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ブータン国王からの贈り物 [2011年11月20日(Sun)]
asahi.com
ブータン国王夫妻の訪日がマスコミを賑わせ多くのブータンファンを獲得しているようだ。小さな国だが、中国とインドという大国に陸続きで挟まれる中で培った外交力。誠実な国民感性とあいまって愛されやすい国だなと今更ながら感心する。私が初めてブータンを訪問したのは、99年、10年以上のおつきあいとなった。実際に滞在していたのは4年間であるが、以後年に4回ほど訪問している。

当初からブータンに対する憧れをいうものは少なかった、それよりも人々の営みを見るに連れ、自分の良心がみごとに体現化されているという印象をうけた。仏教哲学に関心があったものの宗教的な印象を好まない日本人には、ブータンが国是としているGNH(国民総幸福)という標語が受け入れやすかった。また無料の国民医療システムに伝統医療を取り入れているというところに関心をもったのが当時ブータンへ移り住んだ理由だ。今の活動の原点である。

小さな国であるという事もあるが、ご縁で王室に治療で伺う事もあった。今回の報道を見ていて思い出したのだが、皇太后さまには懇意にしていただき、先代国王よりメッセージカードと銀細工のいれものもいただいた。私が持っていても物の価値が分らないと思い、義母に差し上げた。家宝として金庫の中に眠っているようである。
4代国王から頂戴した銀細工。本来噛みタバコをいれる箱である。義母へ使ってもらうよう差し上げたが「こんなもの人に見せたら中のありがたいタバコを皆にねだられてしょ収集がつかなくなる」という理由から金庫に大切に保管されている。

今回、ブータン国王が日本の国会の場で、演説を行ったと聞いた。日本がブータンから学ぶべき事を感じさせられ人も多いのではないだろうか、そしてどこか、過去の日本からの警鐘のようにも感じられるのは私だけではないはずだ。
ブータン国王から日本国民へむけた素晴らしい贈り物である。
以下、ブータンサイトで有名な山本けいこさんのHPから国会演説の翻訳を紹介する。



天皇皇后両陛下、日本国民と皆さまに深い敬意を表しますとともにこのたび日本国国会で演説する機会を賜りましたことを謹んでお受けします。
衆議院議長閣下、参議院議長閣下、内閣総理大臣閣下、国会議員の皆様、ご列席の皆様。世界史においてかくも傑出し、重要性を持つ機関である日本国国会のなかで、私は偉大なる叡智、経験および功績を持つ皆様の前に、ひとりの若者として立っております。皆様のお役に立てるようなことを私の口から多くを申しあげられるとは思いません。それどころか、この歴史的瞬間から多くを得ようとしているのは私のほうです。このことに対し、感謝いたします。
 
 妻ヅェチェンと私は、結婚のわずか1ヶ月後に日本にお招きいただき、ご厚情を賜りましたことに心から感謝申しあげます。ありがとうございます。これは両国間の長年の友情を支える皆さまの、寛大な精神の表れであり、特別のおもてなしであると認識しております。
 
 ご列席の皆様、演説を進める前に先代の国王ジグミ・シンゲ・ワンチュク陛下およびブータン政府およびブータン国民からの皆様への祈りと祝福の言葉をお伝えしなければなりません。
ブータン国民は常に日本に強い愛着の心を持ち、何十年ものあいだ偉大な日本の成功を心情的に分かちあってまいりました。
3月の壊滅的な地震と津波のあと、ブータンの至るところで大勢のブータン人が寺院や僧院を訪れ、日本国民になぐさめと支えを与えようと、供養のための灯明を捧げつつ、ささやかながらも心のこもった勤めを行うのを目にし、私は深く心を動かされました。
 
 私自身は押し寄せる津波のニュースをなすすべもなく見つめていたことをおぼえております。
そのときからずっと、私は愛する人々を失くした家族の痛みと苦しみ、生活基盤を失った人々、人生が完全に変わってしまった若者たち、そして大災害から復興しなければならない日本国民に対する私の深い同情を、直接お伝えできる日を待ち望んでまいりました。いかなる国の国民も決してこのような苦難を経験すべきではありません。しかし仮にこのような不幸からより強く、より大きく立ち上がれる国があるとすれば、それは日本と日本国民であります。 私はそう確信しています。
 
 皆様が生活を再建し復興に向け歩まれるなかで、我々ブータン人は皆様とともにあります。
我々の物質的支援はつましいものですが、我々の友情、連帯、思いやりは心からの真実味のあるものです。 ご列席の皆様、我々ブータンに暮らす者は常に日本国民を親愛なる兄弟・姉妹であると考えてまいりました。 両国民を結びつけるものは家族、誠実さ。そして名誉を守り個人の希望よりも地域社会や国家の望みを優先し、また自己よりも公益を高く位置づける強い気持ちなどであります。
2011年は両国の国交樹立25周年にあたる特別な年であります。 しかしブータン国民は常に、公式な関係を超えた特別な愛着を日本に対し抱いてまいりました。私は若き父とその世代の者が何十年も前から、日本がアジアを近代化に導くのを誇らしく見ていたのを知っています。すなわち日本は当時開発途上地域であったアジアに自信と進むべき道の自覚をもたらし、以降日本のあとについて世界経済の最先端に躍り出た数々の国々に希望を与えてきました。日本は過去にも、そして現代もリーダーであり続けます。
 
 このグローバル化した世界において、日本は技術と確信の力、勤勉さと責任、強固な伝統的価値における模範であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。世界は常に日本のことを大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることへ願望を持って何事にも取り組む国民。
知行合一、兄弟愛や友人との揺るぎない強さと気丈さを併せ持つ国民であると認識してまいりました。これは神話ではなく現実であると謹んで申しあげたいと思います。それは近年の不幸な経済不況や、3月の自然災害への皆様の対応にも示されています。
 
 皆様、日本および日本国民は素晴らしい資質を示されました。他の国であれば国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして悲嘆をもたらしたであろう事態に、日本国民の皆様は最悪の状況下でさえ静かな尊厳、自信、規律、心の強さを持って対処されました。文化、伝統および価値にしっかりと根付いたこのような卓越した資質の組み合わせは、我々の現代の世界で見出すことはほぼ不可能です。すべての国がそうありたいと切望しますが、これは日本人特有の特性であり、不可分の要素です。このような価値観や資質が、昨日生まれたものではなく、何世紀もの歴史から生まれてきたものなのです。それは数年数十年で失われることはありません。そうした力を備えた日本には、非常に素晴らしい未来が待っていることでしょう。この力を通じて日本はあらゆる逆境から繰り返し立ち直り、世界で最も成功した国のひとつとして地位を築いてきました。さらに注目に値すべきは、日本がためらうことなく世界中の人々と自国の成功を常に分かち合ってきたということです。

 ご列席の皆様。私はすべてのブータン人に代わり、心からいまお話をしています。
私は専門家でも学者でもなく日本に深い親愛の情を抱くごく普通の人間に過ぎません。その私が申しあげたいのは、世界は日本から大きな恩恵を受けるであろうということです。卓越性や技術革新がなんたるかを体現する日本。偉大な決断と業績を成し遂げつつも、静かな尊厳と謙虚さとを兼ね備えた日本国民。他の国々の模範となるこの国から、世界は大きな恩恵を受けるでしょう。日本がアジアと世界を導き、また世界情勢における日本の存在が、日本国民の偉大な業績と歴史を反映するにつけ、ブータンは皆様を応援し支持してまいります。ブータンは国連安全保障理事会の議席拡大の必要性だけでなく、日本がそのなかで主導的な役割を果たさなければならないと確認しております。日本はブータンの全面的な約束と支持を得ております。
 
 ご列席の皆様、ブータンは人口約70万人の小さなヒマラヤの国です。国の魅力的な外形的特徴と、豊かで人の心をとらえて離さない歴史が、ブータン人の人格や性質を形作っています。 ブータンは美しい国であり、面積が小さいながらも国土全体に拡がるさまざまな異なる地形に数々の寺院、僧院、城砦が点在し何世代ものブータン人の精神性を反映しています。手付かずの自然が残されており、我々の文化と伝統は今も強靭に活気を保っています。ブータン人は何世紀も続けてきたように人々のあいだに深い調和の精神を持ち、質素で謙虚な生活を続けています。
 
 今日のめまぐるしく変化する世界において、国民が何よりも調和を重んじる社会、若者が優れた才能、勇気や品位を持ち先祖の価値観によって導かれる社会。そうした思いやりのある社会で生きている我々のあり方を、私は最も誇りに思います。我が国は有能な若きブータン人の手のなかに委ねられています。我々は歴史ある価値観を持つ若々しい現代的な国民です。小さな美しい国ではありますが、強い国でもあります。
それゆえブータンの成長と開発における日本の役割は大変特別なものです。我々が独自の願望を満たすべく努力するなかで、日本からは貴重な援助や支援だけでなく力強い励ましをいただいてきました。ブータン国民の寛大さ、両国民のあいだを結ぶより次元の高い大きな自然の絆。
言葉には言い表せない非常に深い精神的な絆によってブータンは常に日本の友人であり続けます。日本はかねてよりブータンの最も重大な開発パートナーのひとつです。それゆえに日本政府、およびブータンで暮らし、我々とともに働いてきてくれた日本人の方々の、ブータン国民のゆるぎない支援と善意に対し、感謝の意を伝えることができて大変嬉しく思います。私はここに、両国民のあいだの絆をより強め深めるために不断の努力を行うことを誓います。
 
 改めてここで、ブータン国民からの祈りと祝福をお伝えします。ご列席の皆様。簡単ではありますが、(英語ではなく)ゾンカ語、国の言葉でお話したいと思います。
 
「(ゾンカ語での祈りが捧げられる)」
 
 ご列席の皆様。いま私は祈りを捧げました。小さな祈りですけれど、日本そして日本国民が常に平和と安定、調和を経験しそしてこれからも繁栄を享受されますようにという祈りです。
ありがとうございました。
オーケストラがやってきた! [2011年10月10日(Mon)]
クメールお盆明けのプノンペンで、50人のオーケストラで結成されたクラシックコンサートが王宮の近く、国立チャトモックホールで開催された。私の所属している日本財団と在日本大使館、カンボジア文化省の共催ともあって実施は早くから知らされていた。

今回のオーケストラのために、指揮者、福村芳一氏の呼びかけで、ASEAN を中心に音楽家が募集され、特にアセアン・シンフォニー・オーケストラ(ASO)のメンバーの多くが参加することになった。ASOは、昨年ベトナムで開催されたASEANサミットの夕食会でも、ASEAN各国の首脳、アメリカのヒラリー・クリントン国務長官、インドのマンモハン・シン首相、中国の温家宝首相、韓国の李明博大統領、潘基文国連事務総長、そして日本の菅直人前首相を前に堂々の演奏を披露し好評を博したプロの音楽集団である。今回は8人のカンボジア人も参加している。

しかも、なんと今回は、ニューヨークを拠点に活躍中の、ホットなバイオリニスト、五嶋龍氏もソリストとして参加!彼のようなトップアーティストが、途上国のコンサートに参加するなど夢のような話であるが、好奇心旺盛な五嶋氏の参加承諾により実現することとなった。

さて、このコンサート、現在、日本財団が支援しているカンボジア盲人協会の今後の独立運営の礎としてのチャリティーコンサートという形で企画された。しかし、盲人協会にとっては初めての経験にして大きすぎる舞台設定ともあってか、なかなかプロモートが旨く進まない。今回のコンサート担当者が、普段伝統医療の担当で世話になっている中嶋さんという事もあり、カンボジア駐在である私にもサポートをするよう声がかかった。サポートと言っても、周囲の日本人に声をかける程度の事しかやっていないが、なかなか通常では見る事の出来ないコンサートの舞台裏を拝見できる面白い機会となった。

当初はチャリティーコンサートというシャビーな響きのせいか、周囲の日本人のリアクションも今ひとつ。また、チケットの売り出しが2週間に渡るクメールお盆の連休と重なった事もあって、招待客からの返事も疎ら、チケットの売り上げも、幸先の悪いスタートとなった。しかし当日蓋を開けてみると730席のシートがほぼ埋まっていく展開。胸をなでおろした。

7時過ぎに始まったコンサートは、アンコールも含め予定終了時刻を過ぎる10時過ぎまで行われる大盛況。招待されたヨーロッパの大使達一行も、まさかカンボジアでこれほど本格的なクラシックコンサートが行われるとは!とご満悦のご様子。
ヨーロッパの人々もが満悦!

そんな私も、スタッフの名札とカメラを持たされていたお陰で、いろんな角度からコンサートを満喫できた。全後半を挟む休憩時間には、カンボジア皇室、五嶋氏、日本財団重役が談話するVIPルームでの撮影を依頼され、ちょっとした役得感。

休憩時間のVIPルーム。五嶋龍氏と皇族、日本大使館代表、財団重役との談話の風景

コンサートは大好評に終わり、内部からは来年カンボジアで行われるASEANサミット時期の再演の声が挙った。激務を勤め上げた担当者や関係者には、しばらくは懲り懲りという気持ちであろうが、いかんせん芸術イベントの少ないカンボジア、滞在の励みになる。

Sisowath Pongneary Monipong王女から指揮者藤村さんに花束の贈呈


15年ぶりの登校 [2011年04月14日(Thu)]

桜ヶ丘,桜がみごとだった。路がきれいに舗装されていたのが僅かな変化

国家資格である柔道整復師と鍼灸師を養成する学校法人花田学園は,渋谷駅から国道246を越えた桜ヶ丘の坂の上にある。高卒で田舎から上京した私にてっては,正に躊躇いと興奮のロケーションだった。この坂の上の学園に6年間在籍した。在籍したと言ってしまったが,良い学生ではなかった。在校中当時すでに同級生と「足ツボ」の診療所ゴッコを始めていて,学校の授業に興味が持てなかった。今思えば本当にもったいない。そんな状態でなんとか卒業させてもらい,3つの国家資格まで取得した。愛校の想いはあれど二度と学校の敷居をまたぐ事など出来ないと思っていた。

丘を登った学校校舎は高層ビルに


まさか再び敷居を跨げる日が来るとは。。。

昨年の上京の際,カンボジアのコインマッサージ,コクチョールについて九鍼会を訪ねた。古典鍼灸の月例勉強会で偶然特別講師として出席されていた花田学園の木戸先生にお会いする機会を得た。こっちは先生の顔を知っていても,多忙な先生が出来の悪い生徒の事など覚えているはずがない。懇親会で同席する事になり,恥ずかしながら挨拶をする事に。その後メールで何度か活動報告をさせていただいた訳だが,なんと最近学園の同窓会会報に執筆依頼を受けた。昨年のNHKワールドの番組を見てくださったとの事だった。今回は同窓会誌に使う画像データを持参するために15年ぶりの登校である。

久々に立ち寄った渋谷は相変わらずの賑わい。私が通っていた校舎は建て替えられ今は高層ビルの中に学校がある。会議室では木戸先生と,担任だった飯島先生,今回の会報を担当されている光澤先生が迎えてくれた。私の方からは15年経ったとは言え6年間も見続けたよく知っている顔の人たちと名刺交換をするのは不思議な気分だ。1時間半程の情報交換,またカンボジアでの柔道整復のワークショップの計画,それから計画している短期留学受け入れのお願いも含めた。担任の飯島先生も再会を多いに喜んでくれた。元不登校生徒がお客さんとして招かれてしまった。まったくしてメディアの影響力はすごい!

嘗ての恩師と記念撮影

お世話になった師を訪問 [2011年04月14日(Thu)]
東京は第2の故郷である。高校卒業してから6年間渋谷の専門学校時代を品川大井町。海外を行き来しながら足ツボ診療所のあった池袋に近い東長崎。整骨院勤務を下町江東区南砂。随分いろいろな人たちに育てられてきた。出国して以来ご無沙汰している。今回の一時帰国では世話になっていた中で,2名の先生を訪問した。

南砂整骨院http://www14.plala.or.jp/souken9919/の高屋敷院長には,高卒で上京して右も左も分からない頃に,同級生(後のビジネスパートナー)の紹介で研修をさせてもらい,ブータンに行く直前の鍼の修行期にも再び勤務させてもらった。気さくで人懐っこく,我々若輩者にも常に謙虚な姿勢で接してくれていた姿が印象的。

院長の印象的な勤務時代のエピソード。院内のスタッフで行ったスナックでの出来事を思い出す。ウエイターの女性が,うっかり院長の頭上でドリンクをひっくり返してしまった。唖然とする我々の目の前で,院長ウエイターに一言「サンキュー!いやあ,外暑かったから,ちょうどシャワー浴びたかったんだよねえ」。ウエイターをも唖然とさせた粋な対応。今では私も「持ちネタ」にさせてもらっている。

今回,五反田駅傍にホテルをとった。暇さえあれば駅の傍にある,山下鍼灸院http://local.yahoo.co.jp/detail/spot/2825730ba46ed8e48ef36023b4646083/に見学に行こうと考えていた。院長の山下健先生は鍼灸臨床一筋55年の大ベテラン。08年には旭日双光賞を叙勲。業界団体の役に執着する事が無く,著書等がないためか業界内では,正に「知る人ぞ知る」の大御所である。

匠の施術風景

海外進出の鍵を鍼灸にしぼり,スタンダードな伝統鍼灸術を学ぼうとした時期に先生の主催する鍼和会を紹介された。

ブータンでの治療では,兎に角,古典の講義と診察記録,ひたすら先生の施術の物まねをして食い繋ぐ事ができたと言っても過言ではない。今回,私もたまたま業界紙「医道の日本」に依頼された記事が取り上げられ,報告も兼ねての訪問だった。この時はじめて私も出版物を見たのだが,表紙の私の小さな名前に対して,「新連載 写真で見る山下健の鍼灸テクニック」の活字の方が大きい。予定していた報告も喉元で詰まってしまった。先生には到底敵わない。

何はともあれ,大御所と一緒に子弟で業界紙の紙面に名前を並べてもらえた事はたいへん光栄である。

その他多くの方々にも,ご挨拶出来ずじまい。申し訳ない限りです。
東京 [2011年04月13日(Wed)]
鍼灸授業の話題からちょっと寄り道。

1年ぶりに東京へやって来た。3日という短い滞在期間中,毎日体感できる余震があった。感心したのは今や一人一台が常識の携帯電話が地震警報を通知。数秒後にくる余震に心の準備ができる事。通常化している余震に対し,みな冷静に対処している。

桜はまだ残っていてくれた

今回は円高が続く中,少しでもレートが良い両替をしようと,貯め込んでいた僅かなドルを(といっても,すべて奨学金やクレジットカード支払い分…)バッグに潜めての移動。冷や汗ものです。日本での両替は手数料が予想以上に高いという反省があり,1年前から計画していた。バンコクの両替はBTSナショナルスタジアム駅傍のSiam exchange,セントラルワールド近くのSuper richがおすすめ。張り切って空港から電車を乗り換えナショナルスタジアム駅へ。

シャッターが下りている。。。。店の前で1分弱,途方二くれてしまった。なんと土日休業。あわてて調べたSuper richも日曜休業。ちゃんと調べていれば…自責の念に苦しみつつ開いている両替所を訪ねて回ったが,日曜日はどの両替所も日本円のストックを持ち合わせていない。しぶしぶレートの悪い空港で両替。ドルからタイバーツへ,タイバーツから円へ。タイ安のためか今回は全然お得感がない。もしかしたら日本で両替したほうがマシだったかも。。。

バンコクではどこにでも見られる両替所

深夜便で成田に向かう。バックパッカー時代には夜中の移動は宿代の節約のため散々行なってきた事だが未だに座位で熟睡することができない。朝6時半に朝食が出てくる。時差は2時間,時計は4時半を指している。
しかしながら,バンコクから日本へ直行便で帰るなど,すこし以前の私の辞書にはなかった選択だ。随分人間が横着になったものである。
水祭りの大惨事 [2010年11月25日(Thu)]
本日、午後より伝統医療研修校6ヶ月・上級者コースの始業式、および卒業生、在校生、総勢150人の現役クルクメール(伝統医療師)で作る、カンボジア伝統医療師組合の創設式が独立記念塔のそばインペリアルガーデンホテルにて行われる。

その会場の直ぐそばでは、朝から425名の冥福を祈る追悼式が厳かに行われている。
大惨事は、カンボジア3大祭りの1つ水祭りのメインプレイスで起こった。

3日間の水祭りでは、プノンペンに面したメコン川の支流、トンレサップ川で日中はボートレース、夜は花火と電飾された船が水面に映る幻想的な光景でにぎわう。この日ばかりは年に1度の大行事を一目見ようと全国から人々がプノンペンに集結する。ナガワールドというカジノ周辺は若者に人気のスポット。日が暮れると多くの露店と芝生の植え込みは熱気に包まれる。

その時私は、というと、財団職員との会食を終え徒歩で現場から500mほど離れたモニボン通りを歩いていた。祭りで賑わう人々を、かき分けるようにけたたましくサイレンの音。数分おきに救急車が通る。テロ騒ぎでも起きたのだろうか?

事故を知ったのは、翌朝家族からの「無事か?」という安否確認の電話。
事件が嘘だったかのような晴れ渡った空。若い事務所のスタッフが事故当時、現場にいたという。

夕方過ぎ、現場となった橋をわたり祭りの夜を満喫していた。悲鳴とどよめきが起こり、橋の周辺の人だかりの中から悲鳴があがる。数人の警察が救助に入る傍らベルトを鞭に人払いをしていた。スタッフも鞭の洗礼をうけたという。「小さな橋に人々が5段重ねになっていた」信じがたい光景について語ってくれた。

偶然とはいえ、日本財団はこの日、多くのイベントを企画していた。午前中は、義肢装具学校新校舎の開校式、午後は伝統医療校の始業式、夜は多くの財団関係者でカクテルパーティーが企画されていた。この惨事をうけ、カンボジア政府は、この日25日に追悼式を行うことを発表。我が財団も追悼の意をくみ、開校式と始業式は、この国の発展のため行う事業の一部として予定通りおこない。夜のパーティーはキャンセルすることに。

伝統医療校の式典でも、開会の前に追悼のための弔辞と黙祷が急遽スケジュールに組み込んだ。お祭り気分で集まるはずだった、参加者全員が厳かな気持ちで会に臨む。
新組織、伝統医療組合は、カンボジア伝統医療師たちの手で運営されていく。彼らのカンボジアの発展にたいする真摯な取り組みが、亡くなられた故人達の冥福への祈りとなるに違いない。

ご冥福を心からお祈り申し上げる次第です。
カンボジアの図書 [2010年09月26日(Sun)]
カンボジア伝統医療の資料探索のため,王立プノンペン大学敷地内にあるフンセン図書館でJICAシニアボランティアとして活躍する藤井寛子さんを訪ねた。

藤井さんはこれまでワシントンDCや日本で司書として第一線で活躍されてきた経験を活かし,カンボジアの図書制度の発展に貢献されている。藤井さんにお願いし探し当てたフンセン図書館にある伝統医学関連書籍は僅か6冊。その殆どは最近の出版物である。

カンボジアでは長い内戦時代に多くの図書が紛失されたとされている。貴重な歴史資料が薪やトイレットペーパーとして使われたという。実際に所蔵されている図書の多くは英語・フランス語を中心としたものであり,クメール語の書籍は僅か2割をきる。それも多くはコピーされたものだという。

今,好景気に沸くプノンペンであるが,中華系の進出と共にカンボジアのオリジナリティーがないがしろにされつつある事を肌で感じる。クメール文化の反映から負の遺産とも言えるクメール時代を経て,世界に発信できる情報は数多くあり,まさに国の宝である。現在我々が取り組むカンボジア固有の伝統医療を含め,なんとかカンボジアのカンボジア人としてのアイデンティティーの保存と,そこから学ぶことの出来る固有の国民性を活かした健全な発展を期待して止まない。



カンボジアの図書事情については以下のHPに詳しいので紹介
「図書館」がもたらしたもの・・・」 http://sva.or.jp/cambodia/report/training/int-cam2009sp-1.pdf



新インフルエンザ予防接種 [2010年06月17日(Thu)]
新設のNGO事務局は,国立伝統医療局の3階に構えました。と言っても,この一年慣れ親しんだビルの空き部屋です。未だビルは完成しておらず。中央の大きな窓にガラスが入っていない風通りのよい(?!)状態です。

今日は,伝統医療局職員に対する新インフルエンザ(H1N1)のワクチン接種が行われました。猛威も噂も過ぎたころですが,出勤していない職員のワクチンが余った関係で,我々NGO職員も注射してもらいました。普段おしゃべりしている職員が注射を担当しています。考えてみれば多くの職員がお医者さんです。

翌日になって,注射された場所に違和感が残っています。何と言うことはなかったのですが,最近事務仕事に専念し,鍼灸診療所をまかせているスタッフが,午前中から体調を崩し午後にはダウン。急遽予約の入っている患者に対応しました。久々の治療。。。。やっぱり現場は良いなあ,と率直に思いました。

今週末,初の理事会を迎え,8月ころには学校も始められる予定です。軌道に乗せることができたら,また,診療所に顔を出そうと思います。

診療所のスタッフに嫌がられない程度にウインク
変化の波 [2010年01月22日(Fri)]
カンボジアは,ここ数年めざましい好景気が続いています。首都プノンペンでは新しいビルやショッピングモールの建設ラッシュが続き,多くの高級車ばかりを目にします。「いったい,いくらぐらい稼いでいるのだろう?」と考えてしまうのは貧乏性のためでしょうか?

国民の平均月収の目安となる公務員の給料。確実に経済活動が活発化されているにも関わらず,その額面の低さに驚かされます。ハッキリ言って,首都圏で生活するには無理のある金額。そのため生活を支えるため公務員が副職を持つことが公然となっているのが現実です。

このところ,巷では今後「公務員の二重給与」を禁止する,という政府の通達が話題になっています。海外のNGOなどが政府機関とプロジェクトを行う際,スタッフに副業をされると仕事に支障がでるため,公務員給与とは別に,生活をしていくために必要な差額を支払うというシステムが定着しています。先日,禁止のお触れがでて以来,これまでこのシステムで生活をたてていた公務員達は枕を高くして寝れない日々を過ごしています。

これまで同様,海外からの資本に便りながら経済発展をめざすのか,はたまた景気の好調を利用して自立再生の苦難の道に挑んでいくのか,政局から目の離せない今日この頃です。
何でもあるねえ。 [2010年01月05日(Tue)]
プノンペンで最も日本食材を取りそろえているバイヨン・スーパーマーケットが店舗を拡張してリニューアルオープン!それも,職場のすぐ側に。
益々,行動範囲が家と職場との間に限定されそうである。

品揃えは,殆どが輸入食材で日本食材がその一角を占める。
みそ,醤油,乾物類などの基本食材から,写真のような加工食品まで,なかなか豊富。

そう考えると,前のB国は大変だったなあ。。。などと,B国在住の日本人を悼みながら,レジへと向かうのでした。
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