ムンバイ・テロのその後とインド、パキスタン インド最前線 The Actual India 題144回 [2009年01月09日(Fri)]
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《 ウィークリースポット Weekly Spot 》その38
ブット追悼集会の政治性 12月26日、ムンバイ・テロから一か月目になった。ムンバイ港を臨むインド門の傍らには、多くの献花と蝋燭が灯され、数万人が哀悼の祈りを捧げた。 参集した人びとは、こもごもあのテロの悲惨を語り、再発を防ぐよう政府や警備当局へ訴えの声をあげていた。ムンバイ市民の声は、事件に立ち会った現実感に満ちていた。 翌27日、パキスタンの首都イスラマバードではブット暗殺の一周年だった。夫君で現大統領ザルダリも出席して追悼集会が開かれた。 生前のブット女史は、その華麗な政治履歴と暗殺当時、運動中だった選挙では次期大統領の最有力候補だった。いまもってその人気は衰えることなく、数万人規模の集会になった。 イスラム圏でありながら人民党(PPP)政権による文民体制に戻ったパキスタンでは、こうした集会に多くの女性が積極的に参加する。ましてや、パキスタン女性のシンボル的存在だったブットを偲ぶ会ということで、女性たちはメディアのインタビューにも臆することなく応じていた。語られたブットへのおもいは、女性たちにとって彼女がいかに大きな存在であったかを、改めて認識させた。 ザルダリ大統領は、妻ブットを偉大な政治家であったと偲び、テロの撲滅を誓った。「対テロの戦いには世界各国が挑んでいる。テロの脅威の下にあるパキスタンは先んじて戦いを進めなければならない。インドとの共同戦略も視野に入れていく」と述べた。 とかくギクシャクしている印パの関係、特にムンバイ・テロ以降のなじりあいは、これで収束すると、会場の誰もがあかるい兆しを感じただろう。しかしこのとき、一般にはまだ浸透していなかった重大な情報があった。ザルダリのスピーチは、その隠されていた情報への対応も示唆していた。 印パ両軍、国境で対峙 12月13日、インド空軍が、とつぜんパキスタン領空を侵犯した。午前と午後の二回にわたって異常飛行を繰り返した。 午後に一報が届くと、インド全土で緊張が走った。すわ、開戦か。しかし、夕刻、インド軍関係者、ならびに政府は、うっかりミスであったと表明、陳弁に勤めた。 うっかりミスという弁明をパキスタン側が素直に受け入れるはずはなく、とはいっても陳弁に勤めているのに攻撃するわけにもいかず、パキスタンは屈折した。 ムンバイ・テロから1か月、この日まで両国は互いに激しい応酬を繰り返してきていた。 インド側は、パキスタンの組織的な侵入攻撃によるテロであると断定、その組織の詳細な捜査と首謀者、実行犯の引渡しを求めた。パキスタン側は、米英の圧力もあってパキスタン国籍者の犯行を、一部認め、その母体となったと見られる組織を閉鎖、幹部を軟禁、取り調べた。しかし、パキスタンに所在する組織が関与したという証拠はない、と数日のうちに釈放してしまった。インドは当然、抗議し、その証拠を発見するのはパキスタンの捜査だ、と迫った。同時に、インド側が把握した証拠はしかるべく速やかに提出すると応じた。 こうした客観的には不毛なやりとりが続いていた26日、アフガン国境地帯に配備されていたパキスタン軍が大規模な移動を開始、領土を横断して印パ国境に移動した。27日夕刻には、兵員2万とも2万5千とも伝えられた。 この情報をブット追悼集会で演説していたザルダリ大統領は、当然、知っていただろう。その上で、パキスタンの立場からは極めてソフトな発言に聞こえる「対テロ捜査、インドとの協調」の言質がでたのだ。しかも、27日、イスラエル軍は、パレスチナ・ガザ地区への空爆を開始していた。国際的な対テロ圧力が増大することは、予測していたはずだ。 パキスタン軍の移動は、インドにとっては不可解な行動だった。当然、インドは緊張し、直ちに反応した。インド軍も、パキスタン国境パンジャブ州に集結をはかった。 パキスタン軍関係者は、メディアの取材にアフガン国境側に配備されている10数万の半数をインド側に移動させると語った。ザルダリ大統領と軍部の関係は、微妙なものだったとうかがえる。 08年の歳末2日間、両国は些細なきっかけで発火してしまう可能性に包まれた。 米、中、諸国の反応 おなじ27日、アメリカのライス国務長官はインドの外相に電話会談を申し入れ、パキスタン国境地帯での緊張を鎮めるよう要請した。サウジ・アラビア、イラン、そして中国からも同様の要請があった。これらの諸国は、パキスタンのシャー・M・クレシ外相にも要請している。 新年になって、パキスタン軍は再移動を開始、アフガン国境に赴いた。6日には、ほぼその移動を完了している。しかし、インド軍は警戒を緩めず、8日現在、パキスタン国境地帯の配備を解いていない。 印パ国境地帯の緊張が解除されたかにみえた6日、インド外相はパキスタン在印大使にムンバイ・テロの捜査証拠書類を手渡した。 7日になってその内容が各紙に掲載された。特にザ・ヒンドゥは、公式書類そのもののコピーを掲載した。全文69ページのそれには、生存、逮捕された犯人が携帯電話でパキスタンの組織に指示を仰ぐ場面など、なまなましい状況を伝えている。 8日、パキスタンの英字紙ダウンは、政府高官の談話として「残念ながら、パキスタン国籍の人間が実行犯である」ことを認めた。しかし、パキスタン外務省は公式書類を受け取った1日後の7日、証拠、ならびに文書の内容一切を拒絶すると表明している。 また、事件、そして犯人グループとの関与が取りざたされている国家情報局(ISI)長官ゲン・パシャは外国記者に「われわれは、ムンバイ・テロ以後、インドを脅威に感じていた。報復行為を恐れていたのだ。われわれ、パキスタンこそ、テロに敵対してきた」「たしかに一時期(年末、軍のインド国境への移動期)、軍、ならびにわれわれは狂気に似た状態にあった。しかし、われわれは冷静だった。インドも賢かった。いまは平常に戻っている」「(軍、そしてISIは逸脱行動に走ったのではないか?) 国家は国家のなかにしか存在しない。特に現在は、文民による民主体制の新政府の元で統制されている。」「(インドからの証拠書類を拒絶するのは?) 実行人数、関連組織、そして具体的姓名など、なにも記述されていない。きわめて遺憾な文書だ」と述べた。 ISI長官は普段、その顔を曝すことはなく、ましてや記者たちと会見することもない。今回、めずらしくドイツのデル・シュピーゲル誌の取材に応じたのだ。 軍、政府、そして国家 ISI長官の談話は、現在のパキスタンの状況をうかがわせる。長官が語った「公式」なコメントの行間に現実がちりばめられている。 ムシャラフによる実質的な軍政からザルダリ民政に移行した当時、危惧された事態が現実になっている。軍を支配できるか、それは世界の多くが危ぶんだことだった。 現パキスタン政府は、親アメリカ路線を堅持しイギリスに信頼を寄せ、NATOに協力する姿勢を崩さない。アメリカの無人機による越境攻撃を甘んじて受けざるをえない対テロ作戦軍には、ストレスが増大している。過激な民間組織は、ますます跳ねあがる。 ISI長官の「国家は国家のなかにしかないのだ」ということばは、自らに言い聞かせているのに等しい。それは、身内に病理を抱える精神の悲痛な叫びでもあるのだ。 インドのマンモーハン・シン首相は7日、全国首長安全保障会議で州首脳を前にスピーチした。「インドは、パキスタンのカシミール分離派過激組織ラシュカル−エ−タイバが関わっている証拠を握っている。パキスタンの国家機関が、関与していることも掴んでいる。パキスタンは、ヒステリックに緊張を煽っている。」 マンモーハン・シン首相の淡々とした語り口は想像できるが、その内容はどちらがヒステリー症状なのか、判断に窮する。 パキスタンに提出された文書にしても、インド側の警備状況やインド人に関する捜査は一切、記述されていない。1) 10月中旬頃から地元の漁民たちが気付いていた不審船 2) 事件後、発見された漁船とそこに捕縄されて殺害されていたインド人漁民 3) 手際のよい攻撃と都市内の地理を知り尽くしていた謎 4) なぜ、デカン・ムジャヒディーンというインド固有の組織名を名乗ったかなど、疑問は数々ある。それらをあきらかにすることなく、パキスタン関与の部分だけをあげつらって迫るのは、少なくとも対テロを共同作戦にするという姿勢からは離れている。 当初から、港湾、ならびに都市警備のずさんさは指摘されていた。しかも、事件後、シン首相は内務大臣を罷免している。 さらに悲惨なことには、09年元旦、アッサム地域で連続爆破テロが起こった。インドの新年は、テロで明けたのである。 100年を越える世界でも稀有な歴史を持つ政党コングレス会議派は、何度かの一時的な政権離脱を除いて、独立後ほぼ60年、そのほとんどを与党として君臨してきた。各省庁、地方議会、地方行政組織の大多数がコングレス会議派の支持者だ。 この政党組織力は、同時に強力な官僚体制のエンジンでもある。その官僚体制が、いまや機能不全に陥りつつある。 経済学者であるシン首相は、就任以来、多くの規制緩和を成し遂げ、経済拡大は世界の注目を集めてきた。しかし、サブプライム症候群と対テロ戦略が同時的に襲ってきたいま、シン首相のもっとも弱い政治戦略、内務治安政策から綻びはじめている。 相次ぐテロは、外資の撤退、機関投資の差し控えを招くだろう。本格的な景気停滞が予測される近未来、日本企業もすでに縮小、減産に向かっている。 シン首相が、経済でみせてきた鮮やかな手並みを、対テロ戦略に発揮できないとすると、それがインド経済の足枷になることははっきりといえる。官僚の作成した報告書を丸呑みするようなメッセージを世界は期待していない。 09年、インドは国会議員選挙の年である。残念なことに、官僚体制に支えられたコングレス会議派を凌ぐ野党の存在がない。ならば、近隣諸国との関係を地平から見直し、お互いの負を曝けだして協調関係を構築する以外にない。 対テロ戦略は、すでに国家の戦略を離れ、あらたなスタンダードを求めている。ここで国としてのアイデンティティにこだわると、国家は機能不全から解体への道を歩むことにさえなるだろう。アメリカにしても、それはおなじことだ。 そして、テロリズムとは、そういう憎むべきものだったのだ。 |



