にあった家は、いまや瓦礫の山となっていました。
「昼も夜も、お母さんはまだどこかで生きていているのか、それとも家にいて死んでしまったのか、心配なの。もう少しで会えそうだったのに、こんなことが起こってしまった!いま、私は本当に独りぼっちだと感じているわ。」
どのくらいの期間、母親がポルトープランスに住んでいたのかは分からないけれど、ジニーはいま、もしかするとこれまでに母親とすれ違ったことがあったかもしれないと考えています。
彼女はそれが母親であったと認識する術を持たず、母親は彼女を見かけたかもしれないのに気づかなかったのではないかと考えて、ジニーは悲しんでいます。
彼女をさらに失望させるのは、母親との連絡のすべてをまた無くしてしまったということです。
「私が持っていた、お母さんの電話番号を書いた紙切れは私の家に置いてあって、その家が崩壊してしまった。」と、ジニーは言います。
「私ももう、紙切れを見つけることはできない。」
地震のあと、住む家がなくなったジニーは、カルフール地区のADRA避難村へと辿り着きました。
そこでADRAのスタッフが彼女を見つけ、彼女はいま、ADRAの子どもの保護と心のケアのプログラムに参加しています。
「ADRAは、想像できないような喪失によって、独りぼっちで危険にさらされて苦しんでいる子どもたちへ、食べ物や避難所、そして心理社会的支援を提供しています。」と、ADRA心のケア事業コーディネーターのパトリシア・ミュラー(Patricia Muller)は言います。
ジニーのように、家族とはぐれたり、保護者のいない18歳未満の子どものために、ADRAはいくつかのサービスを提供しています。
安全な避難場所でケアを受けられるように、コミュニティや教会指導者の支援の下、子どもに優しいスペースが作られて、子どもたちに対して一時的な保護者がついています。
子どもたちはまた、心理社会的支援へのアクセスも持っています。
さらにADRAは、保護者のいない子どもたちを家族や親戚と再会させるために家族の追跡作業を実施しているUNICEF(国連児童基金)やその他のパートナー機関と協働しています。
UNICEFで機関間プログラムを管理しているジェニファー・モーガン(Jennifer Morgan)は、「優先事項は、家族を探し出すための努力を払う一方で、保護者のいない子どもたちを特定し、彼らが今いる場所で安全を確保してケアされていることである」と述べます。
家族とはぐれたり、保護者のいない子どもについて知った人は、子どもたちは孤児であると想定して、すぐに養子縁組の手続きを取りたいと考えます。
しかし、モーガンは次のように警笛を鳴らします。
「子どもたちには家族と共にいる権利があります。だからこそ、再会の過程を自然の経過に任せることがとても重要なのです。」
「子どもを家庭環境から引き離して見知らぬ場所で見知らぬ人に預けることは、家族再会の努力を危険にさらすだけではなく、さらなる苦痛と不安定を生む原因となります。さらに悪いことには、子どもを守るための系統立った手続きなしには、子どもたちは人身売買者やその他の悪意ある人々の手に落ちてしまうという危険を冒してしまいます。」と、モーガンは言います。
機関間システムは、政府とコミュニティ指導者に加えて、人道支援パートナーの間の調整を醸成することで動いています。
2005年以来、このような協働システムは、津波後のインドネシアや、2008年のサイクロン・ナルギス後のミャンマーを含む15ヶ国で用いられてきました。
ジニーは将来について…
「私はただ生きたい。学校に行って、仕事を学びたい。なぜならば生き延びたいから」と思い浮かべています。
ジニーは約4時間先のところに親戚がいますが、彼らの名前を知りません。
彼女は、UNICEFのネットワークとADRAの支援を通じて、やがてすぐに家族と再会できることに望みをつないでいます。
最近、ジニーは自分とよく似た境遇の少女と出会いました。
一緒に座っているときに、二人は共に語り合いました。
「私たちは離れず一緒にくっついていて、互いに面倒を見合うの。私たちは、それぞれがそれぞれの家族なの。そして互いに初めて、姉妹を見つけた。私たちはもう独りぼっちじゃないわ。」