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(6/27)【ネパール地震】ヘルスポスト完成。住民の自立への第一歩。 [2017年06月27日(Tue)]
2015年4月、大地震がネパールを襲いました。4月及び5月の大地震は、ネパールの全人口の4分の1にあたる800万人に被害を与え、様々な施設が影響を受けました。
ネパール中部に位置するカブレ郡では、郡内にある98の保健医療施設のうち42が全壊、49が一部損壊しました。ADRAは郡保健事務所との調整の後、現地支部や地元の建設業者などの関係者と協働して4棟のヘルスポスト(公共保健医療施設)を再建することになりました


地震後のヘルスポストは、建物が地震による損壊で危険な状態でした。ネパールでは多くの建物が地震に対して強度が弱いレンガで作られていることが多いため、日本の建物と比べると地震にもろい作りをしています。

また、各ヘルスポストには最低限必要な資機材が不足していました。そのため、住民が受診のためにヘルスポストを訪れても、必要な処置を受けることができない状態が続いていました。

また、各施設では、地元の方々が保健医療施設管理委員会となって施設管理する責任を負います。しかし、地震前からこの委員会が機能しておらず、会合なども開かれていませんでした。本来であればヘルスポストが損傷してしまったことを受けて、委員会が修繕に向けた調整などを行なう責任がありました。しかし、委員会が機能していなかった状況では、壊れたままのヘルスポストを使用し続け、施設の修繕に向けた調整などが行なわれない状況となっていました。

写真1:再建前の建物.JPG
再建前のヘルスポスト

そのため本事業では、ヘルスポストを再建し、委員会と住民が積極的に施設管理を担ってもらえるよう、保健医療施設管理委員会への研修を実施しました。また、各施設に必要な資機材も納入しました。

写真2:再建後のヘルスポスト.JPG
再建後のヘルスポスト


写真5:新たに納入された資機材.JPG
新たに納入された資機材1

写真6:新たに納入された資機材.JPG
新たに納入された資機材2


この事業を通じて、ヘルスポストを再建し、保健医療施設管理委員会への研修を行い、資機材を納入することで、住民の皆さんの生活と考え方にポジティブな変化がみられるようになりました。
まず、ヘルスポストを新しく立て直し、必要な資機材を提供したことで、診察や治療が必要な住民が施設に訪れた際に、十分なケアを提供できる環境が整いました。

また、保健医療施設管理委員会への研修やフォローアップを実施したことにより、より良い施設管理をするために各施設の委員が定期的に集まって会合を行うようになりました。会合では、施設の問題点の把握や、それをもとに解決策を練り実行に移している場面も見られました。


写真7:研修フォローアップのミーティング中.JPG
研修フォローアップの会合の様子


写真8:新しいヘルスポストを背景にミーティングを行なう様子.JPG
新しいヘルスポストを背景にミーティングを行う様子


研修後、新しいヘルスポストを使用する住民の方からは「自分たちで新しいヘルスポストをできるだけ長く使えるようにしていきたい」という声が聞かれました。施設の再建や研修の実施により、住民の意識も高まりました。

さらに、もともとこの地域の保健医療施設は、設備が不十分だったことを理由に郡保健事務所から派遣されるスタッフが少なく、慢性的に保健スタッフの不足に悩まされていました。
しかし、ADRAの事業が完成し、新しいヘルスポストと十分な設備も導入されたため、郡保健事務所から派遣されるスタッフが拡充され、スタッフ不足の問題も解消しました。

最後に、ヘルスポストの再建を祝い、住民と日本大使館書記官のご臨席のもと、落成式が行なわれました。このセレモニーの後には、施設が郡保健事務所へ正式に譲渡されました。



写真3:落成式での日本大使館書記官とADRA Japan事業部長.JPG
落成式での日本大使館書記官とADRA Japan事業部長



写真4:式に出席した住民たち.JPG
式に出席した住民たち


今後は、施設の管理なども住民の方の手によって行なわれていきます。この事業での研修を通して、住民が自立して地域の保健及び医療を守っていくことができるようになりました。


写真9:ヘルスポストの女性地域保健ボランティアさんたち.JPG
ヘルスポストの女性地域保健ボランティアさんたち


多くの方のご支援により、この事業ができたことをお礼申し上げます。


*本事業は、ジャパン・プラットフォームからの助成及び支援者の皆様からのご寄付によって実施されました。

(執筆:ネパール事業担当 柳澤ちさと
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Posted by ADRA Japan at 12:13 | ネパール便り | この記事のURL
(10/31)【ネパール地震】本来の姿を取り戻せるように「ヘルスポスト」の再建事業を行なっています [2016年10月31日(Mon)]
昨年の2015年4月25日。この日、M 7.8の地震がネパールを襲いました。これにより、多くの家屋が全壊・一部損壊しました。また、医療施設も各地で深刻な被害を受けたと報告されています。このような事態を受け、ADRA Japanは2015年12月より、ネパール中部のカブレ郡において、ADRAネパール支部や現地NGO、建設業者などと協働し、4つの公共医療施設「ヘルスポスト」の再建事業を行なっています。

今回はADRAが行なっている再建への取り組みや、その中で抱えている問題についてご紹介をしたいと思います。ネパールが本来の姿を取り戻せるようにADRAが何を行なっているのか、ご一読いただけると幸いです。

「ヘルスポスト」とは、いわば村の診療所のようなもので、ネパールの公共医療施設です。村の人たちがケガをしたり、体調を崩したりしたときに、最初にアクセスする医療施設として使われています。基本的にネパールでは、1つの村には1つのヘルスポストしかありません。そのため、村における唯一の保健施設として、それぞれのヘルスポストがとても重要な役割を果たしているのです。

ヘルスポストの建設には、日本円で約460万円の費用がかかります。このため、応急処置として村人が敷地内に小屋を作り、活動しているところもあります。

ADRAがヘルスポストの再建事業を行なっている場所は首都カトマンズから東の山間の地域に位置します。村によってはヘルスポストに向かうために山を登ったり降りたりしなければならない場合もあります。また、1〜2時間ほど歩かなければならない場合もあります。


ネパール地震被災者支援_一時的に村人が使用している施設(カブレ郡サルスンカルカ村
一時的に村人が使用している施設(カブレ郡サルスンカルカ村)


ネパール地震被災者支援_保健所の様子_屋根と壁を貼りつけた簡素な建物


ネパール地震被災者支援_保健所の様子_屋根と壁を貼りつけた簡素な建物
屋根と壁を貼りつけた簡素な建物


ネパール地震被災者支援_再建中のヘルスポスト
再建中のヘルスポスト(8月19日訪問時)


また、ADRAではヘルスポストの再建の他、この施設を運営する「保健医療施設管理委員」へのトレーニングも行なっています。管理委員はヘルスポストの運営・維持・管理の他、コミュニティへの保健啓発活動などの役割を担いますが、実は地震が起こる前から機能していない状態にありました。そこで、ADRAは彼らが運営者としての役割を果たすことができるようにトレーニングを実施しています。具体的には、各ヘルスポストで研修を行なった後、それぞれの委員会から年間計画を提出してもらいます。その後、提出された計画に従って活動しているかどうかについて、トレーナーがフォローアップをします。管理委員自身が各施設での問題点を把握し、自らの力で課題を解決できるように支援を行なっています。

一方、この再建事業ではいくつか問題も抱えています。

まず、2015年の12月にはネパールの政府機関として「復興庁」が設置されたのですが、これに伴い復興支援に関わる事業の手続きが以前より複雑になりました。そのため、政府側とのやりとりに多くの時間がかかるようになり、事業の遅れも生じています。

また、4か所のヘルスポストのうち、2か所へは川を渡らなければ行くことができません。雨季に入ると一度の雨ですぐに川の水が溢れ、渡れなくなってしまいまいます。特に今年は雨季が長引いた影響で川を渡ることができず、ここ1か月ほど、ADRA Nepalのスタッフは現地に入ることができていません。現地にいる管理委員と連絡をとることも難しく、トレーニングのフォローアップがなかなか思うように進まないのが現状です。

このような問題も抱えてはいますが、今回の事業を通して今までになかった医療資機材も導入されるということで、管理委員は喜んでいます。

また、再建後には働く医療従事者の数も増える予定のため、現在簡素なヘルスポストで働くスタッフは、完成を楽しみにしていました。


ネパール地震被災者支援_再建中のヘルスポスト


まだまだ時間はかかりますが、ADRAではネパールが本来の姿を取り戻し、自らの力で穏やかに暮らせるよう、これからも支援を続けていきたいと思います。


(執筆:ライティングボランティア 小野寺るりこ)


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Posted by ADRA Japan at 14:08 | ネパール便り | この記事のURL
(3/23)【ネパール地震】校舎再建支援〜国境封鎖を乗り越え、校舎完成〜 [2016年03月24日(Thu)]
2015年4月25日に起きたネパール大地震から、まもなく1年が経過しようとしています。

日本でも東日本大震震災から5年過ぎ、風化が心配されていますがそれはネパールも同じです。メディアで取り上げられることは減りつつありますが、ADRA Japanは継続してネパール地震被災者への支援を行なっています。

今回のブログでは、地震被害の大きかったラスワ郡での校舎の建設支援についてお伝えします。昨年9月から約半年、国境封鎖に陥っていたネパール。物資が手に入りにくい状況の中、どのようにして校舎を建設できたのか。地域の人々に寄り添い活動をしているADRAらしさが、この苦境で力を発揮しました。



NepalEmergency_(36).jpg


ADRA Japanが支援をしているラスワ郡は、カトマンズから約5時間ほど北へ向かったところにあり、ヒマラヤ地帯に位置する地域です。立地の環境もあり、冬のシーズンはとても寒い地域です。

ネパールでは5月末ぐらいから8月末まで雨期となります。地震発災直後は、地震によって家を失った人のために仮設住宅の支援を第一に取り組みました。


仮設住宅支援の様子はこちら↓
(1/22)【ネパール地震】チェテンさんの仮設家屋が完成し、生活を始めていました
(10/21)【ネパール地震】ラスワ郡で校舎の建設支援を行ないます


仮設住宅建設の支援が落ち着いてくると、今度は学校校舎の再建が急がれました。
当時の仮設校舎では、竹を編んだものを壁として使っていました。教室の仕切りも同様の簡素な構造でした。そのままでは、気温が0度程度の日も頻繁にある冬季には、子どもたちは寒さにさらされることになります。


仮設の校舎
(仮設の校舎)


この状況を受けてADRA Japanは、冬が来るまでに寒さに負けずに勉強を続けられる環境を整えることを目指し、校舎再建の支援を開始しました。

ADRA Japanは、一番の課題である冬の寒さに耐えうる校舎にするため、骨組みにトラスと呼ばれるスチールのような金属素材を使い、壁にはレンガまたは石を使用することにしました。
しかし、建設を始めようとしたその頃、ネパールは国境封鎖の只中でした。

ネパールは内陸国のため、ほとんどの物はインドを経由してネパール国内に入ってきます。
2015年9月末ごろから、ネパールでは政府が制定した新憲法が原因で情勢が不安定になり、インドとの国境が封鎖され、国境を越えて物資を輸入することができなくなりました。
当然、学校再建に必要な資材も同じ影響を受けました。

困ったときには、一緒に働いている現地出身のスタッフや学校の校長先生と話し合いです。冬季までに校舎を再建するためには、どこから物資を仕入れるか。
スタッフはもちろん、この時は校長先生もラスワ郡内の店を一店舗一店舗まわり、校舎再建のために資材の販売をしてくれるところを探しました。

店側は、国境封鎖により当分仕入れることのできない資材を店頭には出さずにストックしていました。しかし店主は、生徒を想う校長先生たちの話を聞き「校舎再建のためならば」と資材を提供してくれたのです。

現地をよく知るスタッフだけでなく、地域のリーダーである校長先生たちも一丸となって協力してくれたおかげで校舎を再建することができました。

この支援では、4つの学校の5つの校舎の再建を行ない、約500人の子どもたちが冬の寒さにさらされることなく勉強できるようになりました。


壁には鉄筋を入れ、以前より頑丈になった学校
(壁には鉄筋を入れ、以前より頑丈になった学校)


壁には鉄筋を入れ、以前より頑丈になった学校


これらの学校では校舎は再建されましたが、それでも仮設の校舎となります。ネパールでは、問題がまだまだ山積みで、生徒たちがなんの心配もなく学べるようになる「復興」までの道のりはまだまだ遠く、多くの年月が必要となります。

ADRAはネパールが本当の「復興」を果たすまで、現地の人々に寄り添い、支援を継続していきます。

いつもご支援くださるみなさまに心から感謝いたします。今後とも一緒にネパールをご支援くださいますよう、心からお願い申し上げます。


(執筆:ライティングボランティア 小峰 理沙)

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Posted by ADRA Japan at 10:00 | ネパール便り | この記事のURL
(1/22)【ネパール地震】チェテンさんの仮設家屋が完成し、生活を始めていました [2016年01月22日(Fri)]

ネパール事業担当の小川です。

2015年7月のブログでご紹介したチェテン・タマンさん。12月に彼女の住む村を訪問した時、すでにチェテンさんの仮設家屋は完成していて、家族と一緒に生活していました。

まだ2回しか会ったことのない私を、まるで自分の娘が帰ってきたかのように歓迎してくれ、バターと塩を入れたチベット形式のお茶を振る舞ってくれました。


Photo1.jpg
チェテン・タマンさん(左)と小川(右)


チェテンさんは地震で倒壊してしまった家のローンに加え、仮設家屋を建てるためのローンも組まなければなりませんでした。しかし、ADRAが大工道具やトタン屋根を配付したことで、建設作業のためのローンの額を低く抑えることができました。さらにチェテンさんは「誰かが気にかけてくれているという、心理面での大きなサポートを得ることができました」と話してくれました。


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地震により倒壊したチェテンさんの家


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チェテンさんがローンを組んで建てた仮設家屋


今後はこの仮設家屋で生活しながらお金を貯め、地震で壊れた家を徐々に修理していくそうです。

「この寒い冬を越えられるだけの仮設家屋ができたことでも十分です」と話すチェテンさん。以前の生活に戻るまでの道のりはまだ長いですが、ゆっくり着実に前に進んでいます。


Photo4.jpg
地震により倒壊した家(手前)と、その後建てた仮設家屋(奥)

ADRAは今後、ラスワ郡とは別の場所で、被災したヘルスポスト(診療所)の再建支援を行ないます。これからも、ADRAのネパールでの地震被災者支援活動にご支援をいただきたく、よろしくお願いいたします。

執筆 ネパール事業担当:小川真以

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Posted by ADRA Japan at 11:58 | ネパール便り | この記事のURL
(10/21)【ネパール地震】ラスワ郡で校舎の建設支援を行ないます [2015年10月21日(Wed)]
ネパール事業担当の須原です。

4月25日にネパールで大地震が発生してから、早くも半年が経とうとしています。既に日本での報道はほとんど見られなくなってしまいましたが、現地はまだまだ多くの問題を抱えており、復興は道半ばです。

私は9月いっぱい、ネパールに出張しADRAが支援活動を行なっているラスワ郡を訪れました。前回のブログでもお伝えした通り、仮設家屋が次々と完成しており、住民の方々は新しく建てた仮設家屋での生活を始めていました。

仮設家屋は家族の構成人数や世帯ごとのニーズに応じて形が異なります
仮設家屋は家族の構成人数や世帯ごとのニーズに応じて形が異なります


店舗兼住宅。お茶や軽食なども出しています
店舗兼住宅。お茶や軽食なども出しています


私が訪問したティムレという村は、すぐ目の前に中国との国境があり、標高は2,000メートルほどでした。9月の日中はまだ過ごしやすく、日中は半袖で過ごせるほどでしたが、夜はかなり涼しくなる地域です。
仮設家屋が立ち並ぶ一方、震災で崩れた家の中にはそのまま放置されているものもあり、崩れた石壁の石が撤去されずに残されている場所もありました。


写真の左側にあった建物の石壁が崩れ、崩れ落ちたままの石の上を歩きます
写真の左側にあった建物の石壁が崩れ、崩れ落ちたままの石の上を歩きます


住環境は確保できたものの、撤去されないままの石壁の石、崩れかけたまま放置された家屋など、問題はまだいくつも残っています。

中でも、村の人々が懸念している大きな問題が「子どもたちが安心して勉強できる場所がない」というものでした。村の学校を訪問したところ、その問題は一目で分かるほど明らかでした。


壁に大きく亀裂の入った校舎
壁に大きく亀裂の入った校舎


校舎の内部。4部屋あった教室を区切る壁は完全に崩れ、天井も落ちてしまっていました
校舎の内部。4部屋あった教室を区切る壁は完全に崩れ、天井も落ちてしまっていました


政府の被害調査で「安全」と判断され、緑色のシールが貼られた校舎の軒先で勉強する子どもたち
政府の被害調査で「安全」と判断され、緑色のシールが貼られた校舎の軒先で勉強する子どもたち


「危険」の赤いシールが貼られた校舎
「危険」の赤いシールが貼られた校舎


地震が起きたのは土曜日のお昼頃で、ちょうどネパールの学校はお休みでした。この学校の先生は「地震が起きたのが土曜日で良かった。もし平日の昼間にあの地震が起きていたら、崩れてしまった教室の壁にたくさんの生徒が押しつぶされ、下敷きになっていただろう。学校は子どもたちが安心して過ごせる場所でなければならないが、今回に関しては学校に子どもたちがいなかったことが不幸中の幸いだったよ」と話していました。

こうした中、子どもたちは村人が自らの手で作った仮設の校舎で勉強を続けていました。この仮設校舎がある場所は、震災前は畑として使われていたところ。数ヶ月限定で使わせてもらっているため、今年の末ごろまでには土地の所有者に返却しなければならないそうです。

造りは非常に粗末で、建ってから三ヶ月ほどしか経っていなかったにも関わらず、柱やトタン板はかなり年季が入っているように見えました。


木で枠を作り、教室の間をトタン板で区切っただけの簡素な仮設校舎
木で枠を作り、教室の間をトタン板で区切っただけの簡素な仮設校舎


壁がないため、雨や風に対して非常に弱い構造です
壁がないため、雨や風に対して非常に弱い構造です


激しい雨が降った8月ごろは、壁がないために雨が教室内にふきこんでくることも多かったそうです。

そして、雨期が明けた11月以降、これらの村々は厳しい冬を迎えます。冒頭でも少し触れましたが、このティムレ村も、ADRAが支援している他の村も、標高は2,000メートル前後のところでは日中でも非常に寒い日が続きます。冬の冷気や風を凌ぐことができる壁を備えた仮設校舎が子どもたちには必要です。

災害が起き、様々な支援が必要とされる事態に陥った際、残念ながら教育は食料や水、仮設家屋といったものに比べて後回しにされる場合がままあります。ですが、災害により大きな被害を受けた後の復興段階において、子どもたちはもちろんのこと、被災した方々に希望を与えるために必要なのは教育です。
困難な状況に置かれても、子どもたちは目を輝かせながら勉強し、友達と遊ぶことで子どもらしい時間を過ごすことができます。ADRAはこうした子どもたちの勉強を支えるため、既に仮設家屋の建設支援に携わっているラスワ郡の3つの村で、仮設校舎の建設支援を行うことを決定しました。

冬の寒さが厳しくなる12月までに、3つの村の5ヶ所の学校に仮設校舎を建て、冬の寒さに負けずに勉強を続けられる環境を整えます。


ネパール地震、仮校舎で勉強をしている子ども1


ネパール地震、仮校舎で勉強をしている子ども2

一生懸命に勉強に励む子どもたちを守るため、ADRAは活動を続けます。

ネパールの復興にはまだまだ時間がかかります。今後もADRAは必要とされる場所での支援を行なっていきますので、皆様、ぜひ私たちの活動を支えてください。

今後の息の長いご支援のほど、なにとぞよろしくお願いいたします。


(執筆:ネパール事業担当 須原敦

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Posted by ADRA Japan at 19:53 | ネパール便り | この記事のURL
(10/14)【ネパール地震】〜ラスワ郡の仮設家屋 続々完成中!〜 [2015年10月14日(Wed)]
ADRAが行なっているラスワ郡での仮設家屋の建設支援事業は、この10月で5か月目を迎えました。たくさんの仮設家屋が続々と完成し、住民は入居を始めています。ゆっくりではありますが、着実に生活再建に向けた基盤が整いつつあります。


ラスワ郡に建設された仮設家屋
(ラスワ郡に建設された仮設家屋)


4月25日の地震の2週間後、5月上旬に開催されたシェルタークラスターミーティング(仮設家屋の建設支援をする人道支援団体が集まるミーティング)では、雨季が目前に迫っていた中、ネパールの北部地域を優先して仮設家屋の建設支援を行なうことについて合意しました。

ADRA Japanは、ネパールの首都カトマンズから北に車で6時間ほどのところにあるラスワ郡の3つの村を支援対象とし、5月から仮設家屋の建設に必要な資材の提供や建設技術の指導を行なっています。

今回の仮設家屋の建設支援においては、ADRA Japanでは資材を一度にすべて配付するのではなく、建設の段階に応じて資材を分け、建設が進んでいることを確認できた世帯に対して、次の作業に必要となる資材を配付する、という方法を取っています。

被災した住民の多くは、元々住んでいた場所での生活再建を目指して仮設家屋の建設に着手していますが、経済的に多少余裕のある住民の一部は、被災した土地に住むのをあきらめて近くの地方都市に移り住んでいます。そういった人の中には、受け取った物資を転売したり、受け取ったものの使用せずに保管し続けたりする人もいます。

こうした事態を避け、本当に支援が必要な人に必要な分だけ物資が届くようにするため、ADRA は物資を段階的に提供するという方法を取り、これにより資材の転売や紛失といった事態を防ぐことができています。

仮設家屋の建設の主役は、被災した住民自身です。

日本で「仮設家屋」というと、行政などの公的な機関が建て、完成後に住民が入居するというイメージが強いかと思いますが、ネパールの仮設家屋は住民が自らの手で建てます。竹で骨組みを作り、次に屋根(トタン板)を取り付けます。その後、壁となるトタン板を貼り、窓枠やドアを設置して、そこにアルミシートを取り付けます。倒壊した家からも木材などを流用し、窓枠やドア枠として復活させます。

このように、地震で家が倒壊してしまった住民は、仮設家屋を自らの手で順々に作り上げていきます。


最初に配付したのは建設作業に必須の大工道具セット
(最初に配付したのは建設作業に必須の大工道具セット)


次に配付したのは竹。仮設家屋の柱にするほか、屋根の上に設置してトタン屋根が風で飛ばされるのを防ぐ
(次に配付したのは竹。仮設家屋の柱にするほか、屋根の上に設置してトタン屋根が風で飛ばされるのを防ぐ)


次にトタンを配付。トタンは屋根や壁となる
(次にトタンを配付。トタンは屋根や壁となる)


住民が協力して仮設家屋を建てていきます
(住民が協力して仮設家屋を建てていきます)


そして完成した仮設家屋がこちら!
(そして完成した仮設家屋がこちら!)


10月上旬の時点で、約650の仮設家屋が完成しています。

ADRA Japanは今後、これらの地域の学校に対し、冬季の使用に耐えうる仮設校舎の建設も始めます。子ども達は、震災後の雨季の間、屋根だけの校舎や竹で編んだシートを壁にした校舎など、簡素な造りの建物の下で勉強をしていました。ラスワ郡は場所によっては標高が2,000メートル近くになるため、冬は厳しい寒さに見舞われ、現在の簡素な建物では勉強に集中できません。
寒さが本格化する11月までに冬でも安心して勉強できる仮設校舎を建設することを目指し、活動を続けます。今後も皆様の温かいご支援のほど、よろしくお願いいたします。


=====!!報告会が開催されます!!=====

生活協同組合パルシステム東京様は、地震発生直後から会員の方々から募金を集め、ADRA Japanを含め6つのNGOに支援をしてくださいました。

来る10月26日(月)、パルシステム東京様が主催する活動報告会が開催されます。
6団体のうち、ADRA Japan、(特活)チャイルド・ファンド・ジャパン様、(特活)難民を助ける会様の3団体が活動報告をします。ADRA Japanからは、震災当時ネパールに駐在していたスタッフの小川真以と、ネパール人スタッフのスラジュ・シュレスタが報告します。

応募締切は10月19日(月)となっております。パルシステム東京様の会員でない方も参加できますので、ぜひお申込みください!

日時:10月26日(月)14:00〜16:00
会場:東京都消費生活総合センター17F(JR飯田橋駅または地下鉄飯田橋駅)
参加費:無料
定員:50名

詳しくはこちらから(パルシステム東京様のホームページに移動します)
http://www.palsystem-tokyo.coop/event/archive/020593.php


(執筆:ネパール事業担当 小川真以
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Posted by ADRA Japan at 12:00 | ネパール便り | この記事のURL
(8/12) ネパール便り vol.33 〜11ナンバーの車〜 [2015年08月12日(Wed)]
皆さんこんにちは。ネパール駐在員の小川です。

私は2012年からネパールで母子保健事業を担当しています。この事業では、お産センターで働く医療従事者への研修や、お産センターをはじめとする村の医療施設を管理する委員会の機能強化研修、各村のお産センターの建設などを行ないましたが、2015年5月にこれらの活動が一通り完了しました。
4月25日にはネパール中部を大地震が襲いましたが、この活動を行なっていたのがネパール西部の山岳部だったことから、大きな 被害はほとんど受けず、建物も無事でした。

2014年から一年間かけて事業を行なってきたジャジャルコット郡には、お産センターに必要な医療用の備品やソーラーパネルも無事に運搬することができ、新たに6棟のお産センターが建ちました。今は建設したお産センターの使用状況の調査や、研修を受けた医療従事者や村の人たちを対象とした研修理解度調査などを行なっています。

今回は、事業の最後に行なった、お産センター内で使用する備品の運搬についてお話ししたいと思います。

お産センターを建設したジャジャルコット郡の各村落までの距離は場所によって様々で、歩いて5時間ぐらいのところもあれば2日間かかるところもありました。乾季には途中まで車で行くことができる村落もありますが、それでも多少は歩かないといけません。

こうした環境では、お産センターに提供する医療用備品を村まで運ぶのも一苦労です。車で行けるところまでは車で運び、そこからはお産センターを建設している村から駆けつけたラバ(馬とロバの合いの子)と村の人が活躍します。荷物を運ぶポーターの仕事は村の人にとって現金収入を得られる数少ない仕事の一つであるため、辛い仕事であるにもかかわらずたくさんの人が来ます。


photo1.JPG
荷物を積まれる前、心もち軽やかなステップを踏むラバ


車から備品を降ろし、ラバに運ばせることができる物と、人が運ばなければならない物に仕分けます。ラバは一度に80〜100キロまでの荷物を運ぶことができます。ちなみに人が運ぶ場合、それぞれの体力などにもよりますが、約50キロまでは運ぶことができるようです。


photo2.JPG
荷物を積まれてしまい気が重いのか、元気がなさそうに見えるラバ


準備ができたらいざ出発。吊り橋を渡って川の対岸の山道を7〜8時間かけて歩きます。


photo3.JPG
やはり荷物が重いのか、終始下を向いたままのラバ


ラバの後には、人も続きました。


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お産センターの部屋に設置する衝立(ついたて)などの長い物や、ガラスでできた壊れやすい物などは人が運びます


photo5.JPG
細い山道を行くラバとポーター


重い荷物を背負い、山道を何時間も歩くのは容易なことではありません。しかし、彼らがいないと村にはこのような備品や機材はもちろんのこと、砂糖や塩といった日々の生活に欠かせない食料すら届かなくなります。彼らは村の物流を担う重要な人材なのです。

最終目的地は、下の写真の中央の山の中腹にあるお産センター。この写真の手前の部分と中央部の山の間には谷があり、まだまだ時間がかかります。


photo6.JPG
きれいな風景ですが、歩くと大変です


ネパールでは自分の足のことを「11ナンバーの車」と呼びます。2本の足が数字の11に見えるためです。このような山岳部での交通手段は、自分の足しかないのです。

無事に運ばれた備品は、お産センターに設置されました。


photo7.JPG


photo8.JPG


こうして備品を搬入したお産センターの贈与式典も、滞りなく行なわれました。その様子は次のブログでお届けします。


(執筆:ネパール事業担当 小川真以

ネパール母子保健事業は、皆さまのご支援と外務省NGO連携無償資金協力の助成を受けて実施しています。

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Posted by ADRA Japan at 12:00 | ネパール便り | この記事のURL
(3/31) ネパール便りVo.32 〜大切な家族計画〜 [2015年03月31日(Tue)]
皆さんこんにちは。ネパール駐在の小川です。

3月のネパールは、日中は徐々に暖かくなってきていますが、朝晩はまだまだ冷え込みます。家の中など、太陽の光が直接入らないところでは、日中でも手がかじかみます。今日は事務所で仕事をしていますが、部屋の中では寒くて仕事ができず、椅子をベランダまでひっぱり出して仕事をしました。

さて、今日はそんなネパールから家族計画研修についてお伝えします。

ここで少し「家族計画」について説明します。家族計画とは、いつ、どのぐらいの人数の子どもを持ち、どのような家族構成で過ごしていくかを考えることです。夫婦が自ら考え、自分たちにとって適当と思われる時期に適当な数の子どもをもうけることが重要となります。必要以上の子どもをもうけないようにするため、家族計画においては避妊が一つのキーワードとなっています。

現在、実施している母子保健事業の3年目の事業地であるジャジャルコット郡の避妊率は約24%*です。全国平均の45.3%*と比べると低く、家族計画について知らない、もしくは知っていてもそれを利用できない住民が多いというのが現状です。(*Annual Health Book 2012/13より)

この低い避妊率を改善するため、ADRAは家族計画研修をジャジャルコットの全村を対象に行なっています。


安全なお産と、避妊を主な目的とした家族計画とは一見すると関係ないもののように思えますが、実はとても密接に関係しています。

ネパールの村落部には、昔からの習慣で若いうちに結婚し、15歳や16歳で出産をする人がまだまだたくさんいます。ただでさえ栄養状態が良いとは言えないネパールの村落部の15歳ほどの子どもたちは、とても幼く見えます。体もまだ成熟しておらず、体力も低い状態での出産には危険が伴います。

その上、結婚前に妊娠してしまったために自ら中絶を試みたり、技術の未熟な医療スタッフの手によって中絶処置を受けたりすることで、その命を落としてしまう若者も少なくありません。


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この女性は20才。すでに二人の子どもを出産している


子どもが働き手とみられている村落部においては、女性は多くの子どもを出産することを求められる傾向があります。若いうちから間隔を空けずにたくさんの子どもを出産する人も多く、結果、母体に負担がかかり、子宮脱(子宮が下降し、その一部もしくは全部が体外に出てきてしまう症状)を患うこともあります。

ネパールの女性のうち10%が、症状の軽重はあれど何らかの子宮脱の症状に悩まされているとも言われています。


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薪や家畜のえさとなる草を運ぶのは女性の仕事。ドコと呼ばれるかごに入れて何時間も歩く


このような問題を改善するため、ADRAは若年妊娠や十分な期間を空けずに出産をすることの弊害、中絶の危険性についての啓発活動を行なうとともに、中絶処置の内容やそのサービスの提供場所についての情報を伝える研修を実施しています。また、望まない妊娠を防ぐための避妊方法や女性のリプロダクティブヘルス(性と生殖に関する健康)についての教育を行ない、自らの意思で家族計画を行なえる環境を整えています。


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家族計画研修の様子。研修で習得した知識を自分の住む村の住民に広める役割を担うのは、写真に写っている女性地域ボランティア


本事業では、ジャジャルコットの女性たちが自らの知識を高め、自分の体を守り、健康な家庭を保っていくことができることを目指しています。


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お産センターにディポと呼ばれる避妊注射を受けに来た23才の女性。3人の子どもを出産している、笑顔がとても素敵な女性


ネパール母子保健事業は、皆さまのご支援と外務省NGO無償資金協力の助成を受けて実施しています。


(執筆:ネパール事業担当 小川真以

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4月26日(日)、「30周年記念フェス〜好きから始まる国際協力」を開催します。
ADRAの活動にちなんだワークショップや、各国のファッションや食べ物、ステージ演奏なども楽しんでいただけます。ぜひお越しください。
好きから始まる国際協力〜30周年記念フェス 詳細ページ

30周年記念フェスチラシ.jpg
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Posted by ADRA Japan at 12:58 | ネパール便り | この記事のURL
(2/23) ネパール便り Vol.31 〜ゆっくりと、着実にお産センター建設中〜 [2015年02月23日(Mon)]
ネパール駐在の小川です。
私は建設については素人ですが、ブログ読者の皆さんの中にはネパールの建物がどのように建てられているのか興味がある方もきっといらっしゃると思うので、今回はジャジャルコット郡スワナウリ村のお産センターの建設作業の様子をお届けします。

ADRAが活動している地域は丘陵地、もしくは山岳地と呼ばれ、いくつもの山が連なっていて平らな土地の少ない場所です。お産センターを建設するにあたり、まず必要となるのが土地ですが、各村の保健医療施設であるサブヘルスポストが所有している土地の中から適切な場所を選びます。平らな場所は既に住居や畑として使われているため、サブヘルスポストが所有している土地は段々畑や、木が生い茂る山の斜面といったところがほとんどです。

そのため、どの建設地もまずは整地作業から始めます。スワナウリ村も、サブヘルスポストのとうもろこし畑を整地し、建設ができるようにしました。

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(整地前の土地 とうもろこしを育てていました)


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(整地後の土地 右上の茶色い建物は村役場、奥の白い建物はサブヘルスポスト)


整地を終えたら地面を約80〜90pほど掘り、セメントや砂利、石を敷き詰め、建物の基礎となる土台をつくります。その後、山岳部で建物を建てる時には必要不可欠な資材である石を積み上げ、外壁を作ります。外壁を高さ約50cmまで積み上げるごとに鉄筋を横に入れ、地震が発生した時に建物が崩れるのを防ぎます。


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(基礎部分の作業を終えた後、石をひとつずつ積み上げ外壁を作る)


建設に必要な資材は、近くの岩場から削り出して人力で運びます。ネパールの山岳部ではこの運搬作業が現金収入を得る数少ない手段のひとつでもあるため、女性も多く参加します。


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(建設資材を運ぶ村人たち)


外壁作業と並行して木製の窓枠やドア枠を設置します。外壁が固い石なので、木枠を釘で留めることができません。そのため、木枠に杭を打ち込み、その杭と外壁の石とをセメントで固めて木枠を固定していきます。


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(ドア枠の設置後 外壁を積み上げるまでは丸太で支えます)


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(ドア枠と窓枠を設置し、外壁を積み上げながら枠と外壁をセメントで固定していく)


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(資材を運ぶ人、外壁を作る人、木を切る人、トイレ用の浄化槽を掘る人など、一日に総勢30〜40名の村人が働きます)


不揃いに切り出された石を外壁として使えるよう四角く整え、それを積み上げていく作業は根気と時間のかかる作業です。この作業を終えると、屋根を設置するための木枠を設置します。


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(屋根を支える木枠を設置)


この木枠に屋根を設置すると下の写真のようになります。遠くから見てもお産センターとわかるように、屋根を青色に塗ります。


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(屋根を設置)


ちなみに、1年目の事業地であったダイレク郡では、お産センターの屋根はセメントと砂、砂利を混ぜ合わせた「スラブ」と呼ばれるものでした。ダイレク郡には乾期であればお産センターを建設した村まで車で行くことができ、資材の運搬がしやすかったためです。

しかし、2年目のカリコット郡と3年目のジャジャルコット郡の建設地には車道が通じておらず、スラブを作ろうとすると資材運搬に多くの時間と費用がかかってしまうため、写真のようなトタン屋根にしています。

お産センターの図面はネパール政府が定める基準に沿って作っているのですが、政府はそれぞれの土地の事情に合わせて様々な図面を採用しているため、同じ施設であっても村によって建物の造りが違うことは多々あります。

スワナウリ村では現在、外壁の石膏塗りの作業と内装のタイル張り、シンクの取り付け作業などが進んでいます。

次回は完成したスワナウリ村のお産センターをご紹介できるよう、村人・事業スタッフ一同、頑張って作業をしております。次のネパール便りをお楽しみに!


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(建設サイトに掲示しているバナー。建設期間や実施団体、ドナーのロゴなどを表示している)


ネパール母子保健事業は、皆さまのご支援と外務省NGO連携無償資金協力の助成を受けて実施しています。

(執筆:ネパール事業担当 小川真以
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Posted by ADRA Japan at 19:56 | ネパール便り | この記事のURL
(10/14)ネパール便りVol.30〜母子保健事業の頼もしい仲間たち〜 [2014年10月14日(Tue)]
ネパール駐在の小川です。現在、私たちが行なっている母子保健事業では私の他に約20名ものネパール人スタッフが関わっています。彼らの働きなしではこの事業は進まないと言ってもいいぐらい、大きな役割を果たしてくれています。

今回はその中でも、お産センター建設の現場監督を担っているスタッフ3名と、その上司であり技術者でもあるエンジニアを紹介します!
みなさんにも親しみをもってもらえるよう、私がいつも使っている呼び方でご紹介します。

現場監督一人目−ハマルジ(「ジ」はネパール語で「〜さん」という意味で、彼の名前はハマルです)


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ハマルジは現場監督歴10年以上のベテランです。この事業の1年目はダイレクという郡で行ないましたが、そこから3年、支援する郡が変わってもずっとADRA Japan の事業に携わってくれています。現在の事業地であるジャジャルコット郡では2つの建設サイトの責任者をしており、施工業者とのやり取りや、建設現場での指導・モニタリングを行なっています。体重50キロと超軽量で、山道を歩くスピードは全スタッフの中でも群を抜いています。みんなにパハルコブレットトレイン(パハルは「山」、コは「の」、ブレットトレインは「新幹線」で「山の新幹線」という意味)と呼ばれています。

ハマルジはジュムラ郡という、ネパールの中でも辺境の地の出身です。小さいころはスルケット郡という地方都市の学校に行き、親戚の家に下宿をしていました。家のあるジュムラ郡からスルケット郡までは歩いて7日間もかかったそうですが、学期が終わるごとにジュムラ郡に歩いて帰り、学校が始まるころにまた7日かけて歩いてスルケット郡まで戻る、という生活をしていたとのこと。

子どものころから山道を歩くことが日常だったハマルジには、ジャジャルコット郡のお産センターにたどり着くまでの道は「散歩程度」なのだそうです。非常にまじめで、ほかの2名の現場監督よりも年上でもあるため、皆をまとめてくれています。


現場監督二人目−ナラヤン


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ナラヤンは現場監督としてのキャリアはまだ数年で若手スタッフの一人ですが、ハマルジと同様、1年目のダイレク郡の時から一緒に働いています。

ナラヤンは多才です。
現場監督として現場で働く大工さんを指導するのはもちろんのこと、山道を独占して歩いている水牛やヤギといった家畜をどかしたり道の端に並べたりといった動物のコントロールもお手の物。料理も得意で、夕食時には鶏やヤギ、なんでも捌けます。さらに薬草にも詳しく、どの植物がどんな症状に効くのか詳しく、実際に食べて見せてくれたりします。
上の写真は「シャクナゲ(ネパールの国花)は体にいいんだ」と言って食べているところです。この日のナラヤンは頭痛に悩まされていて調子がすぐれなかったため、シャクナゲをパクパク食べていました。頭にバンダナを巻いているのも、頭痛を和らげるためだそうです。

また、若手ということもあって体力が人一倍あり、お産センターの建設地までの山道を何時間でも歩き続けることができます。

ナラヤンはとてもおしゃべりで、歩きながら一日中でもずっとしゃべっていられます。一度、年上のスタッフに「お口にチャ〜ック!!」と言われていました。一番年下ということもあり、皆にかわいがられています。


現場監督三人目−チャン


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運動靴にスーツのスラックスのようなズボン、ランニングシャツにサングラス。そして日よけの黒い傘。夏場の山道は非常に暑いので、チャンはいつもだいたいこのスタイルで山道を歩いています。

ダイレク郡で事業をした時、チャンは私たちADRAの一員ではなく、お産センターを建てる業者に雇われた現場監督でした。事業スタッフとして一緒に仕事をするようになったのは、2年目のカリコット郡の時からです。

チャンはとても明るい性格でムードメーカーでもあります。チャンが担当する村までの長い道のりには彼の行きつけの店が必ずあり、お店の人は自分の親せきが来たかのようにとても嬉しそうにチャンを迎え入れています。

私がフィールドに行くときは、「こちらはこの家のお母さんで、あちらはお母さんの弟の娘で、2歳の時からずっと一緒に住んでいる」など、その家のいろんな情報を丁寧に紹介してくれます。

世話好きでもあり、事あるごとに「ご飯は足りているか」「布団が固くないか」など、周りにいるスタッフを気にかけてこまめに声をかけてくれます。


エンジニア−スラジュ


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スラジュはエンジニアで、既にご紹介した3人のスタッフの上司にあたります。建設作業の技術面での指導だけではなく、事業全体の調整役も担っていて、出産介助研修などの活動の日程調整や、活動報告書の作成なども行なっています。

私がフィールドに行くときは、いつもスラジュと一緒です。途中の休憩では、必ず彼のリュックからお菓子が出てきます(私も沢山お菓子を詰めて歩きますが…)。日本のお菓子が大好きで、私が日本から持ち込んだお菓子を分け合って食べると必ずおいしいと言ってくれます。今までで一番ヒットしたのは「歌舞伎揚げ」です。

スラジュはドイツで建設分野のエンジニアの勉強をしており、ネパールの建設技術のみならず、他国の建設技術にも精通しています。お産センターの建設現場では、図面通りに建設されているか確認し、資材の質をチェックし、建物がきちんとした質を担保して建設されるようにしっかり管理をしてくれています。

フィールドに行く道中では、いつもドイツでの経験を話してくれます。また、私と一緒に行動する時間が多いため、私の好き嫌いやクセはすべて把握しています。「車に乗るとマイはすぐに眠くなるから」と言って車の中では静かにしてくれますし、お店に入ると最初に「マイのお茶には砂糖を入れないように」とお店の人に伝えてくれますし、私がヤギ肉が嫌いなのも知っているので、ヤギ肉の代わりの物をいつも探してくれます。

以上、事業スタッフの紹介でしたが、どのスタッフに会いたくなったでしょうか? みなそれぞれ個性があり、とても楽しいスタッフです。

私たちの活動する事業地は車でアクセスできる場所はなく、近いところで約5時間、最も遠いところでは2日も歩かなければいけません。資材を運搬するだけでも一苦労ですし、ADRAが建設をしているような辺鄙な村では、腕のよい大工さんもそうそう見つかりません。お産センターの建物の質を保つために、今回ご紹介したスタッフ達は定期的に現場に足を運び、厳しいチェックを行なってくれています。

たくさんの現地スタッフの協力のもと、母子保健事業はジャジャルコット郡でも着々と進んでいます。


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(建設途中のお産センターのモニタリング作業)


(執筆:ネパール事業担当 小川真以

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Posted by ADRA Japan at 19:56 | ネパール便り | この記事のURL
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