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 発展途上国を中心とした伝統医療保全&ネットワーク事業 

各国にある、その土地に根ざした伝統医療リソースを保全し有効なネットワークを構築することで、
地域開発および、医療アクセスの悪い地域で最低限の医療を受けられない人々の
医療環境と健康増進を目的に活動しています。
学校の薬草園2「地雷の国を薬の国へ」[2013年07月25日(Thu)]

「地雷の国を薬の国へ」


伝統医療師研修校を卒業したカンプンクレイ村のウイトン村長(46)が、村の小学校の校長先生と一緒に小学校の校庭に造った薬草園を以前のブログで紹介しました。

2人は仕事の合間を見つけては近くのボコ山(標高1000m)に行き、研修のテキストを参考に174種類の薬木を採取し薬草園に植えました。この地域は海岸線に沿って伸びるボコ山脈が海からの暖かく湿潤な風をうけるため他の地域より多く雨が降ります。この特異な気候のため他の地域では見られない植物が見られる反面、この地域には生えていない薬の木もあります。

そこで、今回は国立伝統医療局の国立キリロム薬草園で栽培を進めている苗の中から、サンプルを分けてもらい、小学校の薬草園で試験栽培を行う事にしました。児童たちにとっては生まれて始めて見る薬の木です。薬木の苗は4種類。
Cananga Latifolia (イランイランの仲間。カンボジアで最も多用されている)、Dalbergia oliveri、Dalbergia cochinchinensis、Sindora siamesis(いずれも高級木材で乱獲されてきた)。いずれも絶滅危惧リストの中で減少が指摘されている植物です。

教室でクルクメール・ウイトン村長が4種類の薬の木を児童たちに紹介。児童たちは校庭にある空き地に大切に木の苗を植えました。

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小学生に薬草の講義をするクルクメール・ウイトン村長


学校に来ていた、2年生の児童の父親が話してくれました。「自分が風邪をひいていたとき、息子が学校で勉強した薬草を外から持ってきてくれたんですよ。」
また、校長先生曰く「よく保護者の方が学校に健康相談に来るんですよ。私はクルクメールじゃないのに(笑)。ここには薬草のサンプルしかないので、どの草をどのように使うかを教えて、自分で森にとりにいってもらいます。今学校の校門脇の空き地で薬草の栽培も始めようと思っています。そうすれば村の人にも分けてあげられます。」「それから子供達の授業のために教材を作りたいと思っています。そうすれば家族や、保健所の人たちとも薬草についての知識を共有できます。」
ウイトンさんは自分の畑仕事と村長の仕事が忙しく、なかなかクルクメールの仕事に集中できていないそうです。「あと数年して、仕事を他の家族や村人が引きついてくれたら、もっと学校の薬草園のような活動をして、村の次の世代の子供達にも薬草のことを知ってもらいたい。」

今回は、日本財団のホームページのコンテンツ作りに日本からNippon.comのスタッフの方々も同行しました。近々日本財団ホームページにアップされます。カメラマンの大沢さんは業界では巨匠と呼ばれるセレブ御用達のフォトグラファー、と知ったのは、その翌日(大沢尚吉ホームページalfaeyes)。「あ、1枚撮りますよー」「え、いいっすかー?!」と自前のカメラを渡してパチリと撮ってもらったのが下の写真。知らないいうのは何でもできちゃうんですねー。ああ恐ろしい。大沢先生、失礼しましたー。

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巨匠・フォトグラファー大沢尚吉のWeb-siteにも掲載されます(ウソです)
富士山の「世界遺産」登録。次は「無形文化遺産」委員会![2013年06月27日(Thu)]

カンボジアの首都プノンペンにあるピースパレス(首相府新館)で開催された第37回世界遺産委員会で富士山の『世界遺産』登録が決定。歓喜の声が日本中のみならず世界中の日本人コミュニティーを賑わせた。

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オフィスから望む世界遺産会議の会場ピースパレス(首相府新館)


厳重な警備に包まれたピースパレスの小さな路地を挟んだ隣の建物に私の職場がある。「富士山」の審議が行われている間も、隣の建物でいつものルーティンワークに励んでいた。また、鍼の研究のため(ナゼか)富士山頂の観測基地に1週間滞在したという数奇な経験がある(!?)。身近に喜びが感じられた。

ここカンボジアにとっても世界遺産は身近な存在。世界的な考古学遺跡「アンコール遺跡群」(1992年)と「プレアビヒア寺院」(2008年)が世界遺産リストに。また、伝統芸能「カンボジアの王家の舞踊」(2008年)「スバエク・トム・クメールの影絵劇」(供に2008年)は(世界)無形文化遺産、ポルポト政権時代の負の遺産「ツール・スレーン虐殺博物館のアーカイヴス」(2009年)も世界記憶遺産にそれぞれ登録されている。

NHKの番組タイトルとして馴染み深い『世界遺産』。その対象の定義は「不動産」であること。世界遺産委員会に登録を申請するのは富士山を領土内に保有する日本国が行う。非常に単純明快。ところが2003年から始められた不動産以外の芸能(民族音楽・ダンス・劇など)、伝承、社会的慣習、儀式、祭礼、伝統工芸技術、文化空間を対象とした『無形文化遺産』の登録については、そう単純ではない。

日本からは能楽、文楽や各地の祭事などが『無形文化遺産』に登録されている。
島国で、ほぼ単一民族であるという認識のある日本人にとって何ら疑問を持つ事は少ないことだろう。しかし多くの国々は他民族で構成され複数の国で文化が共有されている事が多い。この『無形文化遺産』登録への申請も世界遺産と同じく無形文化遺産委員会からの推薦ではなく、各国が「これは他国には無い私たち独自の守るべき文化!」と推薦する事により始めて審議のテーブルに上がる仕組み。各国間では文化の既得権の問題が生じ、あたかもオリンピックのメダル数争いの様相も呈している。

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人類の口承及び無形遺産の傑作の分布(Wikipediaより)


リストを見ると「鷹狩り」や「ゾロアスター教の新年祭」が複数の国からの推薦で登録されている一方で、モンゴルの伝統的な歌唱技能「ホーミー」はなぜか中国が推薦国となっていたりする。

伝統医療のジャンルにおいても、平安時代から日本でも実践されている「鍼」が中国独自の医療伝統技術として登録され業界内では国際論争となった。守るべき文化として登録する事は大いに必要な事であるが、登録を前後に利権やモチベーション、それを生活の糧としている人々にも多大な影響が及ぶ。隣国や民族の感情というものも大いに考慮していく必要がある。

次の「無形文化遺産委員会」はアゼルバイジャンのバクーで今年12月に開催される。「タイ古式マッサージ」がタイから推薦されると言われている。ちなみにミャンマー、タイ、ラオス、は現在のカンボジア、古代クメール王朝時代から伝わる共通の伝統医療体系を共有しており地方によって特色が異なる。それらの差別化を研究していく事は、その文化を守っていく上で大変重要な事である。カンボジアの伝統医療師「クルクメール」もまた、クメール時代からの伝承を守り、カンボジアにとって長い植民地と内戦時代を通し国民の健康を支えてきた貴重な国の遺産である。しっかりとした調査を進め、いつの日か世界に向けて「無形文化遺産」として名乗りをあげてくれる日を夢想する!
伝統医療師のプライマリーヘルスケア参加[2013年02月12日(Tue)]
CaTHAのワークショップでは、毎回外部から講師を招いて特別講演を行っている。第1回目の講演は「救急医療」、2回目は「道徳」、そして3回目となる今回は「プライマリーヘルスケア(PHC)」についての講演が行われた。クルクメールにとって少し内容は難しいのではないかと思いつつも、コミュニティーに既存する人材・天然資源を活用してコミュニティーの保健向上を目指そうというPHCの考えが、クルクメール達の村での役割に即していると思い、クルクメール達の社会における役割に誇りを持って活動してもらいたい一念で、このテーマを選択した。

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保健省保健プロモーション局によるPHCに対する特別講演


一方的な講義であったため参加者のリアクションが気になったが、講演終了後、シムリアップ州の山深い村から参加したバニーさんは、「教師であり村長をやっている奥さんと一緒に村人を対象にPHCについての勉強会を開きたい」と、講演者に資料の提供を求めた。また、学生達からもスライドの共有要望が多く寄せられたため、研修校の特別授業でPHCのより詳しい内容について追加の講義を行う事が決定された。

講演とは別に、クルクメールによるPHC参加を持続可能にさせる要因として、ワークショップでは「伝統薬原料(生薬)の安定確保」に関係した発表がおこなわれた。全国から生薬が集まるオルセー市場で生薬問屋を営む、在校生のスレイモムさんは、近年入手が難しくなっている生薬についての発表をした。また、先日のブログで紹介したカンポット州のウイトンさんは、地域の小学校に開設した薬草園と薬草の授業について映像を使って紹介すると共に、薬草についての専門的な栽培指導を政府ならびにCaTHAに要望した。

これに対し農業省森林局代表のモーニン教授は「森林から原料を調達するという従来のクルクメールの習慣が、天然資源の枯渇という今日の状況を生み出した原因でもある。今後は小学校での薬草栽培の例のように、計画的に薬草を栽培していくという事を真剣に検討していかなくてはならない」と提案した。

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薬草の栽培について談話する保健省伝統医療局局長と農業省森林局専門家。省庁を超えた交流!


また、バッタンバン州の奥地の村に住むブナリスさんからは「研修では西洋薬に准じた衛生管理の講義をうけ、食品工場を見学したが、村で伝統薬をつくる際、自分たちで出来る設備には限界がある。どの程度の衛生管理をすれば“安全”と言えるのか?」という質問があった。

研修の授業の中で衛生管理の講義を受け持っている、王立医科大学のソティア博士は「西洋薬の製造基準(GMP)にできるだけ近い条件が望ましいが、確かに一般家庭でそれだけの設備を整える事は難しい。しかしながら口に入るものである限り安全性を高める最善を尽くすべきである。」と研究者らしいコメントで対応した。各国でも共有する問題ではなるが、安全性を最低限満たす伝統薬の製造に特化した衛生ガイドラインの必要性が問われた。

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クルクメールの質問に対応する医科大学薬学研究所ソティア博士


ワークショップの最後に、キーブーハンCaTHA会長が総括として、

1. 政府と共同で「伝統薬の登録」をより容易にするために必要なデータの収集作業

2. 「伝統薬原料の安定確保」に向けたCaTHAの全国ネットワークを活用した栽培活動の促進

これらの活動を通じて、クルクメールのコミュニティーに対するPHC参加を社会的に認知されるような活動実施を次年度の計画として提案した。

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総括でクルクメール達にPHCなどの社会参加をよびかけるキーブハンCaTHA会長


カンボジア伝統薬の登録[2013年02月12日(Tue)]

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伝統薬の登録の難しさを訴えるクルクメール研修校卒業生


カンボジアにおいて「伝統薬の登録」はセンシティブな問題である。

伝統薬の登録については、西洋薬同様、保健省薬剤局が管轄しているが、詳細な制度が確立されていないために、現実的には所轄の役人へ賄賂を渡すことで黙認という形が多くとられてきた。登録の手続きを経験したクルクメールにインタビューすると必ずと言ってよいほど政府の対応に対し怒りをあらわにする。それだけに公の場で「伝統薬の登録」について語られることはタブーとなっていた。

先日WHOから派遣されたアドバイザーが、カンボジアの伝統薬については西洋薬の基準で規制していることは現実にそぐわないとして、新たに伝統薬に見合ったレベルのカテゴリー作りを提言したことをきっかけに、ようやく保健省伝統医療局が重い腰を上げ、プノンペンのクルクメールを集め、新しいカテゴリー作りについてのワークショップを開いている。

今回、CaTHAのワークショップの中で、250名の参加したクルクメールから、政府へ「登録」に関する質問が投げかけられ、保健省薬剤局の代表者がこれに回答した。

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参加者からも登録についての多くの質問があった


カンボジア政府は、財務省が中心となり収賄防止の取り組みを進めており、今年1月より、これまで明確にされていなかった商用の伝統薬登録費用額が定められた事が伝えられた。これにより少しずつであるが、商用のカンボジア製の伝統薬の登録が進められていくことだろう。しかしながら、これは商用の伝統薬の商品登録に限ったものであり、上記同様、地域のクルクメールが一般的に使っている伝統薬については登録が不要である事が付け加えられた。(登録料は村で活動するクルクメールにとっては支払い困難な金額であり、登録までの期間は8か月を有す)

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クルクメールからの質問に回答する保健省薬剤局の代表


スピーチ終了後、直接、保健省薬剤局の代表者に詳しいところを伺ったところ、「正直なところ、薬剤局もカンボジアの伝統医療に関して基礎情報が少なく、伝統薬の取扱いには頭を悩めている」と苦笑して語った。

公的な登録が進まなければ、隣国で公的医療に使用されているような伝統医療製剤の開発は進展しない。また、地方のクルクメールが使う伝統薬には登録不要というのも、短期的にはホッとしていたクルクメールもいたかもしれないが、それだけ伝統薬の信頼を勝ちうる事はできない。そのためにもカンボジア伝統薬や生薬のデーターベース作りといった登録に必要な基礎的な情報の整理が急務である。

祝5回生卒業式&CaTHAワークショップ開催[2013年02月10日(Sun)]
老舗プノンペンホテルの大ホールに247名(在校生100名とプノンペン地区の卒業生 名、地方からの卒業者 名)のクルクメールが集結した。この日は、5回生50名の卒業式と、年に1度のCaTHA(伝統医療師協会)総会(ワークショップ)。

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今回、卒業する5回生50名の面々


卒業試験が前日にスケジュールされ、まだ試験の合否が決まっていなかったため、残念ながら保健省からの修業認定書を渡すことができなかった。今回は卒業内定者ひとりひとりに日本財団からの認定書が授与された。1人1人に額に入った認定書を渡しながら記念写真を撮っていく晴れの舞台である。私も毎回わたす側として参加している。卒業後の学生の村を訪ねると、よく目立つ玄関の壁に認定書と全体写真に並んで、手渡ししているツーショットもご丁寧に飾ってあったりする。気の毒な事に、卒業者の隣には私が目をつむって立っていた。それを見て以来、立ち位置や額の傾きなどを意識し、後世に残っても卒業生に恥をかかせない写真写りを(出来るだけ)心がけている。

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一応、写真の仕上がりを意識しながら。。。


CaTHAのワークショップは、保健省が行う伝統医療師研修校の卒後サポートの一環として、業界のネットワーク強化や、情報収集および情報交換の機会を提供して今回で3回目を迎える。初回は設立前、2回目は設立記念と共にクルクメールのモラルについて協議した。

3回目となる今回は、より具体的で有効な伝統医療師協会の活動を目指し、クルクメールを取り巻く諸問題の中で優先順位の高いものを卒業生5名の体験として発表してもらい、国内にいる各分野の専門家と質疑応答を交えながら、今後の活動を模索した。

クルクメールを取り巻く諸問題については、在学生の授業の中で話し合ってもらった結果、「公的な伝統薬の登録に関する問題」と「伝統薬に使われる原料の持続可能性に関する問題」の2点に集約され、このクルクメール達にとって死活問題とも呼べる問題をとりあつかった今回のワークショップは、熱い議論に包まれた。

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ワークショップではクルクメール達の熱い議論が展開された。


(つづく)

小さな村の薬草園[2013年02月03日(Sun)]


カンポット州の村の小学校が行っているユニークな取り組み


カンポット州は南シナ海につづくタイランド湾に面した小さな町。標高1,000mのボコ山脈から海にむかった河川にはマングローブの林が広がり、静かで美しい景観は、観光開発で人工的な趣となってしまったシハヌークビルやケップといった海沿いの街とは異なり、どこか大人の雰囲気が漂う。のんびりとしたバケーションを楽しむヨーロッパ人観光客に人気の高いスポットで、古くは貿易港として栄え、塩田と胡椒栽培が盛んである。東南部はベトナムと国境を接し、ベトナム戦争ではカンボジアにありながら戦火に見舞われた暗い過去を持つ。

街の中心地、国道3号線上にあるカンポット橋の袂からは、舗装されていない土色の道が北に伸びている。そこには観光者が足を踏み入れる事のない寒村地帯が広がっている。

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卒業生 クルクメール ウイ・トン村長と


今回、その沿道から3キロの場所にあるカンプン・クレイ村。この村の村長、ウイ・トンさん(46)は、現役のクルクメール(カンボジア伝統医療師)で、CaTMOが運営しているカンボジア伝統医療師研修校の卒業生。CaTHA(カンボジア伝統医療師協会)の会員でもある。この村で、ウイ・トンさんが公共の場所を使った大変ユニークな取り組みをしているとの情報がありCaTHA事務局のメンバーと共に訪問した。

ウイ・トンさんが案内してくれたは畦道を100m進んだところにある小学校。校内には緑が多く植えられ、あちらこちらにクメール語で書かれた教訓の標識が多く目に入り、教育熱心な学校の雰囲気が伺える。休日にも関わらず多くの児童がサッカーやおしゃべりに興じていた。

正門のすぐ脇には小さなサンプル農園があり、各植物にはクメール語とラテン語のパネルが添えられている。植えられているサンプルは、すべて村人が日常使っている薬草であるという。

この薬草園を発案し管理しているのはマウ・ルンさん、58歳。この小学校の校長先生である。ウイ・トンさんもマウ・ルン校長の教え子で、村のクルクメールだったウイ・トンさんの父親や、お爺さんとも旧知の仲であったという。

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マウ・ルン校長とウイ・トンさん


長く続いた内戦時代。慢性的な物資不足に陥る中でも、豊かな山林と水に囲まれた村の近くでは様々な種類の薬草が手に入り、伝統薬がこの村人の健康と命を支えた。その経験から、今も続く村の貧困に対し“薬草の知識は必ず役に立つ”という思いから、5年前より、週に一度、5・6年生の高学年を対象に校長自ら、校内や周囲の薬草や薬木を使った薬草実習を始めた。

学校の正規のカリキュラムには「農業」の授業はあるが、その内容については各学校の状況や采配に任されているという。児童にも大変好評で、教わった薬草を自分で使ってみて「あの薬草はお腹が痛いのに効くよ!」などと大人顔負けの会話をしているのだとか。また、この薬草実習は児童を介して村人にも影響をあたえた。教えられた薬草を使って長く患っていた病気が治ったと礼を言いに来た保護者もいた。

2010年初め。クルクメール・ウイ・トン村長が、保健省が主催する伝統医療師研修校の入学試験に合格した。これに併せ、小学校では、村人や海外からの支援団体から500ドルの資金を募り、学校の敷地内に薬草園を造園した。ウイ・トンさんは、研修で教わった薬草を中心にクメール名とラテン名のパネルを設置する手伝いをした。園内の一角には空心菜などの野菜も栽培し、児童たちがこの世話をしている。

マウ・ルン校長は、もうすぐ定年を迎えるが、副校長をやっている息子が、この薬草園を引き継いでくれると安心している。少々の維持費は自分達で補っているが、もし次に資金ができたら、校内の他の空き地に村人達が共有できる薬草や薬木を栽培したいと考えている。校長の夢は、この小学校の薬草園をモデルに、“全国にある学校にミニ薬草園と薬草実習が広まっていくこと”である。

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薬草園を案内してくれたウイ・トンさん


CaTHAでは、全国にいる会員のネットワークを活かした薬草栽培プログラムを計画している。開発や乱獲、さらには温暖化の影響もあって、どの森でも手に入っていた薬草が、年々入手困難となり、中には多く使われるにもかかわらず市場での値段が釣り上がっているものもある。そこで各産地の地勢にあった薬草を栽培し、会員でシェアする事により伝統医療に使われる原料の安定供給が狙いである。

しかし、自立運営していく事を考えると課題も多い。資金面において農家に栽培を依頼すれば地代や賃金がかかる。また、基本的に世話をする農業に慣れていないカンボジアの人々にとって、マニュアルがなく試行錯誤を必要とする薬草の栽培と農園の運営を誰がどのように管理するのか。また、一年の約半分は雨が全く降らない乾期である。水道設備がない地方の村で水源から水を引くには、これまた経費がかかるのである。

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児童たちと記念写真


今回の学校の薬草園には、これらの問題を解決するヒントがあった。薬草園は公共施設を活用しているため土地代はかからず、授業の一環ということもありメンテナンスに賃金はかからない。また、薬草園の管理には教養のある教師が関わる。教師は女性も多い。カンボジアの女性は責任感と連帯感に定評がある。

乾期の水の問題に関しては、この学校では大変ユニークな解決法を実践していた。児童に自宅から2リットルのペットボトルに水を1本ずつ持参するように頼むことで乾期の水不足を解決していると言う。小学校の児童は250人。これだけで500リットルのタンクを一杯にすることができるのである。

ここに研修をうけたクルクメールが専門的な薬草の知識をアドバイスする事により、児童への学校教育を通じて、村人にむけた情報共有を可能としている。もちろん、児童たちはやがて大人になり次世代に、クメールの文化である薬草の知恵を継承してくれることだろう。

もし、「村の学校を介した伝統医療モデル」で扱う薬草の効果と安全性を認める登録作業を政府(伝統医療局)が進めたとすれば、村のヘルスセンターとの連携も生まれるだろう。さらに、CaTHAや企業から薬草栽培の契約をとりつければ学校の薬草園の管理費はおろか地域の活性化に繋がる可能性もでてくる。

学校という公共施設を利用した低コストの「薬草園および薬草ファーム」という社会装置が各地で定着すれば、学校も、生徒も、村人も、クルクメールも、また、CaTHAも伝統医療局も“Win Win” であるに違いない。

小さな村で始められている取り組みであるが、地域の貧困対策を解決したいカンボジア政府をはじめ、伝統医療による地方のプライマリーヘルスケア活用を支援しているWHO(世界保健機構)、伝統医療を用いて地方の医療アクセス改善やラジオを使った遠隔教育でカンボジアを支援している日本財団、地球温暖化対策、BOPビジネス、マイクロファイナンス、等さまざまな側面からの事業になりうる可能性を秘めていると強く感じた。

来週開催されるCaTHA年次報告会の席上で、この取り組みを紹介する予定である。(CaTHA会員、保健省伝統医療局、薬剤局、医科大学薬剤研究所、農業省森林局が出席)

薬草課外授業 in the ビーチ[2013年01月30日(Wed)]
伝統医療師研修校のカリキュラムは、基礎的な解剖生理学や関係法規といった基礎科目と、伝統薬の原料として使われる薬草についての専門科目を2つの柱としている。

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バスは暗いうちから出発します


過去の研究者の報告によれば、カンボジアで使われている薬草は250種類から400種類と幅があるが、118人の伝統医療師を対象として行ったアンケートでは、一般的に使用する薬草として303種類が挙げられた。研修期間は5か月と限られている上、どの薬草を講義で取り扱うかについては、以前は経験のある3人の講師の好みで選択されていたが、アンケートの結果をもとに現在の130種類に改訂された。地方に住む伝統医療師達は、森に行き自分で原料を調達する。その事を考慮して薬草学の授業では、毎月1度、植生の異なった地方の森で薬草実習を行っている。

今日は、南シナ海のビーチに面したシハヌークビルが実習地。来週卒業試験を控えた5期生と、先月入学したばかりの6期生、2台の大型バスに総勢100名の学生をしたがえての移動である。まだ夜も明けぬ朝6時集合。多少の遅刻者はいたが定刻に出発。3度のメシにうるさい(食べさせないと暴動をおこしかねない)カンボジア人の朝食は、前日のうちに注文していた全員分のバイサイチュルッ(豚メシ)が、街をぬけた国道沿いの空き地で全員に配布された。各々気の会う仲間と朝食にありつくが、放置しておくと普通にその場に包みをポイ捨てする。そこは、モラル重視の指導を重んじる研修だけに、そうはさせない。数人の学生達を巡回させゴミを回収する。研修初期には、その辺のモラルがななあで、教師まで一緒になってポイ捨てに興じていた。研修も回を重ねるごとにスタッフ達の意識も変わりオペレーションは徹底している。

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「ゴミを捨てないでー!」


今回の研修地には、格式のあるインディペンデンスホテルの敷地が含まれている。忘れもしない、初年度にも50名の学生を連れ、このホテルで課外研修を行った。講師が薬草について説明すると、その薬草の葉や皮をむしり、鼻で嗅いではポイと捨てる、とりあえず。その行為を50名が必ずやるのである。研修生が通った後の木々はハゲハゲ。さすがに次回の研修からは、各グループの代表者以外は、採取禁止という「高田ルール」を作ってもらった。「クルクメールが通った森は草も生えない」などと噂を立てられたのではたまらない。しかし、その教訓が今、CaTHAが計画している各地の森へ向けた薬草栽培促進の精神に繋がっているのかどうかは定かではない。

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14人の僧侶に囲まれて


この研修ならではの苦労もある。今回も課外授業に参加している100人の学生のうち、14人は現役の僧侶。僧侶には厳格な生活のルールがあり、食事は午前中にしか口にしてはならない事になっている。そこで昼食を予約しているレストランに、遅くても11時半には到着していなくてはならない。すべてのスケジュールは、この時間から逆算して計画が立てられる。まだ暗いうちの出発時間もランチの時間から逆算されているのだ。今日も少し移動の時間が押している。11時半を過ぎているが、まだレストランについていない。聖職者とはいえ食事を抜くような事があれば暴動をおこしかねない。12時40分レストラン到着。急いでで食卓の準備。あれ?壁の時計は12時30分。都合良く10分遅れている。まあ、ここはカンボジア時間ということで。

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12時までに食事を済ませなくてはならない。。。


人事異動につき伝統医療局リニューアル![2013年01月29日(Tue)]
これまで、カウンターパートであるカンボジア伝統医療局のアナウンスでは「伝統薬は医療にアクセスの乏しい地方の村で使われているという」という、あたかも伝統医療しか使えない地方の貧民を哀れむコメントをしていた。彼らは西洋医学の教育しか受けた事がなく、臨床の経験も乏しい、自分で伝統薬を使う事の無い政府局員である。

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昨年は、保健省本庁との間に壁も築かれ、いよいよ閉鎖間近かと思っていた矢先。。。


しかし、実際は医療のアクセスの良い都市部の人々だって伝統薬を好んで服用している。ストレスによる胃炎やメタボ予防に、首相府の会議にも政府高官達の会議の卓上には、自宅から持参したマイボトルに入った煎じ薬(茶)が並んでいるという。WHOの試算でカンボジア国民の75%以上が何らかの伝統医療を使った事があるというのもうなずける話で、どんなに貧しい過疎地にでも森に行けば原料が手に入る事を知っているし、みんな伝統薬が効果のある事を知っている。つい先頃まで続いていた長い内戦時代を、西洋薬の配給も受けられず、伝統薬とともに生き抜いてきたから。

材料はある、取り扱う人もいる、すでに全国に普及している、そのような条件の中、隣国のように伝統医療が国民医療に採用されないのは、一重にそれを支える制度が無いため。つまり、「伝統薬で貧しい国民を救う」という役人の情熱の欠如と怠慢に他ならない。ちょっと強引な言い方だが、少なくとも、もうすぐ丸4年というカンボジア滞在の中で接してきた政府伝統医療局を見てきた上での感想である。

がく〜(落胆した顔)「おいおい、その役所の建物を借りて働いているのに、
そんな事言っちゃって大丈夫?」


大丈夫なんです!

伝統医療局には、この1月から大臣の肝いりで新しい局長が就任し、(さらに!)これまでCaTMOの一員として、多くの役所の情報を提供してくれたスタッフが副局長に任命され、研究を担当する薬剤師の免許をもつ局員も配置されました。

これまで「笛吹けど踊らず」「暖簾に腕押し」「糠に釘」「ザルに水を注ぐがごとし」と分っていながら、費やしてきた時間が走馬灯のように頭をよぎります。

もちろん油断はしていません。でも、これまでより悪くなる要素が無いことを、これまでの新局長との対話の中で確信しています。私の発言に対し、まともな、いや、それ以上に的確な返答が帰ってくるのです。長い事、対話のキャッチボールをしていなかっただけに、あやうくグローブをすり抜けて、ボールを顔面キャッチするとこでした。さらに、この局長は、伝統医療担当副大臣とのミーティングで、これまで同様の学校を作れ、研究所を作れといった無茶ぶりなオーダーをすりかわし、「実現可能な事業に優先順位をつけることから始めます」と宣言した。そして、始めに取り組んだ仕事は、伝統医療局の備品の確認。公私混同が激しく、一部の局員が私用としていた、車両、PC、書籍、が局に返還され、さらにザルだった会計に透明性の確保を総務に命じました。総務の主任は新しく副局長に就任したCaTMOの同僚です。


4年間の活動は無駄ではなかった。軌道に乗った研修事業運営とは一線を介し、一般的に陽の光を浴びる事のない地方から来た研修校の学生達(伝統医療師)で設立した伝統医療師協会のネットワークは、単なる卒業生の同窓ネットワークではなく、政府が伝統医療を推進していくためには欠かせない情報を収集するために不可欠な重要アクターとなりつつあります。

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最近は休日も返上でワークショップの準備をしているCaTHAのメンバー。この情熱。公務員に爪の垢を差し上げたい。


どんなに良い局長になっても役所で蔓延している腐敗体質が変わる訳ではありません。しかし、その中にあって、役所の建前ではなく、リアルな地方の現状の中で、ささやかに村人の健康管理活動をしている伝統医療師に耳を傾け、資金が無いなりに、貧困者のニーズに合った最善の道を模索しつつ、伝統医療によるプライマリーヘルスケアの取り組みに情熱を持ってとりくめる新しい局長であって欲しい!

内戦から立ち上がったカンボジアから世界に向けて発信できる開発事業になることと確信しています。

伝統薬の登録に関する問題が矢面に[2012年12月24日(Mon)]
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通常は教室として使っている伝統医療局の一室で開かれた


国立伝統医療局主催で「伝統薬の登録に関する1日研修」が51名の伝統医療師(クルクメール)を対象に開かれた。招待された51名のうち44名が伝統医療研修の卒業生であるCaTHAのメンバー。

通常、今回のような研修は、政府の制度を民間に一方的に伝達するような形で進められるが、今回の研修は様相が違った。カンボジアの伝統医療業界にとって、この「登録」を巡る問題が、伝統医療を公的に普及させていくための障壁になっているからだ。

長い内戦の影響もあり、制度と法の策定作業が各分野で遅れている。医療分野の中でも特に、遅れをとっている伝統薬の登録に関しては、西洋薬の登録手続きに準ずる事を余儀なくされているため、個人営業の伝統医療師にとっては研究所での検査や、大掛かりな治験を実施する事は事実上不可能である。また、その様な受け皿がないにも関わらず、それでも取り締まる役人と、何とかして伝統薬を業としたいクルクメールの間で、賄賂といった非公式な暗黙のシステムが出来上がっている。

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CaTHAメンバーのヒエンサポンさんは「役人に4000ドルを支払ったのに、一向に登録の作業が進まない」と声を荒げて訴えた。しかし、制度がないだけに政府役人に怒りの矛先を向けても何も始まらない。登録作業が進まなければ、薬事法違反として罰金者の対象にいれられる。また、研究者にとっても対象とできる伝統薬を特定する事さえできないのである。

これに対し、国立伝統医療局院のDr.スンナが、先日WHO派遣専門家によって提案された新しい伝統薬に関する登録方法を紹介した(「」参考)。これには、参加していた伝統医療師達も大きな期待を膨らませた。

研究会の終盤、CaTHAキーブーハン会長から、今後、全国のクルクメールの伝統薬登録の状況を収集すると共に、民間のクルクメール達にでも理解できる登録の仕組みや、申請書フォームの作成に積極的に協力したいという旨が述べられた。

これまで個人で活動してきたクルクメール達が、結束してデータ収集をしてくれれば伝統医療局にとって、こんな有難い事はないだろう。

小さな身内の研修会であったが、これまで上下関係しかなかった政府(伝統医療局)と伝統医療師の関係が、はじめて良好な状態に動き出した、という実感があった。

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LVCM諸国よ。ハイテクを追わず「PHC」で参戦せよ![2012年12月19日(Wed)]
アセアン伝統医療会議(3日目)最終日。メイン会場では各国のビデオ発表と各国研究者によるパネル発表、各国代表の協議により策定された「クアラルンプール宣言」が採択され、無事閉会式を迎えた。来年の第5回会議は民主化で話題を呼んでいるミャンマーでの開催。

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大規模に行われていた農業見本市の会場


昼食後は、バスで移動し「民間の農業試験場」と、同時期に大規模に開催されていた「農業見本市」を見学。マレーシアの伝統医療が国家政策として農業を始めとする産業と深く結びついて発展している様子を伺う事ができた。

全日程に参加し、改めて東南アジアにおける政府主導の伝統医学業界の盛り上がりを実感した。日本は、相補・代替医療に関するハイテクや高度な研究機関を持っているが、政府に伝統医療の専門局を持たないという、アジアでも稀な国である。伝統医療政策においては、他の先進国はおろか、これまで支援をしてきた途上国にまで遅れをきたしているという危機感を持たなくてはならない時期ではないだろうか。

また、会議の回を重ねる事にアセアン10カ国の経済格差と政府の関与状況、それに伴う伝統医療事業のレベル自体についての大きなギャップが浮き彫りになってきたように思える。タイ、インドネシア、フィリピン、マレーシア、など途上国から脱却した(いわゆる)先発途上国では、今回の会議で取り上げられたような伝統医療のハイテク化や高度な研究へのニーズが進む一方で、後発途上国(通称LVCM諸国/ミャンマー、ラオス、カンボジア、ベトナム)では、地域医療のアクセス改善が抱えている大きな問題である。

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地方の村にハイテクはいらない。安価で安全な医療が欲しい!


国内の天然資源を利用することでコストを削減できるとの考えから、伝統医療活用の検討が始まったのであるが、途上国によっては一般的に“背伸び”して、新興国のような施設や設備(のみ)を欲しがる傾向がある(LVCM諸国の中でも取り組みには差があるが)。しかし、そのような状況で伝統薬が完成したとしても、研究や設備投資には莫大なコストがかかるため薬価を低く押さえるのは難しく村人の手には届くことはないだろう。末顛倒である。。。:(
直接的な村の医療アクセス(プライマリーヘルスケア)向上の支援をしたいドナーの考えと、ハイテクを求める途上国の間に起こりがちな大きなギャップでもある。

「同じアセアンの中で、LVCM諸国は、やみくもに新興国の後追いをするのではなく、自国が抱えており、今出来る<PHC(プライマリーヘルスケア)向上のための取り組み>で参戦すべきである!!」

と強く感じ、地方のクルクメール達との連携への意欲が高められた今回のアセアン伝統医療会議でした。

第4回アセアン伝統医療国際会議 in マレーシア[2012年11月28日(Wed)]
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ホテルの部屋の正面にはクアラルンプールの象徴、ツインタワー

本来ならASEANサミット開催国であるカンボジアにて、開催されるはずの、毎年恒例となったASEAN伝統医療会議が、「東南アジアの優等生」と呼ばれるマレーシア、クアラルンプールで開催され、カンボジア代表団に同行した。


東南アジアでもクリスマスムードに包まれているが、迎えてくれたのは雨、未だ雨期が終わらない。飛行機の窓から雨雲を介して見えたのは、初めて見る幾何学模様の大規模プランテーション。黙視できる距離に来た時に、それが日本では石鹸の原料としてなじみのあるアブラヤシである事が確認できた。アブラヤシは1990年代初頭にマレーシアに持ち込まれ、1995年の統計では世界の生産量の51%を占める程に拡大した。しかしその一方では、大規模な熱帯雨林の焼き払いにより、大きな環境問題も生んでいる。

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「環境に優しい石鹸」(!?)でお馴染みのアブラヤシ


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上空から見たプランテーションの風景


到着の翌日、会議は開幕された。昨年の開催国インドネシア同様、マレーシアにおいても天然資源を活用した伝統医療政策がとられており、開会式でも保健大臣自らが歓迎の挨拶に駆けつけた。

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マレーシア保健大臣と各国代表団、国際機関の代表

中華系、マレー系、インド系の人々が混在するアジアの国際色豊かな土地柄同様、中国伝統医学、アーユルヴェーダ医学、そしてマレー人に代々伝わるマレー医学が混在しているのがマレーシアの伝統医学の特徴である。

これまでの国際会議では、薬学系を中心としたハーブの活用についての情報交換および標準化が進められていたが、今回の会議では日本では馴染み深い「徒手療法」についてのワークグループが出来るなどの新しい試みが加えられ、未だ制度化が遅れている中国伝統医学の医療技術にスポットが当てられた。今後ASEAN各国では、タイマッサージ、マレーマッサージ、インドネシアマッサージ、インドマッサージ、などについての標準化の作業が進められていく。また、タイ政府は、2014年にタイ政府主催で徒手療法のワークショップを開催する事をアナウンスした。この機会には、ぜひ日本の徒手療法および盲人医療の経験を活用して頂きたいと思った次第である。
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ワークショップでは盲人マッサージも紹介。各国共に取り組んでほしい。


(つづく)

伝統薬の「新しい分類法」が提案[2012年11月20日(Tue)]
カンボジアでは、ASEANサミットが開催され、各国首脳が集う会場となる首相府の真裏に位置する我々のオフィスは、警備上の理由から、立ち入り制限どころか、武装した兵士に囲まれ、建物に近づく事さえ出来ない。伝統医療研修校の学生は、地方での野外研修をスケジュールしたが、残されたスタッフは自宅勤務を強いられている。鍼灸室は休業中である。

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伝統医療戦略会議参加者


そんな中、最近、保健省で承認されたカンボジア「伝統医療戦略計画2012-2020」についての会議が、WHO(世界保健機構)の後援で、市内のホテルを会場に開かれた。“保健省承認”と聞けば、先進国に住む我々の感覚では、すでに国家予算が組まれた計画書と思って当然であるが、この戦略計画、「計画」だけが承認されているだけで、資金は全て海外からの助成金頼み。「絵に描いた餅」とも取れる戦略計画であるが、予算の確保が難しい途上国の一部署としては、精一杯の努力であるには違いない。

出席が予定されていた、保健省でも権限の高い、薬剤局担当次官やWHOカンボジア代表は、ASEANサミット対応のためか、急遽欠席となり、地方からの保健省伝統医療担当者以外は殆ど顔見知り。身内だけの会議となった。

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WHOから派遣されたDr.Santoso専門家


今回の会議中で最も興味深かったのは、WHOから派遣されたインドネシア人専門家Dr.Santosoによる、「新たな伝統薬の分類」についての提案である。Santoso氏は、インドネシア政府の、ジャムーと言う民間療法を含めた伝統薬分類の制度を紹介した上で、カンボジアの伝統薬を以下の3つの分類に分けて取り扱う提案を行った。

(分類1):民間療法薬
経験と伝承をベースに自然の原料を用い、地域のヒーラーによって衛生に考慮して使用され、広告や営業活動を伴わない。

(分類2):本草学に則った伝統薬
経験と伝承(最低20年)をベースに、数種類の植物をミックス、もしくは生薬のエキスを使い、小規模工場で製造され健康増進を表記したもの。

(分類3):植物薬剤
薬学試験、毒性試験、治験を通じて効果と安全性が認められ、大規模な工場で製造され治療を表記したもの。

WHOが、途上国の公的医療に伝統医療を活用しようという動きを始めたのは、1978年にプライマリーヘルスケアが初めて国際的に提唱された「アルマアタ宣言」に由来する。医療アクセスが困難な地域において「必須西洋薬の代用として、人々に受け入れられ、安価で、有効性・安全性がある程度明らかで、現地で供給のできる薬用植物をプライマリーヘルスケア向上のために活用していこう」という条文が含まれている。

WHOの支援のもと、各国の政府で、取り組みは始まるものの、医療の専門教育を受けた伝統医療専門家が少なく、研究室や治験で高い安全性の検証が可能な西洋薬に比べ、効果に個人差のある伝統薬は、国民医療の中では取り扱いにくいものだったに違いない。発案者であるWHO内でさえ同様の事が言えただろう。そのように考えられるだけに、WHOから派遣されSantoso氏の提案は、非常に意外なものに感じられた。

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小グループに分かれてのワークショップ


午後は、小グループに分かれてのワークショップ。私のテーブルには、保健省伝統医療担当副次官、WHOのSantoso氏、薬剤師協会会長、民間団体の代表、CaTMOの代表、その他、保健省役人数名が同席。席上では、伝統医療戦略を実現していくための「チャレンジ」についての検討と唱いながら、結局いつものように、役人達の理想論だけが飛び交い、どこから資金を集めるかに話が集中し始めた。議論の口火を切ったのは、(息の荒い)民間の代表者だった。「去年も同じような事を話した。10年待っているが、保健省は何の具体的な活動も始めていないじゃないか!」。意をついた発言にテーブルは一時フリーズ状態。すかさずSantoso氏から「何か、ハードルの低いところから始めないと、何も始める事が出来ないのは事実である」という発言。この3年間で、研究所や大学創設など身の丈に会わないプランを要求してくる保健省の傾向は実感してきた。

私の方からも、「正規の国民医療に統合を目指したプライオリティーの高い事業だけに注目するのではなく、現在手元にあるリソースを使った低予算で実現可能な事業から取り組んでいくという方法もある。」「国民の75%が伝統医療を使っていると言う試算がある中で、その使われている殆どの伝統薬は、先ほどSantoso氏が提案した「新たな伝統薬の分類」で言うところの分類1、2に相当する。今のカンボジアの現状の中で、分類1、分類2を無視し、高度な技術力、人材、多額な予算を必要とする、分類3の活用のみを事業化するという方策が、果たして地方のプライマリーヘルスケアを向上させるという本来の目標にマッチしているのかどうか?」「この新たな伝統薬の分類方法の可能性について、テーブルに同席の皆さんがどのように考えるか」を問いただしてみた。
やはり、テーブルは沈黙に包まれたのだが、WHOのSantoso氏からは「いいね!」のアイコンタクトをいただいた。

もちろん、薬草の中には、体に負担の大きい重金属が検出されるという報告例もあり、責任の所在のある保健省にとっては、「新たな伝統薬の分類」を受け入れる事が、安全性の確保という意味で、ハードルの高すぎる「チャレンジ」であるには違いない。しかし、最近CaTHAでは、使用頻度の高い薬草のリストを作成し、その薬草についての海外文献を収集しているところである。「新たな伝統薬の分類」が承認されれば、それに沿った安全基準の中で情報を収集するネットワークを持つ、民間の全国組織であるCaTHAの出番だなと確信した。

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会議の席で発表する、キーブーハンCaTHA会長


各テーブルからの発表の時間、隣のテーブルで議論していた、キーブーハンCaTHA会長からも、やはり「新たな伝統薬の分類」の中の、分類1と分類2についての情報収集をクルクメールが行い、分類3の研究は保健省が進めるべきであるというプレゼンテーションがあった。(でかした、キーブーハン!)

また、会議の前半には、保健省OBの薬剤師協会の代表から、クルクメールを名指しで(上から目線で)、使用している伝統薬について登録の義務を果たしていない、という指摘があった。これに対しキーブーハンCaTHA会長は、昨年設立した伝統医療師協会の取り組みを紹介し、今後クルクメールが組織として伝統医療の活性化をめざしていくと、関係者にアピールした。

伝統薬の登録について、CaTHAのメンバーであるクルクメールの中には、地方の保健省役場に有料(1製品につき約50ドル)で登録している者がいるにも関わらず、中央省庁には、これらの登録が報告されていないという事実も報告されている。会議終了後キーブーハン会長は、今後全国のCaTHA会員達から詳細な状況を収集し、保健省に報告をしていこうと決意していた。

いつも役所からは苦汁を飲まされてきたクルクメール達にとって、WHOという国際機関を味方につけた今回の会議は有意義なものとなった。これから、クルクメール達の「草の根パワー」の見せ所である。
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それってハーブ薬?伝統薬?[2012年10月30日(Tue)]
研修の卒業生である村の伝統医療師たちを訪ねていて興味深い事に気づいた。

元々クルクメールとして仕事をしていた学生達は、5ヶ月の研修で新しい知識を吸収し、すでに村での仕事を再開している。研修に来る以前と卒業後の仕事や生活について、

「基本的な解剖の知識が身に付いたおかげで自信がついた」
「患者からの質問に以前よりも答えられる様になった」
「保健所のスタッフが、こちらに患者を紹介してくるようになった」

ほんの一部ではあるが、研修前後に変化があったことを語ってくれた。
また中には、

「以前は、色々な仕事に手を付けていたため、子供達からは中途半端だとバカにされていた。研修に行った後は、薬草を扱う仕事が楽しくなり、子供達からも尊敬されるようになった」

という心温まるユニークな回答もあった。

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村に復帰した卒業生に研修前後の変化についてインタビューする


もともと薬草に詳しいクルクメール達であるが、全員が研修前よりも倍以上の数の薬草について知識を得たと答え、対応できる疾患は、以前よりも多くなったと回答した。

しかし、普段処方する伝統薬の数についても、同様に研修前よりも研修後で増えているかと思いきや、予想に反し、平均5.4種類から3.6種類と減少傾向にあった。原因をただしたところ、

1)「以前は、胃痛にはAの薬、吐き気にはBの薬を処方していた。研修の間に、Aの薬は胃痛にも吐き気にも効果があるという事を知り、Bの処方は使わなくなった。」

2)「以前は、胃痛には5種類の薬草を調合して薬を処方していたが、研修の中でCの薬草だけでも胃痛に効果があるという事を勉強した。だから今は胃痛にはCの薬草のみを渡すようになった」

という回答があった。

確かに、村のクルクメールの仕事は忙しい。森での薬草採取から、洗浄、切断、乾燥(天日干し)、梱包、の作業を経て、ようやくひとつの薬を作り出す。5種類の薬草を使うのであれば、それだけ時間に拘束されてしまう。ましてや、ほとんどのクルクメールは他の仕事を兼業しているため、伝統薬をつくる時間が短縮できれば、それだけ他の仕事をすることで収入を得る事が出来る。

カンボジアの伝統医療の処方については、文献を含め研究が進んでおらず、伝統医療師研修の中でも海外での研究成果を参考にした薬草単体の効能についての講義が行われている。古典から抜粋されたいくつかの薬草を組み合わせた処方についての講義はほとんど行われていない(行えない)。

これまで各クルクメールが習得してきた各家庭に伝わる処方について、各自、経験的に効果を実感していたとしても、口伝においては効能についての理論的根拠に欠けている。1種類のハーブにでさえ1000以上の成分が含まれていると言われており、科学的検証の作業には莫大な時間と費用がかかる。ましてや数種類のブレンド処方となると、薬の薬効を証明するためには先進国の技術を駆使したとしても難しい。日本の漢方でさえ科学的な証明は充分出来ているとは言えない状況である。

これまで伝統薬づくりの作業に時間が割かれてきた。そこに科学に裏付けされた薬草(ハーブ)の学問を学んだとすれば、それは、これまで使ってきた伝統薬の処方よりも新鮮で魅力的に見えるのも無理は無い。

そして、販売する薬の公的機関への登録には、本来、科学的な検証結果を提示する事が要求される。現に近隣のタイやベトナムでは製品登録がしやすい薬草単体でのハーブ薬品が大半を占めている。

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とてもオシャレなタイの伝統薬。各薬は1種類の薬草を原料にしている。


しかし、ここに落とし穴がある様に感じた。果たしてそれは伝統医学と呼んでいいのだろうか?

伝統医学の定義については、各国によっていろいろな解釈があると思われるが、古典に記載されているような伝統薬の処方は、数百年から数千年をかけた経験的エビデンスと哲学理論に裏付けされている。もちろん伝統医学は人の健康のためのものなので効果と安全性については、科学的に証明していく事は必須である。しかし、現在の生物統計学的エビデンス基本とした自然科学で証明できない部分は一切認めず、ここ数十年の研究から得た知識(エキス)のみが尊重されるとしたら、それは伝統医学ではなく ハーブ医学もしくは自然医学? としか呼べないのではないだろうか。

それは問題である。カンボジアの伝統医療と、それを伝承してきたクルクメールという職業は1000年の歴史をもつ国の至宝である。そのことは自然科学では証明できる事ではなく、人文科学や社会科学といった(一般には文系と呼ばれる)分野で支えていく必要がある。

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伝統医療には理系(自然科学)だけではなく文系(人文科学や社会科学)の研究も不可欠


カンボジアの伝統医療の知識は、サストラと呼ばれるパームヤシの葉に刻まれた教典として保存されてきた。しかし、その多くは内戦や観光客相手に販売され、今や30点あまりがスキャンされ保存されているのみである。それらの文字は古代パール文字と呼ばれる特殊な文字で記録されているため、一般の人々には解読不可能。その翻訳作業も今は中断されたままである。伝統的知識の伝承を失わないためには、一刻も早く古典の翻訳作業を行い、自然科学で得た情報と比較し、伝統を裏付ける作業が必要である。

また、カンボジアの伝統医療は薬草の使用と並行して精神医学的要素も色濃く、クルクメールは長く続けられてきた村社会において、精神的な支えとなってきた。長い内戦は、この村社会の構造自体を根底から破壊したと言われている。伝統医療とクルクメールを対象とした社会科学的研究は、この国の文化復興と再生にもたいへん重要な意味をもっていると思う。

このままでは、いつか「伝統医学は研究室の中の学問として残るが、伝統医療師という職業はなくなってしまう」。

研修の卒業生を訪問する中で気づかされた大きな課題である。

CaTHAで薬草栽培全国ネットワーク[2012年10月06日(Sat)]
研修校の卒業生で結成した伝統医療師協会“CaTHA”。立ち上げの作業も随分片付いてきた。当初は、会員からヤレ「工場を建ててくれ」ヤレ「研究所を作ってくれ」ヤレ「留学資金をだしてくれ」などの“物乞い”ばかりであったが、ようやく、この集まりが同業者で自助努力をしていくために組織された機関である事がようやく理解し始めてきた。特に全国の会員である伝統医療師達から集めたデータが、保健省の科学研究のための計画や、薬草園の新規栽培リストの作成に利用されている状況を目にした運営陣たちの間では、組織することでクルクメールの集団の力を体感し始めている。

CaTHAが次に考えていく事は、この全国組織のネットワークを今後どのように活用し、かつメンバー各人が協会へ所属している事に利益を感じられるような事業づくりである。そこでキーワードになるのが“農業”ではないかと考えている。

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薬草の苗を増やすトレーニング 1

カンボジアの村に住むクルクメールの殆どは、農業を兼業しながら生計を立てている。研修で新しいハーブの知識を得たものの、森からこれら全てのハーブを収集するのはとにかく時間がかかる。集めた薬草から薬を作る時間も必要だ。
村で働くクルクメール会員にとってはCaTHAの活動に参加するだけの金も時間も余裕はない。

さらにカンボジア全土は平坦で同じ熱帯地方に位置しながらも、薬草によっては異なった分布をもっている。また長期に及ぶ無秩序な森林伐採の影響か、もしくは気候変動が原因か、多くの薬草の数が以前よりも減少し、市場での取引価格が上がっている。そこにCaTHAのメンバー各自が地元の薬草を栽培し、メンバー同士で伝統薬の原料となる生薬のやり取りを行うというシステムを検討している。

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薬草の苗を増やすトレーニング 2

そのためには、クルクメール達が、基本的な株を増やしていくための農業知識を習得する必要がある。場合によっては用水やグリーンハウスなどの設備投資も必要となる。これに関しては協会内でマイクロファイナンス等の仕組みを作って解決する事も可能ではないかと考えている。

農業知識の向上は、クルクメールの家庭の食卓を潤す事にも通じ、栽培された薬草が流通する事によって全国の村人の健康が守られ、一方では、地球規模で起きている気候変動からカンボジアの豊かな生物多様性を保全するという取り組みにも繋がる。

話は反れるが、同じ東南アジアのタイとミャンマーでは、日本財団、保健省、WHOと共に、伝統医薬品を使った「置き薬」事業を医療過疎地帯の村を対象に実施して大きな成果をあげている。特にミャンマーでは、大統領直々の肩入れで2014年末までには、全国の2万8千の村に薬箱を配置し、最終的には全国6万5千村すべてに配置することを目指している。もちろん、それに伴い伝統薬の原料となる薬草の栽培が急ピッチに進められており、カイン州、モン州、シャン州、カチン州で収穫する全ての薬草をミャンマー保健省が購入するという広大な計画がすすめられている。

ミャンマー、カンボジア、両国共に地方の村での薬草栽培が、農家の収入を増やし、都市と地方での所得格差を始めとした各国が抱える問題解決の糸口になるには違いない。

村での調査の難しさ[2012年10月04日(Thu)]
「アンケートというものを見るのも初めて」「どの答えが正解ですか?」そんな回答が帰ってくる地方の村人へのアンケート調査。ただ質問にチェックをいれるだけのアンケートにも四苦八苦。しかしテレビや雑誌では味わえない、カンボジアの生きた声を聞ける良い機会である。

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研修の効果はいかに?卒業生と村人の生の声


CaTHA会員148名の住所を絞り込み「医療アクセスの乏しい村」を公的診療所から8キロ以上離れた村と設定。初回のバッタンバン州での調査に味をしめ、引き続きコンポントムの調査を計画。ところが訪問予定の3名全員が首都プノンペンに移住しているという事が分り計画はキャンセル。再度21名の訪問する予定の候補者に問い合わせをしたところ、職を求めて村を離れ街に移住したものや、伝統医療サービスを行っていない、実はヘルスセンターはもっと近くにあった、ということで11名がリストから外された。

気を取り直して、ヘルスセンターからは8キロの距離だという事を再度確認した、古都ウドン郊外に住む、クルクメールの村を訪ねた。バイクで現場の村に向かう。出発して約10分雨が降りだす。携帯していた雨ガッパを着るものの、残り数キロという場所で雨脚が厳しくなり泣く泣くレストランに避難。

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古都ウドン。大河に沿って美しい寺院群がたたずむ

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多くの水上生活者が見られる

予定より2時間遅れての到着。ソンボー村はトンレサップ川の大河のほとりにあり、かつての首都を思わせる港町である。彼岸には多くの船上生活者の姿も見られた。現在はイスラム系住民が多く住んでいるのがうかがえるが、唐寺があり、当時ここが国際的交易でにぎわったいた事を偲ばせる。しかし医療アクセスの悪い村にしては、市場が賑わい商店の中には歯医者や薬局が見られるのが気にかかった(?!)

クルクメールのイーヤンさんは、クルーティエーと呼ばれる“占い師”でもあり、我々の訪問時にも、4人の女性がプノンペンから彼を訪ねてやってきた。
研修校に参加しているクルクメール達の中には、クルティエーやアチャーと呼ばれる呪術師を兼ねている人たちもいると聞いているが、その事には口を閉ざす者が多い。

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時間も限られており、インタビューは1日で完了できなかった。帰り際に8キロ離れているという診療所の場所を確認する事にした。

イーヤンさんに再訪を約束し出発したものの、街の外れの1キロも満たないところに診療所を発見してしまった。。。また調査リストから1名が除外。

本日は完敗。。。再び雨が降り出した。

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村の公立診療所。看護師と助産師が常駐している

卒業生の研修前後の変化(バッタンバン州スダオ村)[2012年09月16日(Sun)]


バッタンバン州スダオ村の卒業生を訪問

研修卒業生が、卒業後それぞれの村でクルクメールとしてどのような活躍をしているか観察するため、シムリアップに続き、タイとの国境バッタンバン州を訪問した。

卒業生のイン・ソチュックさん (41 女性)が住むスダオ村は、バッタンバンの市街地から30km離れた最奥の村。国道を車で22km、そこから舗装されていない側道に入ること15km、吊り橋を渡り、更にバイクタクシーで7km進みようやく到着する。

保健省では10kmごとに1件の保健所(看護師、助産師が常駐)を設置する事を目標にしているが、スダオ村から最寄りの保健所までは22km。バイクタクシーでも往復30,000リエル(約580円)かかる。村人の1日の収入が約10,000リエルと言われているのを考えると相当な負担である。そのような状況の中、クルクメールであるソチュックさんが村のプライマリーヘルスケアにどのように関与しているのかに興味があった。

内戦時、クメールルージュが拠点としていたバッタンバン州の中でも、小高い丘が多く自然の要塞として最適であったスダオ村は、兵達の生活の場となっていた。内戦終結後、国が安定し、村人達の入植が始まったのは僅か7年前の事である。国道からのアクセスが悪い上に車が村まで入って来れないという理由から、プランテーション農家は皆無である。この時期は丁度トウモロコシの植え付けが始まっていた。自給自足の生活をおくる村人達が、交代で家々の畑を手伝っている光景がみられ、強い相互扶助の姿が感じられた。また素朴な造りの家々の軒先には花が植えられており、感じのいい雰囲気が漂っていた。想像していた貧困の村としての悲壮感は良い意味で裏切られた。

村には小さな雑貨屋があり大抵の日常品が購入できる。解熱鎮痛剤を中心とした数種類の西洋市販薬もバラ売りで販売されていた。一般に、このような医療のアクセスが悪いカンボジアの地域の人々は、村で入手できる西洋薬と伝統薬を経験上使い分けている(詳細については現在調査中)。出産に関しては、伝統助産婦が5km 離れた隣の村にいるが、今は村の殆どの人がヘルスセンターまで足を運んでいる。

この村でただ一人のクルクメール(伝統医療師)、ソチュックさんはシャーマンとして認識されている。人柄が良く、村人から信頼、尊敬されている様子が村人へのアンケートを通じても感じられた。

ソチュックさんに、クルクメールとしての仕事内容や研修後の変化について伺った。

通常、市販されている西洋薬で対応できない慢性の胃痛や婦人病などの伝統薬を処方、食事や衛生指導、自分で対応できない場合は保健所へ行くよう助言をしている。これらの知識は祖父から教わってきたが、保健省での研修を終えた今、以前よりも自信を持って対応できるようになったという。

さらに研修後に感じた変化としては、保健省からの認定書をもらった事で、隣の村や保健所からの紹介で薬を求めてくる人が増えた。身近な村人たちの伝統医療に対する関心が高まったこと等を挙げた。また、以前はスピリチュアル・ヒーリングを中心としてきたが、沢山の薬草の知識を得た事で伝統薬の処方する機会が増えた。

そのため所有している畑に薬草を植林し、森に薬草を採取するために若い村人に仕事を与える機会も増えた。作った伝統薬を街に販売する事で村に収入が発生した。

これからのクルクメールとしての夢を伺ったところ、「これまでは周囲の村人に対しては無料で治療をしきたが、今よりも生活が安定すれば、より多くの村人に無料で治療を施してあげたい。保健所の医療者ともっと協力できれば、今よりも良い健康サービスができる。」と今後の抱負を語ってくれた。
希少薬草の苗を増やす(キリロム薬草園)[2012年09月14日(Fri)]

苗の増やし方について講習を受けるクルクメールと村人

これまでに伝統医療師、クルクメール達が多く使っている薬草をリストアップし、リストは300種類以上にものぼった。しかし、その中にはニーズが高いにも関わらず、入手が困難になっている品種が増えている。胃腸薬としてダントツで1番使用されている、北部特産のCananga(イランイランの仲間)についても市場での価格が釣り上がっている。

プノンペンから南西200kmにある保健省伝統医療局が監督するキリロム薬草園は、これまでに468種類1400本の薬草が植林されてきた。しかし、その用途は一般の人々に公開される訳でもなく、年に2回研修校の課外授業で学生達が訪問するだけである。グリーンハウスや貯水池といった施設も有効に利用している状況ではなかった。

そこで、今回、使用頻度が高い薬草から入手が困難になっているものを20種類選び、薬草園の空き地や施設を活用して、苗を増やしていく事に試みている。残念ながら専門家に言わせると、キリロムは地形的に農業には適さない土地なのだそうだ。

全国にはCaTHAのメンバーがいる。その土地によって栽培しやすい品種がある。今回、栽培のノウハウを習得し、各地のメンバーに呼びかけ、苗の栽培を促進し、薬草の不足を解消しようと考えている。

「自然資源の保全と有効活用」は、CaTHAが試みるコンセプトのひとつである。
メコン流域伝統医療会議[2012年09月08日(Sat)]
メコン流域伝統医療会議(The Fifth Meeting on Indigenous Medicine in the Mekong Basin)が9月5日から3日間の日程で行なわれた。

メコン川は全長4,023km、チベットを源流とし、中国雲南省、ミャンマー/タイ国境、タイ/ラオス国境、カンボジア、ベトナムデルタ地域を経て南シナ海に至る国際河川である。今回は、この流域から6カ国の政府伝統医療担当者と選抜されたヒーラー達がバンコク・IMPACT展示会場に集結した。国は違えどもメコン川流域の豊かな土壌に育まれ伝承、発展してきた、マッサージ、産婆術、整体術、ヒーリングセラピー、の技術が各国のヒーラー達によって披露された。本国際会議は5回目となるが、カンボジアからクルクメールが参加するのは今回が初めて。カンボジアから研修校卒業生である2名の僧侶であるクルクメールが参加し、会場中央に設置されたステージの上で、治療実技のデモンストレーションを行ない、キーブーハンCaTHA会長は自らの経験を踏まえながらカンボジアで使われている伝統薬の一例を紹介した。

これまで、この地域の伝統医療国際会議と言えば、政府代表者によって公的保健への伝統医療活用をテーマに開かれてきたが、今回のヒーラー達によるプラクティカルな情報共有の手法はとても新鮮に映った。しいて言えば(個人的なエゴだが)、同じメコン地域の中で伝統医療間に共通される部分をウローズアップして連携を深めて欲しいという希望はあった。
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ハーバル・エキスポ 10万人の入場者でにぎわう

同期間中には、タイ・ハーブ・エキスポが盛大に開催された。9年目となるこの催しは年々熱が上がり、10万人の入場者があるという。展示会場には、ハーバルコスメ商品、ハーブ食品、伝統薬、マッサージブースなどがひしめき合っていたが、その中には、ハーブの苗木の直販店も多く並んでおり、多くの入場者が苗木を購入していた。伝統薬製品の開発が進むタイ程の伝統医療先進国でも、家庭で苗木を育てて昔ながらの伝統薬が未だに浸透している様子である。


今回のメコン会議と、ハーブ・エキスポ、主催者はタイ保健省である。これまでの、この地域の伝統医療会議は“ハーブ”をテーマにする事が殆どであった。今年のテーマは“手技療法”。ちなみに11月に開催される第4回ASEAN伝統医療国際会議のテーマも同テーマで行われる。日本で手技療法に携わっていたものとしては何とも嬉しい機会に巡り会えた。

ちなみにタイ政府は、現在“タイマッサージ”をユネスコの無形文化遺産登録への準備を進めているという噂がある。今大会の力の入れ様は、明らかに近隣国の支持を取り付けたいという思惑があるのでは。。。などと感じさせられる程、盛大なイベントであった。

村人が伝統産婆を選ぶワケ(プレアントン村)[2012年08月29日(Wed)]
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卒業生へ研修前後の変化についてのインタビュー

シムリアップ市街から60km東に行ったクーレン山の山頂にあるプレアントン村。187家族、390人が住み、プレアントン寺を訪れる観光業(出店)が唯一の産業である。クーレンの名前の由来は、この地域に多く自生しているライチ(クメール語でクーレン)の巨木である。村長は研修校卒業生バニー師の奥さん(28)で元教師である。
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ライチ(クーレン)の巨木

この村から最寄りの保健所までは約8km。車が通るのも困難な悪路を通らなければたどり着かない。村にある生活用品店3件で市販の西洋薬を購入する事が出来る。もちろん無資格。シムリアップ市内から仕入れている。内1件の女性は伝統助産婦である。村には7人のクルクメールおり、2名が研修校卒業生で、9月から始まった5期生への新入生2名がいる。7名のうち2名は接骨術も行なう。
村の医療事情を知る上で“風邪”をひいた時と“出産”する上でかかるコストを“村内”で解決する方法と“保健センター(HS)”に行くケースで比較してみた。

HSでは原則2000リエルで3日分の処方。貧困過程からは徴収しないとしている。しかし実際は、各ヘルスセンターで、ある程度の金額を設定している(今後紹介予定)。

<風邪のケース>
@HSに行く場合:
1日分の薬代 1500リエル
交通費 4ドル(16000リエル)/往復 
      計17500リエル=約338円
A村で薬を購入する場合:
1日分の薬代 6000リエル=約116円

<出産のケース>
@シムリアップ市内の病院(村から60km):
無料、しかし病院までの救急車$70ドル(深夜), 日中$50
さらに病院での毎月の定期検診が義務
(乗り合いタクシー18ドル/往復)計88ドル〜=約6910円
※ 無料である代わりにワーカーの対応が悪いという
※ 貧困家庭の認可をうけた場合には交通費が支給される仕組みもある

AHS: 15$, 点滴+薬5$x2回, 交通費4ドル/往復 小計29ドル
ただし1ヶ月後にシムリアップ市内に検診義務
(乗り合いタクシー18ドル/往復) 計47ドル=約3691円
※ 悪路をバイクタクシーで移動しなくてはならない。

B村の産婆:20ドル、点滴+薬15$x2回, 計50ドル=約3926円
※自宅で出産、無資格者だが顔見知りの産婆で信頼できる。
※産婆の判断で難産が予想される時は、HSもしくは病院での出産を勧める。

母子保健を重点事業としている政府は、公的専門教育を受けていない伝統産婆に出産を依頼する事を禁止するキャンペーンを行なってきた。しかしながら、村の事情によっては、まだまだ伝統産婆による出産ニーズは高い。そして、都市や村に関わらず、全国的に出産前後の強壮薬としてクルクメールの伝統薬が普及しており、妊婦の健康を支えているという現状がある。
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奥さんは伝統産婆、旦那さんはクルクメールというご夫婦
村人は西洋薬と伝統薬を使い分けてる?![2012年08月27日(Mon)]
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小さな村の、こんな雑貨屋にも西洋薬がおいてある

カンボジア保健省は全国1000カ所に公立の保健センターを設置し(8,000〜12,000人に1カ所を目標)看護師と助産師を配置している。一方でWHOの試算では、75%の国民が、未だカンボジアでは公的医療として認められていない伝統医療を使っていると言う。一般に人々は、急性疾患には西洋薬、慢性疾患には伝統薬とそれぞれ状況によって使い分けているという。カンボジアは首都から遠く離れた地方の村でさえ、タイ、ベトナムと国境を接しているためか意外に、保健センターと同様の西洋薬が、各村の商店で手に入る事も分ってきた。
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鎮痛剤が中心。バラ売りされている。

実際にどのように、それぞれの医療を使い分けているのか?また伝統医療師が、村の健康管理、プライマリーヘルスケアにどのように参加しているのか。今回は、これまでの研修校を卒業したCaTHA会員の中から、診療所から7km以上離れた地域に住む学生達がクルクメールとして活躍している村を訪問する事にした。7kmという距離は、村人が最も交通手段として利用するバイクタクシーを使うと往復約5ドルかかる距離。これは村人が1人あたり日当として1日に稼ぐ金額であり、通院が必要になった際、十分経済的に負担がかかると言える金額である。CaTHA全員からの聞き込みによって約20名の該当者を選択した。今回は、シムリアップ、バンテイミンチェイ、バッタンバンの3州の村に住むクルクメール6名を訪ねることにした。
村の調査は体当たり![2012年08月14日(Tue)]

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診療所の周辺には手つかづの自然が。薬草の宝庫。

早速、グラフィス診療所を訪問。まず周囲の山林の植生を調べた。カンボジアで全国的に使用頻度が高い薬草であるにも関わらず入手が難しくなっているというサルトリイバラ(Smilax china)の群生が多く見られた。サルトリイバラは、古く日本では、梅毒の薬として中国から輸入されていた土茯苓(Smilaxglabra)の代用として使われていた事で知られている。カンボジアでは消化器系一般の症状に広く使用されている。
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サルトリイバラ(Smilax china)の群生


その後、グラフィス診療所が毎日実施している、夕方の「歯磨き巡回」に同行した。アンケート調査の協力を村人に依頼するためである。翌日は、診療所が巡回している3カ所を1日がかりで訪問する予定だったが、幸い翌日は午前中に村の臨時集会があり1カ所に村人が集まるという。

最後に村長を訪ね調査への理解を求めた。一般にカンボジアでは、広く舶来主義が横行しており、近代的な医療へのニーズが高いことが分っているだけに、果たして村人が伝統薬の利用に関心を示すかは不安であった。幸運な事に、村長は伝統薬の支持者であり我々の調査に高い興味を示してくれ上に、自分のこれまでの伝統薬体験談を長々と話してくれた。幸先が良い。
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村人へのアンケートに一苦労。。。

集会は朝の8時から。7時半には、村の中央にある集会所に村人が集まり始めた。
血圧計を持参。アンケートの記入が終わった人には、協力のお礼に血圧を測る事にした。早速テーブルの周囲には人だかりが。1人ずつアンケート用紙を配布する。しかし、その直後から調査の困難さを思い知らされる事になった。殆どの人が文字を書けない事を想定し、チェック形式にしていたのだが、アンケート自体が始めての村人にとっては、それさえも困惑。人によっては「どれが正解?」試験と勘違いしている人もいた。研修生の学生達のアンケートにも手こずったが、それ以上である。短時間で沢山の回答を収集できるアンケートは意味をなさない。結局個別に聞いていくしかなかった。スタッフのメンホックの活躍もあって28名から回答を得た。次の調査では村の人口500人の10%、50人目指す。

次に、村のクルクメールを探した。毎日村を訪問している医師と看護師はクルクメールの存在を知らないと言う。もし我々とグラフィス診療所が何らかの形で伝統薬を利用するサービスを開始するとした時、村に伝統薬の専門家が不可欠であると考えた。できれば9月から始まる5ヶ月間の研修コースに参加してほしい。
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村に住むクルクメール宅を訪問

3人のクルクメールの存在をつきとめた。
道案内に村の子供をバイクに乗せ、悪路を走った。1人目は土地の管理に忙しいという事でアッサリと断られてしまった。残り二人は偶然にも一件の家で会う事が出来た、比較的高齢である。新興住宅地(?!)ともあって、通学可能な若い世代の伝承者はいなかった。それぞれの村人が農家としての仕事をもっているため、5ヶ月も土地を離れ通学する事は容易な事ではない。研修に参加できない場合、この村の伝統医療事業に参加してもらうためには、活動に参加できるよう短期間のレクチャーを準備するなど工夫が必要がある。

何はともあれ、カンボジア国内では伝統医療についてのデータが少なく、また制度も遅れているために、折角普及している伝統医療を公的医療システムに活用する事が実質不可能である。今回の民間での伝統薬活用の取り組みが、将来のカンボジア統合医療モデルとして普及していく事を祈っている。
診療所が伝統薬に興味をもったワケ[2012年08月14日(Tue)]
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人口500人のプレイプロサット村

プレイプロサット村は100件程の簡素な家が立ち並ぶだけの小さな集落である。比較的新しい村で、内戦終結後に政府が退役軍人に土地が支給されジャングルの中に開墾された。商店やレストランなども無く、村人は都市に住む資産家のマンゴーやキャサバを育てる大農園で働き僅かながらの収入を得て暮らしている。

全国には約1,000件の公立診療所があるが、プレイプロサット村の場合、最寄りの診療所までは20km以上も離れており、NGO-CDEPが運営する民間のグラフィス診療所が村の近くに立った事は、村人たちに大きな安心を与えた。また一般の診療所は2000リエル(約40円)で診察と処方を受ける事になっているが、現実には十分なサービスが行き届いておらず、村の雑貨屋が町から買いそろえている市販の薬(バラ売り)を、自己判断で購入している。その点、外国人が管理している私営のグラフィス診療所には常時、医師、看護師、助産師、と薬、緊急時の救急輸送車が配置されており、5000リエル(約97円)で医療を受ける事が出来る。治療費をどうしても払えない人でも同様のサービスが与えられている。
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グラフィス診療所のスタッフ

グラフィス診療所は、そんな僅かな診療費と海外からの助成金で運営されている。決して村の保健全体をカバーできる程の人材と潤沢な資金があるという訳ではない。しかし、治療費を払えない村人でも病状が悪く中央に輸送しなくてはならない時には、診療所が燃料費を含め全ての経費を限りある資金の中から捻出しなくてはならない。もし、村人が事前に病気を予防し、疾病に対して早期発見早期治療できれば医療費の節約が出来る。そこで、病院では、毎日、夕方の決まった時間に医師と看護師が交代で、村の3カ所に赴き、子供達に「歯磨き」指導を実施している。村の大人の殆どが学校での勉強をした事が無く、健康指導の習得が難しい事から、長期の視野で子供達に予防の意識を植え付ける事を始めたようである。また、教育活動であるとともに毎日3カ所を訪問する事によって、村人とのコミュニケーションも親密となり、村人の健康を管理する事が出来る。

グラフィス診療所は、この他にも小学校への医療教育なども行なっているが、更に、村にとって、より持続可能な保健システムを模索してきた。
村人が病気にかからず、薬代が節約できる方法。村の近くで入手できる薬草を使った「伝統医療の活用」は、そのような試行錯誤の過程の中で生まれたアイデアである。
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毎日村で実施いている「歯磨き」巡回

村の診療所で”伝統医療”を[2012年08月09日(Thu)]
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国道からは慣れた森の中にあるグラフィス診療所


緊急医療の現場を支えるSide-by-Sideと、コミュニティー開発に取り組むCDEP(カンボジアの教育と寄宿舎プロジェクト)という2つのプロジェクトを運営している日系アメリカ人ピーターさん、西口さんとの会食する機会を設けた。保健省と日本財団との関わりで事業を進めているという共通項があり、情報交換を目的に夕食をセッティングした。ところが話題は意外な展開に。彼らの運営する民営の診療所や関係医療施設で「伝統薬を取扱いたい」というのである!

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海外から支援された緊急車両が待機されている

CDEPは、コミュニティー開発の一環として、民営のGraphis診療所を運営している。国道4号線をサポートする緊急車両も待機されている。実はこの診療所、昨年、向井理主演で話題になった実話「僕たちは世界を変えることができない。」(監督深作健太)という映画の中でも登場した日本の学生達がドナーとなって始められた診療所。ロケーションであるコンポンセラ地区は、プノンペンから車で約3時間南下した場所にあり、CaTMOが管理しているキリロム薬草園にも程近い。内戦時代には、小高い丘陵の地形はゲリラの格好の隠れ家となっていたため、開発も遅れ、手つかずの自然が残されている。当然薬草の宝庫でもある。伝統薬を使った村民の健康管理は、CDEPの「適正技術を用いた持続可能な開発」という活動コンセプトに相応しいと考えられるのだ。

早速、クルクメールのスタッフと泊まりがけで村の調査に足を運んだ。今回の調査項目は、1)診療所近くの薬草植生調査 2)村人がどのような時に伝統薬を使用しているのか、そして 3)一緒に活動できる村のクルクメール探し、である。CDEPの管理する土地は500ヘクタール(5km平方キロ!?)。広大な薬草の造園を展開する事も可能である!CaTHA伝統医療師協会員188名から収集した、薬草や治療に関するデータを薬草園づくりに活用できるチャンスでもある。(つづく)
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将来の薬草園?!

食品工場で衛生管理を学ぶ[2012年08月05日(Sun)]

食品工場見学のもよう


伝統医療の世界でも国際基準を提唱する声が高くなっている。それだけ各国政府が伝統医療の活用に本気になっている事を示すバロメーターである。しかし、どこまでの基準に高めるのかで議論となっている。理想としては西洋薬の製造品質管理基準であるGMPに合わせるべきであるが、そもそもハーブを主な原料とする伝統薬は”健康食品”とも考えられる。実際に途上国にある大きな伝統薬会社でも先進国並みの伝統薬工場を設置している国もあるが、中小企業が莫大な費用をかけて国際的(に近い)な製造品質管理基準をクリアーするのは並大抵の事ではない。ましてや、村にいる伝統医療師に取っては。。。

 しかしながら、もともとは顧客に対するサービスの一環としての”安全基準”であるのだから、国際基準と迄は、いかなくとも「ここまでやれば村人も納得するだろう」と言う出来る範囲というものがあるはずである。おそらく村のクルクメール達に製薬会社の製造品質基準を見てもらっても、「わーすごい!」で終わってしまうので、食品工場の製造品質基準を参考にできないかと考えた。

 そこでカンボジア産パームシュガーの日本での販売を促進している元祖無添加化粧品で有名なファンケルの健康食品部門担当者に、コンフィレル社というカンボジアの食品工場を紹介いただき、課外授業の一環として工場見学を実施した。コンフィレル社は、もともとは西洋薬の原料を輸入して製品化している製薬会社で、パームヤシを原料にした砂糖や菓子、酒類を製造している会社だ。

実際に、この工場では別棟で西洋薬の加工も行なっている関係から、すでに高い衛生環境を導入しているのだが思った以上の設備である。工場の担当者曰く、日本の安全基準を導入したが、始めは従業員達もマスクの着用や、履物の規制など、慣れるのには時間がかかったそうだ。日本では普通の当たり前の事でも、カンボジアの“普通”では、けっしてない。

しかしながら、この見学を通してクルクメールの学生達が「実際に、ここまでやるんだ!」と感じてもらえたのなら本望である。
アセアン外相会議 とCaTHA本年度入会〆切り[2012年07月11日(Wed)]
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カンボジア首相府(写真 ホームページから転用)

日本の報道でもタイムリーなアセアン外相会議が、カンボジアで行なわれている。会場になっているのは、プノンペンにある首相府。テレビにも出ているこの荘厳な建物。その真裏にCaTMOのオフィスである伝統医療局はある。

1週間前からの厳重な警備。会議が始まってからは、完全武装した兵士達が緊急配備。通行規制のため車両はおろか人の出入りまで厳重に制限されている。当然、研修の学生達の出入りもままならず、急遽スケジュールを変更して、課外授業を2連発を決行。事務所に残ったスタッフ達は、猛暑の中、厳戒態勢の中を徒歩で出勤している晴れ

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盛り上がるASEAN会議(イメージ写真 ホームページから転用)


外相会議と時を同じくして、在校生と卒業生で組織した、伝統医療師協会の入会登録も〆切り。事務局のモチベーションの向上と会員の自助努力を図るため、本年度から10ドルの会費を徴収することにした。

結果248人中、198人が入会を表明。残念な事に20%の卒業生からは入会の手続きがなかった。カンボジア人のほとんどが副業を持っているという背景もあり、入会しなかった人の中には本業の方が忙しく会員として参加する程、伝統医療の業務に専念できていないという告白もあった。しかし、大半の卒業生達からは、協会の活動へ期待を寄せる声が多く寄せられている。

そもそも今回の日本財団が支援している伝統医療師研修事業は、地方で地元の伝統医療を使って活躍するクルクメール達にボトムアップの教育を行なう事で、医療アクセスの悪い地域への医療アクセスを改善するというのが大目的である。

伝統医療師協会の活動自体は、研修生の卒後支援という形は取っているものの、少々脇道にそれている感はある。しかし、本来一番奮闘するべきである政府の方で、いまひとつ伝統医療事業への関心が低い分、CaTHA伝統医療師協会が地方の現場で、伝統医療活動を盛り上げているさまを社会にアピールしていく事で、カンボジア国民の伝統医療ニーズを表面化していければと期待している。

5月までに実施してきた、CaTHA会員を対象とした調査の結果が出始めており、少しずつではあるが、地方の伝統医療の現状が見え始めている。

さらに、このデータを掘り起こしていき、これまで地道に行なってきた伝統医療研修の卒業生達が、地方に帰ったのち、プライマリーヘルスケアーの一翼として活躍している事実を、これから目に見える形にしていきたいと考えている。

CaTHA活動コンセプトの哲学的背景[2012年06月30日(Sat)]

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(図)CaTHA活動コンセプト(クリックで拡大)※無断転用禁止


外国人でありながら、カンボジアの伝統を引き継ぐクルクメール達と協会を共に立ち上げるという境遇に恵まれている。

運営にあたり活動のコンセプトを検討、協会のロゴには、アンコール遺跡群に残る古代の医療施設跡「ネックポアン寺院」の造形を象ったデザインが採用された。素人ながらCaTMOのロゴに引き続き、こちらもデザインを担当。ネックポアン寺院の造形は、中央のリンガを模した塔から溢れ出る聖水が中央の池(ヨーニ)を満たし、それを取り囲む4つの池に注がれる事で、世界中の人々が癒される事を暗示している(上図)。

周囲にある4つの池はインド哲学の四行論に該当し、人間も含めた自然界を構成するために不可欠な要素、それぞれ火、水、土、風の象徴である。この理論を継承する伝統医療の古典はカンボジアでは発見されていないが、皮肉にもアンコール王朝をアユタヤ王朝に侵略された際、現在のタイにもたらされ、タイ伝統医療を支える重要な理論として残されている。

さらに同じ仏教国であり日本でも最近話題になったヒマラヤの国ブータンの、GNH(国民総幸福)という政策。そのコンセプトである「4つの柱(Four pillar)」からヒントを得た。

GNH「4つの柱」とは、@文化保護 A自然保全 B良い統治 C健全な(自己抑制力を備えた)経済活動 で、国民の幸福を支える上で必要不可欠な要素であると述べられている。

今回、CaTHAの活動コンセプトを作成する際には、上記、古代哲学の中の、火、水、土、風の「4元素」が持つ特質と、GNH「4つの柱」をかけ、以下のようなコンセプトを作成した。

@ 土:文化の保護と伝承(古典の翻訳、体系化、啓蒙活動)
A 水:天然資源の活用と保護(植林事業、生物多様性の保護)
B 火:持続可能な発展(有効性・安全性の確保、国民医療への統合)
C 風:政策提言(情報共有、法制度作成関与)

これらのバランスが調和できた時、全体(中央)は完全体となる。すなわち
D身体と精神の調和、しいては国(社会)の調和
を達成する事が出来る。

4という数を忌み嫌う文化もあるが、アメリカインディアンの伝統では「四方へ広がる無限の可能性」を意味するという。


なかなか理想通りに行かないのが世の常であるが、理想は将来への夢をつなぐ指針である。歴史の中でクルクメール達が代々村で担ってきた事を、現在のクルクメール達は、CaTAHの活動を通じて全うするのだ。

長い内戦で破壊された「クメール文化」と「国民の心」を癒し、復興させていくというプロセスなのである。

障害者事業に伝統医療(2)[2012年06月29日(Fri)]

プノンペンから国道6号線の入り口、トンレサップ川に架かるキズナ橋を渡り1キロ程進んだところにあるキエンクリアン国立リハビリセンターの中で活動するNGOベテランズインターナショナルを訪ねた。

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プノンペン郊外のリハビリセンター


ここも先日訪問したカンボジアトラスト同様に義肢装具を障害のある人々に提供し、日常運動訓練を行なっている。ただし教育事業を中心とするカンボジアトラストよりも、リハビリのスペースが広く、訓練器具も充実している。
プログラムコーディネーターのケオさんと、テクニカルコーディネーターのソクンテェイさんが対応してくれた。今回のテーマは理学療法士が現場でどのような仕事をしているかを視察に来た。

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沢山あるリハビリの器具の周りには。。。訪問した時間帯が悪かった?


カンボジアの理学療法士教育は1998年に始まり(当時は2年制、2007年より3年制)現在355人の卒業生が全国で活躍している。1997年にはカンボジア理学療法協会(CPTA)も設立されている。理学療法に関する法整備は進んでおらず、カリキュラム等は協会が国際基準と照らし合わせ採用している。またシンガポールへの短期留学、専門家の短期派遣によって技術の向上が図られているという。

ソクンテェイさんもプノンペンにある専門学校の卒業生。施設内の理学療法のスペースを案内してもらった。部屋の中央にリハビリテーブルは配置されているが、子供の付き添いが休んでいる待合室にしか見えなかった。また白衣を着た理学療法士2名もデスクワークに励んでいた。

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リハビリのテーブルは休憩所に。。。


2人の理学療法士に、患者に対する運動療法について伺ってみた。始めは幾つかのテクニックについて習得しているという話をしていたが、実際のところ学校で理論的な講義は受けたが、あまり実践に応用できていないと言う事を白状した。私が鍼灸師であることを話したところ大変興味を示してきた。シンガポールに研修に言った際、現場で鍼治療が行なわれているのを見て以来、興味を持ち続けているのだとか。

カンボジアでは人口に対する医師の数が極端に不足している。整形外科医の数は更に少なく、外科手術の対応で手一杯。痛みのケアーに手が回らない。日本でも来院患者数が多い整形外科では、患者に後療(てあて)にまで手が廻らないというケースが多い。しかし古くから整骨院や鍼灸院、マッサージ、民間医療である整体など多様な機関が充実しているお陰で、痛みや低度運動器疾患へのニーズが満たされている。日本人にとっては当たり前だが、世界中でも大変稀な好環境なのだ。

カンボジアにおいても、理学療法士が、整形外科の下請けとして、これらの患者のニーズに応えるべきだろう。またカンボジアにも、鍼灸やコックチョール(コインマッサージ)やチョップクチョール(吸玉)といった器具を用いた伝統的な理学療法が存在し痛みの緩和に活用できると考えられるが、現在、西洋医学を基準とする理学療法の指導の下では採用されていない。舶来主義の指導する側が理解していないのでは仕方が無い。

日本の整骨院「ほねつぎ」は、骨折、脱臼、ばかりを整復しているかのような印象があるが、99%の業務は手技療法による「痛みの緩和」と「関節可動域の改善」。整形外科の下請けと言っても良い。鍼灸もまた、その業務の中で平行して活用されてきた実績を持つ。おそらくカンボジアの障害者へのニーズに対しても。その経験が多いに役に立つと確信している。

今回施設を案内してくれたケオさんとソクンテェイさんも、鍼灸に関心をもってくれた。

2件のリハビリテーションセンターは地雷原のないプノンペンにある事もあり約半数の患者が生まれつき障害をもつ子供達だった。

次回は、今も多くの地雷被害者を生んでいるカンボジア北西部にあるセンターを訪問してみる予定だ。

カンボジアに変化!そして整骨院が。。。[2012年06月29日(Fri)]
内戦の終結から15年。国の復興を支援したいと世界中から多くの国際機関と共にNGOが参入。内務省に登録されているNGOでも2000団体、個人レベルの非登録NGOも数多く活動しており、その数の多さからカンボジアは『NGO銀座』とも呼ばれています。

そういう訳で、町で見かける日本人も、大使館、JICA、NGO関係者が殆どでした。ところが今年になって、全然知らない日本人在住者、それも「開発」関係者の匂いのしない(!?)日本にいるような人が劇的に増えています。

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この数年高いビルの建設ラッシュを肌で感じる。。(イメージ 外部HPから転用)

数年前から企業に向け、カンボジアへの誘致を進めてきた関係もあるのですが、どうもそれだけではなく、サービス業の人々が増えている事を実感します。飲食店が良い例で、これまでは日本食が食べられるかどうか?というレベルから、日本に引けを取らないような飲食店がオープンし始めました。焼肉屋やコーヒーショップ、寿司屋、ラーメン屋、と、これまではバンコクまで行かなくては食べる事の出来なかったレベルの高い店が続々と出店し始めています。それだけ治安の良い国になったという事でしょう。在住者にとっては嬉しいかぎりです。

医療・健康分野に関しては、日本の大手医療グループ企業医療法人社団 KNI が、プノンペンに高機能病院を設立(11月着工)、将来的には総合医科大学の開校を計画している。グループの代表者、北原医師のブログにも「カンボジアに良質で安価な
医療を普及させることは私の使命」とコメントされている程、熱の入りようだ。その他にも日本人のエステや整体サービスの広告ビラなども目にするようになった。

そして今回、日本の「整骨院」がプノンペンに開業するという。CJCC(カンボジア日本人材開発センター)からの依頼で、計画をされている方と面会した。

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メディカルネットサービス関係者の方々と


整骨院をオープンするのは、九州医療スポーツ専門学校(理学療法、スポーツトレーナー、柔道整復、鍼灸、整体)も経営するメディカルネットサービス という会社。全身は、ナショナル整体という健康ビジネスの最大手で、日本の業界音痴の私でも知っている勢いのある団体である。今年末には日本からプノンペンに2名の有資格者を送り込み、施術所を開設し、現地の人材育成にも取り組みたいと考えているそうだ。

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カンボジアにもこんな接骨院が。。。

また理事長の水嶋さんは、福岡県ボディービル連盟の会長もされており、カンボジアでのボディービルの普及を通じて、青少年育成にも貢献したいと熱く語られた。ボディービルと聞くと、興味の無い方には鏡に映る筋肉美にニヤニヤしているナルシストなイメージを持たれるかもしれないが、実は途上国の女の子にモテナイ貧乏男子にとって、見た目の改造が手軽で安価にできる最善の策でないかと私も常々思っている。さらに筋肉を作る作業には、短時間で自分の限界を乗り越えるという凄まじいハードルが用意されており、これは正に精神修行。欲深いがメンタルが弱く飽きっぽいカンボジア男子にはぴったりの合理的スポーツであると思う。

オフィスに帰り、となりの席の若手現地スタッフ、メンホックにこの話をすると、案の定すごい勢いで食らいついてきたきた(笑)。

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イメージ(外部HPから転用)

「地雷の国」を「薬草の国」へ[2012年06月28日(Thu)]
プノンペンから南西方向へ120キロの国立公園区内に保健省伝統医療局と農業省森林局の管轄するキリロム薬草園はある。管理は伝統医療局が担っており、我々の実施している研修校との関係は薄いのだが、政府に管理する予算がないというので最低限の維持管理を提供してきた。

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キリロム国立薬草園


しかし4ヘクタールの耕地面積と建物、2人のワーカーを確保していながら、使用するのは1年に2回、研修校の課外授業の時のみである。そこで我々NGOが伝統医療局に計画を勧め、敷地内の薬草をマッピングし、教材用に選択した60種類の薬草にラベルを設置。新しい土地には計画的な植林を進めようと、水道と苗を作るためのグリーンハウスの整備を行なった。

そのような努力をしている最中に、保健省の上官による「薬草で埋め尽くせ」という指令に従い、伝統医療局が無計画に789本を植林。去年起きたガッカリするニュースのひとつだった。それでも現在敷地内には453種類、合計1400本の薬草にまで増やすことができた。随分、薬草園らしくなってきたものである。
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苗床としてグリーンハウスを設置

幸いにも昨年追加された1ヘクタールの土地は手つかずである。ビニールハウスで、使用ニーズは高いが入手困難な薬木、商品価値の高い薬木の苗を育て、この土地で栽培し、有効に活用できる方法はないものかと模索してきた。

先日、京都大学からカンボジを訪れた薬剤資源の専門家、伊藤博士に「カンボジアの気候と土地柄は薬草栽培に適している。薬草は植えれば植えただけ育つ。」と言われて以来、クルクメール達と一緒に行なっていく1つのプランが頭の中をよぎっている。薬草園で育てた薬木の若木をカンボジア全土に植林していこうという、とてつもなく夢のようなプランなのだが。。。


カンボジアは、この10年で目覚ましい経済成長を遂げてきた。東南アジア各国と比較しても都市化の速度はラオス(4.9%)に続いて3.2%と第2位である(CIA World Factbook, May 2012)。一方で2000年から2010年までの国土における森林率増加の割合はマイナス12.6%とダントツのワースト1位(FAO 2010)。都市部だけでなく地方でも森林破壊は進んでいる。カンボジアは熱帯気候の恩恵を受け豊富な植物資源をもつが、長い内戦とモラルの崩壊という人災は、これら多くの恩恵を人々の生活から切り離してきた。

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薬草園らしくなってきた


70年代から80年代にかけての内戦時にカンボジアに埋められた地雷の数は600万個にのぼる。内戦終結から15年が経過し、国際協力の甲斐あって地道な撤去作業が続けられている。同時に、人が寄り付かなくなった撤去跡地を有効に活用するために学校建設やバイオエタノールの原料として利用できるキャッサバの栽培推進が海外からの助成によって進められてきた。

地雷撤去跡地の換金作物として薬木の栽培を促進し、村落の貧困削減に活かす事ができないものだろうか。多くの薬草や薬木はキャッサバに比べて栽培後に土地が死なないと言われている。薬草原料は東南アジアだけでなく先進国でもニーズがある。日本も中国に変わる漢方薬の原料輸入国を東南アジアに求めている時だ。

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今も各地の村落に残る地雷原、再生の日を待っている。。。



カンボジアが抱える、もうひとつの森林破壊問題は、貧困が生み出す、無計画な村での木材の伐採。木は換金できるのである。今、田舎に足を運ぶと少し大きな木には、すべて「切り出し禁止」の印がつけられている。

かつてカンボジア全土にある仏教寺院(パゴダ)の多くは『鎮守の森』に囲まれていたという。そして森には薬木があり、村のクルクメール達は、その薬木を原料に村人に薬を手供していた。アンコール時代から脈々と続けられてきた村の営みの中心には、いつも鎮守の森があった。今、森林は失われ乾いた赤い大地の上に金色のパゴダだけが立っている。

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スワイリエンの村のパゴダ


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パゴダの裏手には林が広がり薬木も植えられていた


薬草園の若木を活用し、248人のクルクメールネットワークの、特に貧困地域で活動するCaTHAのメンバー達と共に「地雷撤去地」の活用、「鎮守の森」再生にむけた村作りの手伝いができないものか。。。。
それは、長い内戦で傷ついたこの国自体を癒す事につながる。

もちろん、この計画を進めるためには多くの条件を整えていく必要がある。カンボジア国内で伝統薬の製造環境が整っていないため、日本などの海外への出荷先を求めなければならない(タイでは政府が中国へ向けた輸出を進めていると聞く)。また、村の貧困削減にこれを活用するのであれば、適正価格(フェアトレード)で取引する事に理解のある買い取り先でなくてはならない。

いつの日か、カンボジアの次の世代の人々が、「カンボジアは薬草の国、クメール帝国から続く癒しの国だ!」と胸を張って言えるような。。。。そんな事業作りをしていきたいと願っている。

まずは、ひとつづつ、ひとつづつ。。。

クルクメール(伝統医療師)の価値?![2012年06月22日(Fri)]
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チェンライ・ラジャハット大学の伝統医療専門家達がカンボジアを視察

カンボジアの伝統医療師は、かつて全国の村で、生命と健康を司る村の精神的リーダーとして、クルクメール(クルー=先生、クメール=カンボジア)の称号で人々に尊敬され親しまれてきた。その伝統は近代に入っても、フランス統治時代、クメールルージュの統制下、長い内戦の時代を通じて培われてきた。

しかし90年代に入ると、急激な西洋化政策が進められる中、70%以上の国民が今でも何らかの伝統医療を利用しているにも関わらず、クルクメールは、学歴が乏しく、非科学的な偽医師であり、過剰広告をする商売人である、という風評が広まり、たちまち社会的地位を失っていったのである。その背景には、生半可な知識でクルクメールを自称する人々によって起こされている医療過誤の実態がある事も否定できない。

そのように現役で活躍しているクルクメールに短期の研修を行ない、保健省からの認定証を発行するという活動を3年間実施し、現在の在学生を含め248名の卒業生を輩出するに至った。しかし学歴の無いクルクメールに対する教育を進める本事業に対する保健省高官の反応は冷ややかである。高等教育機関の設置を希望するのだが、教育に用いる伝統医療の体系化も進められておらず、専門の教育をする人材がいないのが現状なのである。

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科学的検証作業にもクルクメールネットワークで集めたデータが活用される


将来の伝統医療高等教育機関の設立を目標に、これに必要なカンボジア伝統医療の体系化と、伝統薬の安全性と有効性の保証に不可欠な薬草の科学的検証を推進しようとしている。そのために今回、国外から伝統医療と薬草の専門家をカンボジアに招いた。

伝統医療における制度や資料が欠乏しているという条件下で、専門家達が注目したのは、研修校を卒業したクルクメールのネットワークと、彼らの持つ情報、そして、この調査に対する理解と献身であった。長い内戦の間に失われたと言われる文献の変わりに、彼らが代々伝承している知識が、カンボジア伝統医療の体系化の手掛かりとなるのだ。そしてクルクメール1人1人の情報はマチマチだが、今回クルクメール238人から同時に集めた情報は調査のエビデンスとなりうる。

今回のCaTHAネットワークを評価する海外の専門家のコメントにより、伝統医療局もこれまで下に見ていた(!?)クルクメールの集団に一目を置く事にり、今後どのようにCaTHAのネットワークを維持し伝統医療の発展に活用していくかを真剣に検討するためのミーティングを設けた。

「薬局方」製作にむけ薬草標本の作製指導[2012年06月20日(Wed)]


4年目に突入したカンボジア伝統医療事業。薬局方(ファーマコピア)作成は、初年度から計画されているにもかかわらず、保健省の計画調整が進まず未だ開始されていない。

そこに日本から頼もしい助っ人が登場した!このたび日本のNGOが、カンボジア保健省の薬局方作りをサポートする事になったのだ。JHPAは、途上国の医療支援を目的に薬剤師と医師で組織された専門家集団。

代表の七海さんは、薬剤師でありながら茶道と音楽を嗜み、アジア各国の医療指導にプノンペンを拠点に飛び回るスーパーレディー。

今回、日本からJHPAメンバーの佐藤さんと、アドバイザーを務める薬品資源学のエキスパート、京都大学の伊藤博士の女性2名が日本から合流。伝統医療局を訪れカンボジアの薬局方作成について協議、アドバイスを行なった。

保健省伝統医療局側が、より高度でお金のかかるテクニカル支援を要求するのに対し、経験豊かなJHPAは、薬草収集やファイリングの基礎的な技能の習得が先決であると主張。

まずは、将来ファーマコピア作成に使用するための薬草の選択方法と、生薬、そしてその生薬と産地が合致する場所から薬草を採取し標本を作成する作業を行った。

向かったのはプノンペンから40kmほど北上した古都ウドン。ウドン寺院周辺の森を散策した後、近くに住む、我々の主催する研修校の卒業生でCaTHAのメンバー、クルクメールのユーユン師を訪問した。
ほねつぎの伝承者でもある彼は、3月の柔道整復セミナーにも参加。今回、顔を見合わせるなり「授業で勉強した脱臼の整復法が実際に役に立った!」と満面の笑顔で現れた。
この日、ユーユン師からは、普段処方されている伝統薬の原料となる生薬をわけてもらった。


そして2日後。この生薬の元となる薬草の採取のために再びユーユン師を訪問。一般に自分が使っている伝統薬については秘密主義を通す伝統医療師であるが、研修校で訴え続けている「クルクメールの知識が未来のカンボジア伝統医療を作っていくのだ」という調査協力の意義をよく理解してくれているようだった。

新聞紙の間に綴じこんだ薬草をセンターに持ち帰り、台紙にペースト。2週間かけて標本を完成させる。この作業、女性専門家3名の説得で、普段は腰の重い伝統医療局の男性スタッフが無償で行なう事を引き受けた(!)

女性パワーを見せつけられた今回のイベントでした。

日本は、薬局方についての歴史がも長く、その作成にあたっては多くの実績を持っている。近い将来、その知恵と経験が、カンボジアの伝統医療を国民医療とするための大きな役割を果たすのである。

CaTHAニュースレター創刊[2012年06月14日(Thu)]
CaTHA(カンボジア伝統医療師協会)がニュースレター創刊号を発刊した。

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CaTHAニュースレター創刊号


248人の協会員は、すべてCaTMOとカンボジア保健省伝統医療局が開校している伝統医療研修校の卒業生である。「卒業してもクルクメール同士のネットワークを維持したい」という強い気持ちが印刷物として形となった。誌面の内容は、

− CaTHAの紹介と設立の動機、将来の目標
− 薬草の紹介(チョウマメ)
− 協会員活動の紹介『ハーブを使った、まちおこし』
− 伝統薬の紹介『婦人疾患のための伝統的処方』

カンボジアには、伝統医療の教育機関や制度がないため、ハーブの知識の無い人を含め、様々な人々が、「クルクメール」を名乗り、都市部や観光地を中心にハーバルビジネスを展開している。代々クルクメールの家系に生まれた人が殆どだが、中には、いい加減に間違った処方を勧めたり、「万病に効く」などと過大広告を掲げたり、ひどい場合は、伝統薬と称し科学薬品を混入させる人もいるという。このような偽クルクメールの蛮行は、医療の安全を司る保健省にとって悩みの種である。

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ニュースレターに目を通すクルクメール僧侶


伝統医療は一般に地元で原料を入手する事ができ、副作用が少ない安全な医療とされている。東南アジア各国では国民医療に活用できるとしてWHOまでをも巻き込み、国を挙げて伝統医療の普及に取り組んでいる。

そのような国には、伝統医療の専門大学があり、大学を出た伝統医療の専門家が伝統医療の効果や安全性を証明し、伝統医療は国民医療として医療財政を維持する事に活用されている。

カンボジア保健省も、隣国のような立派な伝統医療の大学や研究所を保有し伝統医療を専門化したいと考えている。これに対し、一部のクルクメールが引き起こす社会問題は、公的機関で専門教育を受けていないクルクメール全体を煙たい存在であるというイメージを作り上げられている。

CaTHAは、団体として始めて、そのような風説を払拭し、クルクメールの社会的信頼を回復するべく発足された。ニュースレターは、その活動の第一弾。発行部数が限られているため今回は、保健省の各部署に限定して配布され、クルクメールの活動や伝統医療の正しい知識を紹介していく。

サンプル薬草園(カンボジア国立伝統医療局)[2012年06月10日(Sun)]
プノンペンの中心地、セントラルマーケットから西に大きく伸びるカンプチアクラウン通り沿いにカンボジア保健省がある。国立伝統医療局(NCTM)は、ベトナムの影響下にあった80年代初頭の社会主義時代に開局された。局内の敷地には伝統薬を製造するための工場が建てられ、薬草園も設けられた。

1992年、UNTAC(国連カンボジア暫定機構)が新しい国家体制作りに着手し、近代医療を推進すると共に工場は稼働を中止。伝統医療局は実質閉鎖状態となった。



サンプル薬草園(カンボジア国立伝統医療局)


2008-2009年に行なわれた保健省本庁の拡張工事は、旧伝統医療局敷地内にも及び、伝統医療局は現在の3階建てのビルに移行。保健省の駐車スペースとなった一角には、当時の薬草園で栽培されていた薬木が残っていた。

2009年に始まった伝統医療師研修校では、全国から集まる伝統医療師の学生達に薬草サンプルの持参を呼びかけた。集まられたサンプルの多くは、コンポンスプー州キリロム国立公園内にある薬草園に移植されたが、一部は伝統医療師研修校および市立大学の学生向けの実習に利用するため約100種類の薬草が、サンプルとして当時の薬草園の敷地内で管理されている。

地雷被災者に伝統医療?!CSPO訪問[2012年05月31日(Thu)]
プノンペン郊外にあるCSPO(カンボジア義肢装具士養成学校)を訪問した。英国のNGOであるカンボジアトラストが運営しているこの学校は、日本財団も障害者支援事業として長く協力している。

授業は英語で行なわれており、学生の数は東南アジア地域を始め、ネパール、イラク、北朝鮮、日本などからの外国人留学生の方がカンボジア人学生よりも多いという。おそらくカンボジアで他にこんな学校はないだろう。



センターは教育機関であるとともに、義肢装具を障害者に提供し、装具を装着しての日常生活訓練も行なっている。

CaTMOスタッフの1人Soklimは、幼少期に下痢の治療で当時ポルポト政権下の病院にて臀部に注射を受け、以来、片足の感覚がなく、現在も足を引きずって歩いている。明るい性格なため、周囲も彼の障害に左程気を使う事も無い。今回CSPOを訪問するにあたり、一度、施設や回復者の姿を見てもらい、義足の使用を勧めてみた。1回目の訪問では、あまり興味を示さなかったが、2回目の訪問で、スタッフのカウンセリングを聞き、ついに装具をオーダーすることにした。

CSPOには足が不自由な方々の通院が多く、オーダーメイドの義足を使い歩行訓練を行なっている。4割は小児の患者で、生まれつきの奇形が多いという。手術で整形しているという手術痕が痛々しい。しかし両足に装具をつけたとたん、手すりを伝って見事に歩きだした。半年のトレーニングの賜物だという。段階的には両杖をついての歩行。杖なしで歩けるようになるのだと言う。

また訓練を受けている5割の人たちは片足のない成人。地雷生存者であるという事に衝撃を受けた。
赴任前の私のカンボジアのイメージは“地雷”だった。カンボジア全土に70年代から30年間にわたる内戦の間60万個という地雷が埋められた。内戦終結後の90年代後半から、日本を含めた国際協力活動の介もあり埋没数は1/5にまで減少したという。それでも未だ10万個以上の地雷がカンボジアの人々の安全を脅かしているのである。

地雷感染地の殆どは農村部だ。高層ビル建築が進められ、カンボジア人がこぞって高級車を乗り回している、首都プノンペンに生活していると、何時しか地雷への危機感など、まるで他の国の問題のような錯覚になってしまっていた。

被害者の殆どは農民である。CSPOでは海外からの支援で、所得の低い人々に無料で装具を提供し歩行訓練を行なっている。障害者の人々の多くが、これらのサービスの事さえ知らないのが現実。また金銭的理由から、このセンターに通う事さえできない人々も多く、センターではこのような人々に交通費の支給も行い、広く障害者に来訪を呼びかけている。

私の参加している伝統医療普及事業もまた、このように医療のアクセスの悪い地域の人々のニーズに対し、廉価で安全な“伝統医療”を活用していくという事で始められたプロジェクトである。
カンボジアでは、ハーブで作られた伝統薬の安全性が、未だ政府で保証されていないので、折角全国に普及している伝統医療も国民に対する医療サービスとして活用する事ができない。

障害者の歩行訓練を見ていて、日本であれば訓練で疲労する筋肉や関節部分の痛みやパフォーマンス向上のためにマッサージや鍼灸などの理学療法が使われているが、このセンターでは、そのような患者には病院を紹介するのだとか。2名の理学療法士が勤務しているが、義肢装具を作る前後の関節可動域の測定だけで、特に痛みに関するケアーは行なっていなかった。

途上国の障害者の復帰に「伝統医療」や日本の技術が活用できないだろうか?新しい視点で今後調査してみようと思う。
カンボジア伝統医療師協会ワークショップ&研修卒業式[2012年05月29日(Tue)]


卒業生と在学生も合わせて、カンボジア伝統医療師研修の修了者は248名となった。あと2年もすれば修了者で作ったCaTHA(伝統医療師協会)の会員も500人にのぼる。カンボジアでは一般的に学歴重視で、医学会においても殆ど学校での教育を受けていないクルクメール達を軽視する味方が主流である。

しかし「248人寄れば文殊の知恵」。彼らの知識が伝統医療発展の原動力になる事は間違いない。しかし実際問題、日本でも言える事だが「職人」達は我も強く、こちらに耳を傾けさせ、一つにまとめていく事は大変困難な事である。これに関しては保健省も手を焼いている。どのようにして彼らを結束していくか。さらに来年度からは会費を徴収する事を計画していた。いかに「会費の額以上にCaTHA会員である事にメリットを感じさせる事ができるか」にCaTHAの事務局は知恵を絞り合った。

今年はニュースレターを発刊させた。協会員の連帯感と情報の共有ができると共に政府に対しても自分たちの活動をアピールし偏見を拭う事に役立つ。今後はさらに、一般向けのラジオ放送や、海外の観光客向けのスタディーツアー、ホームページを作成し海外にも情報を発信しながらパートナー企業を探すなど、これまでのクルクメール個人の活動ではできなかった企画を協会の活動として検討している。

今年1月から実施したクルクメール会員を対象とした調査において、「クルクメール1人1人の知恵が、将来カンボジア国民、そして自分の子供達の教育に活かされるのだ」と説いて廻った事も彼らの協力体制を強めていた。

ワークショップでは、248名全員がCaTHA事務局の計画に賛同し、(会員によっては負担の大きいであろう)10ドルの年会費を差し出した。事務局は会員全員の期待を裏切らないよう切磋琢磨していく責任を感じていた。
カンボジア国立ハーバリアム[2012年05月22日(Tue)]
カンボジアの全国各地に、多くの伝統医療師が存在するが、専門機関で教育を受けた者はいない。
薬草に関する研究者も王立医科大学と研究所を共有するフランス企業が囲っている留学者を含め数える程しかいないのが現状。



90年代に内戦が終結してから欧米の動物保護団体の支援で動物に関する研究は、いち早く進められているが、未だ植物に関する研究は、ハーブなど豊富な天然資源を有する環境を持っているにも関わらず一際遅れている。

プノンペン大学の環境生物学科にハーバリアムがあると聞き足を運んだ。
JICAが支援するカンボジア日本人材開発センターの脇の校舎の4Fにあり、表に"Nationa Herbarium of Cambodia (カンボジア国立ハーバリアム)"と表記されているが、一般公開という雰囲気ではない。中では大学4年生の男性と1ヶ月前に大学院生になったという女性各2名が、棚に山積みされている約10,000種の標本を分類する作業を行っていた。中にはフランス統治時代フランスから持ち込まれたサンプルも2000種程あるのだそうだ。

先述の通り、先攻論文の少ない植物についての研究を論文に選ぶ学生は少なく、現に卒業者は、このハーバリアムの責任者ユーリアンさん、ただ一人なのだと言う。ユーリアンさんによると、まだまだカンボジアの植物に関する調査は始まったばかりで、細かい調査に入る前の分類作業を日々行なっているのだと言う。

地方のクルクメール達も、違う属の薬草を同様の呼び方で同じ用途に使用しており、違う効果を引き起こしている可能性があるということを指摘して下さった。また、伝統医療局の薬草に関する出版物の中にも間違った紹介をしている部分があるとも。クルクメールの学生達にも有益な話であるので、次回、特別講義を持っていただけるようお願いした。

また、新しい情報として、カンボジア研究者1名が、フランスへ薬草についての博士課程(3年)留学中であるとのこと。

少しずつであるが将来、カンボジアの伝統医療を支える人材が育っているという実感を得た。

(動画)カンボジア伝統医療師研修校_講義風景[2012年05月18日(Fri)]
カンボジアは休日が多い事で知られています。特に4月の後半から5月中旬までは役所も旨く機能しません。私が赴任したのも3年前の、この季節。さすがに、ちゃんと仕事になるのかいきなり不安になった事を覚えています。

伝統医療研修校の事業も5年という事業期間の中盤を過ぎ、授業内容やシステムもほぼ安定し、研修を受けたクルクメール(伝統医療師)も250名を超えました。

これからは、研究室や企業などを巻き込みながら、いかにこの卒業生達のネットワークと知識をカンボジアの社会に活かせていけるかを検討していきます。



CaTMO理事会[2012年04月25日(Wed)]
私が参加しているCaTMOはNGOである。NGOは定期的に理事会を開き、事務局スタッフがプレゼンテーションを行ない、資金が有効に使われているか、また次年度の事業計画と予算計画が適当であるかを 保健省、ドナー(日本財団)、有識者の各代表者である理事に承認してもらう。スタッフ達にとっては手に汗握るビックイベント。

今回の理事会は4回目となる。第1回目は設立の時、2回目は1年前の3月。この2回目の理事会は次年度の計画に承認が下りず、翌月に「やり直し」を行なった。それが第3回目の理事会だった。現地スタッフに取っては苦い経験となった。

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理事会は会議の場ではあるけれど、実際には決定がスムーズにできるよう、ある程度事前にスタッフが根回しをしておく。決して賄賂を渡すような事ではなく、各理事の同意を得るような説明をし、意見があれば前もって頂くコメント等を決めておく。そうしておかないと、いきなり議事になかったリクエストなどが出て来たりする。今回も事前にドナーに対するリクエスト等を受け付けていたが、やはり理事会終盤になって、予定には入っていなかったおねだりが始まってしまった。。。返事は当然「次回の理事会で。。。」となる。

今年度は、基本的に国内の伝統医療関連のデータが少ないという問題から、卒業生で組織したCaTHA(伝統医療師協会)に彼らが行なっている治療法、普段多く使っている薬草、治療を得意とする疾患、などの基本的な情報を集めてもらった。
来年度は、調査を拡大し、伝統医療師の調査実績があるタイ・チェンライ大学の研究者を中心に長期の調査が開始される事になった。おそらく、この結果は伝統医療の歴史に残る、すばらしい調査になることだろう。今から楽しみである。

事業開始から難題であった薬局方(ファーマコピア)についても、昨年日本の薬剤師のNGOグループが参画してくれたお陰で、そちらにお任せできる体制が整ってきた。

伝統医療師研修はあと2年間行なう事となった。注目すべきは研修のフォローアップとして行なっている協会の卒業生達の活躍である。今年は日本の企業向けのパンフレット作成や、製品開発についてのアドバイスの依頼が入って来たりしている。ドナーが無くなった瞬間に自然消滅するローカル団体の話を良く耳にする。
彼らが代々引き継いで来た伝統知識を使って、彼らが自分たちの力で運営し、カンボジアの文化を支えていくようなグループに成長するよう支援していきたい。

鍼灸の新事業については少し停滞しているが、さらに途上国の発展に役立つような事業を作っていきたいと思っている。

伝統医療校「追試」の光景[2012年04月12日(Thu)]


5ヶ月の研修の終わりには卒業試験があります。現代医療4科目、伝統医療専門4科目の計8教科の試験が行われます。平均年齢39歳のクラス、多くのクルクメール達は幼少の頃から現場で伝統医療を学んで来た人たちばかり。机の上での勉強に随分苦労している学生達もいます。当然、試験ともなると普段慣れ親しんている薬草のはずが、点数に繁栄されてこないなんてことが起こります。

一番、落伍者が多かった試験教科が、「関係法規/倫理」の科目。48人中、24人が再試験。カンボジアでは、一部の心ない伝統医療関係者による過剰な広告や、伝統薬に化学薬品を混入させて販売するなど、伝統医療者のモラルや社会的な信頼が問われています。クルクメールという職種に限った問題ではありませんが、研修校の中でも、モラルの向上は最優先課題のひとつとして扱ってきました。「関係法規/倫理」の授業を担当したのは伝統医療担当の保健省事務次官補。おのずと難題な試験内容となった。他のカンボジア人講師達も難解さに苦笑しっぱなし。。。

落伍者達には追試という苦い体験を胸に、今後の医療人としてのモラル強化に心がけてもらいたい。

明日からクメール正月の連休になる。5時の終業後、CaTMOスタッフと追試者達をつれてトンレサップ川に船遊びに連れて行った。多くの食事どころがあるプノンペンだが、ボートから対岸の明かりを楽しめるボートでの食事がプノンペンで一番のもてなしになると思っている。ボート代は1時間15ドル(1人15ドルではない)。約20名が一度に乗船でき、食事やドリンクの持ち込み可である。
クメール人達にとっては、今が大晦日。一年の労をねぎらい船上は多いに盛り上がった。

この研修事業も4月で4年目に突入。今期で250名の卒業生を輩出したことになる。来年度こそは彼らクルクメールと共に、カンボジアの伝統医療に明るいスポットのあたる年にしていきたいものである。
「丸薬作り」の映像をアップロード[2012年04月12日(Thu)]


先日のブログで紹介した「丸薬作り」の模様をYoutubeにアップするよう編集しました。

しかし、前回はアップできた映像の倍(2分)というデータが重すぎるのか、Facebookではアップできるものの、ここ数日YouTubeへのアップ成功できず。次回はデジカメの画質設定を控えめに、より短時間の編集を心がけて再び挑戦。なんとかアップできました。Youtubeのサイトからアップロードした方が良さそうです。



百聞は一見にしかず。大変興味深い映像、共感していただければ幸いです。

Youtubeにコインマッサージをアップ[2012年04月08日(Sun)]
もう少し、カンボジアの伝統医療の現場の情報をリアルに発信できないか?そんな思いから動画を掲載する事を考えた。この数年でデジカメの動画クオリティーも飛躍的に進化し、このカンパンサイトでもyoutubeの使用が楽になった、というのが動画活用に漕ぎ着けた理由。かと言って周囲に動画編集の手ほどきをしてくれる人も無く、教本も無い。ネット検索からの情報をたよりにパソコンに数日かじりついた。途上国のネット状況が理由かyoutubeへのアップロードが旨く行かず、随分てこずってしまったが、まずは試験運行開始。



カンボジアの伝統療法「コックチョール」

昨年頃からだろうか。ネット上で頻繁に「刮痧(かっさ)療法」の文字を目にするようになった。翡翠や瑪瑙、水牛の角を加工して作ったプレートと呼ばれるヘラを使い、皮膚の表面を摩る療法で、特にエステ美容業会の間で取り上げられているようだ。皮膚への刺激によって新陳代謝が高められ、デトックスやアンチエイジングの効果が期待されるのだと言う。既に鍼灸師であれば、この療法が古代九鍼の「ざん鍼」や「圓鍼」といった、即ち現在の小児鍼や兎鍼として知られる「摩る鍼」を、現代風にアレンジしたものであると気づいている事だろう。

刮痧療法に類似した民間療法は、アジア各国の多くの地域で見る事が出来る。
ここカンボジアには「コッ・クチョール (Koas Kjol)」という名称の民間療法があり、カンボジアで、まず知らない人はいないと言っても良いほど広く国民の間に普及している。外国人の間ではコインマッサージやコイニングと呼ばれているが、その名の通りコインや金属のキャップ、ヘラなどが皮膚を摩るプレートとして使われる。コックチョールは一般家庭にて家族同士で行なわれている事が多い。マッサージ店で行なっているところもあるが、その場合(都市部と地方では施術費に差があり)5,000〜10,000リエルほど(5,000リエル=100円/昼食にコーヒーをつけた程度の値段)である。

日本ではセレブを中心とした方々に「補」の効果を期待した施術として注目を集めているようであるが、年間平均気温が30度近いここ熱帯地方においては、初期の風邪、頭痛、めまい、不眠、手足の痺れ、といった症状に対し体内の熱を発散させるため、専ら「瀉」の療法として用いられている。

筆者が参加する現地の鍼灸施術所に来院する患者にも、両手足の痺れ、めまい、頭痛を呈する症状が多く、比較的細く浅い鍼の治療で改善が見られる。この体験からもコインを使って皮膚表層を摩るコックチョールが、黄帝内経霊枢「九鍼十二原篇」に記されている、体表の邪熱を瀉すための「ざん鍼」分肉の間の邪気を瀉すための「圓鍼」・の効用に近く、熱帯地方特有の風土病に適した療法として、これまで現地に根付いてきたのだと考えている。

13世紀後半に元朝の使節に随行してアンコール王朝を訪れた周達観の手記「真臘風土記」では「この国の人は通常、病気があると多くはそこで水に入って浸り浴し、ならびに頻繁に頭を洗う。そうするとすぐに自然と病気がなおる」と記されている。体内から熱を発散させる事が、さまざまな症状への初期治療として経験的に実施されて来た事を裏付けるものである。

<コックチョールはいつの時代に、何処からもたらされたのか?>
保健省国立伝統医療局では、カンボジアの伝統医療を、クメール伝統医療、中国伝統医療、ベトナム伝統医療の3つの系統があるとして分類している。

クメール伝統医療は、アンコール王朝が繁栄した時代から現在に伝えられているインドのアーユルベーダを起源とする医療体系であり、近隣のタイ、ラオス、ミャンマーの伝統医療と多くの共通点を持つ。また、中国伝統医療とベトナム伝統医療は、首都プノンペンを中心に定住する、中国系やベトナム系の人々によって行なわれている。

著者は“コックチョール”と呼ばれるカンボジアのコインマッサージは、以下の理由からクメール伝統医療の体系ではなく、中国からベトナムを経由して、もたらされたものであると考えている。@クメール伝統医療についての情報は、トレアンというヤシの葉に記録されたサストラと呼ばれる書籍に残されているか、もしくは口伝として代々伝承されているが、サストラの中にも、現地のクルクメールと呼ばれる伝統医療師の伝承からも、今のところコックチョールについての情報は発見されていない。A一般的にベトナム伝統医療は中国伝統医療の影響を強く受けていると言われている。ベトナムに伝わる同様のコインマッサージは、現地の言葉でカオヨー(Cao Gio)と呼ばれる。「Cao」は「剃る」、「Gio」は風の意味。コックチョールの「Koas」「 Kjol」は、それぞれ、同じ意味をカンボジア語に訳したものである。また、B施術部位については、クメール伝統医療に近いタイのマッサージにおいて手足の(十二経絡で言うところの)陰経に沿った部分を重点的に施術するのに対し、コックチョールは背部を中心とした陽経を中心に施されている事からも、コックチョールとクメール伝統医療との違いが強く感じられる。

史実では19世紀後半、当時カンボジアを統治していたフランス政府が、ベトナム人を労働者として大量に移入した時期があったとされている。おそらくこの時代にコックチョールは、ベトナム人労働者を通じて、カンボジアにもたらされ、その後、長い内戦の間に現代医療に手の届かなかった民衆の間に広く普及していったのではないかと想像する事が出来るのである。
丸薬作りに挑戦[2012年03月23日(Fri)]
伝統医療の研修校と言うからには、伝統薬を実際に作るような実習があってしかるべきである。にも関わらず、専門科目の殆どは生薬(ハーブ)に関する授業で占められてきました。伝統薬の製法については、幾つかの経験的な処方例が講義の中で紹介されるに留まり、実技の授業として取り扱われてこなかった。

伝統治療師は国中に溢れているにも関わらず、伝統薬に関する授業ができない理由は、国内で伝統薬に関する書簡が整理されておらず、統一性のある流派なども全く見られない、家族や寺に伝わる秘伝の処方が各々の伝統医療師に伝わっているという状態。
また、伝統薬に関する安全性が制度として確立されていないため、公の場で指導できる伝統薬が定められない。

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天井から吊るしたタライをひたすら回す丸薬作り


しかし今年は新たに、伝統薬を実際に作ってみるという試みを授業の中に取り入れた。実際に誰の処方をモデルにするかという問題になるが、今回は1980年代、伝統医療局がベトナム政府の支援を受けて運営されていた当時の処方のひとつ、便秘に効果のある丸薬を作る事にした。一定期間であるが政府で処方していた伝統薬であるだけに最も信頼がおける。製法については伝統医療局の工場で勤務していたフンチョム師(現伝統医療研修所講師)の指導を得た。また当時は機械で製造されていたが、これも講師の1人タイソクルン師の発案で、天井からタライをつるし、手作業での丸薬作りに挑戦した。タイソクルン師は、ポルポト時代、強制労働のなかで中国人達から、この製法を習い薬の製造に当っていたという。
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ポリ容器を半分にしたフルイで大きさを調節

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一般に庶民の間で使われている伝統薬は煎じ薬である。広く、その効果は経験として認識されているものの、著者も自宅で何度か試飲してみたが兎に角苦くて飲みにくい。子供にいたっては飲んでも吐き出すという。私も試行錯誤の上、冷蔵庫で冷やし蜂蜜と一緒に飲むと苦さは幾分軽減されるという事を発見した。しかし冷蔵庫も蜂蜜いずれも高級品、どの家庭にもある訳ではない。

そういった背景もあって、今回、水と一緒に飲めば、苦みも軽減される丸薬作りを試みた。これならクルクメール達も自宅で実用化することができる。丸薬作りに取り組んだ生徒のほとんどが、始めての体験であると言っていた。
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大きさの揃った丸薬を陰干しして仕上げる

カンボジアは長い内戦が終わり、ようやく国に平和が定着しつつある。貧富の差はあれど、高級車が町に溢れ、生活レベルの向上には目を見張るものがある。しかし、その多くは成金主義の見栄の張り合いから来ており、消費者のニーズに答えるといった洗練された質の高いサービスは町のどこにも見る事はできない。

「良薬口に苦し」という格言は世界共通のようであるが、研修を終えたクルクメールたちから、率先して村人のニーズを聞き取り、それにあった伝統薬開発を取り入れ、サービス向上に取り組んでいただきたいと願っている。
職場でPDM[2012年01月25日(Wed)]
ただでさえ祝日の多いカンボジアだが、暦には平日である旧正月(中国正月)も盛大に祝われる(というか大胆にも休日を取る)。我々のオフィスも休み。土日を含めて5連休。スタッフの中には前後に有給をとり10連休を取っている者もいる。すっかりカンボジアペース。。。

連休と言えど、私の方は特に予定もなく来週の東京出張にむけ、静まり返ったオフィスをひたすら独占し、先週PCMセミナーの参加者3名で進めた自分たちの事業をPDMという表に当てはめる作業の続きにいそしんでいる。
アアデモナイコウデモナイ言いながら整然と樹形図を作成中


どの職場でもありがちな、「セミナーには参加するだけ。セミナーで習得した事は何も職場で活かされる事はない」という状況にはしたくなかった。PDMの活用については実践とは懸け離れた「机上の空論」と評する声もある。しかし事業で実際に起こっている出来事を整理し、“今出来る事と出来ない事”、“最優先課題”について理論的に説明するのに便利なツールである。

我々の事業の中で無茶振りのリクエストをしてくる役人の皆様に対し、身の丈にあった事業を選択していく事に納得していただくためのツールになる事と期待している。

実際に、オフィスで作業をしてみると、やはりこれは所詮“ツール”なのだという事を改めて感じる。デッサン力の無い人にコンピュータのデザインソフトを使わせても良い絵が描けないのと同じである。参加者の状況把握と問題抽出力が問われる。

作業としては、参加型ワークショップとして事業に関係する人たちが共同して作成する事に意義がある。今回ワークショップに参加したNGO職員である3人が、それぞれ実務で関係している団体の役割を担うよう設定した。NGO(3名とも)、日本のドナー(私)、保健省伝統医療局(事業マネージャー)、伝統治療師組合(オフィサー)、といった感じである。

事業を取り巻く環境の中で問題とされることをカードに書き込み、これをホワイトボード上で、原因と結果に基づく相関図として整理していく。次に構図はそのままに、問題点としてあげた各カードを問題解決するポジティブな文章に書き換えたカードとすり換える。こうするとホワイトボード上には問題が解決したときの状況が図式化される。これをPDM(事業デザイン原型)と呼ばれる評に配置し、それぞれの項目が達成できるための条件や、その進捗状況を計るための指標等を当てはめていき、PDMは完成する。
なんとか形になったかなー?!

ついでに、今回我々が参加したセミナーは、このPDMを基に事業を評価するというテーマを勉強してきた事もあり、事業2年目における評価を行い来年度の計画に活かしていくつもりだ。これぞセミナーのタイトルであったPCM (Project Cycle Management)である。

始めての試みであったが難しい部分も見つかった。問題を抽出していくためのスタート時に「根幹問題」をひとつ決定する。今回私は“伝統医療が信用されていない”というキーワードを「カンボジア伝統医療普及事業」の中の根幹問題とした。別の「根幹問題」を設定し、大きな事業を希望している保健省の人たちが参加して、この作業を行えば違った構図になるだろう。。。ああでもない、こうでもないと作っている作業は夢にまでPDMの表が出てきてしまった。。。(笑)

来週の東京出張中には再びPCMセミナーに参加する。今度は日本語での講義だ。また新たな気持ちで、この手法についての理解を深めていきたいと思う。
スタッフとPCMセミナーに参加。奮闘中![2012年01月07日(Sat)]
今回CaTMOのスタッフ2名と一緒に、5日間のJICAカンボジアが主催する「NGOのためのPCMセミナー(モニタリング・評価)」に参加している。PCMとはプロジェクトサイクルマネージメント(Project Cycle Management)の略称。開発プロジェクトの計画、立案から、実施、モニタリング、評価といった、一連の業務マニュアルで、多くの開発援助機関で用いられている。

参加型アプローチと呼ばれる手法をイメージし、いざ挑戦!


今回のセミナー、講義とテキストはすべて英語。今回1団体からカンボジア人スタッフと日本人スタッフがペアで参加し、共通理解を深めて事業の活性化を図ろうという狙い。日本人参加者がカンボジアの参加者をサポートしながらセミナーは進行していく訳だが、考えてみると私自身がこのような英語での講義を受ける事自体始めての経験。妙に気合いが入り勉強嫌いの私が机の前で予習などしてしまった。
それぞれの参加者のコメントがひとつの表に並べられていく。。。

CaTMOが今回のセミナーに参加した理由であるが、もともとは開発プロジェクトの業務経験が少ない私自信のスキルアップのために財団本部が参加を勧めてくれた事が始まりで、セミナーの開催が決まる以前からJICAカンボジアオフィスの知人にPCMセミナー開催をリクエストしていた。

NGOとしては、これまで2年半事業を進めてきたものの、現地の省庁から財団側への要求があまりにも多岐に及んでいるため、なかなか事業期間やフォーカスポイントの絞り込み、保健省との業務分担が難しいという状況に悩まされていた。今回参加したスタッフ2名は、研修コースのプログラムマネージャーと、伝統医療師協会事務局のスタッフ。お互いに、セミナー終了後、一緒に自分達の事業状況を、今回のセミナーで習得したスキルで、目に見える形に整理しよう、とお互いに話し合った。
理論的に集約されたグループワークの結果を他のグループとも共有

前半の2日間が終わったところだ。すでに参加者の中には混乱している人も見受けられる。私も含めスタッフ2名は、必死ではあるが、励まし合いながら、かろうじてセミナーを楽しんでいる。3連休を挟み来週、後半戦が始まる。
CaTHA 全国調査を開始![2012年01月04日(Wed)]
日本の無償支援によって架けられた“キズナ橋”は全長1700M。コンポンチャム県を両断するメコン川の両岸を跨ぎ東西のカンボジア交通の要となっている。
コンポンチャム県にかかるキズナ橋。日本の無償援助で2001年完成


地方調査の第1回目は、カンボジア東部2県(コンポンチャム県、プレイベン県)のCaTHA会員を対象に行うためキズナ橋に近いコンポンチャムの町に集まってもらった。最東部のベトナムに近いラタナキリ県の会員は、どうせ中央に出てくるのなら首都プノンペンまで来たい(買い物もついでに、という事だろう)という希望があり次回開催のプノンペンでの調査に参加してもらう事にした。

前日の午後バイクで現地入りしCaTHAの2名と合流。2名は既に午前中に到着し、明日使用するレストランを選んでいた。簡素な夕食を囲んで、チェンライ大学でアドバイスをうけた項目を、すでに準備していたアンケート表と照らし合わせながらのミーティング。2人とも真剣。ビールをオーダーするのにもさすがに躊躇。。。

調査当日、会場は川の上に突き出した小さなローカルレストランで行われた。7名の卒業生である会員が出席、2名がドタキャンである。前回受験したが合格できなかった2名のクルクメールにも情報収集のために招待した。彼らには電話で既に幾つかの基礎情報に関するアンケートに回答してもらっていたので、来た順番に残りのアンケートの回答に取り組んでくれ、今回の趣旨説明については簡単にキーブーハン会長と私の方から話すだけですんだ。

今回は、彼らの所在地の状況(都市、遠隔地、ヘルスセンターからの距離など)、最も利用する生薬、最も治療を得意とする疾患、などの質問に回答してもらい、その証明として、実際に一番使う生薬のサンプルを遇えて前日に連絡して持参してもらった。いつも使うものならば手元にある筈である。
持参してもらった一番利用している生薬


また、彼らには各々がカンボジアで最も尊敬するクルクメールの名前を紹介してもらった。これは次の段階の調査のための質問で、レベルの高いクルクメールを選び出し、彼らに絞り込んでカンボジアのクルクメールに伝わる伝統医療についての調査を進めていこうと考えている。

アンケートにも一通り答えてもらったところで昼食を用意した。久々に集まった面々。募る話もたくさんある筈だ。

今回、スムーズには情報を収集することはできた。が、その一方で課題も残る。準備は殆どスタッフが準備した。アンケートなど良く準備したと感心した。しかし直前の直前まで何かと準備をしている始末。
集合時間も遠隔地の人を考慮し10時半としたのだが、実際にはこの会員7時半には集合地に到着していた。集合時間が遅かった分、皆不慣れなアンケートの回答に時間がかかり、より深いディスカッションをする時間を作る事ができなかった。食事の時間には皆うるさい。。。

今回の調査を反省に次回はもっと効率よくやっていきたい。次回の調査地は海沿いのコンポット県である。
(チェンライ)村と一緒にハーバルビジネス[2011年12月31日(Sat)]

タイ北部の“Doi Num Subプロジェクト”の名前を聞いたのは2年ほど前である。フェアトレードや麻薬からの転作を推進するなど、薬草のコスメティクビジネスによって村の開発を行っているという事を耳にしていた。
Doi Num Subプロジェクトのハーバル商品

タイ訪問4日目、チェンライからカンボジアへ帰国する便はPM3:45。視察をアレンジしてくているチェンライ大学のスタッフは、半日の観光を進めてくれた。この時期は8年前に始まったフラワーフェスティバルが開催されているという。

折角の申し出ではあったが、“Doi Num Subプロジェクト”の事を思い出し、伺ってみたところ、Dr. Yinyongはプロジェクトと面識があるという。紹介してもらう事にした。

社長のMs. Dusadeeさんは、バンコクに本社をかまえていて不在との事。代わりに現地で商品の製造を担当されている妹さんのPawaleeさんと、パートナーで布製品を担当している英語の堪能なDoirさんが、わざわざホテルまで迎えにきてくださった。

できれば契約農家のところまで足を運びたかったのだが、時間が限られているため、今回は、材料の調達から製造までの一連の仕組みを紹介していただく事にした。始めに伺ったのは、昨日も訪れたMaechan市にあるDoi Tung地区。プロジェクトの名前の由来はここから来ている。

村からDoi Tung村に集められた原料となるハーブ

そもそも、チェンライが観光地として注目され始めたのは1990年以降。それ以前は麻薬の原料となるケシの栽培以外これといった産業もなく、中央の有力者が欲しいままに土地を活用していた。そんな時、今は亡きタイの皇太后(現国王の母君)が、長くお住まいになられていたスイスに似た情景であるという理由から、この地に居を構えられ、教育や公園整備などを奨励された。皇太后がなくなられた後は、彼女の財団が設立され、引き続き皇太后が愛した、この土地の天然資源の活用が国王自らの事業として継続。換金作物や薬草への転作が進められてきた。

製品がつくられる工房

“Doi Num Subプロジェクト”が契約している農家は30件。ここよりさらに北側の山岳地帯Huy Bai地区にある。バンコク本社からのオーダーの量に応じて、各農家からDoi Tungに原料が送られてくる。各薬草は、ここで洗浄、乾燥、細かくカットされ、国道に近いMai KhamにあるPawaleeさんの自宅の工房で布製の袋詰めと真空パック加工が施され、バンコクの販売所に送られていく。

この日は特別多い5000個のハーバルボールの注文が入っていた。日本からの注文も多いそうだ。他のメーカーは、あらかじめ全ての材料をミックスしてから袋に包み込んでいくそうであるが、この工場では手間はかかるが、内容が均一であるように、ひとつずつ材料の分量を計りながら袋詰めをしている。

手際よくハーバルボールを作っていく

工場長のPuyさんが慣れた手つきで次々にボールを作っていく。4人の常勤スタッフが平均して1人1日100個ものボールを作るのだとか。注文が大量に入った時には、近所の村人に加勢を依頼する。ご好意で実際にはハーバルボールを使ったマッサージのデモンストレーションをしてもらった。蒸し器で熱したハーバルボールを慣れた手つきで全身にパッティングしていく。

ハーバルボールはタイ伝統医療師だった父母からの伝承で製品を開発した。なかなか認知度が上がらず販売が軌道になるまでは、ずいぶん時間がかかったという。努力の甲斐あって、品質、アイデア、村おこしプロジェク、が国の内外で表彰されるようになった。17年間立った今の課題は、次々に著作権を無視した粗悪なコピー商品が出回るなか、高い品質をアピールしブランドを定着させていく事だという。また、20カ所の薬草栽培場所を整備して観光客向けのリトリートを作っていく事も来年から始めようとしている。


この小さな工房では、ハーバルホールと共に、薬草を作った蒸気浴の商品も作っている。カンボジアで同じ療法はチュポンと呼ばれ、婦人疾患や初期の風邪の治療に広く用いられている。タイとカンボジアの伝統医療の系統は近いので、アンコールワットを訪れる観光客をターゲットにサービスを展開していくというビジネスチャンスはあるだろう。そのためにも、カンボジアの伝統医療がどのような実態であるのかを調査し、観光行政にアピールしていく必要がある。

カンボジア版“Doi Num Subプロジェクト”が周囲の村のコミュニティーと共に活躍する日がくるに違いない。
伝統医療学校インターン先は?[2011年12月31日(Sat)]
チェンライの温泉の町で知られるChan市のBarthanに開設された伝統医療クリニック

タイ伝統医療大学の4年目には実施訓練のカリキュラムが組まれているが、悩みの種は、学生がインターンを行える場所である。チェンライ大学の伝統医療学部はユニークな方法で、4年生が実践としてインターンを行える場所を確保している。
伝統医療クリニック正面

この日、科学大臣の立ち会いのもと温泉の町として知られるMae Chan市のBarthanで、チェンライ・ラジャハット大学と4つの町との調印式が行われた。

調印の内容は、各町が自前で伝統医療センターを設置し、そこに大学の卒業生である伝統医師と大学4年のインターン生が外来診療にあたるというものだ。


大臣の立ち会いのもと、大学と4つの町長が伝統医療クリニックの共同経営に調印

学生達は実践の中、13の疾患に対し伝統薬の処方、医療マッサージ、ハーバルバスなどの処置を行う。大学側は一切費用をかけずにインターン場所を確保し、患者は保健証の提出によって無料で受診することができ、治療で国から支払われる保険料(国民一人当たりの支払われている年間平均保険料は47バーツ)は各町の収益となる。Dr. Yinyongの試算によれば、西洋医学の治療と比較するとタイ伝統医療の費用対効果は10分の1であるという。また、この日は、同じ敷地内の温泉スパの開業式も行われた。観光事業と結びつけば町には外国人観光客からの収入も見込む事が出来る。

治療には4年生のインターンがあたり、卒業生の伝統医療師が監督する

すでに、この方法で大学は各町と契約を交わし、現在10カ所の地域の伝統治療院を設置しインターンシップを実施している。大学の試みとしては刑務所への訪問治療も実施した。代わりに各刑務所内での薬草栽培を依頼することで原料の確保、入所者の職業指導になるという。Dr. Yinyong学部長の企画力には脱帽だ。

保健省は、全国10,000カ所の公立ヘルスケアセンターに伝統医療ユニットを設置していく事を決定した。しかし現在その数は200件にも満たない。今回の試みは、少なくとも25ある伝統医療大学の受け皿となる付属クリニック設置のモデルケースとなっていくに違いない。
伝統医療人類学:チェンライ・タイ伝統医療大学[2011年12月29日(Thu)]
チェンライ空港でプラカードを持って出迎えてくれたのは、チェンライ・ラナバッタ大学伝統代替医療学校のDr. kanyanoot副学部長。これまでメールでのやりとりを行ってきたが、不覚ながら相手は若い女性だった。さらにはDr. Yingyong学部長の娘さんだと言う。タイ伝統医師教育では、数年前に大学ができた、と聞いていたが、Dr. kanyanootは、タイで唯一の伝統医療調査分野の博士(Ph.D.)であるという。

この大学の興味深いところは、伝統医療を人類学の視点から研究し、実際の地域医療にその研究結果を還元し、コミュニティーの活性活動をしているという点である。



アメリカの基礎医学研究を追随する日本を含め、一般的に現代医学の尺度において伝統医療は非科学的であり、医療サービスに加える条件を満たさないと見られている。いわゆる「エビデンス・ベースド・メディスン」の厚い壁である。多くの伝統薬は個人の体質によって、症状の改善がゆるやかで、また、その効果には個人の体質や状態によって大きなバラツキがある事から、なかなか科学的な証明をする事がむずかしい。


しかし、現代薬における副作用の問題、新薬開発費や医薬品の値段の高騰といった問題から、特に途上国においては、行き過ぎた安全基準を見直す傾向が見られるようになった。限られた予算の中で、増え続ける国民の健康を守るためには、あまりストイックな事を言っていられなくなったからである。そこで注目されたのが地域で数百年前から親しまれている伝統薬の活用。もし科学者が言うように思い込みや、暗示的なもの、危険性のあるものであれば、これら伝統医療は、すでに淘汰されてきている筈である。実際に数百年使われてきた薬や療法が、コミュニティーの中でどのように活用され、どれくらいの人々に指示されてきているか、という研究は、化学的には満たない証明を保管する事ができるだろう。それがフィールド調査を中心にした民族学であり、長年私自身、そのような研究をしたいと考えていた。

Dr. YingYongのチームは、その地域の伝統医療従事者を訪ね、特に熟練の伝統医療師を対象に調査を進めてきた。チームは、そのデータを無形伝統遺産として扱い、成果を出版物として形にした。その結果は、大学教育のテキストとし次世代の後継者の育成、地域ヘルスセンターでのービス、観光産業の新しいオプション、などに還元され、タイ北部のコミュニティーの活性と文化復興に役立てられている。


学校は、39年の歴史をもち20,000人の学生が通う巨大なチェンライ・ラジャハット大学の中、湖のほとりにある。タイ伝統医療医師コースは今年で10年目。約1200名の伝統医療医師を輩出してきた。タイでは一般に2学期制のところを3学期制にすることで、6年分に相当するカリキュラムを国で規定されている4年間に凝縮している。1学年は3クラス(各学生40人)。さらに修士コース、博士コースも用意されている。大学4年生になると契約している10のクリニックで実習を行う。

カンボジアからの来訪者に対して、学部長、副学部長、4人の講師がテーブルを用意してくれた。そこからは、お互いのバックグラウンドや調査経験について延々と終わりのない会話が続いた。元々個人的に興味のあった領域だけに、話は、今回の調査の手段として、私自身が博士課程の学生となり共同でリサーチを進めていこうという話にまで脱線していった(!?)いつかは、カンボジアからもぜひ学生を送り込みたい。


結論としては、今後もカンボジアの調査にたいしスーパーバイズしてくださる事を快諾してくれた。共同調査は大学側にもメリットがある。

今回、調査に関し漠然と遠いゴールに向かって、始めようとしていたが、CaTHAのメンバーの中から、アンケートと聞き込みをとおして熟練のクルクメールを選抜し、調査対象を絞り込むという次の調査段階に向けた当面の目標ができた。

タイ伝統医療視察1日目[2011年12月28日(Wed)]
4月に正月を祝うカンボジアでは、年の瀬も押し迫った感は、全く感じる事が出来ない。伝統医療師で結成したCaTHA(カンボジア伝統医療師協会)のメンバーは、会員を対象に伝統医療師に関する基礎データを収集するべく調査の準備を進めている。

今月は、在学生50名を対象にアンケートを実施しながら、1月からの本格的な地方でのサーベイのための質問項目に改良を加えている。その一環として、タイのチェンライ・ラジャバァット大学/伝統代替医療学校(The School of Traditional and Alternative Medicine, Chiangrai Rajabhat University)を訪ねる事にした。

この大学のDr. Yingyong教授率いるグループは、カンボジア同様に残存する医学文献が少ない中、タイ北部のラナ地方の少数民族の中に根付く伝統医学大系を、インタビューを中心に調査し、体系化するという事業を実施している。
この手法が、これから実施していくカンボジアのクルクメールへの調査に活かせると考えた。

早朝のバンコク発チェンライ行き飛行機に乗るため、バンコクで1泊とることにした。保健省敷地内にあるDevelopment of Thai Traditional and Alternative Medicine (DTAM) は、つい先日、鍼灸研修の視察のために立ち寄ったばかりであったが、なんと携帯電話を公用車の中に忘れてくるという不始末をしでかしてしまい、可哀想な携帯電話の回収がてら頭を掻きながらの再訪問である。
マヒドン大学付属 50周年記念医学センター内の伝統代替医療ユニット

折角バンコク郊外にまで足を運ぶのであるから、伝統医療関連施設を半日視察できないかと、前回北京出張中でお会いできなかったアンチェリー副局長にアレンジをお願いしたところ、DTAMが計画していた、タイで最も歴史のある大学のひとつである、急遽マヒドン大学付属の [50周年記念医学センター(Golden Jubilee Medical Center)] への訪問に同行させていただく事となった。

タイで始めての医学部を立ち上げた公立大学として知られるマヒドン大学は、現在21校ある伝統医療大学コースに先駆け、4年生のカリキュラムを実施した始めての大学である。実のところ、日本財団に提出したはじめての企画書(提案書)がマヒドン大学と提携して進める鍼灸研修だったこともあり、始めての訪問にも関わらず、かなり一方的ではあるが親しみを持っていたりする。

50周年記念医学センターでは、現代医療のサービスと共に、伝統医療サービスが実施されており、3階には中国医学(鍼灸)、2階にはタイ伝統医学、1階には足底反射療法(リフレクソロジー)のブースがある。

まずは3階の中国医学ブースへ。一般に中華系の人々が多く住んでいる殆どの東南アジア各国および先進国においては、鍼灸は政府でTCM(中国伝統医学/中国系の伝統医学)として認知されている。「鍼灸は国際的なもの。日本では5世紀からの長い歴史を持ち。。。云々」と主張したところで、日本の伝統医療がKANPOであると知る情報通の政府高官はいても、鍼灸が“それ”に含まれていると知る人はまずいないだろう。
鍼灸の研修をうけた医師と伝統医療医師が治療に当たる

6部屋38床。常勤4名、パートタイム4名の施術者が鍼灸治療に当たっている。治療に当たっているのは伝統医療医師と医師である。案内してくれたAmpornさんも医師であり、政府保健省が主催する3ヶ月間の鍼灸研修をうけたという。一日に60〜70人の外来患者が訪れる。費用は350バーツ(約870円)内100バーツを政府が負担する。パルス(電気鍼)はオプションで80バーツの追加が必要。このブースでは鍼灸の他、推摩(ついな)、ホメオパシーが受診できる。治療時間は約30分。運動器系の患者が殆どで、治療は置鍼が中心である。

2階のタイ伝統医学ブースでは、伝統薬の処方およびタイマッサージと暖めたハーブの入った袋を使ったパッティングが受信できる。マッサージ治療は300バーツで、政府が250バーツを負担する。残念ながら外国人の場合全額実費での治療となる。パッティングはオプションで80バーツ。政府は医療の現場で代替医療としてタイマッサージを推奨しているが、慰安目的の受診者が多く(多いに予想できる)医療費削減策になっているか疑問視されていると言う。
タイ日本足ツボ技術交流!?

1階のリフレクソロジーのブースは今年10月に設置されたばかりだと言う。伝統医療大学のカリキュラムには、まだリフレクソロジーの授業は含まれていない。観光者向けに人気のあったサービスが今やタイ人の間にも普及したという事だろう。日本でのリフレクソロジーが普及した過程を考えると納得だ。本日の視察は、これが最後。時間もあり受診の勧めもあったので、お言葉に甘えて。。以前、日本でリフレクソロジーの指導を行っていた事を話すと、今度は逆に施術を頼まれ、日本―タイ足ツボ技術交換会となり、たいへん喜んでいただいた。「昔取った杵柄」である。

DTAM(タイ伝統代替医療開発局)のアンチェリー副局長は、アメリカで薬学の博士号をとったチャーミングなオバさま。国際会議の中ではいつも、シンプルで明瞭なプレゼンをしていて、一度お話を伺いたいと思っていが、面識はあったものの、ゆっくりと話をする機会に恵まれなかった。視察が終わり、郊外の保健省から彼女の自宅近くの市街地まで車で送っていただくことになった。

ちょうど先日、日本財団伝統医療担当中嶋さんがタイを訪れ、すでに話を進めてくれていた様で、カンボジアの事情も良く把握されていた。カンボジア保健省はタイ保健省に対し、高校新卒者の伝統医学大学の受け入れを打診しているのだが、カンボジア側の制度が進まない状況を考慮すると、卒業後の進路に保証がない。そう考えると、伝統医療体系の近い隣国同士での共同研究は、双方の国の状況が違っても、お互いににメリットが見込める、という話で盛り上がった。

タイ伝統医学の問題点についても話題に。教育制度については、元々寺院などの寺小屋で教えられていた講義が4年制にまでなったが、25校いずれの大学も、それぞれの校風があり、なかなか統一したカリキュラムを作るのが困難であるという。また幾つかの新しい大学では、ビジネスになるという理由で開校されているものの、専門の講師陣をもっていないそうだ。

タイは伝統医療における、東南アジアの優等生という印象があるが、急速な成長の中でエリートなりの問題も抱えているようである。



ミレニアム開発目標[2011年12月15日(Thu)]
途上国の開発業界でよく耳にする「ミレニアム開発目標」というのがある。貧困問題をとりまく教育、医療、人権、環境、制度などの諸問題に一定の目標を設定し2015年までに世界中から貧困を撲滅しようと言う目標で、2000年に採択された国連ミレニアム宣言と、1990年代の主要な国際会議やサミットで採択された国際開発目標を統合してまとめられたものである。


医療分野においては、
@幼児・妊産婦死亡率の減少、
Aエイズ蔓延の阻止、
Bマラリア等の感染症発生率を下げる
事の3点が挙げられている。Aについてはコンドームの普及や血液検査のキャンペーン、Bについては環境整備や地方教育等の活動が功を奏し短期間に効果を上げているようだ。しかし@については、医療者の数の不足や人材育成に時間を掛ける必要もあってか、開発目標の中でも難航している様子である。カンボジアにおいては、かろうじて目標は達成したものの周辺地域に比べると、まだまだ死亡率が高いため保健省の最優先事業となっている。

おそらく2015年までは、この「ミレニアム開発目標」が「貧困脱出」の一番の目安となり、今後益々ラストスパートに向けて、この数字を少しでも高める事が途上国とドナーとの間での共通目標になるだろう。この目標が世界中の開発におけるスローガンとなり、各国の開発の指針となってきた事は間違いないだろう。しかし細部を見た時に数字のみがフォーカスされている事は否めない。ある国では、乳幼児死亡率を下げるために多少のリスクがある妊産婦には、積極的に帝王切開による出産を推奨し、貧困のリスクを下げるために出産を終えた女性に避妊手術を勧めていた。賛否両論ではあろうが、長期におけるQOL(生活の質)を犠牲にしているようにも思える。

途上国で伝統薬が見直されている背景には、現代薬の副作用という問題がある。安価な現代薬が普及する中で、村人に正しい使用方法が伝わらないために起きている。また乳幼児死亡率を下げる取り組みの中で、現代医療が推奨され、もともと各地で活躍してきた伝統産婆の手による出産を全否定する傾向も見られる。現実的に出産にかかる費用の高騰が起こっている。

2015年を機会に、開発目標の数字の陰に隠されたQOLへの問題に関して、多いに議論をもつ機会が増える事を期待している。
タイの鍼灸事情[2011年12月07日(Wed)]
バンコク郊外にあるタイ保健衛生省を訪ねた。2度目の訪問である。
保健省の省庁自体が一つの街?同じ建物が並び今回も迷子に。。。

先日開催されたASEAN伝統医療会議からの帰り、バンコク行き航空便の待ち時間を共にしたタイ保健省代表団のアンチェリーさんから、タイ伝統代替医療開発局の中には、タイ-中国医学東南アジア研究所(Southeast Asian Institute of Thai-Chinese Medicine)があり、そこでは主にタイ国内の鍼灸を管轄し研究が行われているという情報を得た。今回タイに立ち寄った際、早速、研究所のYanchit所長を訪ねた。

タイ国内の中国伝統医学を国民医療に活用する目的で1995年に研究所としてスタートし、これまでに上海、天津、成都の大学と提携。鍼灸の研修は、西洋医学の医療従事者(医師、理学療法士)を対象に、3ヶ月(13週間)のコースを、過去13年間で26クラス、1300人に対し実施してきた。修了者が全国で活躍しているという。3年前に始まった5年間の伝統医師コースの卒業者の数は僅か388人。 研修をコーディネートする 医師は、鍼灸コースを受講した医師を中心とした1300人が伝統医療のネットワークと伝統医療の臨床への応用への自信が現在のタイ伝統医療普及活動に大きく影響しているという。
タイ-中国医学東南アジア研究所の門構え。来年は新庁舎に引っ越しとの事。

定着する鍼療法にも問題はある。タイでは医療費無料の政策のもと病院では材料費も含め1回の鍼治療を100バーツ(約250円)で実施しているという。中国製の鍼の価格相場は1箱100本入りで120バーツ(302円) 韓国製の鍼が160バーツ(403円)で手に入る。一度の治療で鍼を使い捨てすると、約20本の鍼の使用で24〜32バーツ(60.5〜80.6円)かかる。差し引くと診療報酬は、薬代に比べると僅かである。病院経営の視点から言うと、どうしても治療の効果があると解っていても利益のある薬を出す医師が多くなる事は万国共通である。

鍼治療にもそれなりの営業努力を必要とするのもまた、万国共通に違いない。安全性を高める話をする中で、手元にあった私が普段使用している日本鍼のサンプルをお見せした。実際に手に取ってみるのは始めてという事で、その細さと緻密さに席上の3人とも驚いた模様で「このような細い鍼をどのようにして刺入するのか?習得は困難に違いない」という質問があった。

タイは、今や途上国のレッテルから脱却し中途国として、国内外から、よりクオリティーが求められる社会へと移行しつつある。医療に関しては観光産業とのコラボレーションもあり先進国からの患者を取り扱う高度医療が発達し、今や内視鏡や抗がん医療分野を除いては日本の医療水準を上回っているという。もちろん国内では所得格差の問題から、すべての国民が高額医療を受けられるわけではない。それを支えるのは伝統医療の使命である。

鍼の話に戻るが、国が豊かになると施術に関しても、より繊細な刺激の治療ニーズが高まる傾向がある。一般に太いとされる中国鍼を扱う中国の企業も、日本をターゲットとして日本でも通用する精密な細い鍼を製造するようになってきている。
タイ語に訳された鍼の国際標準を示したガイドライン

世界情勢の話題がつきないASEAN各国の経済発展は目を見張るものがあり、伝統薬の製品パッケージだけを見ていても、その変化は明らかに国際水準が意識されており、ついつい手にとって見たくなるほどである。私の専門が鍼灸であるだけに、現在中国鍼の使用が主流のASEAN各国の鍼に関するニーズの変化に注目している。
カンボジア伝統医療のテキスト作り[2011年12月06日(Tue)]
国内の伝統医療に関する資料も未だ未整理のまま

伝統医療研修校の卒業生であるクルクメールで設立したCaTHA(カンボジア伝統医療師組合)は、カンボジア伝統医療師の実態調査の準備に取りかかっている。

国のどのような場所に、どのような年齢層の、どのような伝統医療従事者(クルクメール、生薬販売、ほねつぎ、伝統産婆、中医、 祈祷師)がいるのか、どのような生薬を利用しているのか、どのような病状を取り扱っているのか、専業なのか副業なのか、など、政府が1979年に伝統医療局を設立してから、とっくに調べていそうなものであるが、このようなデータが殆どない。2008年に国税調査の職業調査の中で調べられたデータはあるが他のデータ同様信頼性に欠くものである。

保健省は、伝統医療の育成コースを設置する手続きに躍起になっているが、未だカンボジアの伝統医療自体が何者かも解らないまま学校を始めて、果たして何を教えようとしているのだろうか。教育者育成のためにタイやベトナムの伝統医療大学に高卒者を留学させたいと申し出ているが、4年後、大学卒業仕立ての若者に、タイ伝統医療やベトナム伝統医療の講義を行えというつもりなのだろうか?

保健省伝統医療局スタッフと伝統医療に関するテキストの作成のための調査を促すも、調査には調査機関に依頼し、最低大学修士以上の専門チームでなければ不可能。そのためには20,000ドルの調査費が必要だという。。。

CaTHAには、もちろん調査の専門教育をうけたものはいない。全国の5カ所に足を運び、250人のCaTHA会員から、自分たちの地域の状況をアンケートとインタビューで地道に伺っていくという方法である。費やす予算は3,700ドル。
先日、私が担当した、日本財団の伝統配置薬事業を紹介する事業の中で、在校生のクルクメール達に、この調査の取り組みを紹介したところ、学生の一人が「自分たちクルクメールの手で、カンボジアの伝統医療に関する資料を作りたい!」という発言をした。
地方にある薬草園も未整備ながら薬草の数は増えた。次はどう整理するか。これも生きたカンボジア伝統医療の資料だ。

保健省伝統医療局では、カンボジア全体の問題でもある人材不足が悩みの種であり、スタッフに伝統医療の専門家が一人もいない。その人たちに果たして伝統医療を国民のために復興させたい!という情熱をもって働いている職員が何人いるのだろうか。

この国においても、おそらくは遅かれ早かれ伝統医療事業が国民医療として根付く日が来る事だろう。その時のためにもカンボジア国内の伝統医療に関する資料の整理、テキストの作成、サンプルとなる薬草園の整備は、今始めておかなくてはならない最優先課題だ。簡単な事ではない。しかし伝統医療に命と人生をかけているクルクメール達の情熱があれば、この難事業も近い将来、達成できる事であると信じている。
村のクルクメールが研修に参加していない理由[2011年11月24日(Thu)]
各地の卒業生を訪ねていて思う事。そもそも我々の活動は、薬のアクセスの悪い、地方の村で活躍するクルクメール(伝統医療師)の活動を支援する事なのであるが、実際卒業生を訪ねてみると多くは期待しているよりも、かなり町中に店舗をかまえていたりする。

店内には所狭しと中国伝統薬の薬棚が整然と並ぶ

今回コンポンチャム県の中心街で伝統薬の店を構える、卒業生Sovanさんを訪ねた。取り扱っているのは中国伝統薬。店内には、所狭しと薬棚が整然と並んでいる。生薬の一部はカンボジアで入手した物であるという。プノンペンのオルセー市場の外れにも中国伝統薬を取り扱う店舗が集中した場所があり、オーナーの数人は研修校の卒業生である。

カンボジア保健省伝統医療局では、中国伝統医学もまた、カンボジア伝統医学の一端を担っていると発表しているが、今の時点で政府にも民間にも中国伝統医療に関する団体は存在しない。コンポンチャム県で中国伝統薬を取り扱っているのはSovanさん只1人で、中国語の本から知識を吸収しているのだという。

そこで、今期、研修校は午前中のみのスケジュールであるため、午後は誰も教室を使っていない。CaTHA(卒業生と在校生)会員のための活用を考えている事を話すと、ぜひ中国伝統薬を扱っている会員で勉強会を開きたいという。自主的な活動の申し出は大歓迎である。我々としてもカンボジアの中国伝統医療の特性を知るきっかけとなる

しかしながら、話は戻るが我々がターゲットとしているのは、街の伝統小売店を営むクルクメールではなく、医療アクセスの悪い村人の健康を支えているクルクメール達。受験募集の際には、保健省から地域の保健所に告知が行われ、各村にまで宣伝が行き届くことになっている。
薬のアクセスが悪い、こんな村がターゲットであるのだが。。。

国道から20キロほど入った村のクルクメールを訪ねた。研修校の事は知らないという。この村のヘルスセンターを訪ねたが、留守で村人に聞いても、ヘルスセンターの給料は安いので、センターのスタッフも他の仕事のために不在の事が多く、訪ねても薬がないことが普通にあるという.政府の発表では全国の村に1000件のヘルスセンターが設置され、そこで村人は薬が入手できる事になっているが、実際の村ではサービスが徹底していない。おそらく研修校の告知も、県レベルで止まっているのではないだろうか。

早速、CaTHA会員全員が各県のどのような地区で、どのような医療環境の中にあるのかを調べる計画を始めた。


また、この村のクルクメールに研修校の説明と、研修期間中の生活支援手当について説明をしたのだが、話していると少し渋い顔をした。生活支援手当の額は、物価の高いプノンペンで自分が食べていく分には良いかもしれないが、それでは不在の間、村の家族の生活を支えられないという。研修期間中、街のクルクメール達は家族に店番を頼んできているようだが、村のクルクメールの大半は農業に従事しており研修校に参加しているクルクメール達とは事情がちがうようだ。

今回の調査地に近い状況に近い村から参加している在校生に詳しい状況を聞いていく予定である。
ブータン国王からの贈り物[2011年11月20日(Sun)]
asahi.com
ブータン国王夫妻の訪日がマスコミを賑わせ多くのブータンファンを獲得しているようだ。小さな国だが、中国とインドという大国に陸続きで挟まれる中で培った外交力。誠実な国民感性とあいまって愛されやすい国だなと今更ながら感心する。私が初めてブータンを訪問したのは、99年、10年以上のおつきあいとなった。実際に滞在していたのは4年間であるが、以後年に4回ほど訪問している。

当初からブータンに対する憧れをいうものは少なかった、それよりも人々の営みを見るに連れ、自分の良心がみごとに体現化されているという印象をうけた。仏教哲学に関心があったものの宗教的な印象を好まない日本人には、ブータンが国是としているGNH(国民総幸福)という標語が受け入れやすかった。また無料の国民医療システムに伝統医療を取り入れているというところに関心をもったのが当時ブータンへ移り住んだ理由だ。今の活動の原点である。

小さな国であるという事もあるが、ご縁で王室に治療で伺う事もあった。今回の報道を見ていて思い出したのだが、皇太后さまには懇意にしていただき、先代国王よりメッセージカードと銀細工のいれものもいただいた。私が持っていても物の価値が分らないと思い、義母に差し上げた。家宝として金庫の中に眠っているようである。
4代国王から頂戴した銀細工。本来噛みタバコをいれる箱である。義母へ使ってもらうよう差し上げたが「こんなもの人に見せたら中のありがたいタバコを皆にねだられてしょ収集がつかなくなる」という理由から金庫に大切に保管されている。

今回、ブータン国王が日本の国会の場で、演説を行ったと聞いた。日本がブータンから学ぶべき事を感じさせられ人も多いのではないだろうか、そしてどこか、過去の日本からの警鐘のようにも感じられるのは私だけではないはずだ。
ブータン国王から日本国民へむけた素晴らしい贈り物である。
以下、ブータンサイトで有名な山本けいこさんのHPから国会演説の翻訳を紹介する。



天皇皇后両陛下、日本国民と皆さまに深い敬意を表しますとともにこのたび日本国国会で演説する機会を賜りましたことを謹んでお受けします。
衆議院議長閣下、参議院議長閣下、内閣総理大臣閣下、国会議員の皆様、ご列席の皆様。世界史においてかくも傑出し、重要性を持つ機関である日本国国会のなかで、私は偉大なる叡智、経験および功績を持つ皆様の前に、ひとりの若者として立っております。皆様のお役に立てるようなことを私の口から多くを申しあげられるとは思いません。それどころか、この歴史的瞬間から多くを得ようとしているのは私のほうです。このことに対し、感謝いたします。
 
 妻ヅェチェンと私は、結婚のわずか1ヶ月後に日本にお招きいただき、ご厚情を賜りましたことに心から感謝申しあげます。ありがとうございます。これは両国間の長年の友情を支える皆さまの、寛大な精神の表れであり、特別のおもてなしであると認識しております。
 
 ご列席の皆様、演説を進める前に先代の国王ジグミ・シンゲ・ワンチュク陛下およびブータン政府およびブータン国民からの皆様への祈りと祝福の言葉をお伝えしなければなりません。
ブータン国民は常に日本に強い愛着の心を持ち、何十年ものあいだ偉大な日本の成功を心情的に分かちあってまいりました。
3月の壊滅的な地震と津波のあと、ブータンの至るところで大勢のブータン人が寺院や僧院を訪れ、日本国民になぐさめと支えを与えようと、供養のための灯明を捧げつつ、ささやかながらも心のこもった勤めを行うのを目にし、私は深く心を動かされました。
 
 私自身は押し寄せる津波のニュースをなすすべもなく見つめていたことをおぼえております。
そのときからずっと、私は愛する人々を失くした家族の痛みと苦しみ、生活基盤を失った人々、人生が完全に変わってしまった若者たち、そして大災害から復興しなければならない日本国民に対する私の深い同情を、直接お伝えできる日を待ち望んでまいりました。いかなる国の国民も決してこのような苦難を経験すべきではありません。しかし仮にこのような不幸からより強く、より大きく立ち上がれる国があるとすれば、それは日本と日本国民であります。 私はそう確信しています。
 
 皆様が生活を再建し復興に向け歩まれるなかで、我々ブータン人は皆様とともにあります。
我々の物質的支援はつましいものですが、我々の友情、連帯、思いやりは心からの真実味のあるものです。 ご列席の皆様、我々ブータンに暮らす者は常に日本国民を親愛なる兄弟・姉妹であると考えてまいりました。 両国民を結びつけるものは家族、誠実さ。そして名誉を守り個人の希望よりも地域社会や国家の望みを優先し、また自己よりも公益を高く位置づける強い気持ちなどであります。
2011年は両国の国交樹立25周年にあたる特別な年であります。 しかしブータン国民は常に、公式な関係を超えた特別な愛着を日本に対し抱いてまいりました。私は若き父とその世代の者が何十年も前から、日本がアジアを近代化に導くのを誇らしく見ていたのを知っています。すなわち日本は当時開発途上地域であったアジアに自信と進むべき道の自覚をもたらし、以降日本のあとについて世界経済の最先端に躍り出た数々の国々に希望を与えてきました。日本は過去にも、そして現代もリーダーであり続けます。
 
 このグローバル化した世界において、日本は技術と確信の力、勤勉さと責任、強固な伝統的価値における模範であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。世界は常に日本のことを大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることへ願望を持って何事にも取り組む国民。
知行合一、兄弟愛や友人との揺るぎない強さと気丈さを併せ持つ国民であると認識してまいりました。これは神話ではなく現実であると謹んで申しあげたいと思います。それは近年の不幸な経済不況や、3月の自然災害への皆様の対応にも示されています。
 
 皆様、日本および日本国民は素晴らしい資質を示されました。他の国であれば国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして悲嘆をもたらしたであろう事態に、日本国民の皆様は最悪の状況下でさえ静かな尊厳、自信、規律、心の強さを持って対処されました。文化、伝統および価値にしっかりと根付いたこのような卓越した資質の組み合わせは、我々の現代の世界で見出すことはほぼ不可能です。すべての国がそうありたいと切望しますが、これは日本人特有の特性であり、不可分の要素です。このような価値観や資質が、昨日生まれたものではなく、何世紀もの歴史から生まれてきたものなのです。それは数年数十年で失われることはありません。そうした力を備えた日本には、非常に素晴らしい未来が待っていることでしょう。この力を通じて日本はあらゆる逆境から繰り返し立ち直り、世界で最も成功した国のひとつとして地位を築いてきました。さらに注目に値すべきは、日本がためらうことなく世界中の人々と自国の成功を常に分かち合ってきたということです。

 ご列席の皆様。私はすべてのブータン人に代わり、心からいまお話をしています。
私は専門家でも学者でもなく日本に深い親愛の情を抱くごく普通の人間に過ぎません。その私が申しあげたいのは、世界は日本から大きな恩恵を受けるであろうということです。卓越性や技術革新がなんたるかを体現する日本。偉大な決断と業績を成し遂げつつも、静かな尊厳と謙虚さとを兼ね備えた日本国民。他の国々の模範となるこの国から、世界は大きな恩恵を受けるでしょう。日本がアジアと世界を導き、また世界情勢における日本の存在が、日本国民の偉大な業績と歴史を反映するにつけ、ブータンは皆様を応援し支持してまいります。ブータンは国連安全保障理事会の議席拡大の必要性だけでなく、日本がそのなかで主導的な役割を果たさなければならないと確認しております。日本はブータンの全面的な約束と支持を得ております。
 
 ご列席の皆様、ブータンは人口約70万人の小さなヒマラヤの国です。国の魅力的な外形的特徴と、豊かで人の心をとらえて離さない歴史が、ブータン人の人格や性質を形作っています。 ブータンは美しい国であり、面積が小さいながらも国土全体に拡がるさまざまな異なる地形に数々の寺院、僧院、城砦が点在し何世代ものブータン人の精神性を反映しています。手付かずの自然が残されており、我々の文化と伝統は今も強靭に活気を保っています。ブータン人は何世紀も続けてきたように人々のあいだに深い調和の精神を持ち、質素で謙虚な生活を続けています。
 
 今日のめまぐるしく変化する世界において、国民が何よりも調和を重んじる社会、若者が優れた才能、勇気や品位を持ち先祖の価値観によって導かれる社会。そうした思いやりのある社会で生きている我々のあり方を、私は最も誇りに思います。我が国は有能な若きブータン人の手のなかに委ねられています。我々は歴史ある価値観を持つ若々しい現代的な国民です。小さな美しい国ではありますが、強い国でもあります。
それゆえブータンの成長と開発における日本の役割は大変特別なものです。我々が独自の願望を満たすべく努力するなかで、日本からは貴重な援助や支援だけでなく力強い励ましをいただいてきました。ブータン国民の寛大さ、両国民のあいだを結ぶより次元の高い大きな自然の絆。
言葉には言い表せない非常に深い精神的な絆によってブータンは常に日本の友人であり続けます。日本はかねてよりブータンの最も重大な開発パートナーのひとつです。それゆえに日本政府、およびブータンで暮らし、我々とともに働いてきてくれた日本人の方々の、ブータン国民のゆるぎない支援と善意に対し、感謝の意を伝えることができて大変嬉しく思います。私はここに、両国民のあいだの絆をより強め深めるために不断の努力を行うことを誓います。
 
 改めてここで、ブータン国民からの祈りと祝福をお伝えします。ご列席の皆様。簡単ではありますが、(英語ではなく)ゾンカ語、国の言葉でお話したいと思います。
 
「(ゾンカ語での祈りが捧げられる)」
 
 ご列席の皆様。いま私は祈りを捧げました。小さな祈りですけれど、日本そして日本国民が常に平和と安定、調和を経験しそしてこれからも繁栄を享受されますようにという祈りです。
ありがとうございました。
モンドルキリ訪問の成果と反省[2011年11月13日(Sun)]
モンドルキリの街を出発する朝。昨日昼過ぎから降り出した雨は早朝、深い霧となった。6時半に出発、冷たく深い霧の道、今日の目的地Pucha村を目指す。本来、モンドルキリに到着する前に立ち寄る予定だったが、プノンペンで購入した地図が、あまり当てにならず国道からの横道を見つける事ができなかった。
目的の村までは悪路が続いた。なんとかバイクで乗り切った。

この村には、先週から始まった研修コースの学生がいる。学生募集の際、モンドルキリからの参加希望者が他になくNomadから2名の推薦を受けたうちの1人である。この休暇を利用して帰省する事となっていたが、お金をセーブするために帰省をキャンセルしたという。仕方なく彼の家族と村にいる他の伝統医療師を訪問する事となった。国道の横道を探し当て、田舎道を進む事13km、泥道に阻まれた。悪路を進み30分ほどで目的のPucha村に到着。

薬草園を管理している伝統医師を訪ねたが、朝から泥酔状態。思うように質問に答えてもらえなかった。学生の両親を訪ねたが、母親は他界し、父親は新しい奥さんをもらい別の村に住むという。Nomadから伝統医療研修校の話があった際には希望者がなく、家族のいない彼が推薦されたとか。村人は皆ある程度の薬草の知識をもっているということなので入試にも合格できたのだという。

村を訪問するも。。。あまり情報を得られず。。。

我々の訪問についても明らかに礼金を期待している事がうかがえ、あまり良い感じを受ける村ではない。村周辺の悪路がそれを物語っていた。これまで、いくつかの村を訪問してきたが、良いリーダーシップのある村は、自助努力で生活環境の改善を図っているものだ。村によっても統治能力には大きな差があるようだ。訪問調査も今後は十分な信頼関係を作った卒業生の村に絞っていく必要性を感じた。

今回の、Nomad訪問を通して感じた事をまとめると、

- Nomadが、研究者集団であることから、現地調査や薬草の分析により、ターゲットとする村や栽培する薬草を的確に選択している。告知が行き届くまでに時間がかかっているのであろうが、我々の活動では街を中心として活動する伝統医療師の数が多く医療アクセスの悪い地域からの入学希望者が少ない。また、出版やワークショップなど事業結果を見せるパフォーマンスの高さに感銘をうけ、これから実施していく卒業生・伝統医療師協会の活動計画を作っていく上で、大きな参考となった。しかし、その反面、薬草園や薬草が果たして実際に村の生活改善に活用されているかについては、今回すっきりとする村人の証言を得る事ができなかった。なにか本当に村の医療アクセスを改善するためのユニークなアイデアを加えることが必要に思えた。

- これまで訪問した村もそうであるが、カンボジアの多くの村には公のヘルスセンター(全国に約1000件)があり、風邪や頭痛、下痢などの最低限の薬を入手する事ができる。しかし、その薬で改善できなかった場合や、その他の慢性疾患、婦人病、骨折、蛇毒、など病院に通院が必要な疾患に関する対応としては、伝統薬を愛用している。ヘルスセンターのエッセンシャルドラッグと一緒に伝統薬の活用方法を考えていく必要がある。

- 今回、通訳としてスタッフと同行したが、なかなか思う通りの質問の意図が伝わらず手こずることがしばしば。これから広範囲に調査を進めていく上で、他のスタッフにも対応できるよう、状況によってフレキシブルな対応ができる質問リストを作成する必要を強く感じた。

近隣の東南アジア諸国と比べても基礎データの少ないカンボジア、しかし確実に伝統薬が活用され、伝統医療師(クルクメール)が活躍しているのである。今年の新入生を迎え、CaTHA(カンボジア伝統医療師協会)の会員は200名になった。彼らの周辺から調査を始めていこうと思う。
プノン族の少女。ハニカミながらもカメラに興味津々。


「伝統薬で村おこし」の現場を訪問[2011年11月13日(Sun)]
朝食をすませ朝8時に, 2002年からNomadで活動、現在、伝統薬プロジェクトでアシスタントをしているJohnSamさんと待ち合わせをした。JohnSamさん自信がプノン族で、村人との調整役として活躍している。

Nomadは、6人の有能な伝統医療師を選択し、彼らの村で以下のような活動を展開している。

- 伝統医療師による村人への簡単な伝統薬の指導
- 村で演劇会(ロールプレイ)など、伝統薬普及イベントを実施
- 村自営による薬草園の管理と薬草の活用

Pundrey村、典型的な寒村。2人のくる伝統医療師がいる

はじめに訪問したのは、モンドルキリの街からバイクで25分、Dakdam地区のPundrey村。700家族が暮らす。ここには有名な接骨師がいると聞いて来た。Kwy Sophonさん(75)は、Nomadの出版本にも紹介された。Kwy Sophonさんの大きな体感と太い節々は、日本で「ほねつぎ」として活躍した柔道家のそれを連想させる。
プノン族で有名な「ほねつぎ」。むずかしい整復もこなすという。クメール語が通じない

接骨の腕が噂を呼び、他の県やベトナムからも呼ばれて往診に行くそうである。最近は交通網が整備された結果、バイク事故による患者が多く、前腕、下腿部の骨折で呼ばれる事が多いという。また、本人は自分の治療や薬草は精霊が夢の中で指示してくれるのだと真顔で語る。

残念ながら、今回その現場を拝見する事はできなかったが、整復の難しい大腿骨の骨折から、骨が皮膚を突き破る複雑骨折まで整復するのだとか。他のスタッフの証言でも、 さんの腕は確かで100ドルの往診料をとるらしいが、プノンペンやベトナムへの交通費・滞在費(100ドル)、治療代(1000ドル〜)を考えると、人々は腕に信用のある さんに治療を依頼するのだという。ひととおり話が終わると、水牛の世話をするのだと、大きな岩のような手で握手を交わすと、鍬を片手に丘の方に歩いていった。

次に同じ村の村長の家へ。村長の敷地内には20m四方のフェンスで囲まれた、薬草園がある。その土地に育つ有用な薬草、絶滅危惧種、が30種類栽培され、村内で使用されるほか、将来は販売して現金収入も見込んでいる。さらには外国人のエコツーリズムとタイアップし村の訪問で、織物などの土産物の売り上げアップも視野に入れているという。薬草園に関してNomadは、薬草に関するアドバイスの他は、薬草園のフェンスにかかる費用をだしただけで、のこりはすべて村の協議で管理しているという。
村で運営する薬草園。アイデアと囲いのフェンスをNomadが提供した

昼食のため街に帰る途中、雨が降り出した。結局、その日に予定していた次の訪問はあきらめJohnSamさんから、Nomadの活動や彼の生活などの話を聞く事にした。
少数民族の村を伝統薬で町おこし[2011年11月13日(Sun)]
ベトナム国境に接するカンボジア北東部にモンドルキリ県はある。

ベトナム国境に向け、見渡す限り豊かな樹海が広がり、地名の由来はモンドルが「集まり」、キリは「山」、文字通り山岳地帯を意味している。標高は600メートルと、高くはないが、高低差が乏しく熱帯に暮らすカンボジアの人々にとっては、朝夕の冷え込みを体感できる数少ない避暑地である。

農耕に適していないため、これまで開発の手が入ってこなかったが、最近、海辺のシハヌークビル、ケップと並び、国が新しい観光地として誘致を進めている。2年前の訪問時は道路も工事中で、街全体も赤土色の過ごしがたい状況であったが、最近道路の整備が完了し観光客の数も増加している。
見渡す限りの樹海が目下に広がる。観光客の多くは国内外の中国系?

モンドルキリにはブノン族という独自の言語を持つ少数民族がくらしており、フランスのNGO Nomad RSI Cambodiaは「伝統薬を活用した村おこし」を支援している。最近、ブノン族の伝統医療師とモンドルキリ地方の薬草を取り上げた書籍を出版(英語/クメール語翻訳中)した。
Traditional Therapeutic Knowledge of the Bunong People in North-eastern Cambodia


このプログラムをコーディネートするNicolas Savajolさん(31)は、2003年にマラリアに効果があるとされるヨモギ科の薬草研究のためカンボジアを訪問。農村開発の研究を経て、2008にマラリア対策プログラム、2009年からは現事業に着手している。最近、現地スタッフで中学教師の女性と結婚し、地域に密着した事業を目指している。

インドネシアでの国際会議から帰国した翌日から、早速モンドルキリに向け出発した。今回のようにラフロードのフィールド調査を見込んで、半年前にHonda FTR(223cc.)を購入した。今回は、プノンペンからモンドルキリまでの往復900km(実走距離1032km)の旅となった。

プノンペンの水祭りが、今年は大雨の影響で中止になった事もあって、この祭日を地方で過ごす人が増えたという。通常5ドルのゲストハウスも、このときとばかり15ドルに値上げ。それでも満室の状態だ。

到着して早々、Nomadオフィスを訪問した。民家を改造したオフィスだが、植木など至る所にセンスの良いフレンチ風アレンジが目を引く。敷地の一角には、小さな薬草園を有する。

さらに驚かされたのが、プログラムダイレクターのSarun Sornさんは、オフィスの隣に現地の食材を活かしたレストランをオープン。圧巻だったのは敷地内に自分で作ったという庭園。男性が庭の剪定をしていたので、はたしてワーカーにこの作業ができるのかと、案内してくれたスタッフに尋ねたところ、なんと、このワーカーがNomadプログラムダイレクターのSarun Sornさんだという。Sarun Sornさんは、始めバイクタクシーの運転手として、Nomadの活動に時々雇われていたという。その後、観光局に勤め、その旺盛な向学心が買われ、2000年から本格的にNomadの活動に参加している。庭のデザインはすべて、本の写真などを参考に造りあげたのだと言う。観光局を体感した後、Nomadの活動と庭園いじりが生き甲斐だと言う。スバラシイ!!
素敵にデザインされた庭園をもつ、その名も”ロマンティック レストラン”


我々も、この2年間50haの広大な保健省キリロム薬草園を支援してきたが、役人がワーカーに指示を出すだけで、薬草の数だけが増えた。広くなくて良い。このように愛情のこもった薬草園を作りたい!!


シンプルだが、フレンチ風にアレンジされた高床式の食堂と茅葺きの家

夕食にNicolas Savajolさんの自宅に招かれた。フランスから友人が訪ねてきているとの事でバーベキューパーティーをやるという。

購入した敷地には、エコツーリズムの宿泊所としても活用できるようにと、茅葺きの民家を建て(800ドル也)、高床式のオープンステージ上の食堂家屋を造っていた。開放感のある食卓から見渡す自然のパノラマ。。。フランス人の卓越したセンスと、思った事を実際に軽くラテン風にやってしまう実行力に圧巻された。

イノシシのバーベキュー。
米を発酵させた瓶入りの手作り甘酒を竹のストローで飲む。フランス人の観光客が大量に持ち込んてきた特上の赤ワイン。ダークラム酒にオレンジ、ライム、サトウキビジュースを加えたカクテル。ラテンのギター演奏と火を使ったヒッピーパフォーマンス(!?)で、満月の下、田舎の夜は彩られた。同席のフランス人たち、2ヶ月間ここに滞在するという。まさにフランス人。。。!

明日は、実際に薬草を活用して村おこしをする村と伝統医療師、新入生のいる村を訪問する。

インドネシアの鍼灸事情[2011年11月08日(Tue)]

ASEAN伝統医療会議の部屋の外には、各国の伝統薬を紹介するブースが設けられた。カンボジアも、出版物、市販されている伝統薬、ほねつぎの副子、などが展示され、休憩時間には人だかりができた。また、その隣にはインドネシアの伝統医療関連企業のブースも設置された。さすが伝統医療先進国、製品化されたジャムーの薬が展示され、試飲コーナーも設けられている。
市販のジャムー製品
ジャムー試飲コーナー

その一角に、鍼灸学校のブースがあった。この学校は1981年に開校しているらしいが、インドネシアで鍼灸が医療として認定されたのは1996年以降と日が浅い。現在10校の鍼灸学校があり、このブースの学校は、カトリック系のNGOが主催し、半年から8ヶ月のコースを開催している。早速、インドネシア保健省の中国伝統医学担当者に問い合わせたところ、WHOの規定に合わせて3年ほどのカリキュラムを組んでいるという。ブースの学校と言っている事が一致しない。現在は、医師向けの600時間の鍼灸コースを実施しているらしく親切にもカリキュラムをメールに添付してくれた。
鍼灸学校のパネル

その他、伝統医学=中国医学であるシンガポールや、中国文化の影響が強いベトナム以外の東南アジア諸国全体でも、鍼灸は国民医療(Health care system)として導入されている。ミャンマーは前回の訪問で、中国医学、インド医学を取り入れている事がわかった。来年の会議開催国であるマレーシアも大学の中に中国伝統医療センターとは別に、鍼灸センターを開局していると言う。もっとも鍼灸とは縁がないと考えていたタイでも、Department for Development of Thai Traditional and Alternative Medicine (DTAM)の下部組織にInstitute of Southeast Asia Thai – Chinese Medicine(南東アジア・タイ中国医学研究所)があり、医師のための鍼灸コース実施を計画しているという。さすが計画的である。

東南アジア諸国を2つのWHO地域事務所が担当している。そのひとつ西太平洋事務局(WPRO)は、1990年代から鍼灸の教育、安全・衛生、研究、ツボの位置の標準化についてのガイドラインを作成している。最近盛んに取り上げられている伝統薬よりも、実は制度の整備が進んでいる。リスクが多いと想像する鍼灸が、これだけ多くの国に採用されているのは、国際的に研究論文の数が多い事と、国際基準の目安となるWHOが既に制度を作成しているためである。

カンボジアでは、現在鍼灸に関する制度がない。将来クメール伝統医療に関する専門学校ができるとともに、鍼灸の専門学校もできるのだろうが、まだまだ遠い未来の話である。しかし、すでに開業している無資格の鍼灸師たちがいる以上、その前に、その人たちへの安全な施術と衛生管理や、基本的な解剖生理学やの教育が必要となる日が来る。
そのためには、やはりタイや各国が実施しているように、鍼灸業界の先頭に立つ医師への教育と啓蒙が必要であると思う。

東南アジア各国では、中国系の影響が強く、鍼灸もまた中国の影響を受けやすい分野である。その国のアイデンティティーを守っていくためにも、まずは国内で核となる業界の牽引者達を作り、高校卒業者を対象とする一般のコースは、その後に続くべきである。


インドネシアが伝統医療を国策に[2011年11月05日(Sat)]

ASEANサミットに合わせ、昨年まではASEAN+3という構成(東南アジア10カ国の中に中国、韓国、日本)で行っていた会議も、今年は3カ国への招待はなく、ASEAN事務局の強い牽引のもと、ASEAN伝統医療組織の自立を強くアピールさせるオープニングとなった。

また、昨年までは各国の代表者に伝統医療の現場に関係のない高級官僚が含まれていて、各国のアピール合戦が展開されていた感にも伺えたが、今年は各国共に実務レベルの参加者が多く、さすがに3年目になると、お互いの素性も知りあっての事か、上司の顔を伺う必要もなく、伸び伸びとした雰囲気で会議は進行された。会議の進行もASEAN事務局や主催国の調整努力の介あって手際の良さが目を引いた。 ASEANという統一したエネルギーを強く感じさせられる会議だ。

事前準備が進んでいたのか、昨年までのテーブルでの熱いバトルは見られない

開催国のインドネシアは、自国独自の伝統医療である「ジャムー」(後日紹介)を活用した保健制度の普及をASEANサミットに合わ国策にまで取りあげている。開会式では、保健大臣自ら国の保健制度における伝統医療の重要性を各国代表者へ強烈にアピールした。すばらしい!! カンボジアの保健大臣に見せてあげたい気持ちでいっぱいだった。

インドネシア保健大臣が自ら国をあげた伝統医療普及事業を紹介

会議は、昨年までのダラダラとした各国の基本情報紹介などが短縮され、その分、伝統医療事業として成功しているタイやミャンマーの事例紹介をもとにディスカッションが進められ、ASEAN各国で教育や研究、制度づくりを共同に進めていくための中期計画の策定が進められた。
各国の代表者たちが最先端の伝統医療の政府のとりくみを共有しあう会議の中、伝統医療に政府の後押しが弱いラオス、カンボジアの発言の機会は気の毒なほど少ない。。。

今回の会議開催地ソロ市は、インドネシアの首都ジャカルタと同じジャワ島にある。帝国主義時代には300年の長きに渡りオランダの植民地だった。オランダの進んだ西洋医学はインドネシアを拠点にアジア各地に広められ、江戸後期には極東の日本にも蘭学が伝えられている。

一方、カンボジアの古代クメール帝国時を築いたジャヤヴァルマン7世は、就任前に現在のインドネシアであるジャワに留学し、その学んだ経験から華やかなクメール文化を興している。クメール伝統医療のルーツもまた他の文化同様ジャワから導入されたとすれば、その後ラオス、タイに流布したインドシナの伝統医療は、インド、スリランカのを起点にジャワ経由で流布されたという風にも考えられる。

インドネシアはアジアの医学を語る上で重要な鍵をにぎる土地柄であるようだ。
ASEAN伝統医療国際会議 インドネシアへ移動[2011年10月31日(Mon)]
この週末の満潮で、バンコクの街は浸水するという報道の中、インドネシア・ソロで開催される伝統医療国際会議への道中、週末に重なる形で、バンコクの街に一泊することになった。プノンペンからの機内からは、浸水しているような景色も見えたが、町中の商店街の店が玄関先に土嚢を積んでいる風景はみられるものの、現地のJICA専門家の話では、バックパッカーで賑わうカオサン通りや中華街を含む川沿いの一部の地域を除いては、全く浸水の気配もなく、テレビの情報は過剰で市民の混乱を煽っていると指摘している。浸水を懸念して持参したゴム草履も徒労に終わった。
高架の上に避難して駐車している車の列。徒労に終わっている?!

翌朝インドネシアに向けて出発。今回、他のカンボジア訪問団の航空券は、主催国側のアレンジという事なのだが最後までスケジュールの案内がなかったため、会場のホテルまでのアクセスに不安をもちつつ、単独で現地に向かう。出発ロビーでは、8月に訪問したミャンマーの代表団と偶然合流、カンボジア視察旅行で世話をしてくれた伝統医療局部長や伝統医療大学学長の面々と再会した。
ジャカルタでの乗り換えは1時間半しかないにも関わらず、出発が20分遅れた。ジャカルタで国内便に乗り換える前に、ビザ代を払うカウンターで列に並び、更に入国カウンターには長蛇の列がまっている。下調べが甘かった。ASEAN加盟国でビザ購入の列に並ぶ事を免れたミャンマー代表団は、遥か前方。結局入国手続きがを経て荷物を回収し、国内便カウンターについたのはジャスト出発時刻。国内便は遅延する事が多いと聞いていたが、運悪く定刻に出発。3時間後の便に変更。変更の利かないチケットと聞いていたのだがカウンターでは5ドルの手数料を請求されるに済んだ。

ミャンマー代表団は無事出発できていたようだが、同乗していたラオス代表団一行も乗り換えに失敗。各人親交はないが昨年のカンファレンスでお互い面識がある。更にWHO西太平洋事務局の伝統医療担当官と合流。ハプニングの中にも良い巡り会いがあるものである。WHOのナラントヤさんと、近々のカンボジア訪問予定や事業計画についての雑談に花を咲かせていたところ、既に出発は30分の遅延、問い合わせてみると、出発ロビーは変更したと言う。慌ててロビーを移動し待機中の飛行機に飛び乗った。
インドネシア渡航への注意。1)入国して国内便に乗り換える際は時間に余裕をもって。2)油断していると出発ロビーが変更している事もたびたび。

ホテルに到着したのは6時を回っていた。日は落ちて雨が降っていた。乗り遅れた便で一緒に現地入りするはずだった日本財団の中嶋さんは、私がいない事を案じてロビーで迎えてくれた。カンボジア代表団は昼の便で早々に到着。食事も済ませ明日から始まる会議に備えていた。明日から始まる3日間のビックイベント。機内や空港が乾燥していたのか治まっていた咳がぶり返していた。熱い風呂につかり早々に床についた。
放課後の有効利用を考える[2011年10月28日(Fri)]
来週から、伝統医療研修校が予定より大幅に遅れて開始される。一方で年に一度のASEAN伝統医療国際会議も来週開催されることに。今年もオブザーバ参加させてもらうことになった。各国の伝統医療の取り組みを拝見できる特別の機会である。特に今回はASEANの中でも「海ASEAN」の代表格インドネシアでの開催。鍼灸の取り組みも華僑を中心に「陸ASEAN」より盛んであると聞いている。

さて、今年は5ヶ月の短期間となった伝統医療研修コース。質だけは昨年以上に高めたいと準備を進めてきた。なかなか準備を進めるスタッフたちの理解が進まずアクセクしたものの、なんとか開始に漕ぎ着けそうである。昨年度は、2つのコースを平行して進めていたため、終日教室では授業が行われていた。今年のコースではクラスは午前中使われるだけ。貧乏性だろうか。どうも、モッタイナイ。しかしながら、午後に何か企画をすれば、また手当のための予算がかかる。。。 
彼らのライフスタイルを深く観察したい。しかし結構、学校で深い信頼関係を作るのって難しい。。。

研修コースの、もう一つの目的は、学生たち現役クルクメールたちからの情報収集である。何気ない雑談や時間の共有が、職業柄、秘密の多い彼らの心を打ち解けさせる。どうも、現地スタッフ達には、この辺の意義と手法をなかなか解釈させるのが難しい。

この午後の時間を有効利用する事を検討した。今年は、地方からの学生を集めているため、午後、暇をもてあましている学習意欲のある学生達もいるはずである。そこで部活動のような形で教室を開放してみてはどうかと検討している。始めは、こちらでテーマを決めて呼びかけようと思うが、入学と同時に学生達は、卒業生達で結成したCaTHA(伝統医療師協会)の会員でもある。お互いの知識を持ち合ったり、伝統薬の配合や診察方法を勉強するもよし。伝統医療の将来の発展について熱く議論するもよし。

5ヶ月という短い期間だが、全国から集まる同業者達と一生の関係を構築できるような環境を提供できれば幸いであるし、私自身も彼らの事をよく知る機会として参加したいと思っている。
敷地縮小、国立伝統医療局[2011年10月26日(Wed)]
土曜日の昼時、オフィスのある保健省に人影はない。平日も出入りする職員は少ないので、そう違和感はないが。そんな中、週末にしか診療に来ることができない患者さんの治療を引き受けている。帰り際、数名のワーカー達が、何やら伝統医療局前の駐車場を計測していた。

月曜日の朝、建物の前は何時になく賑やかな雰囲気。何やら作業が始まっていた。伝統医療局の前に塀を拵えようとしている。慌てていたのは伝統医療局長。何にも通達が無く、確認をとると担当副大臣さえも聞かされていないという。レンガの塀が詰まれ、車6台分程の区画が保健省本庁から隔離される。

社会主義時代に活動期を迎えていた、伝統医療局は現在の保健省新省舎の範囲を含む広大な土地を有していた。それが現在の3階建てのビルに収められ、ついには囲いをすることで、その多くの面積が保健省本庁に統合されてしまった形になる。都市中心部にある保健省は、すでに民間に売却されており、数年のうちに移転が決まっているそうだ。その折には、伝統医療局から取り上げた面積を含む土地面積を申請するのだろう。

我々にとっての問題は、これまで集めてきた薬草のサンプルである。塀を立てられた外側にサンプル園だけが取り残されている。そのうち撤収を言い渡されるのか?日頃出勤しない伝統医療局員達が保健大臣宛に署名を集めた。しかし伝統医療局の担当大臣は、彼らを支持するどころか波を立てないように諭してしまった。。。。

伝統医療局長が、誰の署名でこの作業が始まったのか、調べたが結局書類は存在せず、総務副部長の一声で始まったのだと言う。総務副部長は保健大臣の側近中の側近である。誰もが口をつぐんでしまった。。。。

鉢植えの薬草サンプルは、どこかに移す事ができる。しかし殺伐とした都会の片隅に木陰を作っている薬木達はどうなってしまうのだろう。夕方の斜陽が悲しげな木々を照らしている。
「薬草」の授業を強化する[2011年10月21日(Fri)]
伝統医療研修校新学期に向けて、ようやくスタッフ達のエンジンがかかり始め、急ピッチで準備が進んでいる。最終段階で私がテコ入れしているのは、本研修校のメイン教科とも言える「薬草」に関する教科だ。

昨年まで薬理学、植物学、薬草学、生薬学、フィールド学習 の専門教科が実施されてきたが、よそ者の私には全く専門外の事で、すべて講師にお任せで進めてきた。今回、事前に各教科のシラバスの作成を進めてもらったところ、改善するべき部分が見えてきた。

普段顔を併せる事の少ない講師同士が連携無く各教科を進めてきた。学生達の間で不人気の薬理学は化学式など学問に親しんできていないクルクメール達にとっては難題である以前に現代医療の分野から伝統医療を見下すような(講師の質にも依存するが)、楽しい授業ではなかった。元々高等教育を習得するのが本研修の目的ではないため、薬理学は、より簡素化して解剖学などの現代医療の括りに回す事に。

新しく伝統医療の枠組みを理解するために伝統医療概論の教科を導入。植物学では薬草自体の解剖生理(?!)についての共通言語を習得する。残った薬草学と生薬学は薬草オタクの伝統医療局長とクルクメール3名で進めているのだが、質より量と言った感じの授業計画で、さらに教える薬草もバラバラである。勉強嫌いの私の視点から、もう少し、薬草の生育から成り立ちまでを薬草学、乾燥処理した生薬からチップに関わる部分を生薬学、という風にもう少し差をつけ、当然ながら同じ種類の薬草について指導するべくカリキュラムの再編成を示唆したところ、したたかにも、再編成ミーティングの手当を請求してきた。。。。

 ここでは、講師の一人で昨年結成した伝統医療協会会長に、教材に使う薬草リストの原案を作成し、今は肩身の狭い伝統医療協会から研修校へ「アドバイス」という形で話を進めるよう唆し(!?)この件は前向きに進んでいる。

さらに、これまで懸念していたことであるが、研修校にきて伝統薬の作り方も教えていないという情けない状況を打破するために、1980年代に伝統医療局で作成していた8種類の伝統薬づくりを授業の中で再現するよう勧めている。これが旨く進めば、保健省への伝統薬登録や、作業行程で判ってくる必要な製薬機器の選別、しいては将来の伝統配置薬に入れる薬の候補にもなるのではないかと考えている。

今回5ヶ月という短い研修コースだが、これまで以上に内容の濃いものに仕上げていきたいと願っている。
風邪に伝統薬を試す[2011年10月19日(Wed)]
カンボジアの伝統医療に携わり2年半ほどが過ぎている。しかし実際のところ「馬鹿は風邪も引かない」というロジックが功を奏してか、自分自信でなかなか伝統薬の効果を実感できる機会が少ない。しかし、先週末あたりから待望の実験機会となる風邪を拗らせてしまった。

最近、タイ、アユタヤの豪雨の報道が盛んに行われているが、カンボジアを流れるメコン川も、暦では乾期に入っているにもかかわらず雨の影響で危険水位に至り、来月予定されていた、年に一度のトンレサップ川での「水祭り」も中止となる事態である。
いつもは、見下ろしていた水面がヒタヒタ

最近の雨は、この土地特有の単発的なバケツをひっくり返したようなスコールではなく、夕方からシトシトと降り出し長時間続く。部屋の中などは快適で夕方から自宅にいてクーラーをつける事もない。そんな感じで油断していると朝方、寒さで目が覚めるという事態に繋がり、最近巷では風邪が流行っている。
私も先月末からゴタゴタと動いていて、久々の休日に、ちょっと気が緩んだのだろう。乾いた咳が止まらなくなり熱っぽく、身体がだるくなってきた。

まず、仕事の帰りに、家の近くにあるオルセーマーケットの研修校卒業生の経営する、生薬の卸店を訪ねた。オルセーマーケットの一角には、生薬だけを取り扱う商店が連なっている一角があり、昨年度までの卒業生達が経営する店もある。今期の研修からはプノンペン出身者を受け入れないため、彼らは私の数少ない近所のネットワークである。
頭痛に効くよー、煎じ薬ですよー、というメッセージをパッケージのデザインからは読み取ったのだが。。。

英語が伝わらず、持ち前の片言クメール後で、「ネツ、アール。セキ、デール」みたいな言葉で話が伝わったのか伝わらなかったのか、とりあえず、既に梱包してあった既製品1包み、それから鼻がつまり鼻水も出ていたので、鼻に良いという、茎に無数の小さな空洞がありタバコの様に使用する木の枝一束を購入した。占めて3ドル。

早速、帰宅してパックされていた生薬の袋半分を、さっと水洗いし、2ℓの水で煎じ始めた。煮立つのを待つ間、鼻に良いとされるタバコを試す。無味無臭。。。確かにモクモクしたり煙が目にしみたりなど、不快感はないものの、爽快感を期待していただけに、その後、この枝の再演の出番は訪れていない。
タバコのように火をつけて煙をくゆらせる。。。

20分程煎じると、煎じ薬らしい色になったので火から下ろした。コップ一杯分を汲み取り、早速試飲。後味がとても苦―い。ちょうど現代薬の風邪薬を水なしで飲むと、この味だと思った。用意していたハチミツを口の奥に入れる。残りを冷蔵庫で冷やして飲んでみると、かなり飲みやすさは改善し、寝る前にはすべて飲み干した。

翌朝は、咳は幾分治まった感はあるものの、身体が熱っぽくなっていた。そのまま休んでいれば良かったのだが、ミーティングが入っていたので、少々頭がポーッとしていたが出勤する。

スタッフに伝統薬の包みを見せた。効能には、なんと肝炎、目眩、胃痛、利尿を始めとする38個もの疾患名が効能として記入されており、風邪には特化していない事が判った。さらに、中に何が入っているかは記入されていない。化学薬品は入っていないだろうが、ブレンドの類いはお互いの店同士で秘密になっている。

昼休みに、もう一度クルクメールのスタッフをつれて再びオルセーマーケットへ足を運び、今度はオーダーメイドで注文した。オーダーメードと言っても、麻袋から数種類の薬草を無造作にビニール袋に突っ込んでいく。
数種類の薬草が配合されている、見た事がある顔もちらほら

帰宅して、今回は別に進められた蒸気浴も試みた。煮立った煎じ薬の入った鍋に頭を近づけ、バスタオルをかぶる。自家製スチームサウナ。そのままでは、とても間が持たず飽きるので、タオルに少しの隙間を作り、NHKの連続ドラマを見る事にした。男女関係の絡んだ保健詐欺事件のストーリー展開。最近NHKのドラマも民放のドラマと遜色がなくなってきた。湯気の向こうで視聴率が見え隠れした。
見た目は、とてもヘルシーで美味しそう。

その後、鍋の煎じ薬を飲んだ。昨夜のものよりも格段に飲みやすい。夜中は咳に起こされる事もなかった。今日になってみると出勤は出来ている。未だ身体のだるさは解消されず、咳も時折、しかし今回は酷い頭痛や腹痛などがあった訳ではないので、今ひとつ改善したというインパクトに欠ける。熱は計測しているが確かに下がっている。まだまだ経過観察が必要のようである。

ニュースレターってなに?[2011年10月12日(Wed)]
 真剣なまなざしでホワイトボードに目をむける彼ら。授業風景ではない。ニュースレターが何であるのかを、必死に理解しようとしている。


卒業生で結成した、伝統医療師協会の最初の活動として、あまり知られていない、もしくは誤解されがちな、自分たちの伝統医療師という活動を紹介していこう!ということでニュースレターを発行することになった。しかし、実際に始めようとすると「ニュースレター」って何?

時間はかかるが、まず協会パンフレットや出版物との違いを把握して、何を誰に何のためにニュースレターで発信していくかについて意見を出し合って貰った訳だ。

やはり大抵のクルクメール達にとっては、役人のように地位と名誉を手に入れて、多くのドナーから予算をもらいたい、というのが本音で、そのためには身の丈以上に自分たちを見せたいというのが正直な意見のようだ。

確かに、伝統医療が盛んな隣国のタイやベトナムを見ていれば、そう思うのもしょうがない。両国は政府が先導して伝統医療を支援しているため、立派な伝統医療に特化した病院や研究所、そして近代的に伝統薬向上を保有している。

しかし、はたして予算をかけて立派に近代化した伝統医療だけが良いのだろうか。もともと東南アジアの伝統医療ブームは、自国の文化保護や初期医療制度の充実のために、輸入原料に頼らず、土地の知恵を活かし、費用対効果の高いところで活用を見直されている。

逆に、長い内線という苦難の歴史の中で、自己体験によって伝統医療の効用を体得。クルクメールと呼ばれるヒーラーの世界が今も現役で息づいているという事に誇りをもってもらいたいと思っている。安全管理さえ整えば、十分に現代医療との両立を可能にする事ができると感じている。

それぞれの村で薬草の採取から加工、そして治療、処方までを一手に担う、クルクメールという素晴らしい職業をニュースレターを通してお互いが再確認し、誇りに満ちた社会生活を送ってもらいたいと願っている。

そんなクルクメール達の地道な活動や生き生きとした表情がニュースレターでは紹介されてほしい。


オーケストラがやってきた![2011年10月10日(Mon)]
クメールお盆明けのプノンペンで、50人のオーケストラで結成されたクラシックコンサートが王宮の近く、国立チャトモックホールで開催された。私の所属している日本財団と在日本大使館、カンボジア文化省の共催ともあって実施は早くから知らされていた。

今回のオーケストラのために、指揮者、福村芳一氏の呼びかけで、ASEAN を中心に音楽家が募集され、特にアセアン・シンフォニー・オーケストラ(ASO)のメンバーの多くが参加することになった。ASOは、昨年ベトナムで開催されたASEANサミットの夕食会でも、ASEAN各国の首脳、アメリカのヒラリー・クリントン国務長官、インドのマンモハン・シン首相、中国の温家宝首相、韓国の李明博大統領、潘基文国連事務総長、そして日本の菅直人前首相を前に堂々の演奏を披露し好評を博したプロの音楽集団である。今回は8人のカンボジア人も参加している。

しかも、なんと今回は、ニューヨークを拠点に活躍中の、ホットなバイオリニスト、五嶋龍氏もソリストとして参加!彼のようなトップアーティストが、途上国のコンサートに参加するなど夢のような話であるが、好奇心旺盛な五嶋氏の参加承諾により実現することとなった。

さて、このコンサート、現在、日本財団が支援しているカンボジア盲人協会の今後の独立運営の礎としてのチャリティーコンサートという形で企画された。しかし、盲人協会にとっては初めての経験にして大きすぎる舞台設定ともあってか、なかなかプロモートが旨く進まない。今回のコンサート担当者が、普段伝統医療の担当で世話になっている中嶋さんという事もあり、カンボジア駐在である私にもサポートをするよう声がかかった。サポートと言っても、周囲の日本人に声をかける程度の事しかやっていないが、なかなか通常では見る事の出来ないコンサートの舞台裏を拝見できる面白い機会となった。

当初はチャリティーコンサートというシャビーな響きのせいか、周囲の日本人のリアクションも今ひとつ。また、チケットの売り出しが2週間に渡るクメールお盆の連休と重なった事もあって、招待客からの返事も疎ら、チケットの売り上げも、幸先の悪いスタートとなった。しかし当日蓋を開けてみると730席のシートがほぼ埋まっていく展開。胸をなでおろした。

7時過ぎに始まったコンサートは、アンコールも含め予定終了時刻を過ぎる10時過ぎまで行われる大盛況。招待されたヨーロッパの大使達一行も、まさかカンボジアでこれほど本格的なクラシックコンサートが行われるとは!とご満悦のご様子。
ヨーロッパの人々もが満悦!

そんな私も、スタッフの名札とカメラを持たされていたお陰で、いろんな角度からコンサートを満喫できた。全後半を挟む休憩時間には、カンボジア皇室、五嶋氏、日本財団重役が談話するVIPルームでの撮影を依頼され、ちょっとした役得感。

休憩時間のVIPルーム。五嶋龍氏と皇族、日本大使館代表、財団重役との談話の風景

コンサートは大好評に終わり、内部からは来年カンボジアで行われるASEANサミット時期の再演の声が挙った。激務を勤め上げた担当者や関係者には、しばらくは懲り懲りという気持ちであろうが、いかんせん芸術イベントの少ないカンボジア、滞在の励みになる。

Sisowath Pongneary Monipong王女から指揮者藤村さんに花束の贈呈


3回目の入試[2011年10月06日(Thu)]
カンボジア伝統医療研修校3期生の入学試験を実施している。第1期生が、保健省スタッフ身辺の人々からセレクトされた長閑な採用状況から考えると、3回目となった今回は、入学規定も、かなり厳格なものとなった。

まず、今回は校舎のある首都プノンペン在住者の申請は受諾されなかった。これは“地方の医療アクセスの改善を支える”という研修校のコンセプトに反し、都市を中心にビジネスに特化したクルクメールの悪い噂が後を絶たないためである。

また、昨年以上に筆記試験の結果よりも、面接試験で受験者の経験の深さを重視するようになり、クルクメールの子息が家族の代理で試験をパスする事が難しくなった。入学には、クルクメールの世継ぎとなる世代にも、それなりの経験が必要となる。これで、昨年39歳だった学生の平均年齢も更に高くなる事だろう。

8月の段階で226名いた受験希望者の数は、プノンペンからの希望者が差し引かれ170名に。更に、保健大臣からの指示で、地方保健所からのクルクメールであるという証明書の提出義務を追加したところ、最終的な受験者数は125名となった。
保健省職員、CaTMO,伝統医療師協会 の3名を前に面接に臨む受験生

筆記試験から上位80名が面接試験に臨んだ。昨年は、上位100名が、それぞれ上級者コースと中級者コースに振り分けられたが、今年は、中級者コースが廃止となり、研修校も難関となっている。筆記試験と面接試験の結果で上位52名が第三期生として来月から始業する研修に参加する。

年齢も、職業もバラエティーに富んでいた例年までの教室の風景も、熟練の職人に限られた構成になる事が予想される。活気に関しては少し寂しくなるが、ようやく3年目にして伝統医療研修校がターゲットとする、地方の伝統医療師が全国から集うことになる。

身体に良い歯磨き粉?[2011年10月04日(Tue)]
カンボジアでは、最近、伝統薬配合の「歯磨き粉」が話題になった。

話題の「薬用歯磨き・バンデッセイタイ」

この歯磨き粉を発売したのは、プノンペン在住のクルクメールを称する人物。パッケージには「バンデッセイタイ(高級賢人)」とクメール語の商品名にも関わらずMade in Japanと書いてある(?!)。さらに、この歯磨き粉、アロエエキス配合であること以外、薬効のある原材料の記入は見当たらない。ラジオによる広告では、歯槽膿漏、舌炎、喉の痛み、といった口腔疾患に効能があり、さらには身体の患部に塗れば、皮膚病や痔についても効果があるとアピール。大々的な宣伝の効果もあってか、10ドルもする、歯磨き粉は、ちょっとしたブームとなった。

Made in Japan って。。。。

実際のところ、周囲からは今のところ良い評判は聞こえてこない。
保健省もまた、当然この商品の過剰な広告に不快感をしめした。

ところがである。この商品を売り出している会社には、政府高官の役人が関係しているとの事で、保健省は商品の差し止めをする事が出来なかった。ある地方では、一瞬差し止めが行われたが、数日後には、何事もなかったかのように再び販売されているという。

この自称伝統医療師の起こした騒ぎの渦中で、我々の本年度、伝統医療師研修コース実施の申請書が、保健省に提出された。担当者曰く、保健大臣はじめ副大臣からは、歯磨き粉の件でクルクメールに関する扱いに苦言が入り、特にビジネスに特化した首都圏の伝統医療師の入学を認めない事、10ヶ月実施していた研修期間を6ヶ月以内に短縮するという条件が付けられるという結果となった。

多くのクルクメール達は、献身的に村人の健康を守るため日々努力している。どの世界でも同じ事は起こるのであろうが、一部の至らない素行の人々のお陰で、誠実に働いている人々がとばっちりをうけたという今回のケースである。
保健省から研修コースへの注文[2011年09月20日(Tue)]
ミャンマーから帰国して、伝統医療師研修コース10月の新学期に向け取り組んでいる。今年のカリキュラムは、特に伝統医療教科の内容を充実するべく取り組んでいるが、スタッフのリスポンスは悪い。彼らのペースがあり、目新しい事に取り組んでいる戸惑いもあるのだろうが、スケジュール通りに提出される事はなく、なかなかこちらの要求している内容が帰ってこない。彼ら持ち前のラストスパートに期待するしかない。ここはグッと辛抱。


収集された薬草のサンプルもラベルが付けられないまま。。。

一方、ミャンマーの視察旅行のおかげで、視察に参加したスタッフの間では、事業のイメージを理解してもらいやすくなった。まずは1976年ミャンマーの伝統医療専門学校が設立した時に平行して整備されたという、5つの周辺環境 1)図書館 
2)ミュージアム 
3)工場 
4)研修用病院 
5)薬草園 
を整えていく事が課題だ。伝統医療師研修コースの事業とともに将来のカンボジア伝統医療専門学校設立に向けたテーマについて確認できた。


集まっている本の数も図書館には程遠い

毎年研修については、保健省の許可をもらって実施しているのだが、今年はなかなか承認が降りなかった。これは問題というより、むしろ、これまで問題にも挙げられなかったものが、2年間の活動を通し、少しは気を止めてもらえるようになったという状況である。

研修実施の許可は降りたが保健省側からいくつかの要求があった。各教科を解りやすくする、より実践的な教科をもりこむ、卒業後のフォローアップを充実する、などの要求に関しては、既にこちらも新学期に向け概論やシラバスの作成、協会の活動など作業を進めている。

目新しい要求としては、願書提出の際に、身元確認のために、これまで村長による推薦状を提出してもらっていたものを、地方の保健役場からの推薦状にしろというものである。保健セクターと伝統医療師の間には、接点が少ない事は解っていたので、受験者にとって困難なリクエストであると思えたが、地方の保健セクターがクルクメールを認知するという今までなかった関係が構築される意味で意義のある事だ。早速、人材局と伝統医療局に保健役場へ向けての事情説明の書類を作成してもらい、全国の地方保健役場にタクシー便を送った。

また人材局から、クルクメールに対する業務範囲を規定にする提案があった。将来、伝統医療師が保健人材として、どのように位置づけされるのかを明確にする糸口ができた。

各論として、産後の滋養強壮、マラリア、デング熱、結核など国が重点をおいている疾患に対する伝統薬の情報を強化すべし、という注文もあった。これは、保健省の医療サービスに将来伝統医療が参画する糸口として希望の持てるコメントである。

実施期間については、昨年承認をうけた10ヶ月という期間に対し短縮を要求してきた。現役クルクメールに対しては、モラルや関係法規と安全管理、基本的な現代医学についての短期間の研修を行うべきであり、それ以上の教育に関しては、高卒者を対象とした2年以上の専門教育機関を設立し実施するべきということであると言う。その背景には下手にビジネスに特化したクルクメール達に知恵をつけライセンスを発行することで、新たな社会問題が生まれるという事への懸念もあるようだ。

これまで、この伝統医療者研修が専門学校に近い位置づけで、大学に移行するための事業と考えていたが、保健省の解釈としては、本研修が、あくまで短期の補助的なワークショップ的な研修であり、専門学校 (Institute)以前の位置づけと考えられている事が把握できた。保健省の上層部から長期の教育機関実施を示唆する声が出てきた事は大きな一歩であり、これまで先が見えず、手探りの状況で進めていた事業に光明がさしたとも言える。
ミャンマーから学ぶ教訓[2011年09月19日(Mon)]
Tun Myint Aye医師と病院スタッフ

海外との窓口である旧首都ラングーンで、我々一行の世話をしてくれたのが、Tun Myint Aye医師(40)。

視察最終日には、本人が統括するラングーン伝統病院を案内してくれた。プロジェクターを使って病院についての案内をしてくれたが、これまでの保健省や大学の役所的なプレゼンテーションと違い、症状別の調査や患者にまつわる報告が多く、彼の伝統医療に対する情熱が強く感じられる。

そこで、やはり感じたのが、何故、現代医学医師の彼がそこまで伝統医療を熱心に支持しているのか?軍事政権下では、自由な職業選択は出来ず、ハズレくじを引いて、現在一時的に伝統医療のフィールドにいるのではないか、という私の偏った予想に反しTun Myint Aye医師は、自ら望んで伝統医療の世界に転身したのだと言う。
ラングーン国立伝統医療病院

Tun Myint Aye医師は、前回紹介した伝統医療師の父親を持つ伝統医療大学のHla Moe医師と違い、一般家庭の家系である。念願の医師免許を取得し、インターンを終了後、私立病院に就職、経済的に安定した生活が約束されていた。臨床に明け暮れるなかで、現代薬の副作用を目の当たりにする。もともと興味を持っていた伝統薬の効果と安全性に引かれ、伝統薬の普及に一生をかける決意をした。話を聞くと、希望した伝統医療大学への移動が決まった時は、周囲の医師仲間からは随分反対されたのだとか。
病院には鍼灸室、入院病棟も

これまでの訪問先では、全面的に伝統医療を支持する政府の姿を見聞してきたが、Tun Myint Aye医師の口からは、意外な現状を耳にした。「現代医師たちの殆どが、全く伝統薬に関心がなく、伝統医療との併用に全く否定的だ」と話す。政策的に伝統医療を活用しているとは言えども、日本を始めとする、各国の伝統医療業界が抱える問題と一致している。

2003年より医学部生を対象に36時間の伝統医療の授業が正規に実施され、薬学部や看護学校での伝統医療の授業が現在実施されている。Tun Myint Aye医師もまた、その先頭に立ち、現代医学と伝統医学の統合に努める。「現代医学の学生たちも、全く伝統医療に興味を示さない。しかし、この活動を進めていかなければ、現代と伝統の両医療間のバリアフリーは達成されない!」と熱く語った。その他にも、毎月行われている伝統医療協会の勉強会に出席し、伝統医師たちの臨床レベル向上に尽力している。

現在は、病院長として、また、後続の指導にあたる多忙な毎日を送る傍ら、経理の夜間大学に通い、将来は政策サイドで伝統医療の普及に尽力したいと考えている。独身のTun Myint Aye医師は、病院の隣にある寮で床につく意外は殆ど病院で時間を過ごす。伝統医療の普及に奔走する姿、彼の情熱に胸を打たれた。
伝統医療協会員の指導にも積極的

カンボジアに赴任して久しく、地方の伝統医療師クルクメールの能力を活かそうとする、Tun Myint Aye医師のような人材の不足に喘いでいる。もちろん、カンボジアの公務員システムにも原因はあるのだが。。。
Tun Myint Aye医師は、大学や伝統医療協会の勉強会での講師に対して報酬は受け取っていないという話をしていた時、同席で話を聞いていたカンボジアの訪問団の顔、どこか居心地の悪い様子だった。

カンボジアのスタッフには、時間をかけて培ってきたミャンマーの伝統医療行政システムを学ぶだけでなく、創世記にかけたであろう、公務員と伝統医療師達の伝統医療にかける情熱や、夢について多いに想像を馳せ、現在の自分たちの措かれている立場と比較してほしいと願うばかりである。
2世代目?ミャンマー伝統医療事業[2011年09月13日(Tue)]
新しい街ネピドーの街でミャンマー伝統医療局の幹部と夕食を共にした。
隣に座ったのは伝統医療庁総務課のMut Yi Swe課長(67)。 話を伺っていると、なんと彼女は1967年に始まった伝統医療専門学校の第一期生だという。卒業後、政府の伝統医療事業に関わる傍ら大学に進学し、今では卒業生で組織されている伝統医療師協会の役員も務めている。彼女の話では、伝統医療庁や、伝統医療大学のトップは現代医療の医師が占めているが、各部局のトップは伝統医療専門学校初期の卒業生たちが担っているという話である。


マンダレー伝統医療大学で出会った教員2年目のYin New Wah(24)さんは、父親が伝統医療専門学校の第2期生。自分は大学を卒業し教壇に立つ立場に。実家の伝統医療師である父親に時折“アドバイス”をしていると自慢げに話した。

また、今回マンダレーでの案内役を務めてくれたDr. Hla Moeさん(39)は現代医療の医師でありながら伝統医療大学の教壇に立つ、現代医療の現場からの転身について本人の口からは、なかなかその動機について話してくれなかったが、実は彼の父上は、高名な伝統医療師であり、伝統医療庁幹部を含むすべての専門学校の卒業生たちは、この父親の教え子で、いつまでたっても頭が上がらないのだとか。Dr. Hla Moeさんは、その父親の意思を、医師となり現代医療側の立場から伝統医療の底上げを図るとともに、次世代の伝統医療師の育成に励んでいる。

大学の教壇に立つHla Moe医師と国立研究所で働く卒業生

1967年に始まった伝統医療事業、今や現場では2代目の活躍が見られる。伝統医療専門学校と大学のOBで組織する伝統医療協会の会員数は6000人に上る。ミャンマー伝統医療業界、人材の層の厚さを思い知らされた。
ミャンマーの伝統医学って?[2011年09月08日(Thu)]
ミャンマーの伝統医学は4つもの体系に分けられている。

1) Desanaシステム
仏教哲学、特に寒熱のバランスを重視したハーブ、ミネラル、食事療法。

2) Bhesijja システム
インドの三元論をベースとしたアーユルベーダに系譜をもつ医療体系。

3) Netkhatta システム
誕生日や占星術を活用

4) Vijjadhara システム
特に新鮮だったのがVijjadhara システムで、現地の人々は錬金術とも呼んでいる。宝石の豊富な採掘量で有名なミャンマーならではの医学大系である。しかし実際には、鉛、水銀、ヒ素、などの有毒物質も活用するとあって伝承は難しく、使用するにあたっては神懸かり的な特殊能力も必要とされている。


ネピドーにある宝石博物館

また、隣接した中国に留学生を送り、国際伝統医学という位置づけで鍼灸も大学のカリキュラムおよび付属病院にて実施されている。


カンボジアと同様の医学大系を予想していただけに、これほど多岐にわたる伝統医学大系を保有している事には驚かされた。その理由を考えたとき、注目したのは、ミャンマーが各国の伝統医療を導入し易かった地政学的優位である。インド、中国、タイ、バングラディッシュ、ラオスの5カ国と国境を接しており、とくに大きな伝統医学大系をもつインド、中国に直接繋がっているという利点は大きい。近年、インド洋への進出を企む中国は、ミャンマーとの関係の推進のために積極的に留学生を受け入れているという。

またミャンマーはASEAN東南アジア諸国連合の加盟国でありながら、WHOの管轄は他の東南アジア諸国が属するWPRO(西太平洋地域)ではなく、SEARO(南東アジア地域)に属している。そのため同じSEAROカントリーである伝統医療先進国のインドやスリランカとの結びつきが強く、情報交換も盛んで多くの技術支援もうけている。これまでタイの華やかな伝統医療産業の発展を目にしてきたが、今回ミャンマー伝統医学大学生に留学についての希望を伺ったところ、全員が「できればインドに留学したい」と答えた。

もちろん、ミャンマー独自の伝統医学大系という意味では独創性に欠ける。しかし、おそらく日本はもちろんの事、伝統医療を推進していこうという国があれば、途上国でありながら教育、民間、政府が協力して伝統医療を盛り上げている様に驚かされるに相違なく、間違いなくミャンマーの伝統医療事業は良い手本となるだろう。
伝統医療政策を求め「秘境」ネピドーへ[2011年08月23日(Tue)]
ネピドーは、行政都市として機能するミャンマーの首都である。
2005年にヤンゴンから引っ越ししたばかりという事で、まさにニュータウンといった趣。道路の両脇の並木もまだ背が低く、大通りには車はいないのに信号機だけが機能しているといった新しい首都の奇妙な光景である。


早朝にヤンゴンから飛行機で移動。出迎えてくれた伝統医療局の研究員Myint Myint Thanさんは、いきなり堪能な日本語で驚かせてくれた。修士号をとるために富山大学に在学していたとの事、今もヤンゴンの大学で博士号をとるために勉強中。未来の伝統医療局幹部候補である。早々にホテルにチェックインして10:30には保健省に到着した。伝統医療大学や薬草園の荘厳な雰囲気の写真を見ていたが、保健省の建物は2件あるうちの1つと聞いたが想像よりも小さな所帯。

ミャンマー保健省は、総務や保健サービス、研究機関など5つの局から構成されているが、なんと伝統医療部門は1989年から、その中の1つの局として活動している。
会議室には、すでにAung Myint伝統医療局部長の代行であるAung Myat Kyaw副部長をはじめ、総務、保健サービス、研究所、製薬部門の各部長と副部長が控えており、カンボジア視察団一行を歓迎してくれると共に、各部門の活動紹介と伝統医療に関する制度、および卒業生で組織されている伝統医療協会の活動について、質疑応答を交えながら詳しく説明してくれた。

伝統医療局幹部からミャンマー伝統医療事業を紹介

説明の中で、印象的だったのが、教育機関における“伝統医学カリキュラム”についての話題。2001年から伝統医療大学が開講され, 昨年度からは大学院も設置されているが、それよりも遥か以前の1976年から政府は伝統医療専門学校を開校し、人材育成に取り組んできた。伝統医療に科学的なアプローチを加えながらの伝統医療カリキュラム作成作業は容易なものではなかったと言う。

「現代医学のように、先進国の教育をそのまま導入すれば、それはミャンマーの伝統医学ではなくなると考えた」。Aung Myat Kyaw副部長の説明である。

現在に至る40年の間に、多くの人々が議論を交わす中、3回に渡る改訂が加えられ今日の伝統医療テキストになったということだ。

以前、勤務していたブータン伝統医療局にあった教育機関も1979年に始まり、昨年ようやく大学を開講した。日本の鍼灸大学も1972年以降に研究が盛んになって以来、鍼灸大学として開講し始めたのは、ここほんの数年の事。まさに「伝統医療大学は一日にしてならず」なのである。

休憩の合間にAung Myat Kyaw副部長に訪ねた。どうして1976年以来、ミャンマー政府は国を挙げて伝統医療を支援してきたのか。副部長は、一瞬の間をおいて「。。。国に金がなかったから。。。」と苦笑して答えた。

ジャーナリスト出身というAung Myat Kyaw副部長

1962年に軍事クーデターから、1988年まで軍事独裁体制が維持される中、経済政策の失敗により深刻なインフレのために経済状況は悪化した。伝統医療の活用は国民の健康を守るための経済的切り札となったに違いない。さらに1988年軍事政権誕生後の西側諸国との軋轢の始まりの時期が、保健省内に伝統医療局が誕生した時期と一致している。

カンボジアでは、ポルポト政権陥落後、社会主義政権誕生に伴い1982年に保健省は国立伝統医療局の全身である、国立伝統医療研究所を設立し、伝統薬の工場を稼働させた。しかし90年代に入り、西側諸国からの現代医療に基づく医療援助が始まると伝統薬工場は閉鎖、伝統医療の活動は休止に至っている。

カンボジアで現在起こっている、地方貧困層の初期医療に対する医療アクセスの問題。もしも歴史が。。。。と考えるのであれば、伝統医療がカンボジアにおけるプライマリヘルスケアーの問題を解決していたのでは。。。と想像は膨らむ。
ミャンマー伝統医療の現場視察[2011年08月22日(Mon)]
CLMV諸国、いわゆるASEAN加盟国の中でユーラシア大陸に属し発展途上国とされる、カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナムを指した名称である。この4カ国のうち、最も伝統医療政策が進んでいると言われているミャンマー。今回、4カ国のうち最も遅れをとっているカンボジア保健省スタッフと共にミャンマー保健省の伝統医療政策現場の視察に足を運んだ。

私自身にとってもミャンマーは初めての土地。タイの向こう側にあって軍事政権とアウンサンスーチーさんの名前を知っている程度。そんな国の政府が、どうして伝統医療を盛んに活用しているのか見当もつかなかった。

私論ではあるが、伝統医療を推進している国には、科学的医療効果というエビデンスの実証もさることながら、加えて国政の問題が背景にあるように考えている。隣国との関係上、国の内外にアイデンティティーを強く示すという理由から文化保護政策の一環として伝統医療が重宝されている例がある。以前在籍していたブータンの伝統医療センターや、モンゴルの伝統医学のケースである。また原料が安価な伝統医療は医療財政を支える効果があり、多くの途上国で伝統医療が注目されている大きな理由である。例えば中途国のタイでは、無料の公共医療サービスを維持する活路として医療財政の面で伝統医療の活用に力を入れている。

海外からの玄関口ラングーンの国際空港。厳重なチェックと思いきや。。。

今回、カンボジア保健省のスタッフには、カンボジア伝統医療の発展のため、伝統医療大学、伝統医療病院、伝統薬工場、薬草園、薬局方、といった進んだシステムを視察するというミッションが下っている。それぞれ大変刺的な訪問地ではあるが、個人的には、ミャンマー伝統医療事業自体が、どのような経緯で発展してきたのか?また各訪問地では建て前としての情報は耳にすることが出来るであろうが、できれば現場に関わる人々の本音の部分を聞いてみたいと思っている。

金色の巨大な仏塔シュエダゴンパゴダ

バンコク経由で夕刻、旧首都ヤンゴンに到着。思っていたよりも楽に税関を通過することが出来た。カンボジアとの時差は30分。空港からは、カンボジア大使館の送迎車に乗り、小雨降る中、ライトアップされ暗闇の中で幻想的に浮かぶ金色の仏塔「シュエダゴンパゴダ」に迎えられながらホテルにチェックインした。ホテルには、Aung Myint保健省伝統医療局長官が海外出張前日の忙しいスケジュールを割いて駆けつけてくれ、11時過ぎまで旅程の打ち合わせにつきあって下さった。

Aung Myintミャンマー保健省伝統医療局長官とカンボジア視察団

明朝は4時半起きで国内線で新都市ネピドーへ移動。保健省伝統医療局の中枢を視察する。
情報発信![2011年08月21日(Sun)]
伝統薬は,カンボジアでは老若男女を問わず知られている存在。しかし,これまで伝統医療に関する学校や研究機関もなく,伝統薬を製造する企業もないので広告を目にする事もない。その実態は謎のベールに包まれていると言っても過言ではない。近年,少しずつ生薬に関する研究が始まっているものの,生薬の配合や処方については,伝統薬を扱うクルクメールだけが知っている。それぞれのクルクメール達が,秘伝のレシピを持っていて,なかなか情報が外に漏れる事も少ない。

地域では尊敬と信頼を集めるクルクメールではあるが,一部のクルクメール(と名乗る人)が引き起こす医療事故によって,クルクメールという職種の人,全体が疑いの目で見られているのは確かである。

クルクメール1人が大声を上げても,なかなか世間にはメッセージが届かない。では,数百人のクルクメールが組合を作って,正しい情報を発信してはどうか?!娯楽の少ないカンボジアでは,テレビ,ラジオ,雑誌,などの注目度は高い。CaTHAでは,今後メディアをとおして,正しいクルクメールを世間に知ってもらおうという活動を計画している。まずはリアクションを見てもらおうと,年2回のニュースレター発行を企画している。

協会員7人が事務所にミーティングで集まった機会に,どんなニュースレターを作るのか話し合った。もちろん皆始めての経験である。
何ページのものにするのか?誰に向けて配信するのか?大事なのは内容だ。パンフレットのような内容では,誰も興味を持たないだろう。さらにアイデアを持ち寄った。

「内容は濃密なまま,デザインは若い人も好むようなものにしてみては。」「滝の周囲の薬草特集ってのは,どう?」「女性のための伝統薬とか」「美人の写真を載せて,使用前,使用後っていうのはどうか?」。。。。などなど。

伝統薬の「医療事故」を特集しようという話も持ち上がった。伝統薬に化学薬品を混入して販売し,その副作用が問題となっている。伝統薬の規正が甘いカンボジアでも,これは違法ではある。しかし実際事故が起きたとしても,監督役所が販売者から金銭を受け取り,そこで解決してしまう。参加者の1人も,その現場を目撃した。その後,この件が世間に公開される事はなかったという。

CaTHAが,この内容を記事にすると,自分の業界を内部告発するような形にはなる。しかし,あえて世間に問題を公開する事で,研修をうけたCaTHAメンバーは,そのような危険な事をしないとい!という事を世間に宣言できるのではないか。それが真面目に取り組んでいるクルクメールの信用を高める事になる。

なかなか内容の深いミーティングとなった。
しかし最後に,CaTHAには,ネタはある。さて,その記事を誰が書くのか。
「この中で,書き物の経験者は・・・?」
全員お互いが顔を見合わせた・・・。

実に「はじめて」だらけのスタートである。
CaTHA 定款をつくる[2011年08月17日(Wed)]
「やめたい・・・」
5月末にCaTHA伝統医療師協会・全体会議において,全会一致で初代会長に就任したキーブーハンが申し出てきた。就任後1週間目の事である。

CaTHA会長キーブーハン氏

伝統医療局から依頼されては地方の山奥に薬草探索に同行する。金にならない仕事ばかりをしている彼,時折奥方に叱られていると言う。伝統医療局のスタッフではないのに常に他のスタッフよりも局の仕事に参加している。局の薬草に関する出版物の編集にも協力している。人一倍,伝統医療に情熱を持っている。研修校の学生でありながら講師を勤めた昨年度,周囲の人望を得て,クルクメールを取りまとめる会長に推薦され皆が合意した。しかし,会員達からの期待は大きい。「工場を造ってくれ!」「うちの伝統薬を研究してほしい」「自分たちで学校をつくろう」「事務所を用意してくれ」などなど・・・。さらに,役所への会の登録資料や年間計画票の作成,報告書・・・。始めての事ばかりで,気は焦る。ついには眠れない日が続いた。

「自分は,そういう教育を受けた事がない,自分に,そんな大役は無理だ」と打ち明けてきた。こちらとしても十分に,どのような組織を作ってどのような役割を期待しているかについては,これまで話しあってきたつもりだったが,彼の真面目な性格が,周囲の期待に応えようとして焦ったのだろう。気の毒になってしまった。今一度,協会をサポートするNGOの体勢や,CaTHA会員でありNGOスタッフでもある2名が,CaTHA事務局員を兼任する形で仕事をアシストすることなどを話し合い,年間のスケジュールを確認しながら,ひとつずつやるべき仕事をこなしていく事などを話し合った。そして,まずは会を公的な機関として役所に登録するための“定款”を作る作業から始めた。定款とは、公益法人や会社の協同組合などを設立する際に,その目的や組織や活動などについて取り決める書類の事で,この作業が今後のCaTHA活動の指針となるため設立以来,始めてとなる大仕事である。


CaTHA役員でのミーティング


議論を重ね,定款のドラフトを作成した。昨年,保健省が発布した伝統医療ポリシーの内容も考慮しているが,同時に政府に依存しない独自性も盛り込んだ。

そして今日は協会役員4名を招いて定款についての最終調整の日である。重々しい趣で,参加者に定款について説明を始めたキーブーハンであったが,さすが1ヶ月かけて練り上げてきた内容に,これまで色々と文句をつけていた役員達もすんなりと賛同するに至った。定款の中の活動と目的についての事項を紹介する。

<目的>
1. プライマリヘルスケアへの伝統医療の統合を推進する
※プライマリヘルスケア:人間の基本的な権利である健康の格差解消を目的として医療,予防活動,健康増進,の積極的展開をはかること

2. 社会における伝統医療の信頼性と協会の声価向上に努める

<活動>
1. クルクメールへの伝統医療に関する知識向上のために,モラル,品質管理,を含んだ研修を行い,情報の収集と同時に共有活動を行なう

2. 出版,関係業界とのネットワーク構築,研修,文化保護を進めると同時に,クルクメールの業務およびモラルへの監視を行い,伝統医療の知識と技術に関するクルクメールの知的財産の保護を推進する

3. 収集した情報を,研修やニュースレター,メディア,インターネット,出版物,を通して発信していく

その他に,会の基本的なルールなども盛り込まれているが,詳細は今後作成していく内部規約の中で決めていくとした。

今回は,これらの事項にケチをつける代りに,活動内容について,いろいろなアイデアも持ち上がるいい雰囲気となり,計画の2時間はあっという間に過ぎ去り,ミーティング会場は社員食堂へと移動した。

(つづく)
なぜ伝統医療師の協会が必要?[2011年08月16日(Tue)]
CaTHA(カンボジア伝統医療師協会)は,カンボジア伝統医療師研修校卒業生のフォローアップのため150人の卒業生で設立した。設立を提案した背景には,日本の鍼灸業界の経験が影響している。

日本で鍼灸師になるためには,文部科学省認可の大学に4年もしくは,厚生労働省認可の専門学校に3年間を卒業し,国家試験に合格すると晴れて国家資格を得る。専門学校3年間にかかる学費は私立大学並みと割高である。卒業後の仕事についてであるが,最近,鍼灸師の就労についての調査結果を耳にした。何と!資格取得10年後に鍼灸師として開業しているのは僅か10%しかいないというのである。

1970年代から鍼灸の科学化が進み,私が専門学校に通学した90年代には,それまで職業学校だけだった教育機関に大学が加えられた。2年間の専門学校研修期間も3年制となり,都道府県で発行されていた免状は国が発行するなど,鍼灸の社会的ステータスがアップした時期だった。周囲からは「これからの時代の職業」と言われ,健康保険の請求ができる柔道整復師の免許と併せて鍼灸接骨院を開業すればビルを建てるのも夢ではない!とはやし立てられた,そんな良い時代でもあった。

日本の大学での鍼の科学実験の様子

その後も鍼灸教育機関は,学術研究の成果とともに大学院や博士課程ができるまでになり,以前は「胡散臭い」と言われていた業界もすっかりインテリの仲間入りをするに至ったのである。

しかし前述の問題のように,この華々しい脚光と裏腹に,なぜ多くの鍼灸師が職を離れてしまうのか・・・?

3年間の専門学校では,専ら国家試験を焦点としたカリキュラムが組まれている。鍼の実技に関しては鍼が打てるようになる程度に目標設定されている。問題は,晴れて国家資格を取れた時点で,誰も治療の技量を身につけていない事だ。丁度,調理師学校の学生が,包丁で野菜の切り方は分かったとしても料理の仕方を知らないに等しい。当然,鍼灸専門学校在学中は無資格のため実地での研修はできない。卒業後,医師や理学療法士と違い病院などの安定した就職先の数は少ない。

不景気のあおりで企業からのリストラ者の入学希望者が増加し,専門学校の数も増え鍼灸師の数は飽和状態となった。独立開業を夢見て国家資格は取ったが,保証を期待する団体も力が弱い。そのことを踏まえて在学中から卒業と共に即開業と張り切って準備をしている人も稀にはいるが,大半の卒業生達は途方にくれてしまう状況である。

鍼灸の科学化と教育機関は発展したが,職業の現場だけが取り残されていた。あるベテラン鍼灸師は将来を予言して,このように語る「鍼灸は残るが鍼灸師は,いなくなる・・・」。つまり,鍼灸は,その時代に科学で証明される部分のみ学問として発展し,国の庇護のもと科学者や一部の医師によって現代医学に吸収される。しかし科学のふるいに掛らない医療類時行為を行なう伝統を重んじる鍼灸師は厳しい競争を強いられ,生活を維持できないものは現場を諦める選択を迫られる。

日本の伝統を継承する鍼灸師も少なくなった

カンボジア伝統医療師,クルクメールの後継者問題が浮上している。クルクメールを続けていては生活が維持できないというのだ。クルクメールの社会的立場を保証するものは今まで何もなかった。「自分たちの手で伝統医療を普及させよう!」CaTHAの会長に就任したクルクメール,キーブーハン氏は立ち上がった。彼曰く,これまで政府の仕事を手伝ってきた経験のなかで失望する事も多かった。自分たちの仕事は自分たちで守る。これから毎年100人のクルクメールが研修校を卒業する。彼ら数百人が結束すれば大きな力となる。「国内の伝統医療の情報を整理,クルクメール会員の意識やモラルを向上し,いずれはこの協会を,企業や大学,政府と肩を並べて,国の事業に参加できるような機関にしたい。」


クルクメール達の挑戦は始まった。
今後,カンボジアの伝統医療も発展のために科学的な取り組みが行なわれていく事は必須である。しかしクメール文化の一部であるクルクメールという職業は残されていくべきである。

CaTHA 誕生まで(おさらい)[2011年08月12日(Fri)]
カンボジア伝統医療研修コースは,国内の医療アクセス改善を目指し,将来の高等教育機関の設立に先駆けた,既在の伝統医療師を対象とする短期の教育プログラムである。国内初となる公的な伝統医療教育機関である。では,これまではクルクメールと呼ばれる伝統医療師達はどのような学習方法を受けてきたのか?

授業内にクルクメールの将来について語り合う

クルクメールの学習法は専ら森や自宅(製薬工場)での現場研修である。各地域で親から子へとその知識と技能が引き継がれてきた。彼らの多くは初等教育を終えて直ぐに家業の手伝いを始める。今回の研修で現代医学の講義など始めての経験である。したがって研修内容は新しい知識の習得というよりは,家庭医学程度の基本的な現代医学の知識,モラルや衛生管理の向上など底上げを意識した内容になっている。彼らにとっても他の同業者と知識の共有ができる有意義な時間でもある。しかし期間は6〜10ヶ月と限られている。折角,身に付けた学習やネットワークも元の地方に帰ってしまえば「喉もと過ぎれば・・・」というものである。

そこで,研修終了後の学生達のフォローアップのためにネットワークを作る提案を行なった。カンボジア伝統医療協会(CaTHA)の全身である。当初は,連絡網を作り卒業後も各自が連絡を取り合え,且つ保健省とのつながりを継続できるだけの準備を研修校側で提供しようという考えだった。ところが学生達が予想以上の反応を示した。


始めは口を閉ざしていた学生達であったが...

ひとつは学生の一部が他の既在の伝統医療関連の業界団体を意識していた。12年前に設立され数冊の出版物を発行したものの現在は活動を停止している。その運営の失敗を知る人たちが協会設立に懸念を示したのである。もうひとつは,助成慣れが国民の末端まで浸透している結果,必要以上に金銭や活動の恩恵を期待している人たちの存在である。昨年度は,私が受け持った鍼灸理論,伝統配置薬の紹介,ほねつぎ,の各授業の中で学生達の卒業後の活動について協会に絡めて意見交換を進めてきた。当初は「研究所や工場を建ててくれ」「海外の大学に行かせてくれ」「会員給与をくれ」などと非現実的なリクエストばかりが投げかけられ,私もついつい匙を投げたい気分になった。

熱い議論につい私も踊りだし。。。ている訳でなく,必死に話に参加している

しかし最終的には,初代会長に就任したキーブーハン氏を中心に,今自分たちの抱える問題や最優先課題について議論してきた結果,各クルクメール達がもつ情報の収集と発信,内部規則を自分たちで共有し業界の信頼回復を図っていく,など現実的な活動内容が見えてきた。そして,始めはひたすら懐疑的で受け身だった学生達も次第に協会に参加するメリットを感じてきたように思える。

そして今回,このグループを内務省に登録し公式団体にする事に発展した。登録には,それなりの書類も用意する必要があり,会の法律ともいえる定款の作成も必須事項となった。活動内容を明確に記載する定款の作成段階では,これまた一悶着。

その話は,また次回。。。
東南アジア「伝統医療ブーム!到来[2011年08月04日(Thu)]
「伝統医療“普及”事業」と聞かされ,失われたカンボジアの伝統医療を復興する仕事なのだと思いながら2年前に赴任した。ところが現地を視察してみると市場には伝統薬の問屋街が並んでいるし,どんな田舎の商店に行っても一杯飲み屋の感覚で飲める自家製の薬用酒が並んでいて,この国の伝統薬の普及しているさまに驚かされた。そして,このカンボジアでの伝統医療普及事業は,すでに国民に愛され普及している伝統薬を,公的に普及させるシステム作りであることを自覚した。

村の小さな商店にも店頭に薬用酒がならんでいる

さらにショックだったのは,過去2回出席したASEAN伝統医療国際会議。加盟する10カ国では,すでに各国政府が積極的に伝統医療を公衆衛生として活用しており,私のいるカンボジア保健省の取り組みはダントツに取り残されていた事だった。

東南アジアにおける「伝統医療ブーム」を感じさせられる。それを促進しているのが,なんとWHO(世界保健機構)である。WHOというと西洋医学の象徴のような印象もあるが,実は1987年にプライマリヘルスケアの大切さを始めて明確にWHOが示した,アルマアタ宣言の中で,すでに伝統医療の活用が条文に盛り込まれている。実際,その後条文にあった伝統医療の活用は具体的に実施される事もなかったのだが,医療費高騰を背景に費用対効果の観点から2007年に香港生まれのマーガレットチャン事務局長就任以来,途上国への伝統医療活用が積極的に推進されている。

日本財団では,それより以前の2003年から先見の目をもって,WHOに対し加盟国の伝統医療政策や法規制に関する実地調査への助成、中央アジア15カ国の薬用植物モノグラフ作成の支援、国際会議の共催などを実施している。

ちなみに私が政策に伝統医療を活用しているブータンに興味をもち,入国したのも,ちょうど同じく2003年1月のことだった。「考えは間違っていなかった・・・」と誰も褒めてくれないので自分で自分を褒めていたりする・・・。

下のグラフ(図1)は2001年に調べられたアジア各国の伝統医療(代替医療)利用率を示している。「中国と韓国スゴイねえ!」という印象しか受けなかった。ところが先日のワークショップでWHOのプレゼンテーションで紹介されたのが次のグラフ(グラフ2)。


(図1)


(図2)


最新の各国伝統医療利用率と思われるが2001年のグラフと比べると東南アジア各国での伝統医療利用率が上昇しているのは一目瞭然である。ちなみにカンボジアのデータはなく,隣のラオスに近い数値(76%〜)であろうという説明があった。納得である。

しかしながら,このワークショップ会場で私は唯一の日本人。グラフに紹介されている国の中で利用率50%を下回っているのは日本だけ。その国から派遣された人間が,遥かに伝統医療が普及されている国に向かって「伝統医療を推進しましょう!」と唱えているなだ。なんとも惨めな思いだった。

「日本政府,厚生労働省,文部科学省の皆さん,および政治家の皆さん,他のアジア各国では,こんなにも積極的に伝統医療を財政政策や文化保護政策に活用しています。私も頑張りますから,日本も頑張ってくださいー!」
頭痛の種はカンボジア語[2011年08月01日(Mon)]
「チュー クバール」は,私が始めて覚えたクメール語である。翻訳すると“頭痛”。赴任当初,鍼灸室の患者でこの症状の訴えが余りにも多かったため直ぐに記憶した。カンボジアでの生活も2年が過ぎ,最近私自身が「チュー クバール」に苦しむ事態に陥っている。

読みは「ボー,ボー,ボー,ボー。。。」全部同じに聞こえます。

カンボジアの国語クメール語は,その習得が難しい言語の一つである。日本語では“あいうえお”の5つしかない母音が,クメール語には23個。さらに子音文字が33個という複雑さ。英語のRとLの発音に苦しんでいる場合ではない。トーという発音だけで8種類に母音の数をかけただけの発音があるのだ。多くの初級者がこの時点で学習を断念する。

この2年間の私も,英語の使えるスタッフに囲まれクメール語の習得を断念してきた口である。当初,片言の英語しか使えなかった鍼灸スタッフとの会話で自分のクメール語が上達すると思いきや,逆にスタッフの英語力がメキメキと上達してしまったという有様。

遂にクメール語の学習を思い立ったのは,伝統医療師協会の設立だった。研修校を卒業したクルクメール達の中で英語を片言でも話せる人は1割に満たない。研修校業務に忙しいスタッフ達にインタビューなどの通訳を頼んできたが,頼む方も,また頼まれる方もストレス。今後,地方の会員達から直接多くの情報を集める事を計画している。インタビューの機会も増える。ストレスと言えば,先日,公共交通機関のないカンボジアでの移動のストレスを回避する策としてバイクを購入したばかりである。そして今,もう一つのストレスであるコミュニケーションの壁を打破すべく,ついにクメール語の習得を決意した。

学習の場は国立プノンペン大学の言語学部。授業は月曜から金曜日までの4時から5時半。診療室を早めに切り上げて駆けつけている。初級者コースのクラスメートは15名,大半が韓国人で5人の欧米人,私を含めた2名の日本人である。いきなりスタートから仕事のスケジュールで乗り遅れてしまった。テキストは,カンボジア人であれば小学1年生の教材を使う。今の目標は“読み書き”の習得だが,既に「チュー クバール」。。。

果たしてクメール語を話せる日が来るのか?こんな事なら,もっと早くから。。。なんて思っても後の祭り。
地方の伝統医療師とクメール語で分かち合える日を夢見て今は苦手な「コツコツ勉強」の毎日である。

レベル1の教材。カンボジア人には小学1年生のテキスト。


伝統医療の未来は女性の手に?![2011年08月01日(Mon)]
“伝統離れ”の問題が,カンボジア伝統医療師の世界にも見られる。
ここ近年華やかな経済成長を成し遂げてきたカンボジアであるが,同時に物価や地価の上昇も生じた。多くの人々が複数の職業をこなして生活を支えている。クルクメールの伝統は,父から子へと受け継がれてきたが,家族の生活を支えるため,外に働きに出る若者が増えているという。


クルクメールは20代女性の人気職業?!

2008年に行なわれた国税調査では,伝統医療を職業とする人の数も調べている。男女共に年齢別にグラフにすると,男性はやはり特に20代に減少傾向が見られる。しかし女性のグラフでは逆に20代が突出して多く,それもプノンペンやシムリアップなどの商業都市に多い傾向がある。

近所のオルセーマーケットには,多くの伝統薬の小売店が軒を連ねているが,殆ど店頭に立っているのは女性である。彼女らを伝統医療師と呼ぶには抵抗があるが,男が外で働きクルクメールという職業が家内産業化し,その知識が“店番”をする女性に伝承されているという事なのだろうか?


ベテランに混じり紅一点

ソテアリーさん(25)は,第2期の伝統医療研修校卒業生。昨年度入学試験の点数によって上級者コースと中級者コースに振り分けられた中,上級者コースに合格。それも人数枠の少なかったプノンペンからの受験者であった。ベテランの年長者に混じっての参加であった。研修校入学の前年までは私立大学の薬学部に在籍していた。両親を亡くし,今は叔父の経営する薬局の手伝いをしている。幼少からクルクメールであった父親の仕事を手伝い伝統薬の知識を習得した。高校を卒業して,伝統薬についての勉強をしたかったのだが,当時カンボジアには伝統医療に関する進学先がなかったため薬学部に進学。しかし小さい頃から見てきた伝統薬に比べ副作用の多い現代薬にいつも疑問を持ち続けていたという。今回,保健省が主催する伝統医学の研修校の話を聞いた時,薬剤師の道を捨て(経済的な理由もあったであろうが)研修校に参加する事を即決する事にためらいはなかった。

今後は,薬局の分院として伝統薬を扱う店を始める事を叔父と一緒に進めているという。本人の希望としては,伝統薬に関する知識と技能を磨くためにさらに勉強していきたいと言う。

カンボジアに伝統医療を学ぶ高等教育機関は存在しない。このように若くやる気のある人たちのニーズに応えられる教育システム,働ける機会を作っていかなくてはならない。
ファーマコピア事業の行方[2011年07月23日(Sat)]
ファーマコピア。ふだん聞き慣れない言葉だが,日本では薬局方(日本薬局方)と呼ばれ医薬品全般に関する試験法や純度の基準・剤型など品質規格を定めた公定書で,化学薬品から水に至るまでが規定されているほか,漢方薬に処方される生薬の情報が記載されている。海外においても中国薬局方(中国药典)、米国薬局方、英国薬局方、ヨーロッパ薬局方など国または地域ごとに国情に合わせて制定されている。アジア地域でもここ数年、これら先進国の薬局方を参考に作成が進められており,利用頻度の高い伝統医薬品類についてもファーマコピアが作成されている。発展過程にあるアジアの国々にとってハーバル(伝統医薬)ファーマコピアの作成は,国の威信とアイデンティティーをかけた開発過程を内外に知らしめる材料のひとつとしての側面も備えもっている。

初版『日本薬局方』:明治19年6月25日公布


カンボジア政府保健省でも,ここ数年のASEAN各国での伝統医療国際会議を通じて,自国のハーバル・ファーマコピア作成に踏み出す計画をたてた。しかし作成に踏み出すためには多くの障害を抱えている。一般的に伝統医療は現代医学に対する補完医療として見なされている訳であるが,カンボジアでは現代薬に関するファーマコピアですらまだ作成されていない。国民の健康を支える医療サービス,例えば病院の数や医療従事者の確保といった「数」の向上に重点がおかれ,安全面やクオリティーに関する制度作りにまで手が回っていないのが現実である。

また人材の不足という問題はさらに深刻である。カンボジアは過去の内戦により大量の知識人を失ったという歴史を持つ国において50代,60代という業界をリードする人材が皆無といってよい。事業を進めたい国立伝統医療局でも同じく,局内単独での運営は無理と判断せざるを得ない。そこで昨年,調査の傍ら薬草研究所をもつ国立医科大学とコンタクトをとってきた。この研究所は,フランス企業の支援をうけ,年に2名の1年間のフランス留学とフランス人研究者による現地技術指導が行なわれている。しかし留学帰りのファーマコピア事業に参加できる程の人材は4人に満たない。伝統医療局と大学組織。お互いに面識はあっても,縦割り行政という仕組み,局同士のプライド(?)もあってかカンボジア人同士では協力体制がとりにくい状態と見えた。外国人(筆者)の介入が功を奏したのか,ようやく2つの局がテーブルを交える事となり,保健省はハーバル・ファーマコピア作成に協力的な姿勢を見せるに至った。

しかし,さらに大きな障害は事業をすすめるための予算である。保健省における予算の優先順位については先述のとおり。2009年からカンボジア政府は日本財団にファーマコピア作成の助成を申請してきた。しかし予算額に関する交渉は難航。今回,日本財団海外事業部のグループ長に就任した森部長と伝統医療担当中嶋係長が,事業の建設的な協議をすすめるべく,保健省とテーブルに顔を併せた。以前に比べると保健省上層部からの承認や,伝統医療政策の発布などのプラス材料もあってか,保健省側のプレゼンテーションは上々である。唯一の問題は,事業参加者である保健省職員に対する給与補填である。参加人数を25名と設定してきた。

伝統医療特別諮問委員会と関係者とで会議中

これは,ファーマコピアの内容というよりは保健省に限らず国のシステムに関する問題だ。公務員給与の設定額が低く,特に首都プノンペンでの生活者にとっては生活を支えるための副業が必須という状況。ましてや高級車に乗る事などが一定所得者のステータスとなっている風潮も問題を悪化しているように思える。財団としては,事業に対する技術および最低限度の機材に関する支援を提案しているが,公務員補填給与に関する支援は行なわない事を今回断言した。保健省では自立運営が見込めない状況下,事業を断念するか他のドナーを捜すかの選択を迫られる事となった。

このような政府の事業運営に海外からの助成金で補填給与を宛てがう事を当然の事としている政府にも問題はあるが,そのきっかけを作ってきた,もしくは続けているのは国際助成機関の軽薄な「同情」である。発展段階にさしかかったカンボジアに対しては,子育て同様,親となる側は親離れを促すべく,毅然とした態度を示していくことが,本当の意味での開発支援ではなかろうか。
カンボジア伝統医療に関する法律[2011年07月20日(Wed)]
現在のところカンボジアには伝統医療を管理する法律がない。したがって伝統医療に絡んで事故がおきたとしても,医療事故として裁く判断基準がないということになる。そこで早急な法律作りが必要となるのだが,政府がこの国で法律を作ろうとする場合,その手続きだけで十年単位の年月が必要とされている。

伝統医療に関する法律はカンボジア保健省で作成する。保健大臣のサインを持って承認されるわけだが,その法律を国家レベルで推進していくには,省庁レベルの承認では全く機能せず,国の最高機関の長である総理大臣の承認を通すものでなければ実際の効力がないという。なんともややこしい話である。

カンボジア保健省「伝統医療政策2010」の表紙
しかしながら,「千里の道も一歩から」ということで国立伝統医療局はWHO西太平洋地域事務局に専門家派遣を要請し,3年をかけ国内の伝統医療事業の指針となる,「伝統医療政策」(Traditional Medicine Policy of the Kingdom of Cambodia 2010)を作成,昨年末に保健大臣の承認を得て施行された。カンボジアの伝統医療に関する定義や政府がこれから取り組んでいく分野(規制,教育,品質管理,製品,研究やネットワーク)に関する方針が4ページの中にコンパクトに修められている。今後,この政策書類を「伝統医療法令(regulation)」にグレードアップする作業を通過させ,最終的に「伝統医療法」が完成される。

伝統医療政策をどのように活用していくか。伝統医療戦略計画のワークショップが行なわれた。

当然これらの制度は,役所の中だけでの話ではなくクルクメール(伝統医療師)の職業にも反映される。学校の修了者で組織したCaTHA(伝統医療師協会)では,職業の社会的信用獲得を当面の目標にしている。このような制度を遵守していくこともまた,一部のクルクメールが引き起こしている伝統薬に化学薬品を混入している等の「悪い評判」を払拭し,社会的信用を高める事が期待される。また全国に散らばる協会員がルールを共有することで,連帯を強めていくためのツールでもある。しかし今回の4ページの政策規定では内容として不十分だと考えた。そこで,現在公的な協会として内務省に登録するための協会定款の中で,より具体的な自分たちの行動指針やビジョン作りをしている。また,細かい規定に関しては協会内部規約を作成して,自分たちの手で遵守していくルール作りにとりかかる。

クメール文化の一部として継承されてきたクルクメール達の職業。政府が西洋医学に完全シフトした93年以降,近代化の波に取り残されてきた。これから彼らが協会の活動を通して,クメール文化復興の担い手となる日が来る事を期待している。
カンボジア伝統医療概論[2011年07月16日(Sat)]
 5月末に2期生を保健省公認の伝統医療師として各出身地に送り出し,早一月半が立とうとしている。3期生を迎える新学期は通常の教育施設と同じく,お盆休みが過ぎる10月から10ヶ月のコースをスタートし翌年7月末に終了するように変更した。変更の理由はカンボジアの4月と5月の休日の多さである。昨年度は卒業試験や卒業式およびワークショップが,この時期に重なる事で無理のある日程を強いられてしまった。やはり郷に入っては郷に従え,カンボジアの教育システムに準じる事となった。

 8月に予定していた始業時期が10月に延期になった事で,授業内容をレベルアップする時間を得た。昨年度は,4科目の現代医学基礎教科,4科目からなる伝統医学関連教科。鍼灸理論と野外学習を含む応用教科。そして関連する分野の専門家による特別講座を実施した。初年度に比べると随分内容は進歩した,しかし伝統医学関連教科については,すべてが各論であり,カンボジア伝統医学というフレームワークと言えるものが見えてこない。その辺を常々,ここは「伝統医学」研修所ではなく,「ハーブ療法」研修所ではないのか?と疑問符を投げかけていたのである。

専門教科で使われるテキストは薬草図鑑!?

 そこで今回,我々の顧問をお願いしている,お茶の水大学,佐竹元吉教授の指導を得て「伝統医療概論」の新教科をカリキュラムに採用する事を決定した。これまでも紹介してきたように,未だカンボジア研究自体が発展していない状況の中,深い内容のテキストやシラバスを準備する事は非常に難しい。数少ない書籍や,保健省公文書,クルクメール達の証言を基に以下のコンテンツを準備している。

1. カンボジア伝統医学史
2. カンボジア伝統医学,クルクメールの定義
3. カンボジア伝統医療師研修校カリキュラム解説
4. カンボジア薬草リスト
(伝統医療局書籍,クルクメール協会データ)
5. カンボジア伝統医学関係書籍リスト

スタッフ会議中

準備する教材も知恵を絞って手作り感たっぷりのものとなるが,この教材が初の「カンボジア伝統医学概論」公式本となるはずである。毎年内容を充実していく事で,近い将来,必ずすばらしい本が出版できると信じている。
CaTHA ! 伝統医療師協会[2011年06月14日(Tue)]
カンボジア伝統医療の歴史に,新しい組織が加わった。昨年,伝統医療校の在校生と卒業生で結成されたカンボジア伝統医療師協会。その名もCaTHA(キャター/カンボジア伝統医療師協会)。終業式が終わった午後,第2回目となるワークショップを開催した。前回は各クラス代表の3名がクルクメールの将来をテーマにパネルディスカッションを行なった。その後,授業の合間を縫って,具体的な活動について討論してきた。始めは,工場を作るだの,研究所を建てるだの,留学生を海外に送るだの,助成金が無限にあると考えているであろう,夢のような話ばかりしていた彼らであったが,最終的に今時分達が取り組める事は,現代医学の進歩とともに失われつつある「社会的信頼の回復」,ネットワークを駆使した情報交換,そして情報収集であるという結論に至った。

今回は,クルクメールとして教員を努めながら,自らも(修了書習得のため)学生として参加した3人のクルクメール達が基調講演を行なった。

伝統医療局院として勤め上げてきたフンチョム氏は,1980年代のカンボジア伝統医療が政府内で採用されていた時代の話,当時のクルクメール達が集まって伝統薬製品を開発し,各地のヘルスセンターでその薬が使われていた事。またプノンペン,プサータパーでは骨接ぎが盛んに行なわれていたこと等,当時の貴重な体験を述べた。

2番手のタイサビー氏は,80年代前半に共産主義時代の半強制的に工場で伝統医薬が作られていた歴史から,80年代終盤における保健省での工場停止。90年代後半から伝統医療に再び目が向けられている実情を紹介しながら,協会員が団結して,政府の伝統医療政策を推進していくように取り組んでいく事を全員に呼びかけた。

最後に,今回,全会一致で初代会長に選出されたキーブーハン氏が決意表明を行なった。氏はこの10年の間,クルクメール業の傍ら,ボランティアで伝統医療の復興に夢を託しながら政府伝統医療局の活動に協力してきた。本協会に対する意気込みは並大抵ではない。スライドを使い,協会のロゴや1年間の計画,伝統医療をカンボジア国内でポピュラーにするという自己の夢について披露した。

腰の重い政府の姿勢に,少なからず不満をもっている伝統医療師たち。しかし多くは個人主義を押し通してきた商売人達の集団でもある。保健省内の伝統医療に対する目は今も冷ややかである。いくつもの難題が彼らの前には立ちはだかっている。

「クルクメールのクルクメールによるクメール国民のための協会」第一回目のワークショップで掲げられたキャッチフレーズである。クメール帝国からの伝統を受け継ぐクルクメール達の挑戦が始まる。
第二期生 卒業式[2011年06月03日(Fri)]

伝統医療学校事業が始まって、2回目の卒業式を、ビーチのある町シハヌークビルで迎えた。99名の卒業生たちが学舎を去る。研修校も、1年目のパイロット運営に比べてずっと学校らしくなった。これまで各地で親子や親戚の間だけで伝統薬について勉強してきたクルクメールたちにとって、プノンペンで過ごした10ヶ月が貴重な時間であった事を願うばかりである。

卒業生の代表として、Menngさんは、「この研修で得た知識を,地域の人々,貧しい人々,カンボジア国民すべての人々のために生かしていきたい」と今後の決意を述べてくれた。
これから卒業生達は,それぞれの地方に戻り地域医療の一端となり人々の健康を支えていく。彼らの今後の活動に引き続き注目していきたい。

Ouk Monna副大臣もスピーチの中で今後より一層,伝統医療師が社会的な信用を得る事が出来るよう保健省も伝統医療の普及に力を注いでいくと励ましの言葉を贈った。



その後,ひとりずつ壇上で修了書を手渡した。各人の店舗や治療所で修了書とともに壁に飾られる貴重な写真だけに,保健省上級官僚とのツーショットの方がいいだろうと勧めたが,進行上の関係で,私も手渡す手伝うことに。
 
ひとりひとり手渡していく訳だが,10ヶ月間の事が,それぞれの顔を拝見するたびに思い出される。自分の授業の中で,積極的に興味を示してくれた人,後ろの方で仮眠を取ることを常にしていた人。。。



後悔としては,自分の授業を最後の方に設定したため,早い時期からコミュニケーションを取ることが出来なかった事。来期はクメール語の語学力を上げ(!)前半から密に学生達と深く接していこう!!などと,壇上で次年度への豊富を考えていた。
卒業試験本番![2011年05月12日(Thu)]
≈10ヶ月間に渡った研修コースの締めくくり,卒業試験が4日間の日程で行なわれた。これに合格すれば晴れて保健省からの伝統医療師認定書が授与される。

真剣勝負!

1日2科目が,午前7時と午後1時から45分ずつ102名の受験者を4グループに分け実施された。試験が終わり教室から出てくる学生達の表情は晴れやか,結果が期待された。

3日目の午前中には薬草学のテスト。机上に並べられた20種類の薬草の名前を次々に記載していく。

20種類の薬草サンプルがならぶ


学生達の頭を多いに悩ませたのは医療倫理のテスト。

Q:昨年政府から発表された「伝統医療政策」の意義を説明せよ。

これは難題!よっぽど政策を深く分析していないと解けない問題である。
採点の結果,この教科の落第者は102名中26名。後日,口頭試問で追試が行なわれる。確かに,伝統医療師のモラル教科には大切な教科である。

再試験は来週行なわれる。
なんとか全員が無事笑って卒業し,保健省公認の伝統医療師として全国各地で活躍できる事を祈っている。

ク〜,むずかし〜!

卒業試験直前[2011年05月08日(Sun)]
昨夜は雨が降り,今朝は空気が澄んで涼しい。土日は保健省にオフィスを構える関係上,一般業務は休み。しかし今日は学生達にとっては特別な週末の休み。研修の最後を飾る「卒業試験」の中日なのである。

昨日,一昨日と行なわれた筆記試験の手応えは上々で,試験を終えた学生達の顔も晴れ晴れしていた。ひとつ気になった教科は,医療倫理の試験。保健省事務次官である担当教官が準備したのだが,問題は「(昨年保健省から発表された)伝統医療ポリシー(政策)の意義を述べよ」。。。独創的な発想を記入するのに四苦八苦していた。

明日は植物学の面接試験。経験的な知識が試されている。朝早くから学校の前の薬草サンプルを前に,テストに不安な学生達があつまって問答をしていた。


そんな私は薬草に関してはズブな素人。なんらお手伝いはできないが,なんとか全員が無事卒業試験をパスできる事を祈っている。
カンボジアの薬屋事情[2011年05月07日(Sat)]
オリンピックマーケットは,プノンペン市民の市場。観光客の影はない。この市場の一角に西洋医療薬品,機器の卸問屋街が軒を並べる。

その中の一軒の店を訪ねてみた。あまり露骨にいろいろな質問を始めても,彼らは決して口を開いてはくれない。自分はカンボジアが始めてで,こんな大きな薬の問屋街がある事に驚いたという事から口火をきると,若い店番が上機嫌に英語で対応してくれた。

「カンボジアには物がないと思っていたけど,この沢山の医療機器はどこからくるの?
− 話によると9割が中国からの輸入品であるという。

「中国製ということは,携帯電話などと同じでコピー商品なんかが多いのでは?」
− 得意そうに,棚から2つ箱を取り出してみせてくれた。2つとも見た目ほぼ同じ型の血圧計だが,ひとつが日本製で,もう片方は中国製であるという。いわゆる中国製のコピー商品。


下がオリジナル。上は中国製のコピー商品


「薬についてもコピー商品が?」
− 偽薬ではないが,カンボジア保健省の認可が入った薬は,手続き上,価格が高くなっているという。登録番号などは外側のパッケージにしか記載がされていないので,箱を開けてバラ売りにすれば,どれが認可をうけたもので,どれが輸入された否認可の薬かは分からないのだという。特にベトナムやタイに近い地域では,個人輸入された薬が多く出回っているということだ。

「登録代などは保健省に支払っているの?」
ー  年に一度,市の役所に支払いと登録更新を行なっている。それと他に警察や何やらへの支払いで毎月300ドル(!?)かかる。なかなか儲からない仕組みになっているんだ,とぼやいた。

店舗の営業許可証

なるほど,その業界には業界なりの非公式な仕組みが成り立っているようである。まだまだ産業として未熟なカンボジアの伝統医療業界だが,将来商業として発展して行く中で,当然暗黙の金の流れができあがる事だろう。

伝統医療協会では,状況把握と問題意識の共有を図り,結束を強くしておく必要がある。
特別講義:伝統薬の登録方法[2011年05月07日(Sat)]
カンボジアにおける薬品はすべて,プノンペンにある保健省本庁内の食品医薬品局(Department of Drugs and Food,通称DDF)が一括管理していた。しかし業務が多様化するなか,販売薬の登録については各県の役所(保健セクター/Municipal)に委託されている。これまでに地方のクルクメールたちに聞いてきた中で,販売する伝統薬については役所に約50ドルの登録料が必要。全国への販売に関しては1500ドルを支払う必要があるという。地方によって情報のばらつきがあり,今回その統括を行なっているDDFに伝統薬の登録方法について講義を依頼した。

登録されているクメール伝統薬はない?!

講師を引き受けてくださったのはDDF登録局担当のOk Sophal副局長。授業内容は「現在,伝統薬の登録に関する制度はできていないので,将来出来るであろう手続きの方法として,現行の西洋薬の登録方法について説明する。」そして「現在,DDFに登録されているクメール伝統薬製品は無い」とのことであった。

また,街で出回っている中国薬などについても,内容物の記載が“中国語”で書かれており役所としても作業が困難である事や,使われている薬草の生物学的物質や薬効等もまだまだ整理されていないので薬としての登録が難しいのだという。

カンボジアでは,国として薬効に関する法律となる「薬局方」が西洋薬についても定められていない。それでも「西洋では基準が出来ているので大丈夫」とのロジックにより外国資本の製薬会社が設立され,なんとアフリカを始めとする海外にまで輸出できる程,整備が進められている。

また,食品医薬品局とは言うものの,西洋薬の管轄に熱心であるのにたいして,伝統薬も含まれるであろう健康食品などの管理は,商務省(Ministry of Commerce)に任せて保健省内では業務は行なわれていないと言う。

クルクメールが金銭を支払って行なっている登録は,どのように活用されているのか?登録された薬で事故が起きたとき誰が責任をとるのか?
講義の大半が,学生からの質問に費やされた。

役人への「手数料」は,途上国の慣習的システムとなっており,公務員の給与が少なく,それで生活が成り立っているという事情がある事は,皆が理解している事であり,この国のセンシティブな事情でもある。急激な変革の訴えは,かえって政府の反感を買うことにもなりかねない。

今後,伝統医療師協会のメンバーの中で,慎重に状況把握を進めていきたいと思っている。
特別講義:伝統産婆術へのガイダンス[2011年05月05日(Thu)]

2008年,現在の保健大臣が就任して,保健政策の優先課題として進めてきたのが『母子保健』。WHO, 国連人口基金,そしてJICAの協力によって助産師の量と質の改善が進められている。JICAは1995年から,プノンペンの国立母子保健センター(NMCHC)を拠点に人材育成支援をしてきた。しかしながら,政府や世界中からの大小機関の介入等の障害により,現在も展開中の地方モデルケースを国家プログラムに反映すべく奮闘を続けている。


出産における地方での実際は,以前クーレン山についてのブログで紹介した。
ヘルスセンターへのアクセスの悪い村では,今もチュモと呼ばれる伝統産婆が第一線で活躍している。村人がチュモに依頼する理由は,病院へのアクセスの悪さと共に礼金が僅か3ドル〜5ドルである事。何よりも村人からの絶大な信頼である。現代医療のみの洗礼をうけてきた新参のヘルスセンター職員は,「近代的な医療のもと出産するべきだ」と主張する一報で,国立母子保健センターの熟練医師の一人は「経験豊富なチュモを,もっと活用するべきだ」と述べる。ただし,政府の方針に口を挟む事ができない立場上,沈黙を守っているのだという。

クルクメールの中で,出産の介助もしているというケースは聞いた事がないが,地域の医療人として伝統産婆術に関する一般的知識を有し,近隣に起きる非常時には助言ができるようにと考え,今回,国立母子保健センターのJICA専門家に講師の紹介を依頼。特別授業にこの講義を追加した。
特別講義:接骨術[2011年05月04日(Wed)]

柔道整復術(じゅうどうせいふくじゅつ)とは、柔術に含まれる活法の技術を応用して、骨・関節・筋・腱・靭帯などの原因によって発生する骨折・脱臼・捻挫・挫傷・打撲などの損傷に対し手術をしない「非観血的療法」という独特の手技によって整復や固定を行い人間の持つ自然治癒能力を最大限に発揮させる治療術。。。とウィキペディアにもあるように,日本の中でも伝統的に継承されてきたの治療技術である。

日本では,骨折・脱臼・捻挫・挫傷・打撲を煩った際には,医師の元ではなく,地域の柔道場に併設された接骨院に通っていたように,ここカンボジアでも地方の人々は,このような際,地元のクルクメールの元で治療を行なっている。地方で暮らす日本人の証言もある(関連記事)。

そこで,接骨術の中でも発生頻度が高い割には,比較的施術の習得が易しいと考えられる,肩関節脱臼の整復術を紹介した。学生に聞いても,やはり数名は整復の経験があるという。
2時間とかなり駆け足の講義となったが,以下の内容を紹介した。
1.肩関節の解剖
2. 肩関節脱臼の種類
3.肩関節前方脱臼の発生機序,病理,症状
4.整復法(3種)
5.固定法

学生達は今月末に卒業し,各々の地域でクルクメール業に復帰する。肩関節脱臼の患者に遭遇する事もあるだろう。この講義を思い出し,あせらず対応し,地域の人々に貢献してくれる事を祈っている。

今回は,紹介にとどまった「接骨術」であるが,学生達の関心は高い。来年には,日本から本場の「ほねつぎ」のプロフェッショナル達がカンボジアを訪れ,ワークショップを行うよう計画がすすめられている。日本伝統医療技術がカンボジア伝統医療術の復興に貢献できる機会になるだろう。
特別講義:製品パッケージ[2011年05月03日(Tue)]
もう一人の日本人講師は,世界遺産アンコールワットのあるシェムリアップで,伝統薬ハーブを使ったコスメティックショップ「クルクメール」の若きオーナー篠田ちひろさん。

カンボジアでは全国的に伝統薬が普及している状況は,これまでにも紹介してきたが,どの国の経済発展の過程でも見られる,伝統離れは我々外国人達が懸念している事であり,伝統薬に関しても同じような状況が懸念される。隣国タイでは観光のPRのためのビジュアル化が進む中,伝統医療もオシャレにアレンジされ,そのサービスや商品は,高級コスメティックとしても日本人女性観光客の羨望の的となっている。

篠田さんは,このカンボジア伝統薬のポテンシャルによって,現地の産業を活性し,貧困層の人々の職の安定を目指し日夜励んでいる。商品は海外観光客に向けた製品を開発しているためパッケージには,ことさらこだわりを持っている。

一般にカンボジアの伝統薬のパッケージと言えば,
1.ビニール袋に薬草をつめるだけ。
2.ビニール包装。
3.紙箱にそのまま薬草が入っている。


など,いずれも屋台レベルで簡易なものが殆どである。また,パッケージには「うしろの百太郎」ばりのオドロオドロしい絵と配色が施されており,これはこれでカンボジア特有の趣向とも思えるが,若い世代にはなかなか取っ付きにくいのがうなずける。

一通りのパッケージデザインについての講義が済んだ後,各学生達に記入シートが配布され,課題にそって,各々がパッケージをデザインする試みが行なわれた。カンボジア人が最も苦手とする「独創性」が試される。

案の定,多くの学生のシートは白紙。誰かが良いアイデアを出す事を鼻から待っている状態である。しかし,その中でも数人の学生の間から,見た目や清潔感を考慮したデザインアイデアが発表され,クラスを湧かせた。

学生の発表,ぜひ実践に移してほしい

クルクメールの世界では,今,伝統医療師という職種が減り,伝統医療販売業にシフトしつつある。若い女性も増加傾向にあり,少しでも彼女らのセンスで伝統医療が彩られ,若い人たちの伝統医療離れを食い止めてもらいたい!と願う今回の特別講義でした。
王立プノンペン大学で講義[2011年05月01日(Sun)]
知人からの依頼で,プノンペン大学日本語学科で講義を行った。日本語で講義をするのも久しい事で,普段通訳を付けて行なう授業でのスライド数も倍以上となった。1時間目がカンボジア伝統医療についての講義。続いて2時間目がグループディスカッションである。日本語を聞き取る授業との事なので,専門的な話をする必要もなく,私の自己紹介や,伝統医療の一般的な話,カンボジアの伝統医療,事業の活動などを紹介した。

後半のディスカッションでは,グループ別に伝統医療に対しての意見をもらった。いずれも20歳前後の初々しい,しかしながら中には鋭く新鮮な意見もあった。

「品質管理をした上であれば,安価で副作用の心配がないので,伝統医療を使う事は良い事だと思う。」
「伝統薬は傷についたらバイキンがはいるので,ご遠慮させていただきます。」
「自然破壊が心配である。」
「老人には伝統薬が良いが,私たち若い世代には西洋薬が良いと思う。」

品質管理については,若い世代は敏感である。現代薬とくらべた伝統薬の長所や自然保護の姿勢等は,これから伝統医療師協会を通して,情報を発信していくところだ。

思わぬ機会で,若い世代から,良い宿題を頂いた。
特別講義:医療マッサージ[2011年05月01日(Sun)]

10回の特別講義の中では,カンボジアで活躍されている日本人2名の方にも授業を依頼した。

はじめにお願いしたのは,プノンペンの金持ちエリア,バンケンコン地区で「指圧屋」のマネージャーをされている間宮先生。カンボジア人が観光客相手に行なうマッサージは1時間8ドルが相場であるのに対し,「指圧屋」は1時間20ドルのチャージである(それでも1時間6000円が相場の日本に比べれば安いのですが)。それでも終日,日本人だけでなく,西洋人,お金持ちのカンボジア人で常に予約は埋まっている。

先進国から来たカンボジア初心者にとって,「息抜き」を見つけるのは大変難しい。外に出れば灼熱の太陽,移動には常に運転手との値段交渉,さらに日帰りで行ける行楽地がなく,結果自宅に籠る事が多くなる。酒ばかり飲んでいても体に悪いし,運動が嫌いな人には,さらに行き場所がない。そんな中,街の至る所にあるマッサージは一時の癒しを提供してくれる街のオアシスである。
日本にいる時には,そんな現場で働いていた事もあった,まさか自分で金を支払ってまでマッサージを受ける事になるなど夢にも思っていなかった。

東西を問わず世界中の多くの地域でマッサージ産業は展開している。その中で大きな問題点と言えば,風俗店との線引きの難しさである。日本ではマッサージ師は国家資格である。しかし世界中でマッサージの制度が確立している国の数は少ない。風俗の規正から逃れるべくマッサージの看板を掲げる風俗店も多いし,また風俗を期待してマッサージに通う客も当然多い。

日本では,近年“医療マッサージ”という表現で職業の地位向上をアピールしている。しかし制度の進んでいない途上国においては,マッサージは慰安を主目的としているし,スタッフも田舎から上京した20前後の“オネエチャン”達で占められている。風俗店と誤解する観光客が多いのも頷けるのだ。

当初,講義のタイトルは「日本式マッサージ・指圧」であったが,上記の問題定義の意味も込めて「医療マッサージ」とした。講義が始まり学生達には,当然,授業の意義が分からず「インポテンツには,どのポイントがいいですか?」などと,笑いを誘うお決まりの質問が投げかけられたが,間宮先生のデモンストレーションが始まり,手技のひとつひとつに治療を目的とした意味が含まれている事を知ると,さすがに学生達も治療家である。手持ちの携帯電話のカメラでパチリパチリ。質問攻めとなった。

「日本ではマッサージは医療です」


無数のカメラに囲まれる

数年前に火がついたタイのマッサージは,今や世界中から受講生が詰めかける程の知名度を上げている。タイほどのレベルになる事は至難の業であるが,ここカンボジアでも今後観光客の増加に伴い,ますますニーズが高くなる事は必須である。かつてはタイの人気マッサージ店のオーナーは日本人であったという時期もある。カンボジアの各地では盲人マッサージの店も多く見られるようになった。日本の歴史あるマッサージ技術が貢献できるポテンシャルは大きい。
鍼灸講座3:安全対策と衛生管理[2011年04月30日(Sat)]
鍼灸講座の最後のテーマは「安全対策と衛生管理」という,講義としては,とても硬く,生徒達にとっても眠たくなるテーマである。しかし,このテーマこそが東南アジア地域で伝統医療を普及していくために最も大切な事であり,勢いのある中国や韓国の攻勢に対しても,今後,途上国支援として日本という国が担っていくべきテーマであると考えている。

途上国の衛生管理について考えるとき,どうしても“未発達”であるために不潔なイメージがつきまとう事は言うまでもないし,実際に日本人が求める衛生感覚や安全に対するニーズと比べると大きな差がある事は否めない。それだけに,制度や文書として「衛生管理と安全対策」をアピールしていく事が,国民および国際社会に対する東南アジア伝統医療の最優先課題であるのだ。

滅菌への知識として煮沸消毒だけでは不十分であり,高圧滅菌を紹介したところ,他の医師が担当した授業では煮沸消毒を勧められたという。現地の人々の生命力を考慮に入れれば,確かに大丈夫かも。。。という考えがよぎったが,現代医学や国際社会にアピールしていくのであれば,大げさなくらいの規定が必要である。

中国製のオートクレーブ器。いわゆる圧力釜。


カンボジアよりも伝統医療制度の進む周辺国でさえ,科学性や効能安全対策についての熱に対し,利用者への安全や衛生的なサービス向上への意識は皆無である。1980年以降のエイズ問題を境に強化されてきた日本の経験を,途上国の伝統医療の発展に役立てていけないものか?

こうして全16回の鍼灸講義は終了した。実技指導を減らした分,カンボジア伝統医療師(クルクメール)の問題意識に一石を投じる内容を伝えられたのではないかと感じている。今回の授業は,昨年の卒業生であるVoteyさんに英語をクメール語に通訳してもらいながら進めた。治療技術は申し分ない彼女であるが教壇に立つ事で,理論的に鍼灸への理解が深まるのではないかと思い,英語通訳の経験もないまま,授業に引っ張り込んだ。正に毎日泣きながら準備をし,授業に望んでくれた。今回の彼女の功績は大きい。カンボジアでは鍼灸の制度がないため鍼灸師とは名乗れない。なんとか鍼灸師として胸を張って国民の健康を守る立場にしてあげられないものだろうか。。。。

講義をアシストしてくれた鍼灸室のボテイさん

鍼灸授業 第二部:診断術[2011年04月25日(Mon)]

四診と呼ばれる古代から伝わる診断方法を紹介

授業当初,後ろの席で腕を組み,懐疑の眼差しでもって参加していた年配の学生達も,一通り東洋医学理論についての講義が終了する頃には,自分の仕事に通じる事を感じた様子で,相槌をうちながら参加する姿勢が伺えるようになった。最も彼らが興味を示したのが診断術についての講義である。これまでに診断を駆使しているというクルクメールの話を聞いた事が無い。殆どは患者が求めた薬を処方している。折角すばらしい処方箋を持っていたとしても診断が違えば折角の効果もだいなしである。

まずは,やって見せ,そして,やってみさせ

何よりも今回の研修コースの目的のひとつは,レベルアップよりも「ボトムアップ」。伝統医療師達の信頼回復を目的としている。熱感を訴える患者に対して急性症状なのか慢性症状なのか。自分で治療するべきか,しかるべき医療機関に委ねるのが適切なのか。その処置を誤れば信用を失ってしまう。

漢方の診断法である「望・聞・問・切」を軸とした四診と呼ばれる古代から伝わる診断方法を紹介した。視覚と嗅覚,聴覚。問診と全身の触診に加え,舌や腹部の診断,さらに両手首の拍動による脈診を紹介。特に伝統医療師の現場にすぐに応用できる祖脈診と呼ばれる診断法は実技指導を行なった。

さて,彼らの感触やいかに?!

※ 祖脈:
脈診法の中でも最も基本的な診断基準で,脈位(浮いているか沈んでいるか),脈数(早い遅い),脈力(強いか弱いか)を読み取る事で,それぞれ病体が表層にあるか深いところにあるのか。急性症状か慢性症状か。患者の治癒力,を読み解く。祖脈の習得は病態の把握や誤診・誤治の予防に意義深い。
15年ぶりの登校[2011年04月14日(Thu)]

桜ヶ丘,桜がみごとだった。路がきれいに舗装されていたのが僅かな変化

国家資格である柔道整復師と鍼灸師を養成する学校法人花田学園は,渋谷駅から国道246を越えた桜ヶ丘の坂の上にある。高卒で田舎から上京した私にてっては,正に躊躇いと興奮のロケーションだった。この坂の上の学園に6年間在籍した。在籍したと言ってしまったが,良い学生ではなかった。在校中当時すでに同級生と「足ツボ」の診療所ゴッコを始めていて,学校の授業に興味が持てなかった。今思えば本当にもったいない。そんな状態でなんとか卒業させてもらい,3つの国家資格まで取得した。愛校の想いはあれど二度と学校の敷居をまたぐ事など出来ないと思っていた。

丘を登った学校校舎は高層ビルに


まさか再び敷居を跨げる日が来るとは。。。

昨年の上京の際,カンボジアのコインマッサージ,コクチョールについて九鍼会を訪ねた。古典鍼灸の月例勉強会で偶然特別講師として出席されていた花田学園の木戸先生にお会いする機会を得た。こっちは先生の顔を知っていても,多忙な先生が出来の悪い生徒の事など覚えているはずがない。懇親会で同席する事になり,恥ずかしながら挨拶をする事に。その後メールで何度か活動報告をさせていただいた訳だが,なんと最近学園の同窓会会報に執筆依頼を受けた。昨年のNHKワールドの番組を見てくださったとの事だった。今回は同窓会誌に使う画像データを持参するために15年ぶりの登校である。

久々に立ち寄った渋谷は相変わらずの賑わい。私が通っていた校舎は建て替えられ今は高層ビルの中に学校がある。会議室では木戸先生と,担任だった飯島先生,今回の会報を担当されている光澤先生が迎えてくれた。私の方からは15年経ったとは言え6年間も見続けたよく知っている顔の人たちと名刺交換をするのは不思議な気分だ。1時間半程の情報交換,またカンボジアでの柔道整復のワークショップの計画,それから計画している短期留学受け入れのお願いも含めた。担任の飯島先生も再会を多いに喜んでくれた。元不登校生徒がお客さんとして招かれてしまった。まったくしてメディアの影響力はすごい!

嘗ての恩師と記念撮影

お世話になった師を訪問[2011年04月14日(Thu)]
東京は第2の故郷である。高校卒業してから6年間渋谷の専門学校時代を品川大井町。海外を行き来しながら足ツボ診療所のあった池袋に近い東長崎。整骨院勤務を下町江東区南砂。随分いろいろな人たちに育てられてきた。出国して以来ご無沙汰している。今回の一時帰国では世話になっていた中で,2名の先生を訪問した。

南砂整骨院http://www14.plala.or.jp/souken9919/の高屋敷院長には,高卒で上京して右も左も分からない頃に,同級生(後のビジネスパートナー)の紹介で研修をさせてもらい,ブータンに行く直前の鍼の修行期にも再び勤務させてもらった。気さくで人懐っこく,我々若輩者にも常に謙虚な姿勢で接してくれていた姿が印象的。

院長の印象的な勤務時代のエピソード。院内のスタッフで行ったスナックでの出来事を思い出す。ウエイターの女性が,うっかり院長の頭上でドリンクをひっくり返してしまった。唖然とする我々の目の前で,院長ウエイターに一言「サンキュー!いやあ,外暑かったから,ちょうどシャワー浴びたかったんだよねえ」。ウエイターをも唖然とさせた粋な対応。今では私も「持ちネタ」にさせてもらっている。

今回,五反田駅傍にホテルをとった。暇さえあれば駅の傍にある,山下鍼灸院http://local.yahoo.co.jp/detail/spot/2825730ba46ed8e48ef36023b4646083/に見学に行こうと考えていた。院長の山下健先生は鍼灸臨床一筋55年の大ベテラン。08年には旭日双光賞を叙勲。業界団体の役に執着する事が無く,著書等がないためか業界内では,正に「知る人ぞ知る」の大御所である。

匠の施術風景

海外進出の鍵を鍼灸にしぼり,スタンダードな伝統鍼灸術を学ぼうとした時期に先生の主催する鍼和会を紹介された。

ブータンでの治療では,兎に角,古典の講義と診察記録,ひたすら先生の施術の物まねをして食い繋ぐ事ができたと言っても過言ではない。今回,私もたまたま業界紙「医道の日本」に依頼された記事が取り上げられ,報告も兼ねての訪問だった。この時はじめて私も出版物を見たのだが,表紙の私の小さな名前に対して,「新連載 写真で見る山下健の鍼灸テクニック」の活字の方が大きい。予定していた報告も喉元で詰まってしまった。先生には到底敵わない。

何はともあれ,大御所と一緒に子弟で業界紙の紙面に名前を並べてもらえた事はたいへん光栄である。

その他多くの方々にも,ご挨拶出来ずじまい。申し訳ない限りです。
東京[2011年04月13日(Wed)]
鍼灸授業の話題からちょっと寄り道。

1年ぶりに東京へやって来た。3日という短い滞在期間中,毎日体感できる余震があった。感心したのは今や一人一台が常識の携帯電話が地震警報を通知。数秒後にくる余震に心の準備ができる事。通常化している余震に対し,みな冷静に対処している。

桜はまだ残っていてくれた

今回は円高が続く中,少しでもレートが良い両替をしようと,貯め込んでいた僅かなドルを(といっても,すべて奨学金やクレジットカード支払い分…)バッグに潜めての移動。冷や汗ものです。日本での両替は手数料が予想以上に高いという反省があり,1年前から計画していた。バンコクの両替はBTSナショナルスタジアム駅傍のSiam exchange,セントラルワールド近くのSuper richがおすすめ。張り切って空港から電車を乗り換えナショナルスタジアム駅へ。

シャッターが下りている。。。。店の前で1分弱,途方二くれてしまった。なんと土日休業。あわてて調べたSuper richも日曜休業。ちゃんと調べていれば…自責の念に苦しみつつ開いている両替所を訪ねて回ったが,日曜日はどの両替所も日本円のストックを持ち合わせていない。しぶしぶレートの悪い空港で両替。ドルからタイバーツへ,タイバーツから円へ。タイ安のためか今回は全然お得感がない。もしかしたら日本で両替したほうがマシだったかも。。。

バンコクではどこにでも見られる両替所

深夜便で成田に向かう。バックパッカー時代には夜中の移動は宿代の節約のため散々行なってきた事だが未だに座位で熟睡することができない。朝6時半に朝食が出てくる。時差は2時間,時計は4時半を指している。
しかしながら,バンコクから日本へ直行便で帰るなど,すこし以前の私の辞書にはなかった選択だ。随分人間が横着になったものである。
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