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(10/2) 東日本大震災被災者・震災復興-144 宮城県山元町の今 [2017年10月02日(Mon)]
こんにちは。
国内事業担当の三原です。
今回は、2011年4月から長期に渡って復興のお手伝いをさせていただいていた宮城県山元町の現在についてお伝えいたします。

改めてお伝えしますと、震災前の山元町の人口は約17,000人、いちごとりんごとホッキ貝が特産の自然豊かな小さな町でした。震災による甚大な被害を受け、死者637人、4,440棟の家屋が津波で流出したり、大規模半壊、一部損壊の被害を負いました。現在は約12,450人の方々が生活をしています。

【沿岸部】
津波の大きな被害を受けた沿岸部は未だ工事中の箇所もありますが、津波が起きた際の一時的な避難場所としても活用できる築山(人工的に作った山:高さ9メートル)が完成していたり、津波で流された木樹を取り戻すために植林がされていたりします。沿岸部は防災緑地ゾーンとして公園やレクリエーション施設等を設置して交流の場にもなるよう整備が進められています。


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築山


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植林


【仮設住宅】
災害復興公営住宅を含む新市街地(3ヶ所)が完成したこともあり、現在、山元町内で仮設住宅に住んでいる方はほぼいません。2018年3月末までに町内全ての仮設住宅の取り壊しが予定されています。以前は活気があった仮設住宅も今は静かな状態になっています。

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空き家となった仮設住宅


【新市街地】
新市街地として整備されたつばめの杜地区に設置されたこどもセンターへお邪魔しました。


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こどもセンター


こどもセンターは児童館、子育て支援センター、児童クラブの3つの機能を兼ね備えた新しい施設です。子育て支援センターは、以前ADRAがお散歩カーや電子レンジ等を寄贈した「子育てサークル 夢ふうせん」が運営しています。子どもたちが遊びやすいように様々な工夫が施されており、訪問した際にもたくさんの子どもたちが楽しそうに遊んでいました。


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子どもが遊びたいおもちゃのカードを選んでスタッフに渡すとそのおもちゃを出してもらえる


【トレーラーハウス】
ADRAは、コミュニティの交流の場としてトレーラーハウスを2013年12月に花釜区内に設置し、2016年4月に花釜区と山元タイム(住民の方々による手芸グループ)に1台ずつ寄贈しました。寄贈後もトレーラーハウスは住民の方々によって活用されています。花釜区に寄贈したものは交流センターの脇に設置され、主に消防団が利用しています。住民の方々が新たにテレビ等を取り付けており、使いやすい空間になるようにさらに工夫をしていることが分かりました。山元タイムに寄贈したトレーラーハウスは引き続き住民の方々の集まりに利用されています。特に、手芸活動を行なう女性グループは参加人数が以前よりも増え、活動は充実しているそうです。


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手芸活動の様子


【笠野区】
今回の訪問では、沿岸部に位置する笠野区の住民の皆様と約2年ぶりにお会いすることができました。お元気そうな様子を拝見でき、個人的にも大変嬉しいできごとでした。ある80代の女性は、以前は仮設住宅を出る不安を語られていたのですが、今回お話を伺ってみると、「たまにこうやって集まりもあるからみんなとおしゃべりできて嬉しいね。でも機会は減ったけどね」とおっしゃっていました。震災によってコミュニティが何度も分断されていく中、それにも負けず逞しく生活している姿が印象的でした。


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笠野区の75歳以上の方々の集まりでお話を伺う


【こころの健康診断】
2012年2月から2013年3月まで、山元町社会福祉協議会とやまもと復興応援センター全職員を対象に臨床心理士による「こころの健康診断」と題したカウンセリングを実施しました。当時、支援者に対する心的ケアの必要性を指摘する声が高まっていました。また、私たちも自ら被災しながら支援に携わっている方々の心的ケアの重要性を非常に強く感じていました。そのため、身体と同様に心も健康診断をしてみましょう、という切り口で少しでも受けてもらえるように、プログラムの名称を「こころの健康診断」としました。
今回、当時の職員のお一人に偶然お会いでき、その際に「あの時期にこころの健康診断を受けることができて良かった。受けられたから一旦気持ちの整理をつけて、今好きな仕事にまたつくことができている。」というお言葉をいただくことができました。

山元町は新市街地の整備も整い、住民の方々は新しい生活を始められています。家、交通、買い物等の便が整うことで住民の方々は以前よりも落ち着いているように見えました。今後の生活に期待をしているとお話しをされる方もいらっしゃいました。しかし、震災の傷は決して癒えることはなく、お一人おひとりの中に深く刻まれ、今なお苦しんでいる方々もいらっしゃることを忘れてはならないと思っています。

ADRA Japanは、2017年3月で東日本大震災復興支援を一区切りとさせていただきましたが、その後も現地の要請に基づいて必要な支援を行っていきます。

(執筆:国内事業担当 三原千佳
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Posted by ADRA Japan at 14:21 | 東日本大震災 | この記事のURL
(6/3) 東日本大震災被災者・震災復興-143 浪江高等学校の生徒たちによる仮設住宅でのユニクロ移動販売 [2016年06月03日(Fri)]
ADRA Japanでは、福島県の復興を担う若者へ向けた人材育成プログラムを実施しています。

昨年の11月から福島県立浪江高等学校の2年生14名が株式会社ユニクロ様と協力し、学校やユニクロ店舗で仮設住宅での移動販売の準備を行ないました。
そして2月に、準備活動と当日の移動販売を視察しました。視察の際、販売の準備をしている時と当日の生徒の様子の違いや印象に残った先生のコメントを紹介したいと思います。

生徒たちは、11月から学校で、商品の選定、集会所内のレイアウト、チラシのデザイン、休憩スペースのサービスなどの準備を行ないました。
販売する商品は、生徒自身が選びました。生徒たちは仮設住宅の集会所で住民の方々からどのような商品があったら嬉しいのかを聞いたり、インターネットで調べたり、ユニクロ店舗へ行ったりして、住民の方々をイメージしながら商品を決めました。
活動の準備が進むにつれて、生徒たちは意見を出し合ってより自発的に行動できるようになりました。


グルーブに分かれて話し合う浪江高校の生徒_ADRA Japan 東日本震災復興支援.jpg
グループに分かれて話し合い、お客様に喜ばれる飲み物やおにぎりの味について意見を出し合う


東日本大震災で被災された仮設住宅の住民の方々に向けるチラシづくり_ADRA Japan 東日本震災復興支援.jpg
仮設住宅の住民の方々に配る手作りのチラシ作成中


東日本大震災で被災された仮設住宅の住民の方々からの意見を聞く浪江の生徒_ADRA Japan 東日本震災復興支援.jpg
「どんな洋服があったら嬉しいですか?」「暖かくなってくるから春物があるといいわね。」仮設住宅の住民の方々からの意見を聞く


東日本大寝台で被災された仮設住宅に住む人々の生活を想像しながらテーマごとにコーディネートを考える浪江高校生_ADRA Japan 東日本震災復興支援.jpg
おすすめコーディネートのカタログを作成。「家族と外食するとき」「寒い台所で身軽に暖かく」「お花見に行くとき」「近所の散歩をカッコよく」など住民の方々の生活をイメージしながら、テーマごとに考案


東日本大震災で被災された方々が住む仮設住宅での話し合い_ADRA Japan 東日本震災復興支援.jpg
仮設住宅の集会所で自治会長さんと会場のレイアウトの話し合い


2月10日は販売当日です。浪江町住民が避難生活を送る二本松市内の旧平石小学校応急仮設住宅で販売をしました。生徒たちはユニクロの商品をそろえたり、仮設住宅に住む住民の方へオススメのコーディネートを紹介したりして楽しそうな様子でした。また、住民の方に少しでも楽しんでもらいたいとの思いから手作りのおにぎりやお茶などを提供し、ゆっくり話ができるスペースも設けました。おにぎりの味やお茶の種類などは生徒たちが話し合いで決めました。当日は、生徒たちの手作りおにぎりやお菓子を片手に、みなさん会話が盛り上りました。


浪江高校の生徒による手作りおにぎり_ADRA Japan 東日本震災復興支援.jpg
手作りおにぎり準備完了


仮設住宅の会場で会話に花を咲かせているみなさん_ADRA Japan 東日本震災復興支援.jpg
会場で話に花を咲かせているみなさん


ユニクロ社社員の方より営業のいろはを学ぶ浪江高校の生徒_ADRA Japan 東日本震災復興支援.jpg
ユニクロ社員の方から、接客をしながら商品をたたみ方法や陳列の仕方を学ぶ


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会計の仕事をする浪江高校生。社員の方に教わりながら丁寧に対応し、後日、商品を渡した

浪江高校生徒とユニクロ社員のみなさん_ADRA Japan 東日本震災復興支援.jpg
浪江高校生徒とユニクロ社員のみなさん


移動販売で生徒たちは、積極的に利用者の方へ声をかけたり、洋服のアドバイスや案内をしたりして、準備のときよりも生き生きとしていました。
お世話になったユニクロの店員さんについても、生徒たちは「対応が早くてすごかった」、「自分で気づいて行動していた」、「笑顔が素敵だった」など、普段は経験しない販売について教わったことでいい刺激をもらったようです。

浪江高校の校長先生は、活動中の生徒たちは、教室では見せない笑顔を見せたり、普段以上に積極的に発言したり、積極的に行動していたと言います。そういった「生徒の変化をみえるのが嬉しい」とおっしゃっていました。

(執筆:インターン 柳澤ちさと)


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Posted by ADRA Japan at 13:00 | 東日本大震災 | この記事のURL
(3/10) 東日本大震災被災者・復興支援―142 富岡高等学校いわき明星大学サテライト校での最後の授業 [2016年03月10日(Thu)]
インターンの柳澤です。

1月28日、避難を続けている富岡高校のサテライト校で、2年半以上続けてきたアメリカの学生との最後のスカイプ交流が行なわれました。アメリカの学生から震災後初めて故郷に足を踏み入れた感想を聞かれ、生徒が答えるという場面もありました。生徒たちの生の声には、多感な時期に震災を経験した重みを感じました。

ADRA Japanでは東日本大震災復興支援の一環として、2012年6月から福島県で県内の若者に向けた人材育成プログラムに取り組んでいます。
そのうちの一つが2013年5月から行なっている福島県立富岡高等学校いわき明星大学サテライト校と米カリフォルニア大学サンディエゴ校国際関係・環太平洋研究大学院(以下IR/PS)の学生とのスカイプを通じた交流です。

*スカイプとは、音声電話、テレビ電話、文字によるチャットが無料でできるインターネット電話サービスのことです。


富岡_Blog_Photo_1.jpg


元々富岡高校があった双葉郡富岡町は福島第一原発から近く、今も立ち入りが制限されています。そのため、富岡高校の生徒は所属するコース別に4箇所のサテライト校に分かれて通学していました。いわき市の富岡高校いわき明星大学サテライト校では福祉健康コースの3年生6名が通っていました。このサテライト校舎は今年度で閉校になることが決まっており、この6名の生徒にとって1月28日は最後の授業の日でした。

この日の英語の最後の授業では、アメリカの大学院生とのスカイプ交流が行なわれました。自己紹介から始まり、お互いの町の良いところなどを聞きあっていました。恥ずかしそうに話していた生徒もいましたが、自分から積極的に大学生に質問したりする生徒も見られ、日米間で会話が弾んでいました。


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このサテライト校では、去年の夏から3年生全員で「福島プロジェクト〜私たちの故郷」と題し、彼らのふるさとについての動画を制作してきました。生徒2人は動画を制作する際、震災後初めて故郷に足を踏み入れたそうです。大学生から故郷に帰った感想を聞かれた生徒は「今まで震災の被害から目を背けてきたところがあった。動画を作ったのはいい機会だった」と答えていました。

生徒にとってはこの日が最後の授業だったこともあり、担任の先生から大学生に、富岡高校の生徒のためにこれからのアドバイスをお願いしたりする場面もありました。大学生からは「夢に向かって頑張ってほしい」「他人と比べない」「旅をして新しい場所に行くと自分のところの魅力も再認識できる」などといったアドバイスをもらいました。また、アメリカ側の先生からも、どれだけかかっても夢を叶えるのを諦めない大切さなども教わりました。

多感な時期に震災が起き、友達とも離れ離れになり、学校も変わり、想像もできないような大きな変化だったと思います。中高生という大事な時期にこのような想像を絶する経験をしてきたからこそ、生徒の言葉に重みを感じました。だからこそ、再び故郷に足を踏み入れる勇気がでたというのは大きな一歩ではないかと思います。

このスカイプ交流で太平洋を越えたところに福島のことを気にかけてくれる仲間がいたということは生徒たちにとっても励みであり、また楽しみだったのではないでしょうか。この交流をきっかけに国内のみならず、海外にも目を向け、可能性を広げていってほしいと思います。


富岡_Blog_Photo_3.jpg


3月1日に卒業式を終え、生徒たちにとっても、先生たちにとってもまたこれから大きな生活の変化が待っています。県内に留まる人、県外に出る人、進学する生徒、就職する生徒・・・それぞれの生活の中で、遠くても福島のことを思ってくれる仲間がいることを忘れずに、前向きに歩んで行ってほしいと思います。


(執筆:インターン 柳澤ちさと)

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Posted by ADRA Japan at 15:37 | 東日本大震災 | この記事のURL
(7/23) 東日本大震災被災者・復興支援-141宮城県山元町-災害公営住宅で初めての交流会 [2015年07月23日(Thu)]
7月4日(土)、山元町の災害公営住宅で夕涼み会を開催しました。

山元町は「コンパクトシティ」の理念のもと3地区に新市街地を整備しており、今回開催したのはその内の一つの新坂元駅周辺地区の災害公営住宅(以下、公営住宅)です。こちらの公営住宅にお住まいの方にとっては、この夕涼み会が初めての交流会となりました。主催はやまもと復興応援センターで、ADRA Japan はそのお手伝いをしました。

新坂元駅周辺地区の公営住宅には現在約40世帯の方がお住まいです。今年の4月から順次入居が始まったため、住んでいる皆さん全員が引っ越しをされてまだ間もないという状況です。町内の仮設住宅や、町外のみなし仮設住宅(民間賃貸住宅借上げによる応急仮設住宅)から引っ越して来られた方など様々な方が住んでいらっしゃいます。


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災害公営住宅の様子


当日は雨が心配されましたが、みんなの気持ちが届いたのか、曇り空ではあったものの雨は降りませんでした!開始時刻の15時になると、私たちの予想を上回る方々がぞくぞくとやって来られました。事前に配付していたチラシを見てくださっていたようです。


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ADRAのバスもセッティング


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あっという間に椅子が埋まった


初めて顔を合わせる方もいるため最初に簡単な自己紹介をしていただき、その後、公営住宅の隣に位置する行政区の区長さん方からもご挨拶をいただきました。その中で「一緒に仲良く暮らしていきましょう」という言葉があったのが印象的で、その言葉を聞いた皆さんも安心されたのではないかと思います。


夕涼み会終了までの2時間、住民の方々はお茶やお菓子を食べながらお互いの家の場所を知らせたり、公営住宅に引っ越してくる前に住んでいた場所の話や生活環境のことなど思い思いにお話をされていました。ADRAのバスの中でも子ども連れのお母さん方が楽しそうにお話をしていらっしゃいました。会場には輪投げなどのゲームも用意され、「意外と難しいなぁ」「○○さん上手だね!」「がんばれ!」などの声が飛び交い盛り上がっていました。

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輪投げなどで盛り上がった


新坂元駅周辺地区の災害公営住宅にはまだ集会所がありません。今後さらに入居者が増える予定で、皆さんこの場所で長く暮らしていくことになります。住民の方々が気持ちよく暮らしていけるコミュニティが形成されることを心から願っています。


(執筆:東日本事業担当 三原千佳


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Posted by ADRA Japan at 11:00 | 東日本大震災 | この記事のURL
(4/10) 東日本大震災被災者・復興支援-140 国内支援を通じて国際協力を学ぶ [2015年04月10日(Fri)]
ADRA Japanは2012年6月から福島県の若者に向けた人材育成プログラムを実施しており、2015年3月末までに36以上の活動を行なってきました。福島県の若者と県内外・海外の人びとをつなぎ、若者の可能性を広げるきっかけとなる機会を提供しています。

これまでの活動の内容や期間、そこに関わる人びとなどは多岐にわたっています。中でも一番長く続いている活動が、2013年5月から行なっている福島県立富岡高等学校いわき明星大学サテライト校と米カリフォルニア大学サンディエゴ校国際関係・環太平洋研究大学院 (以下IR/PS)の学生とのスカイプ(音声通話、テレビ電話、文字によるチャットが無料でできるインターネット電話サービス)を通じた交流です。交流は教室の中で行なっており、関わっている人数も少ないのですが、小さくとも着実に育っている活動です。

活動のきっかけは、IR/PSの「411」という授業で日本語を学ぶ学生からADRA Japanに届いたメールでした。6人の学生がサンディエゴから東北の被災地にどのような支援ができるのかを考えた結果、東北の被災地とIR/PSとの絆を深め、被災地の方々に希望を持ってもらうことを目的とした交流プロジェクトを企画したので協力してほしい、というものでした。


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IR/PSの学生と日本語講師の牛田先生(中央前)


この時、震災から既に1年以上が経過していましたが、遠く離れたアメリカから東北を想い行動に移そうとしている学生たちがいることを東北の方々にも知って欲しいと思いました。そしてIR/PSの学生と東北の方々の双方向の交流とするため、国際コミュニケーションコースがある富岡高校の教頭先生に相談しました。

富岡高校の生徒たちは、震災後は原発事故の影響で福島県双葉郡富岡町から県内外4カ所のサテライト校に分かれて学校生活を送っていました。国際コミュニケーションコースは福祉健康コースと共にいわき明星大学内のサテライト校にあり、殆どの生徒たちはふるさとを離れ、避難生活を送りながら学校に通っていました。

教頭先生は、この交流活動が生徒にとって良い機会になると関心を持ってくださり、英語の授業の時間を使った交流がスタートしました。

富岡高校で英語を担当する教員も生徒たちもスカイプを使ったことがなかったため、大きな期待と少しの不安を抱きながら1回目の交流が行なわれました。生徒たちは全員でノートパソコンの画面が見られるように固まって座り、とても緊張している様子でした。


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1回目の交流


この時の交流では、富岡高校の生徒たちとIR/PSの学生が簡単な挨拶と自己紹介を交わし、生徒たちはアメリカの学生からの質問に「Yes」「No」で答えるのが精一杯という感じでした。それでも高校生たちは交流を終えて「とても緊張した〜」「楽しかった〜」と笑顔で話していました。

その後、年を重ねて学生の入れ替わりがありながらも、約2年間、両校は計12回のスカイプ交流を通じて直接会話やゲームをしたり、メールやブログを介して自分たちの夢や生活を紹介しあったり、時にはエネルギー問題について意見を交換したりしながら交流を深めていきました。福島とサンディエゴという離れた土地に暮らし、年齢や国籍の違いがありつつも、生徒と学生は一緒に笑い、時間と思い出を共有してきました。


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日本とサンディエゴの時差は17時間あり、日本が朝10時の時、サンディエゴは前日の夕方5時になります。富岡高校の英語の授業に合わせ、IR/PSの学生が日曜日の夕方に大学に集まってくれることもありました。

この交流が実現するまでには、富岡高校の教員とIR/PSの講師の方々がメールやスカイプを通じ、実に多くの時間をかけて準備を行なっておられました。一度も会ったことは無くても語学を教える方同士が、共通の想いを持って取り組み、信頼関係を深めていかれました。先生方は、自らの教え子たちに語学を学んでもらうこと以上に、交流を通じてお互いの関係を深めてほしいと願っておられました。


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スカイプを通じて打ち合わせをする教員


交流を始める2年前、富岡高校の生徒たちはサンディエゴのことを知らず、一方のIR/PSの学生たちは福島を原発事故のあった被災地としてしか知らず、富岡町のことももちろん知りませんでした。

今では、高校生たちはサンディエゴの観光地や魅力を知って自分たちで地図を作るまで詳しくなり、いつか実際に訪れたい場所になりました。そして、アメリカの大学生たちにとって福島は単なる「被災地」から富岡高校の生徒たちが暮らす「ふるさと」になりました。


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生徒が作ったサンディエゴの地図と、生徒と学生がそれぞれに作った絆ベンチ


富岡高校いわき明星大学サテライト校の生徒数は2015年4月からは6人になり、彼らが卒業する来年の3月で休校することが決まっています。現在行なっている英語の授業を使った交流はあと1年間となりますが、離れていても自分たちを思ってくれている友人がいるということを知っているのはお互いにとって心強いことであり、決して消えない大切な思い出となるのではないでしょうか。

IR/PSの講師の牛田先生がとても強い想いと信念を持って取り組んでこられたことが、この活動が継続してきた大きな要因のひとつだと思います。牛田先生は「震災後から何かをしたいと思っていたけれど、自分が考えていたプロジェクトに合う学生が揃うのを待ってから学生に呼びかけた」とおっしゃっていました。

そんな牛田先生の想いが学生に、ADRA Japanに、そして富岡高校の教員と生徒たちに伝わっていきました。この交流に関わることを通じ、私は離れていても自分たちでできる国際協力の方法が必ずあること、想いを強くもつことで周りの人びとに影響を与え、その想いを相手に届けることができるということを学びました。


(執筆:東日本事業担当 会田有紀


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4月26日(日)、「30周年記念フェス〜好きから始まる国際協力」を開催します。
ADRAの活動にちなんだワークショップや、各国のファッションや食べ物、ステージ演奏なども楽しんでいただけます。福島事業に関する展示も行ないます。ぜひお越しください。
好きから始まる国際協力〜30周年記念フェス 詳細ページ

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Posted by ADRA Japan at 19:58 | 東日本大震災 | この記事のURL
(4/6) 東日本大震災被災者・復興支援-139 めんこい高校生のハーモニーにうっとり [2015年04月06日(Mon)]
3月11日から13日までADRA Japan の協力機関でもある「広島三育学院高等学校(*1)」の2年生男子5人によるアカペラコーテットグループ「Disciples(ディサイプルズ)」が、ボランティアで山元町に来てくれました。

東日本大震災から4年を迎えた3月11日、彼らは広島から飛行機に乗り、仙台空港に到着しました。

最初に訪問したのはADRAが山元町花釜区に設置しているオレンジハウスです。世話係の山元タイムさんを中心にオレンジハウスを利用している住民の方約30人が集う「3.11ランチ会」に同席しました。


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ADRAが設置しているオレンジハウス


到着した時、皆さんはランチ中でしたが「歌を聴きたい」という要望があったので、食べながら耳を傾けていただくことになりました。

「赤とんぼ」や「ふるさと」、復興応援ソングの「花は咲く」などのお馴染みの曲に加え、彼らが通っている広島三育学院はミッションスクールということもあり、比較的有名な讃美歌「いつくしみふかき」なども歌いました。

ある住民の方は「きょうは辛い日。こんな日に来てくれて素晴らしい歌を聴かせてくれてありがとう」と言っておられました。


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オレンジハウス3.11ランチ会で歌う高校生たち


14時46分、町内防災無線の合図とともに海の方を向き、住民の皆さんとともに黙祷を捧げました。

その後、旧山下駅前に設置されている写真館で震災前後の写真や新聞記事などを見たり、津波被害を受けた沿岸部や地震被害を受けた高台の住宅地などをまわったりして、被災状況や現在の復興状況について学びました。


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震災前後の航空写真を見て、山元町についてADRAスタッフから学ぶ高校生


翌3月12日、午前中は箱根仮設住宅集会所で開かれた「お茶っこサロン(*2)」(参加者約15人)に参加しました。到着した際には10人近くの住民の方が集まっていましたが「○×さんたちが来るっていったがら、ちょっとまっでて」ということで、皆さんが揃ってから歌を聴いていただきました。

その後はお茶っこに混ぜていただいて、住民の方との楽しい交わりのひとときを持ちました。

お母さん方からは「めんこいねぇ(かわいらしいねぇ)、歌もうまいし、来てよがったぁ」などの声が聞かれました。高校生たちは、手作りのイチゴストラップなどをお土産に受け取り喜んでいました。

帰り際には「箱根仮設を忘れないで。箱根と聞いたら伊豆箱根ではなく、山元町の箱根を思いだすんだよ。イチゴのストラップを見て思い出すんだよ」と言われ、高校生たちは元気に「はい」と答えていました。


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手作りの漬物やイチゴを食べながら「めんこい」高校生と談笑


12日午後は、旧坂中仮設住宅集会所の「お茶っこサロン」(参加者約15人)を訪問しました。予定していた曲を歌った後すぐに「いい歌だぁ! あと2曲くらいうだって!!」という声があり、急遽アンコール曲として英語の「アメイジング・グレイス」を歌いました。その分お茶っこの時間が少なくなってしまいましたが、皆さん喜んでくださいました。

その後、指定障害福祉サービス事業所「工房地球村」が運営している「カフェ地球村」(参加者約15人)を訪問しました。カフェ地球村にコーヒーを飲みに来ていたお客さんに工房地球村の利用者の方々も合流し、歌を聴いていただきました。


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カフェ地球村での、美味しいコーヒーと美しいハーモニーのひととき


最終日の13日は、町民グランド仮設住宅集会所の「お茶っこサロン」(約15人)に参加しました。歌い終わると、まるで事前に申し合わせていたかのように住民の皆さんから一斉に「ばあちゃんたちは上手な歌はあぎねぇがら、まだ歌いんしゃい」という声があがり、またしてもアンコール曲を披露することに…。その後、皆さんとお茶っこをしながら楽しい時間を過ごし、帰る前にもさらに数曲歌いました。


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復興応援ソング「花は咲く」を歌う高校生


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町民グランドの皆さんと記念撮影


高校生たちが山元町滞在中に一番多く聞いた言葉は「めんこい」で、彼らが最初に覚えた東北の言葉もこの言葉になりました。

また、今が旬の美味しい山元町イチゴをはじめ、手作り漬物に季節限定の地球村アップルパイなど、「食の山元町」も満喫していました。


参加した高校生は「今回来るまでは、山元町という場所は聞いたことがありませんでした。津波被害を受けたけど全員無事だった中浜小学校を見たりして、山元町の被害の大きさを初めて知りました。歌うことでみなさんに元気を与えられればと思って歌いに来ましたが、みなさんの温かさなどにふれて逆に元気をもらいました」と言っていました。



あの日から4年、震災の記憶が風化してきているとも言われています。

しかし、今回山元町を訪問した高校生たちのように、自主的に被災地に赴いて自分たちにできることをしたいと思っている人も少なくありません。

そのような人たちを受け入れる側の方々にとって一番嬉しいことは、「めんこい」高校生たちが山元町で体験し感じたことを忘れずにいてくれることなのです。

被災地に行くことや被災地の商品を買うことだけでなく、寄付をすることや復興関連のニュースに耳を傾けることなど、自分にできることをできる場所でするということが大切ではないかと思います。



*1)広島三育学院高等学校(広島県三原市)は、知・徳・体のバランスのとれた教育を行なっている学校です。国内で自然災害が発生した際にはADRA Japan と協力して、高校生を中心とした災害ボランティアを各地に派遣しています。昨年の広島市土砂災害時には、いち早く活動を開始し、現在も継続的に災害ボランティアを派遣しています。

*)「お茶っこサロン」は、山元町社会福祉協議会やまもと復興応援センターの生活支援相談員さんが2012年2月から毎週開催している住民の方のための集いの場です。皆で映画を観たり、ゲームをしたり、歌を歌ったり、健康体操したりするなど様々なプログラムを通じて住民の方々のコミュニティ形成と健康維持を図っています。


(執筆: 国内事業(防災・緊急支援)担当マネージャー 渡辺日出夫
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Posted by ADRA Japan at 13:28 | 東日本大震災 | この記事のURL
(3/11) 東日本大震災被災者・復興支援-138 あの日から4年、そしてこれから [2015年03月11日(Wed)]
この3月11日で、東日本大震災の発生から4年を迎え5年目にはいります。被災地では復興が目に見えて進んでいるところもあれば、そうでないところもあります。復興の進み具合の差が広がっています。

津波が襲った宮城県の海岸地域では長大な防波堤の土盛りが進み、常磐道も3月1日に全線開通し、首都圏からのアクセスも良くなりました。震災後に新しく建設されたイチゴハウスでは出荷されるイチゴの量は今年さらに増え、イチゴを使った化粧品など新しい商品も生まれました。


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山元町では2013年4月、町の高台地域に復興公営住宅の一部が完成し順次入居も始まり、2015年1月時点では災害公営住宅などに入居を希望している方の約8割の移転先も決まりました。しかしその一方で、海岸沿いの浸水区域に残り、自力で自宅を修理して住み続けている方々もいます。


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震災後、そうした地域の世帯数や商店の数は減り、住民の方々が集う場所もありませんでした。

ADRA Japanは津波による浸水被害を受けた山元町の花釜区にトレーラーハウスを利用した仮集会所を設置しました。住民の方々は「オレンジハウス」という愛称で親しんでくださり、一昨年12月の開所から今年の2月までに、延べ約1,500人に利用していただきました。


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花釜区の区長さんが、最近次のように話してくださいました。

「震災からまる4年経つけど、今まで気を張っていたのが最近になって疲れが出てきたように感じる。あたりを歩いていても若い人を見かけない。震災前はベビーカーで散歩しているお母さんとかがいたのに、今は見かけない。まわりのみんなは急に年を取った気がする。阪神の地震の時もそうだったと聞いているが、震災から4、5年目から孤独死が増えるらしい。最初の頃はたくさんの方から物の支援をもらったけど、今は心の支援が必要だと思っている。」

区長さんの言葉は、今後の私たちの姿勢や支援のあり方を問われる言葉だと感じました。


3月1日には、福島県立浪江高等学校の卒業式がありました。

浪江高校はもともと、福島第一原発から20キロ圏内にある福島県双葉郡浪江町にありましたが、原発事故の後は緊急避難をして、県内の2カ所に分かれて学校を運営し、2012年4月からは福島県内陸の本宮市にある県立高校の敷地内に移り、仮設校舎を建てて学校を継続してきました。

浪江高校は88年の歴史があり、これまで地域に根ざし、地元で活躍する人材を多く輩出してきました。しかし、2年後の2017年の春には休校となることが決まっています。

今年度の卒業生5人は、ぞれぞれの避難先や、親元を離れた学校近くの宿泊施設で生活しながら仮設校舎の学校に3年間通い続けました。慣れない避難先での生活や仮設校舎での生活に不便で肩身の狭い思いもしたと思いますが、卒業生たちは笑顔で堂々と高校を巣立っていきました。卒業生は全員、自分が希望した進路に進んでいくことが決まっています。

卒業式の中で、卒業生代表の生徒が「浪江高校の歴史と伝統を引き継ぎ、全員が決心しての入学だった。相双地区の復興の担い手となるために何事も一生懸命に取り組んだ。これからはどこにいても輝き続ける北斗七星になる」と答辞を述べていました。その顔は輝いていました。


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「いつまでも被災者意識を持っているのでなく、自分たちで何か新しいことを始めていくことをしっかりと考えなければならないと思う。」

これは、ある先生の言葉です。

ただ、こうした笑顔や前向きな気持ちを持つまでには、一人ひとりがたくさんの辛さや悔しさを経験してきたことと思います。そして、その道のりは長いものであったろうと思います。被災地に暮らす方々の、表からはなかなか見ることのできない心の道のりに、私たちは思いを寄せることが必要なのではないかと思わされます。

そしてまた、いつもは笑顔でいても、心の中ではまだ前向きな気持ちを持てないままでいる方々も多くいらっしゃるはずです。そうした方々がたくさんいらっしゃることも、常に心に留めておかなければならないと思います。

東北の被災地の方々と、私たちは今後どのように関わり、支援を続けていくべきなのか。

震災後4年の日を迎えて、このことを改めて考えていきたいと思います。


(執筆:東日本事業担当 一同)


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Posted by ADRA Japan at 14:57 | 東日本大震災 | この記事のURL
(2/26) 東日本大震災 被災者・復興支援-137 足湯報告〜在宅での足湯も継続中〜 [2015年02月26日(Thu)]
ADRA Japanでは、毎月足湯ボランティア派遣を実施しています。今回は、昨年9月から12月までの足湯ボランティアの活動報告をいたします。

【15クール】
実施日:9月13日(土)、14日(日)
実施場所:町民グラウンド仮設住宅
来場者数:30人
ボランティア数:4人

【16クール】
実施日:10月25日(土)、26日(日)
実施場所:中山熊野堂仮設住宅
来場者数:23人
ボランティア数:3人

【17クール】
実施日:11月22日(土)、23日(日)
実施場所:笠野区
来場者数:22人
ボランティア数:3人

【18クール】
実施日:12月20日(土)、21日(日)
実施場所:オレンジハウス(花釜区)、中央公民館
来場者数:22人
ボランティア数:4人

上記4回で14人のボランティアに参加していただき、計97人の住民の方にお越しいただきました。

11月に実施した笠野区は、以前のブログ(東日本大震災 被災者・復興支援-110 〜それぞれの想い。在宅での足湯〜)でお伝えしたとおり沿岸部に位置していて住んでいる方は非常に少なく、その数は現在も十数軒ほどです。3回目となる笠野区での足湯では、寒くなってきた時期ということもあって住民のお母さん方が豚汁を作ってくださったので、みんなでいただきました。体も心も温まりました。


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(ADRA災対バスの中で調理するお母さん方)


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(美味しいご飯と一緒に会話にも花が咲く)


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(全て住民の方の持ち寄り)


私、三原は2011年4月から宮城担当として山元町とお付き合いをしていますが、お母さん方の手料理には毎回感激しています!特に漬物やきゅうりの佃煮は本当に本当に美味しくて、作り方を教わってそのとおりに作ってみてもどうしてもお母さん方の味にはなりません。

あの絶妙なバランスと安心感がある味はいつになったら出せるのか・・。お母さん方に追いつくにはだいぶ時間がかかりそうです。

なお、この時の足湯では、震災前に笠野区に住んでいて現在は仮設住宅にお住まいの方も足を運んでくださいました。震災まで何十年間も暮らしていた土地ですから、やはりその土地への愛着や気持ちがあるのだと改めて感じました。


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(足湯は屋外で実施。温まっていただく)


また、12月の足湯はADRA Japanが花釜区に設置しているオレンジハウス(http://blog.canpan.info/adrajapan/archive/1133)で実施しました。


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(オレンジハウスの前にはボランティアが作成した看板を掲げた)


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(シルバーカーや自転車などでも来てくださっていた)


オレンジハウスは2013年12月に開所して以来、2015年1月20日現在までに延べ1,357人の方々に利用していただいています。区の総会や班会、手芸活動をする女性グループ、農業従事者のグループや元鉄道関係のお仕事をされていた男性グループ、パソコン教室など、様々な活動が実施されていますが、ADRA主催の足湯を実施するのはこの時が初めてでした。


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(奥にはお茶っこスペースを設けて足湯前後にもお話ができるようにした)


オレンジハウスにはトイレが設置されているため、足湯が終わってからも高齢者の方がゆっくりとお茶を飲みながら住民の方とおしゃべりをすることができ、その様子が印象的でした。

9月から12月までの足湯を通して、様々な住民の方の声を聞かせていただきましたので、その一部をお伝えします。

90代女性「本当にありがとう。こういうの(手の揉み方)も、勉強しないとできないでしょう?ありがたいねぇ。足湯のあとは温まって中々冷めないの。昔は苺と米を作って生活してたんだけど、ハウスが流れてしまって田んぼも塩害でダメになり、今は職なしだ。

70代男性「ホッキ貝は山元のは美味しい。今まで震災後は北海道産のホッキだったが、今年から山元のが捕れた。美味しいよ。

80代女性「家流されてしまって生きていて良かったんだか・・。死んでしまった方がいいんでないかって何度も思ったよ。独りだから。生きてくって大変だよね。次から次に問題が出てくるよね。することなくてね。落ち着いたら、こういうの(足湯などのイベント)もなくなっちゃうでしょ。

70代女性「この間の8月の足湯でもお世話になった。今日もやると仮設の人に聞いてきた。自分は海のすぐ近くの神社のあるところに住んでいた。独りだから家を建てることはできないね・・。

震災からまもなく5年目を迎える今もそれぞれの方が葛藤しながら日々を送っていることが分かります。

また、ボランティアの皆さんも様々なことを感じたようです。

穏やかだったが、たまに淋しそうな表情が見られることが印象的だった。」(女性・社会人・東京都から参加)

今日引っ越しの方がおり、その方が『そこは我が家だからね』とおっしゃっているのを聞いて、改めて仮設住宅は我が家にはならないんだと感じた。」(女性・社会人・東京都から参加)

足湯の目的の一つは、住民の方がリラックスできる空間を提供することです。ボランティアの皆さんの働きにより、住民の方がお話ししやすい雰囲気ができ、会場に笑い声が溢れることもあります。これからも、心身ともに“ホッと”する時間をお届けしていきたいと思います。

足湯ボランティアはこれまでにボランティアの経験がない方でも、オリエンテーションを受けるだけで老若男女を問わず参加できます。ADRA Japanは引き続き足湯ボランティアの派遣を行なう予定です。メルマガやブログなどでボランティア募集のお知らせをいたしますので、お気軽にお申込みください。


(執筆:東日本事業担当 三原千佳

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Posted by ADRA Japan at 14:03 | 東日本大震災 | この記事のURL
(2/16) 東日本大震災 被災者・復興支援-136 双葉翔陽高校 東京研修〜思い出を形に〜 [2015年02月16日(Mon)]
昨年の10月23日、福島県立双葉翔陽高校の3年生が東京にあるHasselblad Japan(ハッセルブラッド・ジャパン)様を訪問しました。

双葉翔陽高校は福島県双葉郡大熊町にあった県立高校ですが、原発事故の影響で現在は県内のいわき市に避難し、いわき明星大学の校舎の一部を借りて学校を運営しています。ADRA Japanは2012年から同校の生徒たちに対する支援活動を行なってきました。

Hasselblad Japanはスウェーデン生まれの世界的なカメラメーカーです。今回、同社を訪問した3年生の生徒たちは卒業に向けた動画の作成に取り組んでおり、効果的な写真の撮り方や見せ方についての研修を受けました。

生徒たちはこの日に備え、各自が3つのテーマに沿った写真を撮影し、それを持参しました。写真のテーマは、1)身近な人物、2)日常の風景、3)上手に撮影できなかった写真です。午前中、生徒たちは自分たちの写真に対してプロのカメラマンからアドバイスをいただきました。


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研修を受ける生徒たち


「カメラをしっかり構えてぶれないように」
「自分が動いて被写体をいろいろな角度から観察する」
「1枚撮って終わりではなく、次にもっと良く撮るためにはどうすれば良いかを考えてたくさん撮る」
など、撮影した写真について直接アドバイスをしていただけることもあり、生徒たちは真剣な表情で聞き入っていました。中には、プロカメラマンから「こんな素敵な写真、私がみんなくらいの年齢の時には撮れなかったよ」と褒められる生徒もおり、恥ずかしそうにしながらもその顔は少し誇らしげでした。


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自分たちが撮影した写真へのアドバイスを真剣に聞く生徒たち


午後はさらに2つの研修を行ないました。

前半の研修では、生徒たちがプロの方の使うカメラでお互いの写真を撮りました。携帯電話で写真を撮ることが多い生徒たちに、カメラを使って写真を撮ることの楽しさを体験してもらうという狙いがあったようです。

初めは本格的なカメラを使うことに少し戸惑った様子でしたが、コツをつかむと積極的に撮影し始める生徒たち。スタジオにはたくさんのシャッター音と笑い声が響いていました。

また、撮られる時も生徒たちは少し戸惑った様子で、初めは「表情が固いよ、もっと笑って、笑って!」とプロカメラマンの方に言われていました。しかし、回数を重ねて徐々に慣れていくと、おどけたり、変な顔をしたり、ポーズをとったりして楽しんでいました。

撮影した写真はすぐにパソコンに取り込まれるようになっており、パソコン画面には自然な笑顔の生徒たちが映っていました。生徒たちは、学校の休み時間や放課後にはこのようにしてクラスメートとの時間を過ごしているのだろうな、と思わされるような、とても微笑ましい光景でした。


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Hasselbladのカメラを使って撮影実習


後半の研修では、被写体をどこに置くと人の目をひく写真を撮ることができるのかを学びました。事前に生徒たちが撮影した写真を使い、Hasselbladのスタッフの方がグリッド線を使う方法や三角形を作るように意識して撮る方法、色の組み合わせに気をつけて撮る方法などを教えてくださいました。
グリッド線とはカメラの画面を9分割した時に縦横に走る線のことで、この線が交わる点に被写体を置いて撮影します。この線は携帯電話のカメラでも設定できるので、早速自分の携帯電話にグリッド線が出るように設定している生徒もいました。


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事前に撮影した写真を見ながら、どのような写真が人の目を引くのかを考える生徒たち


研修後、生徒たちは学校に戻り、卒業に向けた動画制作に取り組みます。今回学んだことを生かし、たくさんの思い出がつまった動画が完成することを願っています。そして、この春、それぞれの進路へと進んでいく生徒たちが高校時代を振り返った時、この研修が彼らの青春の1ページとして刻まれていたら幸いです。


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Hasselblad Japanのギャラリーの前で


この度の研修に際し、Hasselblad Japanスタッフの方々をはじめ、フォトグラファーの吉岡英太郎様、イスラエル大使館様、一般社団法人 日本イスラエイド・サポート・プログラム様にご協力をいただきました。

皆様のお支えをいただき、福島の将来を担う若者たちをこれからもサポートしていきたいと思います。

(執筆:東日本事業担当 松川 聡


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Posted by ADRA Japan at 12:23 | 東日本大震災 | この記事のURL
(2/6) 東日本大震災 被災者・復興支援-135 福島県立小野高等学校の放送部を応援しています。 [2015年02月06日(Fri)]
ADRA Japanは福島県の若者への支援活動を行なっています。今回は、その活動のひとつである福島県立小野高等学校の放送部への支援をご紹介します。

同校放送部は校内放送のほか、動画の企画から編集までをすべて生徒たちで手がけており、さまざまなCM作品を各種コンテストに出品、6年連続で入賞という輝かしい実績を残しています。一昨年までは10人弱で活動をしていましたが、近年の活躍ぶりが周辺の中学校などに広く知られるようになり、新入生の入部希望者が増え、現在では同校の部活動の中では最も多い31人の大所帯となっています。

ところが、部が保有するカメラとパソコンは1台ずつで、圧倒的な機材不足です。しかもこのパソコン、動画の編集中にフリーズしたりデータが消えてしまったりするため、作業がなかなかはかどりません。校内の情報処理室にもパソコンはありますが、こちらはファイルの保存機能がなく、部活動には使えません。

生徒会や部活動の後援会には予算の制約があるため、高額な機材は購入できず、将来的にも購入できる見込みはありませんでした。

動画の取り込みや編集方法を先輩から後輩に教えることはおろか、作品を作るということ自体ができず、部の活動を行なうのに充分な機材を揃えることが部活動の存続と発展のためには必須条件となっていました。

ADRA Japanは、同放送部の顧問の先生と部員たちからこうした状況について話を聞き、彼らからの強い要請を受けました。そして、熱意ある放送部の意欲的な取り組みを支援するため、デスクトップパソコンやノートパソコン、ビデオカメラなど、動画の撮影や編集に欠かせない機材を支援しました。


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放送部の部員から現状を聞くADRA Japanスタッフ


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新しい機材を手にVサイン


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同放送部では地元TV局主催の「ふるさとCM大賞」などの各種コンテストへの出品や、町の名物・史跡を紹介する映像制作など、地域の活性化にもつながるような活動を実施したいと考えているそうです。部員のモチベーションの向上や部活動の活性化だけでなく、地元の人たちも元気にしたい、という彼らの活動を、ADRA Japanは応援しています。

今回の機材提供を受けた放送部の皆さんからのコメントをここでご紹介します。

「ご支援をいただいいたおかげで、放送部の活動はより活発となりました。活躍できるよう頑張っていきたいです。ありがとうございました!」
(3年生)

「おかげ様で小さかった放送部の活動の幅を広げることができました。心から感謝しております。」(3年生)

「僕らの願いを叶えてくださって、本当にありがとうございます。寄贈いただいた機材は、今後の活動にフル活用させていただき、よりよいCM作成に取り組んでいきます。」(2年生)

「大切に使わせていただきます。ご支援ありがとうございました。」(2年生)

「めっちゃ面白いCM作ります!!」(1年生)

「小野町に限らず、自分たちの住んでいる地域のおすすめ観光映像を1人1作品制作しております。地元の元気は福島の元気!!PR活動がんばります。」(部活動顧問)

その後、コンテストでの入賞をめざして精力的に作品製作に取り組んでいた放送部の生徒たちから嬉しい報告が届きました。福島県が主催した「笑顔をつなげよう動画コンテスト」で最優秀賞を受賞したそうです。

▼「笑顔をつなげよう動画コンテスト」(平成26年度)最優秀賞を受賞した作品はコチラから
【最優秀賞】小野高校 吹奏楽部からの笑顔
彼らのこれからの活躍も楽しみです。

(執筆:ライティングボランティア 小野寺るみこ)

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Posted by ADRA Japan at 18:10 | 東日本大震災 | この記事のURL
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