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(7/23) 東日本大震災被災者・復興支援-141宮城県山元町-災害公営住宅で初めての交流会 [2015年07月23日(Thu)]
7月4日(土)、山元町の災害公営住宅で夕涼み会を開催しました。

山元町は「コンパクトシティ」の理念のもと3地区に新市街地を整備しており、今回開催したのはその内の一つの新坂元駅周辺地区の災害公営住宅(以下、公営住宅)です。こちらの公営住宅にお住まいの方にとっては、この夕涼み会が初めての交流会となりました。主催はやまもと復興応援センターで、ADRA Japan はそのお手伝いをしました。

新坂元駅周辺地区の公営住宅には現在約40世帯の方がお住まいです。今年の4月から順次入居が始まったため、住んでいる皆さん全員が引っ越しをされてまだ間もないという状況です。町内の仮設住宅や、町外のみなし仮設住宅(民間賃貸住宅借上げによる応急仮設住宅)から引っ越して来られた方など様々な方が住んでいらっしゃいます。


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災害公営住宅の様子


当日は雨が心配されましたが、みんなの気持ちが届いたのか、曇り空ではあったものの雨は降りませんでした!開始時刻の15時になると、私たちの予想を上回る方々がぞくぞくとやって来られました。事前に配付していたチラシを見てくださっていたようです。


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ADRAのバスもセッティング


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あっという間に椅子が埋まった


初めて顔を合わせる方もいるため最初に簡単な自己紹介をしていただき、その後、公営住宅の隣に位置する行政区の区長さん方からもご挨拶をいただきました。その中で「一緒に仲良く暮らしていきましょう」という言葉があったのが印象的で、その言葉を聞いた皆さんも安心されたのではないかと思います。


夕涼み会終了までの2時間、住民の方々はお茶やお菓子を食べながらお互いの家の場所を知らせたり、公営住宅に引っ越してくる前に住んでいた場所の話や生活環境のことなど思い思いにお話をされていました。ADRAのバスの中でも子ども連れのお母さん方が楽しそうにお話をしていらっしゃいました。会場には輪投げなどのゲームも用意され、「意外と難しいなぁ」「○○さん上手だね!」「がんばれ!」などの声が飛び交い盛り上がっていました。

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輪投げなどで盛り上がった


新坂元駅周辺地区の災害公営住宅にはまだ集会所がありません。今後さらに入居者が増える予定で、皆さんこの場所で長く暮らしていくことになります。住民の方々が気持ちよく暮らしていけるコミュニティが形成されることを心から願っています。


(執筆:東日本事業担当 三原千佳


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Posted by ADRA Japan at 11:00 | 東日本大震災 | この記事のURL
(4/10) 東日本大震災被災者・復興支援-140 国内支援を通じて国際協力を学ぶ [2015年04月10日(Fri)]
ADRA Japanは2012年6月から福島県の若者に向けた人材育成プログラムを実施しており、2015年3月末までに36以上の活動を行なってきました。福島県の若者と県内外・海外の人びとをつなぎ、若者の可能性を広げるきっかけとなる機会を提供しています。

これまでの活動の内容や期間、そこに関わる人びとなどは多岐にわたっています。中でも一番長く続いている活動が、2013年5月から行なっている福島県立富岡高等学校いわき明星大学サテライト校と米カリフォルニア大学サンディエゴ校国際関係・環太平洋研究大学院 (以下IR/PS)の学生とのスカイプ(音声通話、テレビ電話、文字によるチャットが無料でできるインターネット電話サービス)を通じた交流です。交流は教室の中で行なっており、関わっている人数も少ないのですが、小さくとも着実に育っている活動です。

活動のきっかけは、IR/PSの「411」という授業で日本語を学ぶ学生からADRA Japanに届いたメールでした。6人の学生がサンディエゴから東北の被災地にどのような支援ができるのかを考えた結果、東北の被災地とIR/PSとの絆を深め、被災地の方々に希望を持ってもらうことを目的とした交流プロジェクトを企画したので協力してほしい、というものでした。


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IR/PSの学生と日本語講師の牛田先生(中央前)


この時、震災から既に1年以上が経過していましたが、遠く離れたアメリカから東北を想い行動に移そうとしている学生たちがいることを東北の方々にも知って欲しいと思いました。そしてIR/PSの学生と東北の方々の双方向の交流とするため、国際コミュニケーションコースがある富岡高校の教頭先生に相談しました。

富岡高校の生徒たちは、震災後は原発事故の影響で福島県双葉郡富岡町から県内外4カ所のサテライト校に分かれて学校生活を送っていました。国際コミュニケーションコースは福祉健康コースと共にいわき明星大学内のサテライト校にあり、殆どの生徒たちはふるさとを離れ、避難生活を送りながら学校に通っていました。

教頭先生は、この交流活動が生徒にとって良い機会になると関心を持ってくださり、英語の授業の時間を使った交流がスタートしました。

富岡高校で英語を担当する教員も生徒たちもスカイプを使ったことがなかったため、大きな期待と少しの不安を抱きながら1回目の交流が行なわれました。生徒たちは全員でノートパソコンの画面が見られるように固まって座り、とても緊張している様子でした。


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1回目の交流


この時の交流では、富岡高校の生徒たちとIR/PSの学生が簡単な挨拶と自己紹介を交わし、生徒たちはアメリカの学生からの質問に「Yes」「No」で答えるのが精一杯という感じでした。それでも高校生たちは交流を終えて「とても緊張した〜」「楽しかった〜」と笑顔で話していました。

その後、年を重ねて学生の入れ替わりがありながらも、約2年間、両校は計12回のスカイプ交流を通じて直接会話やゲームをしたり、メールやブログを介して自分たちの夢や生活を紹介しあったり、時にはエネルギー問題について意見を交換したりしながら交流を深めていきました。福島とサンディエゴという離れた土地に暮らし、年齢や国籍の違いがありつつも、生徒と学生は一緒に笑い、時間と思い出を共有してきました。


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日本とサンディエゴの時差は17時間あり、日本が朝10時の時、サンディエゴは前日の夕方5時になります。富岡高校の英語の授業に合わせ、IR/PSの学生が日曜日の夕方に大学に集まってくれることもありました。

この交流が実現するまでには、富岡高校の教員とIR/PSの講師の方々がメールやスカイプを通じ、実に多くの時間をかけて準備を行なっておられました。一度も会ったことは無くても語学を教える方同士が、共通の想いを持って取り組み、信頼関係を深めていかれました。先生方は、自らの教え子たちに語学を学んでもらうこと以上に、交流を通じてお互いの関係を深めてほしいと願っておられました。


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スカイプを通じて打ち合わせをする教員


交流を始める2年前、富岡高校の生徒たちはサンディエゴのことを知らず、一方のIR/PSの学生たちは福島を原発事故のあった被災地としてしか知らず、富岡町のことももちろん知りませんでした。

今では、高校生たちはサンディエゴの観光地や魅力を知って自分たちで地図を作るまで詳しくなり、いつか実際に訪れたい場所になりました。そして、アメリカの大学生たちにとって福島は単なる「被災地」から富岡高校の生徒たちが暮らす「ふるさと」になりました。


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生徒が作ったサンディエゴの地図と、生徒と学生がそれぞれに作った絆ベンチ


富岡高校いわき明星大学サテライト校の生徒数は2015年4月からは6人になり、彼らが卒業する来年の3月で休校することが決まっています。現在行なっている英語の授業を使った交流はあと1年間となりますが、離れていても自分たちを思ってくれている友人がいるということを知っているのはお互いにとって心強いことであり、決して消えない大切な思い出となるのではないでしょうか。

IR/PSの講師の牛田先生がとても強い想いと信念を持って取り組んでこられたことが、この活動が継続してきた大きな要因のひとつだと思います。牛田先生は「震災後から何かをしたいと思っていたけれど、自分が考えていたプロジェクトに合う学生が揃うのを待ってから学生に呼びかけた」とおっしゃっていました。

そんな牛田先生の想いが学生に、ADRA Japanに、そして富岡高校の教員と生徒たちに伝わっていきました。この交流に関わることを通じ、私は離れていても自分たちでできる国際協力の方法が必ずあること、想いを強くもつことで周りの人びとに影響を与え、その想いを相手に届けることができるということを学びました。


(執筆:東日本事業担当 会田有紀


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4月26日(日)、「30周年記念フェス〜好きから始まる国際協力」を開催します。
ADRAの活動にちなんだワークショップや、各国のファッションや食べ物、ステージ演奏なども楽しんでいただけます。福島事業に関する展示も行ないます。ぜひお越しください。
好きから始まる国際協力〜30周年記念フェス 詳細ページ

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Posted by ADRA Japan at 19:58 | 東日本大震災 | この記事のURL
(4/6) 東日本大震災被災者・復興支援-139 めんこい高校生のハーモニーにうっとり [2015年04月06日(Mon)]
3月11日から13日までADRA Japan の協力機関でもある「広島三育学院高等学校(*1)」の2年生男子5人によるアカペラコーテットグループ「Disciples(ディサイプルズ)」が、ボランティアで山元町に来てくれました。

東日本大震災から4年を迎えた3月11日、彼らは広島から飛行機に乗り、仙台空港に到着しました。

最初に訪問したのはADRAが山元町花釜区に設置しているオレンジハウスです。世話係の山元タイムさんを中心にオレンジハウスを利用している住民の方約30人が集う「3.11ランチ会」に同席しました。


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ADRAが設置しているオレンジハウス


到着した時、皆さんはランチ中でしたが「歌を聴きたい」という要望があったので、食べながら耳を傾けていただくことになりました。

「赤とんぼ」や「ふるさと」、復興応援ソングの「花は咲く」などのお馴染みの曲に加え、彼らが通っている広島三育学院はミッションスクールということもあり、比較的有名な讃美歌「いつくしみふかき」なども歌いました。

ある住民の方は「きょうは辛い日。こんな日に来てくれて素晴らしい歌を聴かせてくれてありがとう」と言っておられました。


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オレンジハウス3.11ランチ会で歌う高校生たち


14時46分、町内防災無線の合図とともに海の方を向き、住民の皆さんとともに黙祷を捧げました。

その後、旧山下駅前に設置されている写真館で震災前後の写真や新聞記事などを見たり、津波被害を受けた沿岸部や地震被害を受けた高台の住宅地などをまわったりして、被災状況や現在の復興状況について学びました。


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震災前後の航空写真を見て、山元町についてADRAスタッフから学ぶ高校生


翌3月12日、午前中は箱根仮設住宅集会所で開かれた「お茶っこサロン(*2)」(参加者約15人)に参加しました。到着した際には10人近くの住民の方が集まっていましたが「○×さんたちが来るっていったがら、ちょっとまっでて」ということで、皆さんが揃ってから歌を聴いていただきました。

その後はお茶っこに混ぜていただいて、住民の方との楽しい交わりのひとときを持ちました。

お母さん方からは「めんこいねぇ(かわいらしいねぇ)、歌もうまいし、来てよがったぁ」などの声が聞かれました。高校生たちは、手作りのイチゴストラップなどをお土産に受け取り喜んでいました。

帰り際には「箱根仮設を忘れないで。箱根と聞いたら伊豆箱根ではなく、山元町の箱根を思いだすんだよ。イチゴのストラップを見て思い出すんだよ」と言われ、高校生たちは元気に「はい」と答えていました。


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手作りの漬物やイチゴを食べながら「めんこい」高校生と談笑


12日午後は、旧坂中仮設住宅集会所の「お茶っこサロン」(参加者約15人)を訪問しました。予定していた曲を歌った後すぐに「いい歌だぁ! あと2曲くらいうだって!!」という声があり、急遽アンコール曲として英語の「アメイジング・グレイス」を歌いました。その分お茶っこの時間が少なくなってしまいましたが、皆さん喜んでくださいました。

その後、指定障害福祉サービス事業所「工房地球村」が運営している「カフェ地球村」(参加者約15人)を訪問しました。カフェ地球村にコーヒーを飲みに来ていたお客さんに工房地球村の利用者の方々も合流し、歌を聴いていただきました。


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カフェ地球村での、美味しいコーヒーと美しいハーモニーのひととき


最終日の13日は、町民グランド仮設住宅集会所の「お茶っこサロン」(約15人)に参加しました。歌い終わると、まるで事前に申し合わせていたかのように住民の皆さんから一斉に「ばあちゃんたちは上手な歌はあぎねぇがら、まだ歌いんしゃい」という声があがり、またしてもアンコール曲を披露することに…。その後、皆さんとお茶っこをしながら楽しい時間を過ごし、帰る前にもさらに数曲歌いました。


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復興応援ソング「花は咲く」を歌う高校生


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町民グランドの皆さんと記念撮影


高校生たちが山元町滞在中に一番多く聞いた言葉は「めんこい」で、彼らが最初に覚えた東北の言葉もこの言葉になりました。

また、今が旬の美味しい山元町イチゴをはじめ、手作り漬物に季節限定の地球村アップルパイなど、「食の山元町」も満喫していました。


参加した高校生は「今回来るまでは、山元町という場所は聞いたことがありませんでした。津波被害を受けたけど全員無事だった中浜小学校を見たりして、山元町の被害の大きさを初めて知りました。歌うことでみなさんに元気を与えられればと思って歌いに来ましたが、みなさんの温かさなどにふれて逆に元気をもらいました」と言っていました。



あの日から4年、震災の記憶が風化してきているとも言われています。

しかし、今回山元町を訪問した高校生たちのように、自主的に被災地に赴いて自分たちにできることをしたいと思っている人も少なくありません。

そのような人たちを受け入れる側の方々にとって一番嬉しいことは、「めんこい」高校生たちが山元町で体験し感じたことを忘れずにいてくれることなのです。

被災地に行くことや被災地の商品を買うことだけでなく、寄付をすることや復興関連のニュースに耳を傾けることなど、自分にできることをできる場所でするということが大切ではないかと思います。



*1)広島三育学院高等学校(広島県三原市)は、知・徳・体のバランスのとれた教育を行なっている学校です。国内で自然災害が発生した際にはADRA Japan と協力して、高校生を中心とした災害ボランティアを各地に派遣しています。昨年の広島市土砂災害時には、いち早く活動を開始し、現在も継続的に災害ボランティアを派遣しています。

*)「お茶っこサロン」は、山元町社会福祉協議会やまもと復興応援センターの生活支援相談員さんが2012年2月から毎週開催している住民の方のための集いの場です。皆で映画を観たり、ゲームをしたり、歌を歌ったり、健康体操したりするなど様々なプログラムを通じて住民の方々のコミュニティ形成と健康維持を図っています。


(執筆: 国内事業(防災・緊急支援)担当マネージャー 渡辺日出夫
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Posted by ADRA Japan at 13:28 | 東日本大震災 | この記事のURL
(3/11) 東日本大震災被災者・復興支援-138 あの日から4年、そしてこれから [2015年03月11日(Wed)]
この3月11日で、東日本大震災の発生から4年を迎え5年目にはいります。被災地では復興が目に見えて進んでいるところもあれば、そうでないところもあります。復興の進み具合の差が広がっています。

津波が襲った宮城県の海岸地域では長大な防波堤の土盛りが進み、常磐道も3月1日に全線開通し、首都圏からのアクセスも良くなりました。震災後に新しく建設されたイチゴハウスでは出荷されるイチゴの量は今年さらに増え、イチゴを使った化粧品など新しい商品も生まれました。


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山元町では2013年4月、町の高台地域に復興公営住宅の一部が完成し順次入居も始まり、2015年1月時点では災害公営住宅などに入居を希望している方の約8割の移転先も決まりました。しかしその一方で、海岸沿いの浸水区域に残り、自力で自宅を修理して住み続けている方々もいます。


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震災後、そうした地域の世帯数や商店の数は減り、住民の方々が集う場所もありませんでした。

ADRA Japanは津波による浸水被害を受けた山元町の花釜区にトレーラーハウスを利用した仮集会所を設置しました。住民の方々は「オレンジハウス」という愛称で親しんでくださり、一昨年12月の開所から今年の2月までに、延べ約1,500人に利用していただきました。


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手芸活動1.JPG


花釜区の区長さんが、最近次のように話してくださいました。

「震災からまる4年経つけど、今まで気を張っていたのが最近になって疲れが出てきたように感じる。あたりを歩いていても若い人を見かけない。震災前はベビーカーで散歩しているお母さんとかがいたのに、今は見かけない。まわりのみんなは急に年を取った気がする。阪神の地震の時もそうだったと聞いているが、震災から4、5年目から孤独死が増えるらしい。最初の頃はたくさんの方から物の支援をもらったけど、今は心の支援が必要だと思っている。」

区長さんの言葉は、今後の私たちの姿勢や支援のあり方を問われる言葉だと感じました。


3月1日には、福島県立浪江高等学校の卒業式がありました。

浪江高校はもともと、福島第一原発から20キロ圏内にある福島県双葉郡浪江町にありましたが、原発事故の後は緊急避難をして、県内の2カ所に分かれて学校を運営し、2012年4月からは福島県内陸の本宮市にある県立高校の敷地内に移り、仮設校舎を建てて学校を継続してきました。

浪江高校は88年の歴史があり、これまで地域に根ざし、地元で活躍する人材を多く輩出してきました。しかし、2年後の2017年の春には休校となることが決まっています。

今年度の卒業生5人は、ぞれぞれの避難先や、親元を離れた学校近くの宿泊施設で生活しながら仮設校舎の学校に3年間通い続けました。慣れない避難先での生活や仮設校舎での生活に不便で肩身の狭い思いもしたと思いますが、卒業生たちは笑顔で堂々と高校を巣立っていきました。卒業生は全員、自分が希望した進路に進んでいくことが決まっています。

卒業式の中で、卒業生代表の生徒が「浪江高校の歴史と伝統を引き継ぎ、全員が決心しての入学だった。相双地区の復興の担い手となるために何事も一生懸命に取り組んだ。これからはどこにいても輝き続ける北斗七星になる」と答辞を述べていました。その顔は輝いていました。


CIMG2682.JPG


「いつまでも被災者意識を持っているのでなく、自分たちで何か新しいことを始めていくことをしっかりと考えなければならないと思う。」

これは、ある先生の言葉です。

ただ、こうした笑顔や前向きな気持ちを持つまでには、一人ひとりがたくさんの辛さや悔しさを経験してきたことと思います。そして、その道のりは長いものであったろうと思います。被災地に暮らす方々の、表からはなかなか見ることのできない心の道のりに、私たちは思いを寄せることが必要なのではないかと思わされます。

そしてまた、いつもは笑顔でいても、心の中ではまだ前向きな気持ちを持てないままでいる方々も多くいらっしゃるはずです。そうした方々がたくさんいらっしゃることも、常に心に留めておかなければならないと思います。

東北の被災地の方々と、私たちは今後どのように関わり、支援を続けていくべきなのか。

震災後4年の日を迎えて、このことを改めて考えていきたいと思います。


(執筆:東日本事業担当 一同)


ADRA Japan(アドラ・ジャパン) は、開発途上国や災害被災地において開発支援や緊急支援活動を行なっているNGOです。私たちの活動は皆様からのご寄付・ご支援に支えられています。
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Posted by ADRA Japan at 14:57 | 東日本大震災 | この記事のURL
(2/26) 東日本大震災 被災者・復興支援-137 足湯報告〜在宅での足湯も継続中〜 [2015年02月26日(Thu)]
ADRA Japanでは、毎月足湯ボランティア派遣を実施しています。今回は、昨年9月から12月までの足湯ボランティアの活動報告をいたします。

【15クール】
実施日:9月13日(土)、14日(日)
実施場所:町民グラウンド仮設住宅
来場者数:30人
ボランティア数:4人

【16クール】
実施日:10月25日(土)、26日(日)
実施場所:中山熊野堂仮設住宅
来場者数:23人
ボランティア数:3人

【17クール】
実施日:11月22日(土)、23日(日)
実施場所:笠野区
来場者数:22人
ボランティア数:3人

【18クール】
実施日:12月20日(土)、21日(日)
実施場所:オレンジハウス(花釜区)、中央公民館
来場者数:22人
ボランティア数:4人

上記4回で14人のボランティアに参加していただき、計97人の住民の方にお越しいただきました。

11月に実施した笠野区は、以前のブログ(東日本大震災 被災者・復興支援-110 〜それぞれの想い。在宅での足湯〜)でお伝えしたとおり沿岸部に位置していて住んでいる方は非常に少なく、その数は現在も十数軒ほどです。3回目となる笠野区での足湯では、寒くなってきた時期ということもあって住民のお母さん方が豚汁を作ってくださったので、みんなでいただきました。体も心も温まりました。


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(ADRA災対バスの中で調理するお母さん方)


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(美味しいご飯と一緒に会話にも花が咲く)


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(全て住民の方の持ち寄り)


私、三原は2011年4月から宮城担当として山元町とお付き合いをしていますが、お母さん方の手料理には毎回感激しています!特に漬物やきゅうりの佃煮は本当に本当に美味しくて、作り方を教わってそのとおりに作ってみてもどうしてもお母さん方の味にはなりません。

あの絶妙なバランスと安心感がある味はいつになったら出せるのか・・。お母さん方に追いつくにはだいぶ時間がかかりそうです。

なお、この時の足湯では、震災前に笠野区に住んでいて現在は仮設住宅にお住まいの方も足を運んでくださいました。震災まで何十年間も暮らしていた土地ですから、やはりその土地への愛着や気持ちがあるのだと改めて感じました。


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(足湯は屋外で実施。温まっていただく)


また、12月の足湯はADRA Japanが花釜区に設置しているオレンジハウス(http://blog.canpan.info/adrajapan/archive/1133)で実施しました。


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(オレンジハウスの前にはボランティアが作成した看板を掲げた)


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(シルバーカーや自転車などでも来てくださっていた)


オレンジハウスは2013年12月に開所して以来、2015年1月20日現在までに延べ1,357人の方々に利用していただいています。区の総会や班会、手芸活動をする女性グループ、農業従事者のグループや元鉄道関係のお仕事をされていた男性グループ、パソコン教室など、様々な活動が実施されていますが、ADRA主催の足湯を実施するのはこの時が初めてでした。


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(奥にはお茶っこスペースを設けて足湯前後にもお話ができるようにした)


オレンジハウスにはトイレが設置されているため、足湯が終わってからも高齢者の方がゆっくりとお茶を飲みながら住民の方とおしゃべりをすることができ、その様子が印象的でした。

9月から12月までの足湯を通して、様々な住民の方の声を聞かせていただきましたので、その一部をお伝えします。

90代女性「本当にありがとう。こういうの(手の揉み方)も、勉強しないとできないでしょう?ありがたいねぇ。足湯のあとは温まって中々冷めないの。昔は苺と米を作って生活してたんだけど、ハウスが流れてしまって田んぼも塩害でダメになり、今は職なしだ。

70代男性「ホッキ貝は山元のは美味しい。今まで震災後は北海道産のホッキだったが、今年から山元のが捕れた。美味しいよ。

80代女性「家流されてしまって生きていて良かったんだか・・。死んでしまった方がいいんでないかって何度も思ったよ。独りだから。生きてくって大変だよね。次から次に問題が出てくるよね。することなくてね。落ち着いたら、こういうの(足湯などのイベント)もなくなっちゃうでしょ。

70代女性「この間の8月の足湯でもお世話になった。今日もやると仮設の人に聞いてきた。自分は海のすぐ近くの神社のあるところに住んでいた。独りだから家を建てることはできないね・・。

震災からまもなく5年目を迎える今もそれぞれの方が葛藤しながら日々を送っていることが分かります。

また、ボランティアの皆さんも様々なことを感じたようです。

穏やかだったが、たまに淋しそうな表情が見られることが印象的だった。」(女性・社会人・東京都から参加)

今日引っ越しの方がおり、その方が『そこは我が家だからね』とおっしゃっているのを聞いて、改めて仮設住宅は我が家にはならないんだと感じた。」(女性・社会人・東京都から参加)

足湯の目的の一つは、住民の方がリラックスできる空間を提供することです。ボランティアの皆さんの働きにより、住民の方がお話ししやすい雰囲気ができ、会場に笑い声が溢れることもあります。これからも、心身ともに“ホッと”する時間をお届けしていきたいと思います。

足湯ボランティアはこれまでにボランティアの経験がない方でも、オリエンテーションを受けるだけで老若男女を問わず参加できます。ADRA Japanは引き続き足湯ボランティアの派遣を行なう予定です。メルマガやブログなどでボランティア募集のお知らせをいたしますので、お気軽にお申込みください。


(執筆:東日本事業担当 三原千佳

足湯ボランティアの募集案内も掲載しているADRA Japanのメルマガにぜひご登録ください。
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Posted by ADRA Japan at 14:03 | 東日本大震災 | この記事のURL
(2/16) 東日本大震災 被災者・復興支援-136 双葉翔陽高校 東京研修〜思い出を形に〜 [2015年02月16日(Mon)]
昨年の10月23日、福島県立双葉翔陽高校の3年生が東京にあるHasselblad Japan(ハッセルブラッド・ジャパン)様を訪問しました。

双葉翔陽高校は福島県双葉郡大熊町にあった県立高校ですが、原発事故の影響で現在は県内のいわき市に避難し、いわき明星大学の校舎の一部を借りて学校を運営しています。ADRA Japanは2012年から同校の生徒たちに対する支援活動を行なってきました。

Hasselblad Japanはスウェーデン生まれの世界的なカメラメーカーです。今回、同社を訪問した3年生の生徒たちは卒業に向けた動画の作成に取り組んでおり、効果的な写真の撮り方や見せ方についての研修を受けました。

生徒たちはこの日に備え、各自が3つのテーマに沿った写真を撮影し、それを持参しました。写真のテーマは、1)身近な人物、2)日常の風景、3)上手に撮影できなかった写真です。午前中、生徒たちは自分たちの写真に対してプロのカメラマンからアドバイスをいただきました。


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研修を受ける生徒たち


「カメラをしっかり構えてぶれないように」
「自分が動いて被写体をいろいろな角度から観察する」
「1枚撮って終わりではなく、次にもっと良く撮るためにはどうすれば良いかを考えてたくさん撮る」
など、撮影した写真について直接アドバイスをしていただけることもあり、生徒たちは真剣な表情で聞き入っていました。中には、プロカメラマンから「こんな素敵な写真、私がみんなくらいの年齢の時には撮れなかったよ」と褒められる生徒もおり、恥ずかしそうにしながらもその顔は少し誇らしげでした。


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自分たちが撮影した写真へのアドバイスを真剣に聞く生徒たち


午後はさらに2つの研修を行ないました。

前半の研修では、生徒たちがプロの方の使うカメラでお互いの写真を撮りました。携帯電話で写真を撮ることが多い生徒たちに、カメラを使って写真を撮ることの楽しさを体験してもらうという狙いがあったようです。

初めは本格的なカメラを使うことに少し戸惑った様子でしたが、コツをつかむと積極的に撮影し始める生徒たち。スタジオにはたくさんのシャッター音と笑い声が響いていました。

また、撮られる時も生徒たちは少し戸惑った様子で、初めは「表情が固いよ、もっと笑って、笑って!」とプロカメラマンの方に言われていました。しかし、回数を重ねて徐々に慣れていくと、おどけたり、変な顔をしたり、ポーズをとったりして楽しんでいました。

撮影した写真はすぐにパソコンに取り込まれるようになっており、パソコン画面には自然な笑顔の生徒たちが映っていました。生徒たちは、学校の休み時間や放課後にはこのようにしてクラスメートとの時間を過ごしているのだろうな、と思わされるような、とても微笑ましい光景でした。


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Hasselbladのカメラを使って撮影実習


後半の研修では、被写体をどこに置くと人の目をひく写真を撮ることができるのかを学びました。事前に生徒たちが撮影した写真を使い、Hasselbladのスタッフの方がグリッド線を使う方法や三角形を作るように意識して撮る方法、色の組み合わせに気をつけて撮る方法などを教えてくださいました。
グリッド線とはカメラの画面を9分割した時に縦横に走る線のことで、この線が交わる点に被写体を置いて撮影します。この線は携帯電話のカメラでも設定できるので、早速自分の携帯電話にグリッド線が出るように設定している生徒もいました。


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事前に撮影した写真を見ながら、どのような写真が人の目を引くのかを考える生徒たち


研修後、生徒たちは学校に戻り、卒業に向けた動画制作に取り組みます。今回学んだことを生かし、たくさんの思い出がつまった動画が完成することを願っています。そして、この春、それぞれの進路へと進んでいく生徒たちが高校時代を振り返った時、この研修が彼らの青春の1ページとして刻まれていたら幸いです。


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Hasselblad Japanのギャラリーの前で


この度の研修に際し、Hasselblad Japanスタッフの方々をはじめ、フォトグラファーの吉岡英太郎様、イスラエル大使館様、一般社団法人 日本イスラエイド・サポート・プログラム様にご協力をいただきました。

皆様のお支えをいただき、福島の将来を担う若者たちをこれからもサポートしていきたいと思います。

(執筆:東日本事業担当 松川 聡


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Posted by ADRA Japan at 12:23 | 東日本大震災 | この記事のURL
(2/6) 東日本大震災 被災者・復興支援-135 福島県立小野高等学校の放送部を応援しています。 [2015年02月06日(Fri)]
ADRA Japanは福島県の若者への支援活動を行なっています。今回は、その活動のひとつである福島県立小野高等学校の放送部への支援をご紹介します。

同校放送部は校内放送のほか、動画の企画から編集までをすべて生徒たちで手がけており、さまざまなCM作品を各種コンテストに出品、6年連続で入賞という輝かしい実績を残しています。一昨年までは10人弱で活動をしていましたが、近年の活躍ぶりが周辺の中学校などに広く知られるようになり、新入生の入部希望者が増え、現在では同校の部活動の中では最も多い31人の大所帯となっています。

ところが、部が保有するカメラとパソコンは1台ずつで、圧倒的な機材不足です。しかもこのパソコン、動画の編集中にフリーズしたりデータが消えてしまったりするため、作業がなかなかはかどりません。校内の情報処理室にもパソコンはありますが、こちらはファイルの保存機能がなく、部活動には使えません。

生徒会や部活動の後援会には予算の制約があるため、高額な機材は購入できず、将来的にも購入できる見込みはありませんでした。

動画の取り込みや編集方法を先輩から後輩に教えることはおろか、作品を作るということ自体ができず、部の活動を行なうのに充分な機材を揃えることが部活動の存続と発展のためには必須条件となっていました。

ADRA Japanは、同放送部の顧問の先生と部員たちからこうした状況について話を聞き、彼らからの強い要請を受けました。そして、熱意ある放送部の意欲的な取り組みを支援するため、デスクトップパソコンやノートパソコン、ビデオカメラなど、動画の撮影や編集に欠かせない機材を支援しました。


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放送部の部員から現状を聞くADRA Japanスタッフ


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新しい機材を手にVサイン


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同放送部では地元TV局主催の「ふるさとCM大賞」などの各種コンテストへの出品や、町の名物・史跡を紹介する映像制作など、地域の活性化にもつながるような活動を実施したいと考えているそうです。部員のモチベーションの向上や部活動の活性化だけでなく、地元の人たちも元気にしたい、という彼らの活動を、ADRA Japanは応援しています。

今回の機材提供を受けた放送部の皆さんからのコメントをここでご紹介します。

「ご支援をいただいいたおかげで、放送部の活動はより活発となりました。活躍できるよう頑張っていきたいです。ありがとうございました!」
(3年生)

「おかげ様で小さかった放送部の活動の幅を広げることができました。心から感謝しております。」(3年生)

「僕らの願いを叶えてくださって、本当にありがとうございます。寄贈いただいた機材は、今後の活動にフル活用させていただき、よりよいCM作成に取り組んでいきます。」(2年生)

「大切に使わせていただきます。ご支援ありがとうございました。」(2年生)

「めっちゃ面白いCM作ります!!」(1年生)

「小野町に限らず、自分たちの住んでいる地域のおすすめ観光映像を1人1作品制作しております。地元の元気は福島の元気!!PR活動がんばります。」(部活動顧問)

その後、コンテストでの入賞をめざして精力的に作品製作に取り組んでいた放送部の生徒たちから嬉しい報告が届きました。福島県が主催した「笑顔をつなげよう動画コンテスト」で最優秀賞を受賞したそうです。

▼「笑顔をつなげよう動画コンテスト」(平成26年度)最優秀賞を受賞した作品はコチラから
【最優秀賞】小野高校 吹奏楽部からの笑顔
彼らのこれからの活躍も楽しみです。

(執筆:ライティングボランティア 小野寺るみこ)

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Posted by ADRA Japan at 18:10 | 東日本大震災 | この記事のURL
(1/26) 東日本大震災 被災者・復興支援-134 スカイプ交流プログラム実施〜伝えることは難しくて、楽しい〜 [2015年01月26日(Mon)]
10月21日、福島県立湯本高校の3年生が英語の授業の時間を活用し、カンザス州立大学の学生とスカイプ(音声通話、テレビ電話、文字によるチャットが無料でできるインターネット電話サービス)を通じた国際交流を始めました。ADRA Japanは両校の教員と打ち合わせを重ね、交流が円滑に進行するようにサポートしています。




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ADRAは2012年から、福島県立富岡高校の生徒と米カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)の大学院生との間で行なわれているスカイプ交流のサポートを行なっていますが、この交流活動を湯本高校でも行なうことになったのです(富岡高校の活動の様子はこちらをご覧ください)。


湯本高校は福島県いわき市にあります。校舎は2011年の東日本大震災で大きな被害を受けました。震災後3年間、生徒たちはプレハブの仮設校舎で学び、2014年春から改築・改修された校舎に戻りました。生徒の中には、原発事故の影響により避難区域に指定されている地域が「ふるさと」になる生徒もいます。


交流相手であるカンザス州立大学はアメリカのカンザス州マンハッタンにある総合大学です。このスカイプ交流に参加している学生は各自の専攻とは別に日本語を学んでおり、中には2年近く日本語を勉強している人もいます。


スカイプ交流に参加している湯本高校の生徒は英語科の3年生16人、カンザス州立大の学生は2、3年生15人です。50分の授業のうち、前半25分を英語、後半25分は日本語で会話をします。


1回目の交流となるこの日はお互いの自己紹介を行ないました。

湯本高校生たちは各自が準備した原稿を読みながら、名前、年齢、好きなものなどを英語で紹介していきます。初めての試みにとても緊張している様子で、自己紹介後の質疑応答では大学生からの質問に「Yes」、「No」で答えることが精一杯だったり、担当の先生に助けを求める目配せをしたりしていました。

そんな生徒たちの緊張が伝わったのか、大学生はわかりやすい質問を英語で投げかけてくれたり、答えが出るまで忍耐強く待ってくれたりして、会話をリードしてくれました。


そんな中、特に盛り上がった話題は「私の好きなもの」でした。


日本のアニメや漫画をきっかけに日本語を勉強し始めた大学生が多いので、自己紹介の中で「○○という漫画が好きです」という湯本高校生がいると、アメリカ側からの質問も活発になりました。自己紹介が盛り上がると手応えを感じたようで、高校生たちも嬉しそうな様子でした。また、外国の歌手が好きな湯本高校生も多く、その点においてもカンザス州立大生は高校生たちの話に関心を持ってくれたようでした。




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カンザス州立大生にむけて自己紹介をする生徒たち


続いて、カンザス州立大生が自己紹介をしました。

日本に来たことがある学生や日本料理が好きな学生もおり、湯本高校生たちも親近感を持った様子でした。また、大学生の出身は中国やサウジアラビアなど様々で、生徒たちはアメリカ以外の文化にも触れることができました。


翌週の10月28日には2回目の交流を行ないました。

この日のテーマは「文化」でした。ハロウィンが近いので、カンザス州立大生はお姫様や日本のアニメキャラクターの仮装をしてハロウィンの紹介をしました。

近年、日本でもハロウィンはイベントとして定着しつつあります。多くの人が仮装をして街をねり歩いたり、パーティを開いたりして楽しんでいたニュースが流れたことをまだ記憶されている方もいらっしゃるかと思います。

日本ではハロウィンの日は「仮装をする」というイメージが強いですが、ハロウィンの起源や子どもが近くの家々を訪れてお菓子をもらう風習など、日本ではまだあまり馴染みがないハロウィンの側面について知る機会となりました。

自国の民間行事を紹介するとはいえ、外国語である日本語で紹介することは難しいですが、大学生は漫才や劇など様々な方法を交えて紹介してくれました。

アメリカの大学生による工夫を凝らしたハロウィン紹介を見ている中で、文化や英語を勉強するためだけでなく、様々な表現方法を知ることが、高校生たちにとってより有意義な交流になるのではないかと感じました。


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カンザス州立大生の発表を聞く生徒たち


一方の湯本高校生たちは、赤べこなどの地元の文化と自分たちが着ている制服について英語で紹介をしました。

赤べこは福島県会津地方の郷土玩具で、「べこ」は「牛」を意味します。やはりアメリカの学生には珍しいようで、「何で作られているの?」「何に使うの?」など、やや難しい質問も出てきましたが、生徒たちは一生懸命に英語で答えていました。

この文化交流プログラムは今後も継続していきます。その目的は、生徒たちが英語で話す機会を増やし、彼らの視野を世界に広げることです。そして、英語を学ぶだけではなく、福島県の現状や彼ら自身のメッセージを海外の方々に伝える機会にすることです。

使い慣れていない英語での会話は緊張するものかと思いますが、1回1回の交流が有意義なものになるよう、引き続きサポートしていきたいと思います。

(執筆:東日本事業担当 松川聡)
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Posted by ADRA Japan at 17:53 | 東日本大震災 | この記事のURL
(12/27) 東日本大震災 被災者・復興支援-133 〜いいたてスポーツ・英語交流会〜 [2014年12月27日(Sat)]
8月2日と3日、米国カリフォルニア州にある日本語補習校である三育東西学園の先生が、米国在住の中高生などのグループを携え、福島県を訪問しました。グループの訪問目的は、アメリカに住む若者が福島県内の若者と交流することで同県の現状を知り、県が抱える課題を自分たちのこととして考えるきっかけとすることです。交流の企画と準備は、飯舘村のいいたてスポーツクラブの方々が6月からADRAと一緒に取り組んでくださり、サッカーと英会話を通じた交流を行なうことができました。

1日目は飯舘中学校仮校舎のグラウンドをお借りし、サッカー交流会を行ないました。元プロサッカー選手の阿部博一さんを交え、いいたてスポーツクラブのフットサルチームと飯舘中学校サッカー部から年齢を問わず30名ほどの方が参加し、米国のグループも混じって一緒にサッカーをしました。


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阿部さん(中央)による挨拶


飯舘村はスポーツが盛んな村で、村内にはフルマラソンコースがあるほどです。しかし、東日本大震災後は福島第一原子力発電所事故の影響により全村避難を余儀なくされ、村民の方々は今もなお各地に避難しておられます。避難先ではスポーツを楽しめる場所が少なく、各地から集まるにも距離や交通手段などの課題があり、以前のようなスポーツを通じた村民同士の交流の機会は減っています。


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まずは子どもと大人が一緒になりウォーミングアップ


この日は炎天下にも関わらず、参加者みんなでサッカーをできる喜びをかみしめている様子で、3時間ほどグラウンドで練習や試合を行ないました。小学校1年生の子どもから60歳代の大人までが楽しみながら、怪我もなくサッカーをすることができました。

試合後は阿部さんに質問をする機会を設けました。参加者の方々は、普段なかなか会えない元プロサッカー選手を目の前にし、緊張しながらもサッカーの技術についての質問をしていました。


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暑い中、みんなでサッカー!


サッカー交流会の日はちょうど福島市内でわらじ祭りが行なわれており、交流後は、いいたてスポーツクラブの方にお祭りを案内していただきました。わらじ祭りは東北六魂祭の一つということもあり、多くの人々が訪れていました。米国からのグループも日本のお祭りを目にして盛り上がっていました。

2日目の午前中は福島市市民活動サポートセンターの会議室で、米国からのグループと、前日にサッカー交流をした小学生〜高校生までを中心に英語での交流会を行ないました。


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米国在住の高校生が英語での自己紹介を指導


交流会は、自己紹介の練習をしたり、英語の歌を歌ったり、アメリカ生活の様子を写真で見たりするなど、盛りだくさんの内容でした。

休憩中にはみんなでアメリカのお菓子を食べましたが、子どもたちは日本では馴染みのないアメリカのお菓子の味に興味津々でした。

交流会の最後には、アメリカで大旋風を巻き起こし、日本のテレビでも紹介された「カップス」(プラスチックカップを鳴らしながら歌を歌う遊び)に挑戦しました。飯舘村の子どもたちは、最初は戸惑いながらも、米国在住の中高生の指導を受けてできるようになると、笑顔で何度も遊んでいました。


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みんなで「カップス」に挑戦


この英語交流の後、米国からのグループは飯舘村の一部の方々が避難している松川第一仮設住宅を訪問しました。彼らは仮設住宅を訪問したことはなく、住民の方とお話をするのもお部屋を見学するのも初めてでした。

お会いした方の中には、以前は3世代同居だったが震災後はご家族と離れ、仮設住宅でおひとりもしくはご夫婦だけで暮らしておられる方が少なくありませんでした。「仮設住宅に住んでいる人たちと集まっておしゃべりするのは楽しいけれども、やっぱり部屋に戻ってひとりになるとさみしい」という言葉を聞き、グループのメンバーは村民の方々の置かれている現実を重く受け止めていました。


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松川第一仮設住宅の方々と一緒に


2日間に渡って行われたサッカーと英語の交流を通し、いいたてスポーツクラブと飯舘中学校サッカー部、そして米国からのグループの皆さんは、それぞれに新たな学びをし、楽しみながら活動に取り組むことができたのではないかと思います。

米国のグループからは後日、次のような感想が送られてきました。
「飯舘村からの参加者のみなさんは、たくさんの困難に直面しているにも関わらず、笑顔でした。福島県はとても美しく、飯舘村の人々は、とても前向きで、困難に負けない力を持っています。」
「アメリカにいるときも、ある程度の津波や原発問題についての情報は聞いていましたが、飯舘村へ行ったことで避難した人達や、自分と同じぐらいまたは小さい子供達が、どのような現状に置かれているのかを知りました。仮設住宅に住んでいる人達が早く住んでいた場所に戻れるように何か出来ることがないかと考えています。飯舘村の人たちとの出会いを大切に、これからもずっと交流を続けていきたいと思います。」
「福島の皆さんが明るく迎えてくれたので、とても楽しい時間が過ごせました。飯舘村の人たちに会って、震災にあった人の気持ちが少しわかるようになりました。何人かと連絡先を交換してアメリカに帰ってきた今でも交流が続いています。」

また、2日目の交流会に親子で参加した飯舘村民の方からは「『カップス』のリズムをマスターしました。子どもたちも、この出会いを嬉しく思っています」というメッセージをいただきました。

今回の交流をきっかけに、今後もいいたてスポーツクラブとADRA Japanが協力し、飯舘村の子どもたちを対象としたスポーツや文化を通じた交流活動を行なっていくことになりました。各地に避難している子どもたちが、心身ともに強く大きく育っていくための一助となることを願っています。

(執筆:ボランティア 松田悠介)

この活動は、2014年8月5日の福島民報でも紹介されました。
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Posted by ADRA Japan at 09:00 | 東日本大震災 | この記事のURL
(12/3) 東日本大震災 被災者・復興支援-132「サマースクールin小浜(後編)」 [2014年12月03日(Wed)]
今回は、サマースクールの後編です(前編はコチラをご覧ください)。後半の3日目と4日目についてご報告します。

3日目、午前中学習をした後、お昼は小浜中学校卒業生であり、現在も学校の近くにお住いの渡辺さんが参加者のために流しそうめんを企画してくださいました。小浜中学校の生徒(以下、浜中生)も大学生も流しそうめんをしたことのある人は少なく、「流しそうめん」という言葉を聞いただけでみんな大盛り上がりでした。渡辺さんが朝早くに切ってきてくださった竹を午前中に大学生が交代で削り、竹を支える台などもすべて自分たちで作りました。


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(竹を切り、流しそうめんの準備をする大学生と渡辺さん(右))


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(暑い中、流しそうめんは大人気でした)


午後は、サッカーやドッジボールなどのレクリエーションを通しての交流を行ないました。学習の時間は真剣な顔つきで勉強に取り組んでいた浜中生たちも、この時は笑顔でのびのびと運動していました。


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(レクリエーションの時間にみんなで円陣を組む)


レクリエーションの後は浜中生と大学生、さらに地元の方々も交えてバーベキューとスイカ割りをし、花火も楽しみました。地元の方々からのバーベキュー用のお肉やスイカの差し入れ、準備や調理のお手伝いなどの支えもいただき、みんなで最後の夜を楽しく過ごすことができました。浜中生からは「夏休みの最高の思い出になった」という声も聞かれました。


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(みんな大声を出してのスイカ割り)


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(自分たちで割ったスイカを持ち、みんな笑顔)


最終日である4日目は午前中の学習の後、お別れ会をし、全員でサマースクールの感想を共有しました。「少しだけ勉強が好きになった」、「苦手科目を克服できた」という生徒もおり、最後に大学生から浜中生へ寄せ書き付きの修了証書が贈呈されると、涙を流す生徒もいました。

4日間で、小浜の中学生と地元の方々、そして大学生とが絆によって結ばれました。中学生対象のサマースクールでありながら、学習を指導する立場であった大学生も小浜で過ごすことで様々な新しい学びや刺激を受けることができたのではないかと思います。

今後も学校と地元の方々と協力しながら、参加者全員にとって楽しく、お互いに学びのある場を提供していきたいと思っています。


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(お別れ会の後に集合写真)


最後に生徒と大学生からの感想を一部ご紹介します。

<浜中生>
「一番うれしかった事は、大学生のみなさんが、僕らにどうやって教えれば分かりやすいかを一生懸命考えていた事です。」

「自分が苦手なところが見つかり、そして、その苦手なところをどうしていけばいいかの学習方法が分かりました。」

「勉強は、先生におこられるからやる、親に言われるからやる、とかではなく、きちんと『目的』を持って勉強をしなくては頭に残らないということと、すべてにおいて、視点を少し変えてみると、今まで気付かなかったその物の良いところが見えてくることに気付かされました。」

<大学生>
「私も自分の地元について考え直すきっかけになった。私は地元のことをちゃんとわかっているだろうか、地元の良さとは何なのだろう・・・もう少し、地元に向き合う必要があると思った。」

「生徒たちや地元の方々の前進しようとする力、キラキラした目の輝きが今年も私にパワーをくれた。私も、今やるべきことを明確にして、目指すべき姿に向かって努力していきたいと思った。」

(執筆:ボランティア 松田悠介)
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Posted by ADRA Japan at 14:43 | 東日本大震災 | この記事のURL
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