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IT大手の経済スキャンダル インド最前線 The Actual India 第145回 [2009年01月11日(Sun)]

        
       《 ウィークリースポット Weekly Spot 》その35
      

数年にわたる粉飾決算
 インドITの大手、サティアンが7日、不正経理を告白した。過去数年、粉飾決算をしていたというのである。約700億ルピー(1,260億円)の粉飾だと、各紙は書きたてた。
 サティアン・コンピューター・サービス会長B.ラマリンガ・ラジュは、同社重役会にあてた声明書を発し、その職を退いた。
 サティアンは、インドITの第四位に位置し、サーバーとしての普及率も高い。
 筆者も過去にこのサーバー、@ satyan.comを利用していた。何度目かの契約更改期にどうも不具合が多く、その対応力もけして優れているとはいえず、離れてしまった。利用したのは、2000年代はじめ頃の4、5年間だった。筆者が契約を解除した頃から不正経理がはじまっていたことになる。
 同社は、近年、バンガロールに次ぐIT都市として目覚しい発展を遂げてきたアンドラ・プラデッシュ州都ハイデラバードを拠点に事業展開してきた。
 アンドラ・プラデッシュ州は、南インド4州のひとつで、西にバンガロールを州都とするカルナータカ州と隣接し東はベンガル湾に面している。農業地帯である。
 州都ハイデラバードは、近世、イスラム王権が支配していた地域で、現在もイスラム教徒ムスリムの集中する地域である。市内にある国際空港からは中東アラビア諸国への直行便が運行されている。独立解放後、州政府の初等教育で、インド・イスラムの言語ウルドゥ語を必修第一言語にしたことがあり、ヒンドゥ勢力と紛争になったことがある。
 しかし、古代はジャイナ教、仏教の拠点地域でもあった。「空」の概念を打ち立て「中論」を著したナーガルジュナは、日本では龍樹として仏教聖人として敬われている。ハイデラバードから70キロほどの山間に、現在でもその寺院遺跡、舎利塔(ストゥバ)などが保存されている。
 中世には、ヒンドゥ・ブラーミズムに対する宗教闘争がこの地域から発進した。シヴァ神の象徴であるリンガ(陽石)を奉戴する「リンガ・エット」と称する人びとが、北インドから浸潤してきたブラーミズム(ヒンドゥ教至上主義)に叛乱した宗教改革運動だった。
 現在、カルナータカ、オリッサなどに伝播されたシヴァ信仰の多くは、このリンガ・エット共同体によるものである。

重役8名、逮捕、拘留
 サティアンは、こうした地域文化の特性の上に、90年代以降のIT産業発展の一翼を担ってきた。
 ラジュ会長の声明から3日後、9日深夜、実際には10日に日付の変わった夜半、ラジュ会長、その兄弟ラーマ・ラジュなど8名の重役が、逮捕、裁判所拘置された。拘留は23日までと発表された。
 ラマリンガ会長が重役会に提出した声明書は、8日のザ・ヒンドゥ紙がその写真版を入手、掲載した。
 その声明書にラマリンガは、20年前、わずか数人のスタッフではじめたサティアンが5万3千人の就労を抱える会社になり、66か国、500社あまりの得意先を獲得している、と記している。
 声明書には、決算状況が、その粉飾の経緯を含めて細部にわたって記載されている。次いで、主力金融機関メルリ・リンチ(現バンク・オブ・アメリカ)、ならびに証券取引所(SEBI)の支援と協力を仰ぐよう、次期サティアン経営陣に指示している。
 警察は当初、声明書の発表とラジュ兄弟の退陣という事態では、逮捕、拘束はできないと報道陣に語っていた。判断を州政府に委ねた言質だった。
 8日から9日になって、サティアン株の暴落、ニューヨークや諸外国でのインド金融市場への投資見直しなど、大きな反響が伝わってくると、州政府首班は決断を迫られ、ついに逮捕、拘留に至った。

ラジュ君、アメリカへゆく
 7、8年前、ムンバイ・ボリウッド製作のヒンドゥ映画「ラジュ君、アメリカへゆく(原題・『ラジュ、紳士になる』)」という喜劇があった。日本でもDVDがでている。
 物語は、インドの青年が、一念発起してアメリカへ渡り、さまざまなカルチャーショックを味わい、やがては立派な紳士になって故郷に帰る、というものだ。
 ラマリンガ・ラジュがモデルなのではないかとおもわれるほど、物語は彼の半生に適合している。
 アンドラ・プラデッシュの郷村で、中農の息子として1954年に生まれている。現在54歳である。
 学業を終えると一時、商売に手を染め、その後アメリカに渡り、オハイオ大学で修士を取得している。帰国後、綿糸、綿布の取引、そして建設業に転進していった。1987年、ようやく、サティアンの創業になる。33歳だった。
 創業から数年、インドIT産業の隆盛を迎え撃つ体制をいち早く設置していたのが、ラマリンガの幸運と先見の明だった。
 時差を利用したアメリカとのビジネスは、世界の評判をとった。アメリカの終業時にメールで発せられた注文は、インドの早朝に届き、その日のうちに仕上がった仕事は、アメリカでの翌朝、始業時に間に合うというわけだ。技術者をアメリカに輸出することなく、インドのコストで終始する、これがビジネスを拡大する一歩になった。
 インディアン・ドリームを絵に描いたようなラマリンガの半生は、なぜ、蹉跌に陥ったのだろう。今回のスキャンダルを、インドではインド版エンロンとメディアは評定している。
 しかし、日本人の筆者には、ライブドア、ホリエモンと重ねてしまうのだ。ホリエモンほど、マスコミへの出場回数は多くないし、年齢も人世代上だが、ITの旗手、インドのポスター・ボーイといわれた勇姿は、そっくりだ。
 筆者は、かねてからIT産業のGDP比が50%に達するような経済体制は異常だ、と警告してきた。07年、それが40%を超える数値を示してきた。危険水域だったのだ。
 アメリカ発のサブプライム・シンドロームが、それを引き摺り下ろすかに見えた08年以降、今回のスキャンダルは、インドにとって大きな試練になるだろう。
 実は、08年5月頃から、IT大手では人員削減や業務縮小がはじまっていた。最近、復活の情報もあるが、経済全体の復調にさきがけての準備、と見たほうがいい。
 07年から、筆者が勤務する大学、周辺大学からのIT関係就労が極端に落ちている。すでに技術者は飽和状態なのである。IT情報産業、そのアウトソーシング自体が、変容を求めているのではなかろうか。
 工業化へゆっくりだが着実に歩んでいるインドの次世代IT事業は、地道な組み込みソフトや農業、漁業、バイオテクノロジーなどに援用される技術、といった道を模索すべきなのではなかろうか。
 サティアンの自滅行為は、もうひとつ遠い未来を見据えられなかったことにあるだろう。そして、世界的不況、経済停滞が複合して影を与えたことも否めない。
 インドは、基本的にラマリンガの出自である農業国なのである。
Posted by 森尻 純夫 at 23:37 | この記事のURL