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(5/17)【スタッフのつぶやき】エチオピアで一連の紛争に巻き込まれ、感じたこと [2016年05月17日(Tue)]
エチオピア・ガンベラ州の難民キャンプにて南スーダン難民の支援活動を行なっている齊藤です。

2014年9月に初めてエチオピア・ガンベラ州に来て以来、事業地の治安は、比較的安定していましたが、2016年4月に生まれて初めて「生死を分かつ経験」をしたので、そのことについて少し書きたいと思います。

事件の発端となったのは、2016年4月21日の木曜日でした。

ガンベラ州には、5万人規模の難民が住むキャンプが4つあります。その中の一つのキャンプであり、ADRA Japanが昨年まで活動を行っていたJewi(ジュイ)難民キャンプで、ある支援団体のバスを運転していたエチオピア人のアバシャ(※アバシャ=肌の色が薄いエチオピアの民族)が交通事故を起こしました。その事故で難民の子ども、2人が亡くなりました。

この事故に対して、南スーダンから逃れてきた難民側の民族(ヌエル族)が激昂し、ジュイ難民キャンプ内で活動していた他の支援団体や 国連関係者を襲いました。その事件の影響はジュイ難民キャンプ内の争いに波及し、支援団体の契約している熟練工(アバシャ)が複数人殺傷されました。

ヌエル族は、子どもを事故で失った同じヌエル族の仲間の為にリベンジを行なった形になりました。

しかしながら、エチオピアの民族であるアバシャ側からはこのリベンジに対して、なぜ南スーダンから逃れている難民のヌエル族に対して土地を提供し支援をしているエチオピア人が復讐されなければいけないのか?といった不満と怒りが増大し、「アバシャ」 と 「ヌエル族」の間の戦闘が瞬く間にガンベラの町全体に広がりました。

この影響は、我々、南スーダン難民の支援活動を行なっているNGOや国連などの支援団体にもありました。難民支援をしているということから、ヌエル族の味方と一方的にみなされ我々支援団体も標的となってしまいました。

4月23日に国連の事務所や他の国際NGOの事務所がアバシャからの投石等の襲撃にあう、という形で事件が激化しました。国際NGOの職員として、外国人も標的になっていたこともあり、首都のアディスアベバに緊急退避を決め、その時点で予約可能な最速のフライトで、翌日24日ガンベラからアディスアベバに退避することに決めました。

4月23日の夕方、町中で銃声が聞こえ始め、今回は標的であったために、不安を抱えながら、23日の夜を過ごしました。

4月24日、町では朝からアバシャのデモ隊が町を闊歩しており、我々NGO職員は外に一歩も出ない様にひっそりとオフィスに隠れていました。午前10時頃、遠くの方で微かな音ではありましたが、複数の銃声が聞こえました。さらにその数十分後にADRAの事務所のすぐ横の道で「バン!バン!」ととても大きな音が鳴り響きました。その音は、私の座っていたところから壁を隔てて3メートルほどしか離れていない場所から聞こえました。

とっさに、自分の部屋に逃げ帰り、カギを閉め机の下に隠れ、身を潜めました。

前日に我々の事務所の目の前の国連機関の事務所が襲撃を受け、ドアが壊され、デモ隊に襲撃されていたこともあり、我々の事務所にもデモ隊が侵入してくる可能性が十二分にありました。また、事務所の横の道ということもあり、銃撃戦となった場合、流れ弾に当たる可能性が高かったこともあり、手と足の震えが止まりませんでした。

これは「死ぬかもしれない」と本気で思いました。

「どうせ人間はいつか必ず死ぬものである」と言う人がいますが、
28年間の人生でここまでリアルに「死」を意識したことはありませんでした。

銃声が複数回鳴り響いている間、頭の中を、
今までの短い人生のことが走馬灯のように駆け巡りました。

「自分の人生を本気で生きてこられたのか」
「後悔することは無かったか」
「自分は誠実に生きられたのか」
「自分の人生を全うできたのか」・・・

また、今まで傷つけてしまった人々の顔や記憶が一気に浮かんできました。

そして、銃撃戦に対して何もできない虚無感、過去への後悔−周りの人へ温かく接することができなかった記憶、素直になれなかったこと、親孝行等やり残したことへの心残りなど、色々なものが死への恐怖とともに、頭の中をよぎりました。

「あぁ、これではまだ死ねない。」
と、恐怖で手足がガタガタ震える中、必死で生きたいと思いました。

幸いなことに銃声は数分で止み、その後自分の部屋から出て、スタッフの安否を確認しました。

事務所で死傷者が出ていないことに安堵し、全身の力が一気に抜けてしまい、暫くの間、耳の中であの暴力的な銃声が何度もこだまするのと同時に、死を恐れ、震えていたときに感じた「感覚」が戻ってきました。

「人は必ず死ぬ」

当たり前のことですが、事故であれ、紛争であれ、老衰であれ、なんであれ、必ずその時は訪れます。

そして、死の直前に自分の人生が自分のヒストリーとして、一気に思い出されます。

「他者への接し方はどうだったか」
「誠実に相手に接しられたか」
「何かの選択を躊躇して後悔はしていないか」
「やり残したことはなかったか」

私は正直、様々な「後悔」の念に駆られました。
できていなかったことがこんなにも多かったのかと自分でも驚くほどでした。

その後、アディスアベバに無事に退避しましたが、それから2日程は、紛争へのショックにより心にぽっかりと穴があいたような空虚感と自分の後悔がこんなに多かったことへの驚きで茫然としていました。

しかし、いつまでも立ち止まっていることはできません。この事件は自分にとって、今後の人生を後悔させないため、誰かが与えてくれた特別な「きっかけ」であり、乗り越えなければいけない壁であると前向きにとらえ、自分の中で消化していかなければなりません。

「他人と過去は、変えられないが、自分と未来は変え放題」と昔、本で読んだことがあります。

この言葉が改めて自分の胸にストンと落ちるような感覚がありました。

この一連の事件で犠牲となった方々への想いを胸に、また今日から一日ずつ、未来に訪れる人生が終わる日に「後悔しないよう」に過ごしていきたいと思います。

このように今日まで生きてこられたことに感謝して、今日からまた微力ではありますが活動を続けていきたいと思います。これからもどうぞよろしくお願い致します。

南スーダン難民支援活動詳細はコチラ



(執筆:南スーダン担当 齊藤吉洋

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Posted by ADRA Japan at 10:50 | スタッフのつぶやき | この記事のURL
(3/30)【スタッフのつぶやき】世界報道写真展で見つけたケニアの女性の写真 [2016年03月30日(Wed)]
事業部の松川です。

みなさんには毎年行なっている恒例行事がありますか?

私は夏になると、「世界報道写真展」に行きます。毎年「世界報道写真コンテスト」というものが開かれており、その中で受賞した作品を展示しているのが「世界報道写真展」です。シリア危機や東日本大震災のような世界的にも注目されている出来事をとらえた写真が展示されているだけでなく、その地域特有であまり知られてはいないけれど、同じ時代を生きる人々の光と影が垣間見えるような写真展です。5年前から毎年足を運んでいます。

3年前、世界報道写真展で展示されていた写真でとても印象に残っているものがあります。その写真がこちらです。


CI1.jpg
撮影者:ミカ・アルバート (アメリカ)
出典:WORLD PRESS PHOTO
http://www.worldpressphoto.org/collection/photo/2013/contemporary-issues/micah-albert


100万人が暮らすケニアのスラムの中で撮影された1枚です。ごみ山の上に女性が座っていて、少し微笑みながら本に見入っています。彼女は工場部品のカタログでさえも見るのを楽しみにしています。

現在、私は教育支援事業に携わっています。教育は目に見えず、成果が出るまで時間がかかりますが、この写真の女性のように本を読むことを求め、喜びを感じる人がいる限り、彼女のような生活を強いられている人々が将来の選択肢を広げることができるように、教育支援を続ける意義はあるのではないか、と思います。

世界報道写真展で展示されている写真はメッセージ性が強く、その表現はとても直接的です。思わず目を背けたくなるような写真も展示されており、決して楽しい気分になれる写真展ではありません。ただ、知らないままにしてはいけない事実がそこにあるような気がして、毎年見に行っています。

今年の開催に関するお知らせはまだ公表されていませんが、以下のリンクから去年の開催概要を知ることができます。
http://www.asahi.com/event/wpph/
今年も開催されるようであれば是非足を運んでいただき、みなさんも心にぐっとくる1枚を見つけてください。

(執筆:事業部 松川 聡

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Posted by ADRA Japan at 17:43 | スタッフのつぶやき | この記事のURL
(11/6) 池袋防災館に行ってきました。 [2015年11月06日(Fri)]
管理部の渡辺です。

ADRAスタッフの防災訓練も兼ねて、数年ぶりに池袋防災館に行ってきました。
http://www.tfd.metro.tokyo.jp/hp-ikbskan/

防災館では様々な訓練を体験することができます。今回ADRAスタッフが体験したのは、救急・消火器・煙・地震です。

救急コーナーでは、倒れている人に対して、意識の確認、呼吸の確認、心肺蘇生、AEDの使い方、周りの人への協力の呼びかけ(心肺蘇生の交代方法)を学びました。
http://www.tfd.metro.tokyo.jp/lfe/kyuu-adv/life01-2.html

どんどん情報が更新されていくため、昔の記憶と違う所もあります。
上記のリンクにも書いてありますが、気道確保をせずできるだけ早く胸骨圧迫をしたり、人工呼吸がためらわれる場合にはやらなくても良かったり、胸骨圧迫の位置は「胸の真ん中」と簡単になっていたり。
忘れていることもあったので、何度も繰り返して経験することはとても大事だと思いました。


2015.10.14_救急05.jpg


消火器コーナーでは、消火器の使い方、大きい声で助けを呼ぶこと、自分で消せる火の大きさの目安などを学びました。

こちらは昔と大きくは変わらないので、スムーズに訓練が進みました。次回はビル内での出火を想定し、消火栓を体験したいと思っています。


2015.10.14_消火器03.jpg


煙コーナーでは、煙の特性を学んだあと、煙の充満した部屋を歩いてみます。背を低くして歩くのですが、ちょっと油断をすると警告音とともに注意されてしまいます。思った以上にかがまなければならないので、本当の火事の時にこのスピードで歩くことに我慢できるのか少し不安になりました。
「お(さない)・か(けない)・し(ゃべらない)」は、頭で分かっていても実際は守るのが難しいようです。もし地下鉄やデパートなど人ごみで火災にあったら、どれぐらいの人が冷静に避難できるのでしょうか。パニックを起こす人、我先に逃げたいと思う人、情報が欲しくて話し続ける人…そんな光景が容易に想像できます。
自分はどうするべきなのか、改めて振り返る機会になりました。

最後の地震コーナーはリニューアルされており、初めて東日本大震災の揺れを体験しました。
最初に大きく揺れた後に、少し揺れがおさまったかと思うと、また大きな揺れが来ます。係員の方が「また揺れますよー。しっかり机の脚を持っていてくださいね。」「もう少しで終わります」と声をかけてくれるので、なんとなく先が見越せます。そのような状況でも「こんなに揺れるのか」「長い…」と感じたので、実際にあの揺れを体験した皆さんは、どんなに怖かっただろうかと思いました。
ましてや、揺れると分かっていて、揺れた途端に机の下に隠れられる訓練と、いつ、どれぐらい揺れるか分からない状態で地震に遭うことの比較はなかなかできないな、と思いました。


2015.10.14_地震06.jpg


私自身、東日本大震災の時、大きな揺れにびっくりして机の下に隠れたのですが、机の上のお茶がこぼれるのが嫌だなーと手を伸ばしてカップを取り、床に置くということをやってしまいました。
とにかく「まずは身の安全」を確保する事。いろいろと気にするのは後でいいと平時から自分に言い聞かせなくてはダメなようです。

災害が頻発しているこの時代、「その時」の自分の行動が、恥ずかしくないものでありたいと改めて思いました。
具体的にイメージする事、可能性を考えておくこと、平時にできることを後回しにせずにやること、と改めて考える機会を得た防災館体験となりました。

防災館は日本各地にあり、場所によって学べる内容も異なるようです。
是非、みなさんも行ってみてはいかがでしょうか。

(執筆:管理部 渡辺千里

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Posted by ADRA Japan at 17:00 | スタッフのつぶやき | この記事のURL
(9/4)【スタッフのつぶやき】18歳選挙への法改正。世界ではどうなの? [2015年09月04日(Fri)]
ボランティアの竹内です。

先月、日本の国会で、国政選挙などで投票できる権利(選挙権)が得られる年齢を18歳以上に引き下げる改正公職選挙法が可決・成立しました。

さて、この選挙権の年齢ですが世界の国々ではどうなっているのでしょうか?
日本国の総務省のホームページを見ると、18歳から選挙権が得られる国は多いようです。

過去のADRAのブログを読んでみると、選挙に関する記事もいくつかあり、それぞれの国の状況・習慣を踏まえた選挙活動、投票が行なわれていることがわかります。

たとえば、ADRA Japanが2006年より活動していたスーダンで2010年4月に行なわれた選挙。この選挙は、南北スーダンの間で2005年に結ばれた包括和平合意(CPA)に従って開催された、実に24年ぶりの複数政党制による総選挙でした。

投票するためには、選挙登録をする必要がありました。選挙権を有する18歳以上のスーダン人が選挙登録をするためには身分証明書が必要なのですが、20年以上も紛争が続いた南部スーダンでは身分証明書を持っていない住民も多く、選挙登録場所に同席している村のチーフ(長老)が、身分証明書を持ってない人についての選挙資格の有無を判断したそうです。


voter_registration2.jpg
選挙登録の様子


また投票に際しても、識字率の低い南部スーダンの現状に配慮し、投票用紙には各候補者の名前と写真を掲載したそうです。これにより投票したい候補者の顔を覚えておきさえすれば、読み書きができない人も選挙に参加することができるわけです。

ちなみに、選挙キャンペーンはお祭り騒ぎで、候補者が地方までチャーター機(飛行機)でやってきて、数時間の演説をして帰っていく光景が繰り返されたそうです。候補者が来るたびに、住民が賑やかに踊ったり歌を歌ったりして迎え入れていたとか…。

選挙の後、2011年1月には、CPAに基づき南部独立を問う住民投票が行なわれ、2011年7月9日、南部スーダンが新しい国、南スーダンとして誕生しました。


お隣のケニアでは2013年2月に実施された総選挙に際し、ケニアの女性が体に巻いたり、敷物、風呂敷、子供を背負ったりするのに使う伝統的な布“カンガ”が選挙運動に使われたそうです。
具体的には、候補者がカンガに自分の顔写真をプリントして配布したとのこと。村人は腰に巻いたり、荷物を入れたりするためにこの布を利用したため、村ではいろいろな候補者の顔が入ったカンガをあちこちで目にすることができたそうです。現地の生活習慣を利用した心憎い選挙運動ですね。
ちなみに、ケニアの選挙権も18歳からだそうです。


B1.jpg
皆さんが腰に巻いているのがカンガです。


B2.jpg
候補者の顔写真入りのカンガ!!


ということで、国によって選挙のあり方、また運動の手法にもいろいろとあり、皆さん工夫されているようです。ネットが普及している日本でも、2013年4月にインターネットによる選挙運動が解禁されたことは記憶に新しいところです。

今回新たに選挙権を得られることになった18歳から20歳の皆様も、それぞれの候補者の主張はもちろんですが、運動にどういった手法を使っているのかを観察?!することから選挙に関心をお持ちになってみても良いかもしれません。


スーダンの選挙については下記のブログをご参照ください。
2010年04月16日 スーダン総選挙!!

2010年04月28日 スーダン便りVol.15〜スーダン24年ぶりの選挙と一時退避〜



ケニアの選挙については下記のブログをご参照ください。
2013年11月29日【スタッフのつぶやき】ケニアの抱っこ布、カンガにまつわるあれこれ


(執筆:ライティングボランティア 竹内 友規)


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Posted by ADRA Japan at 19:37 | スタッフのつぶやき | この記事のURL
(8/7)【スタッフのつぶやき】緊急時に家族と連絡を取る練習をしてみたら…。 [2015年08月07日(Fri)]
管理部の渡辺です。

ADRAでは毎月1日もしくは15日にBCP訓練が行われています。
BCPとはBusiness Continuity Planの頭文字を取ったもので、災害などが発生したときに、ADRAの業務が中断しないようにするための活動計画や指針のことです。

BCPには「家で被災したら」、「海外駐在スタッフが東京事務所と連絡が取れなくなったら」、「東京事務所が使えなくなったら」…など、いろいろ想定して、その対処法が書かれています。

その中の1つに、スタッフはスタッフの家族の安否を確認すること、という項目があります。家族の安否を確認することで、安心してADRAの業務を果たすことができるからです。

先月6月1日のBCP訓練が、緊急時における家族との連絡方法を具体的に考え、家族と話し合って、実際にやってみる、というものでした。

渡辺家で考えた連絡方法は、まずSNSの活用。
東京が壊滅しない限り、Facebook、Twitter、LINE、メールなどにとにかく情報を流せばどうにか連絡は取れるのではないかと思い、連絡方法の1つに挙げました。

東日本大震災の時はSNSが強かったですが、一気にユーザーが増えた現在では、実際の所どうなのかは分からないのが怖いところではあります。

連絡方法は複数考えましょうということだったので、次の方法は災害伝言ダイヤルにしました。同居している義理の母はSNSをやっていないので、災害伝言ダイヤル171を覚えてもらうことにしました。

毎月1日と15日は災害伝言ダイヤルを試しに使うことができます。
6月1日、まずは母1人でチャレンジしてもらおうと思い、災害伝言ダイヤルにメッセージを入れ、義母には災害伝言ダイヤル171でメッセージを聞いてみてくださいねと連絡をいれました。

仕事を終え、家に帰って、義母にできたかどうかを聞いてみた所、「171だったか184だったか分からなくなっちゃったのよ。どっちだっけって考えているうちに、忙しくなっちゃって、まだやってないのー」とのこと。

課題1:災害伝言ダイヤルの番号を覚えてもらわなくちゃいけない!


photo1.jpg
(こんなコアラのマーチを見つけました。災害伝言ダイヤル171は「いない」と覚えます。)


じゃあ、一緒にやってみましょうと、付き添いながらやってみたところ、「連絡を取りたい方の電話番号を入力してください」の所で、市外局番を入れ忘れ、入れ忘れたことに気がついたらプチパニックになり、電話を切ってしまいました。

課題2:連絡を取る電話番号を目に見える形にしておいたほうがいい!

そして、再度チャレンジ。電話の向こうから次々と言われる、「〜の場合は1を、〜の場合は2を押して下さい」「伝言が終わりましたら9#を押して下さい」などの指示がよく分からないと言いながらも、録音をすることができました。

良かったこと:録音するなら1を押すという所と、電話番号を入れる所をクリアすれば、録音はできるらしい。

そして義母が録音した内容は「無事です」の一言でした。それを横で聞いていて、もしもの時は「今どこにいるのか、これからどうするのかも一緒に録音してくださいね」とお願いしました。

課題3:何を録音するのか事前に決めておく!

実際にやってみることで、そんなに簡単ではないことが判明しました。これが本当に大地震の後だったら、171の番号も確信が持てず、どこの電話番号でメッセージを入れるのかの約束も自信が持てなくなり、大事なことを録音できずに終わってしまうかもしれません。これは、これからも繰り返すことで、義母には覚えてもらおうねと家族で話し合っています。


phoro2.jpg
(NTTで配布しています。3つ折りにするとカードサイズなので、お財布に入れておくといいかも。)


皆さんも「実際に」やってみてはいかがでしょうか。お子様と、ご家族と、遠方にいるご親戚と…。今、備えられることから取り組むことで、「その時」が来た時に、1つでも不安を減らし立ち向かえるようになるのではないでしょうか。

(執筆:管理部 渡辺千里

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Posted by ADRA Japan at 12:00 | スタッフのつぶやき | この記事のURL
(7/31)【スタッフのつぶやき】戦後70年、祖母に聞く戦争の話 [2015年07月31日(Fri)]
事業部の三原です。
すっかり夏ですね。体調を崩されていませんか?

さて、今年で戦後70年を迎えます。テレビなどのメディアでも特集が組まれており、私自身も改めて戦争について考える機会になっています。先日、実の祖母に彼女が経験した戦争の話を聞きました。今回はそのお話をしたいと思います。

祖母は昭和4年生まれ、現在85歳です。昭和14年に戦争が始まった時には小学校3年生でした。祖母の家は、茨城県沿岸部のとある町にありました。

祖母の話は小学校3年生の頃から始まりました。
祖母「戦争はね、ばーちゃんが3年生の時に始まったんだよ。空襲は昼間だけだった気がするね。学校にいる時に空襲があると、みんなで一緒に裏山へ逃げたんだよ。浜のほうの家はぜーんぶ焼かれて丸裸になっちゃった。」

祖母が子どもの頃に住んでいた家は現在の家とは違う場所にありましたが、どちらも同じ町内のため私にも馴染みのある場所です。“浜の方”という言葉で容易に場所の想像がつきましたし、私自身も子どもの頃によく海水浴に行っていたところでした。

私「ばーちゃんちは大丈夫だったの?」

祖母「ばーちゃんちは焼かれなかったの。」

私「焼かれた浜の方へは見に行ったことあった?」

祖母「ばーちゃんは1回も行かなかった。嫌だったから。」

私「戦時中は食料が不足していたと思うんだけど、ばーちゃんたちはどうしてたの?」

祖母「学校へはお弁当持って行ってたよ。ご飯と梅干と魚。」


私は日の丸弁当を想像していたので魚が入っていたことに驚きました。町が沿岸部にあったため、魚は食べることができていたそうです。また、家で農業もしていたため、お米にもあまり困らなかったそうです。

祖母「農業していない人が着物をうちに持ってきて米と交換していったりしたよ。みんな物々交換。」

その後祖母は中学校へ行き、女学校へ入学しました。女学校へ通っていた頃、日によって工場へ行かされ、機械でセメントを作るような仕事をしていたと言います。

祖母「いつだったか、ばーちゃんは工場に行かないで学校にいたんだけど、その時に空爆があって工場を直撃したんだ。友達死んじゃった。」

祖母はただ、その時の事実を短い言葉で話しました。


戦争の話を含め、昔あったことの多くを語らない祖母ですが、私はずっと聞きたいと思っていました。しかし改まって聞こうとすると身内のためか照れがでて、なかなか聞くことができませんでした。
今回、「職場のブログを書きたいから話を聞かせてくれる?」という口実を作って聞くことができ、長年心に留めてあったつかえがとれたような気がしました。(自己満足のようですみません)

世界では今なお戦争や内戦が絶えることがありません。過去に数えきれない方が亡くなり、悲しみを抱いたにも関わらず、今もなおその悲劇を繰り返しています。

子どもの頃、誰が言っていたか思い出せないのですがこんなことを聞きました。
「兄弟って不思議でしょ。とても仲が良い兄弟もいれば年を取るにつれて仲が悪くなって疎遠になったりいがみあったりする兄弟もいる。お互いのことをとても理解しているようでそうではなかったり、逆に他人には分からないことを本人同士だけが深く分かっていたりする。戦争もそういうものでしょ。」

これを聞いてハッとしたのと同時に、妙に納得したことを覚えています。近くに住んでいる民族や隣国同士での争いは絶えませんよね。

皆さんのまわりにも戦争を経験した方がいらっしゃるかと思います。戦争を経験した方の高齢化が進む中、もしまだ話を聞いたことがない方がおられるようなら、戦後70年のこの機会に聞いてみてはいかがでしょうか。新しい学びがあるかもしれません。


(執筆:東日本事業担当 三原千佳

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(5/15)【スタッフのつぶやき】今を大切に生きる [2015年05月15日(Fri)]
管理部の渡辺です。

昨年、父が膀胱がんと診断され、その後闘病生活を続けてきましたが、今年の1月11日に、眠りにつきました。

これまでに、祖父母の告別式に参列したことはありましたが、こんなに近い家族を亡くすというのは初めての経験でした。

父が治療を望まなかった時点で、この日が来ると分かっていたのに十分な準備をすることができなかった、もしくはもっとしてあげられることがあったのではないかという心残りがあります。

特に私が三女ということもあり、父の中にはいつまでも幼いというイメージがあるのか、私には弱いところは見せず、また大事な話をしてくれることもありませんでした。

今、振り返ると、父が何を思い、何を大事にして生きてきたのか、もっと話を聞きたかったと思います。

母から聞ければいいのですが、すでに認知症を患い、正しい情報を聞くことができないのも、後悔に拍車をかけている原因かもしれません。


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山登りが好きだった父と富士登山。孫も頂上まで連れて行ってくれました


くしくも11日という日が、父の月命日となりました。

父の「その時」を迎えるのに数か月の猶予があったのに、こんなにいろいろと思うところがある自分を見つめる中、4年前に「その時」が突然襲ってきた東日本大震災の事を思うと、改めて胸が締め付けられます。

あのような大災害の前では、意味がないのかもしれませんが、「エンディングノート」を購入してみました。家族のためにというよりは、自分のために…という思いがあります。


photo2.jpg


自分の考えをまとめること、情報を集約すること、今の生き方を見つめ、これからどうしていくのかを知ることができればと思っています。もし大事な事を家族に伝える機会を失ったとしても、このノートが残っていれば代弁してくれると思います。もちろんノートが残らない状況もあるので、今伝えなければならないことを伝える努力は惜しんではいけないとは思っています。

名言・格言が好きなのですが、最近出会った言葉を1つ。
「どんなに悔いても過去は変わらない。どれほど心配したところで未来もどうなるものでもない。今、現在に最善を尽くすことである」(松下幸之助氏の言葉)

11日という、多くの方が思いを馳せるその日に私も加えていただいて、限りある命をどの様に生きていくのかを、真摯に問うていきたいと思っています。

(執筆:管理部 渡辺千里

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Posted by ADRA Japan at 21:55 | スタッフのつぶやき | この記事のURL
(3/6)【スタッフのつぶやき】アラブの夜の憩い [2015年03月06日(Fri)]
事業部の杉本です。先日、ドバイへ出張しました。

これまでドバイは飛行機のトランジット(乗り換え)でしか降りたことがなかったのですが、今回はこの地で会議を行ないました。連日、朝から夜まで会議続きで、会議室の外に出たのは食事の時だけです。
ランチは簡単に済ませることが多かったのですが、夕食の後はちょっとだけ周辺を散策しました。そこで見つけたのが、フレッシュジュースの店。

地元のファーストフード店もフレッシュジュースを売っていますが、発見したのはフレッシュジュースの専門店。その名もJuice Worldです。


アラブ1.jpg
<夜も煌々と輝く店>


サウジアラビア発祥の店で、ドバイでも人気店です。
遅くまで(夜中の2時か3時ごろ)開いているということもあり、夜も店内は人でいっぱい。
ジュースの種類は言うまでもなく豊富にあり、その他にもスムージー、ミルクシェーク、カットフルーツなど、フルーツをアレンジしたメニューが150種類以上もあり、バラエティーに富んでいます。


アラブ2.jpg
<地元の人も外国人も並んでいる>


メニューの種類が多いので何を注文するか迷いに迷い、列に並んでからも時間がかってしまいます。
私もドバイ滞在中、夕食後に何度か足を運び、ちょっと変わったアボカドジュースを試してみました。アボカドをジュースにして飲んだことはなかったのですが、濃厚かつクリーミィーな(ミルク)シェークのようなものでした。他に試したジュース類もどれも美味しかったです。

 
アラブ3.jpgアラブ4.jpg
<20数ページもあるメニュー>


この店で面白いのは、フルーツを使って店内をデコレーションしているところです。


アラブ5.jpg
<パイナップル、オレンジ、リンゴ、アボカド、マンゴーなどを使ったオブジェ>


アラブ6.jpg
<写真を撮るお客さん>


注文してからジュースを用意するので、待ち時間を利用して店内のフルーツのオブジェと一緒に写真撮影する人を多々見かけます。


アラブ7.jpg


この後、これらのフルーツはどうなるのだろう。。。と気になりつつ、確認できないまま帰国してしまいました。


(執筆:事業部 杉本亜季)


ADRA Japan(アドラ・ジャパン)
は、途上国や災害被災地において開発支援や緊急支援活動を行なうNGOです。
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(1/30)【スタッフのつぶやき】違法でミステリアスな芸術家 [2015年01月30日(Fri)]
事業部の松川です。
みなさんは、写真や絵画などの芸術作品は好きですか?
「古典派」や「印象派」などと言われてしまうと私もちんぷんかんぷんですが、美術館などで写真や絵、展示を観るのは好きです。芸術の秋と題するにはやや季節外れですが、今回は、柄にもなく芸術をテーマに、私の「スタッフのつぶやき」の初陣を飾りたいと思います。

私が紹介したいのは、バンクシー(Banksy)というイギリスのアーティストです。イギリスではとても有名なアーティストで、知っている方もいるかもしれません。
知らない方のために彼の写真をお見せします、と言いたいのですが、ごめんなさい、彼の写真はありません。決して私が面倒臭がって探さなかったのではなく、彼の写真はないのです。つまり、誰もバンクシーの素顔を知らないのです。本名や生年月日なども含め、彼のプロフィールのほとんどが謎に包まれています。

こうなると、せめて彼の作品だけでも見たくなりませんか?どこの美術館で彼の作品を鑑賞することができるのでしょうか?
残念ながら、彼の作品はどこの美術館にも展示されていません。なぜなら、彼のキャンバスは街の壁だからです。

バンクシーは公共の場所にある壁にスプレーペイントやステンシルという手法を用いて子ども、動物、社会問題をテーマにした風刺画を多く描いています。昨日まで何もなかった壁に、朝起きたら絵が描かれている。ただの落書きではなく、メッセージ性のあるストリートアートの突然の出現に人々は驚くのです。

もちろん、公共の壁に絵を描くことは違法です。イギリスにおいて許可なく公共の場所に描かれた絵は、通常は消されてしまいます。ただ、彼の絵は多くの市民から愛されており、例外的に消さずに残している市もあります。それどころか、オークションにかけられ、巨額の値が付いて落札されるほどです。でも、みなさんは間違っても「じゃあ、自分も壁に絵を描いてみたら案外イケるんじゃないか」などと思わないでくださいね。

名前も姿も一切不明のミステリアスなストリートアーティストバンクシー。かつてはその正体は何一つ明らかになっていませんでしたが、2011年、バンクシーについてのドキュメンタリー映画が制作され、ついにその姿を表しました。しかし、映画の中でインタビューを受けていても、彼の声や顔は隠されたまま。姿は見せましたがその素性は謎のままでした。
この映画はアカデミー賞にノミネートされました。通常、ノミネートされれば出演者や監督はアカデミー賞の祭典に訪れますが、もちろん彼は現れず、現在もバンクシーの神秘性は健在です。

私たちは未知のものに恐怖心を抱く一方で、強く興味を持つことがあります。「女は秘密を着飾って美しくなる」などという言葉もどこかで聞いたことがありますが、ミステリアスであるということは人を惹きつける不思議な力があるようです。

バンクシーの持つその不思議な力に、世界中の多くの人が魅了されています。ここまでお話ししたように、バンクシーの最大の魅力はミステリアスであること。インターネットで調べれば彼の作品を見ることはできるのですが、彼のそのミステリアスな印象を損なわないよう、このブログでは作品を掲載しませんでした。そのため、写真もなく文章だけの無味乾燥な記事になってしまいましたが、彼の作品が気になる方は調べてみてくださいね。あなたの心を惹きつける作品がきっとあるはずです。

彼は何者で、次の作品はどこに現れるのでしょうか。それらを推測することもバンクシーというアーティストの楽しみ方の一つなのかもしれないですね。

(執筆:事業部 松川聡)

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Posted by ADRA Japan at 12:46 | スタッフのつぶやき | この記事のURL
(1/23) 【スタッフのつぶやき】モロッコ食いしん坊の旅 [2015年01月23日(Fri)]
事業部の三原です。

9月末にお休みをいただき、モロッコへ行ってきました。
モロッコはアフリカ大陸の北側、ジブラルタル海峡を渡ればそこはスペイン!という所に位置しています。


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(モロッコの位置)


モロッコに興味を持ったきっかけは、学生時代に読んだ本です。その本の著者はご自分の旅の様子を綴った本を何冊も出されていて、私はそのほとんどを読んでいます。行く先々で現地の方と仲良くなり、いつも笑いのネタで溢れている旅の様子が伝わってくるところが好きです。

中でも、その当時の私にとって身近ではなかったイスラムの世界と昔からそこに住んでいるベルベル人という方々が気になり、いつかモロッコへ行ってみたいなーと思っていました。

実際に行ってみると、モロッコはいろいろな顔を持っていました。

スーク(日本語で「市場」の意。衣類や雑貨を販売するお店を指す)や屋台が立ち並び、大道芸人が集まり朝方まで賑やかな場所もあれば、伝統と物づくりを大切にする迷宮のような古都もあります。南部にはサハラ砂漠があると思えば、冬には「雪が降り積もるスイス」とたとえられる避暑地もあります。そうそう、エアーズロックのような景色にも出会いました。電車や車での移動中、窓から見える景色がコロコロと変わり、何とも不思議な印象でした。


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(マラケシュの広場)


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(突然現れるオアシスのまわりに建つ家々)


さて、海外旅行へ行く時の楽しみと言えば、その国の料理を味わうこと!
私が今回の旅でいただいたモロッコ料理の一部をご紹介します。

まずは朝食。


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(パンには数種類のジャム、バター、チーズがついてくる)


モロッコのホテルでの朝食はパンとパンケーキが基本です。パンケーキは日本のものより固めで素朴な味。バターと蜂蜜をつけるのがモロッコ流のようで、マネをしてみましたが、はい、間違いない味でした。また、必ず搾りたての100%オレンジジュースを出してくれます。贅沢ですよね。

モロッコでは市場などにもフレッシュジュース屋さんがいて、1杯約50円で飲むことができます!物価が日本とさほど変わらないモロッコではお得ですし、それだけモロッコの人々の生活に根付いているようです。

続いてはコチラ。


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(Photo5 右上から時計回りにモロカンサラダ、ホブス(パン)、オリーブ、オムレツ)


モロッコのサラダは、角切りのトマトや玉ねぎがドレッシングで和えてあるのが一般的ですが、その他にもひよこ豆やナスのサラダなどもあり、種類は豊富です。私が食べた、この写真に写っているサラダはさっぱりとしていて私好みの味でした。オリーブは国内で栽培されているので、どこのお店に行ってもサービスで出てきました。

そして、こちらはモロッコの代表料理と言っても過言ではないでしょう。タジンです。


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(肉だんごと卵のタジン)


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(野菜のタジン)


タジンは日本でも知られるようになってきましたよね。野菜やお肉の入ったタジン鍋をじっくり火にかけるので具がとても柔らかくなり、旨味がギュっとつまって美味しいです。具の種類も、野菜だけのものやラム肉が入ったもの、プルーンやオリーブが入ったものなど、非常に豊富で飽きません。

数あるモロッコ料理の中で、私が一番好きだったのがこれです。


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(ベルベルオムレツ)


ベルベル人に伝わるオムレツです。具はトマト、玉ねぎ、卵ととてもシンプルなのですが、クミンの香りと塩味が効いていて、一緒に出てくるパンともとても良く合い、まさに絶品でした。

マラケシュでは、屋台でご飯を食べました。屋台のご飯って、なんでどこに行っても美味しいんでしょう。ケバブ屋さんやエスカルゴ屋さんなどいろいろあって、見ているだけでも楽しい!私は魚のフライ屋さんで食事をしました。


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(ナス料理やフライドポテトもある)


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(魚介類のフライミックスを注文)


また、モロッコではミントティーが欠かせません。ホテルやお店でも最初のおもてなしとしてフレッシュミントが入ったミントティーを出してくれます。甘くて疲れがとれる味です。はまります。


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(ミントティー)


おまけ。


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(アボカドジュース)


濃厚なアボカドジュースは意外にも飲みやすかったです。

食べることは人間にとって欠かせないことですよね。私は食事を囲んで楽しそうに会話をしていたり、美味しそうに食べている人を見るのが好きです。それは日本でも海外でも変わらず、人々の内側に漲るエネルギーを感じることができるからかもしれません。


あ〜。ご飯のことを考えていたらお腹が空いてきました。


(執筆:東日本事業担当 三原千佳)
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Posted by ADRA Japan at 18:38 | スタッフのつぶやき | この記事のURL
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