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07〜08 インド最前線 The Actual India 第109回 [2007年06月10日(日)]

          《 特集 Supplement Issue 》その3
             2 0 0 7年6月 1 0日

        少数派優遇制度と遊牧民の叛乱
遊牧と農業
 5月2 5日過ぎから6月にかけて、インド西北部ラジャスタン州、そしてデリーにまで飛び火した騒動があった。週があけた4日、どうやら騒動は落ち着いているが、問題が解決したわけではない。
 5月2 9日、ラジャスタン州のいくつかの小都市で集会とデモがおこなわれ、暴力的な行動に発展した。それからは連日、暴力行為が発生し、6月1日、大規模な集会が各地で開かれ、一部地域ではストライキが実行された。高速道路は封鎖され、ラジャスタン州を通過する列車は前面ストップした。
 2日までで、死者3 0人近くを数えている。警備警官との衝突が主因だ。
 抗議行動を起こしたのは、グジャールとか地方によってはグルジャルと呼ばれるコミュニティの人びとだ。地方語をヒンディ語や英語に置き換えているので、訛りも加わって、表記が違ってくるのだ。
 彼らは、もともと遊牧民で、雨季の前後、羊を連れて旅をする。ゆく先々で田畑に羊を放し、雑草を食べさせ糞をさせる。これが肥料になり次の収穫を約束する。羊の糞の上にわらを敷いて、畑で堆肥をつくるのだ。まったくの有機栽培である。
 彼らは流浪しているように見えるが、実は緻密な旅の計画を毎年、きちんと履行している。農民たちは彼らの訪問を農作業の暦に準じて待っているのだ。
 筆者は、1 9 9 4年、彼らを調査したことがある。当時、彼らはけして貧しくはなかった。
 田畑一枚で数百ルピーの謝礼を受け、一日数か所に羊を分散していた。旅のない雨季にはミルクからバターやチーズをつくり、皮革製品をつくっていた。
 ある若い家族は、ゆく先々の銀行に口座を持ち、1 2冊の通帳を誇示していた。
 こうした彼らの生活が根底から覆されたのは、経済発展による都市化の拡大とその発展から取り残されていく農業の閉塞状態によって、旅ができなくなったことにある。
 化学肥料の多用による農業の変化が、彼らの旅を不要にしたという研究者もいるが、それは間違いで、現実は、彼らが来なくなったので高価な化学肥料を買わなければならなくなっているのである。

経済特区での遊牧民
 旅を失った彼らは、道路や建設工事で働く日雇い労働者になり、都会に生きることになる。 デリーには数か所、彼らのコロニーがあり、郷里と往還しながら、テント張りのスラムから小住宅団地へと発展しているところもある。
 そのひとつに調査に赴いたことがある。コロニーにはヒンディ語の識字率を上げるための成人学校まで設置されていた。約1000所帯、4000人が住んでいた。
 今回の騒乱が、ラジャスタンの小都市とデリー市街で同時多発的に発生したのは、こうしたコロニーの住民が立ち上がったからである。
 特に、ラジャスタン、デリーを結ぶ高速道路沿いのグルガオンでは、デモ隊による道路封鎖が連日繰り返され、死者もでている。グルガオンは、正確にはハリアナ州になるが、デリーから卑近の経済・文化特別開発区(S E Z)の指定地域だ。
 日本も「日本特区」を設定していて、すでに日本企業は活発な事業展開をしている。ここにも、彼らのコロニーがある。というのも、高速道路の拡幅立体化工事に多くの
グジャールの人びとが労働者として働いたのだ。現在も働いている。
 ラジャスタン・ハイウェイと呼び習わしているこの幹線は、首都デリーにとって最重要な流通路なのである。これを封鎖される経済的痛手は大きい。
 グジャールは、自らが労働した道路を封鎖するという、社会への抗議行動としては皮肉で効果的な方法を選んだことになる。しかも、もともとは旅する人びとだ。旅する者たちが、道路を閉じるというアイロニーも、計算外だろうが、なにか因縁だ。

優遇政策の奪い合い
 インドには少数派にたいする特別優遇制度、いわゆるクォータ・システムがある。クォータ・システムは、インドの発明ではなく、20世紀前半期、アメリカの移民や原住民、黒人などへの優遇措置として制定されたのがはじめである。
 多種族、多宗教共同体が混淆するインドでは、教育、社会福祉、政府、行政府への就労・職などで不利になる少数者を特待する制度が不可欠だ。一般に、行政府や政府セクター、大学などでは、あらかじめパーセンテージを固定して、少数共同体を受け入れることになっている。
 教育機関が学生を入学させるのにも、この制度が機能している。
 昨年、全インド的に医学部や技術系の学園がストとデモに荒れたのは、この制度のパーセンテージを大幅に引き上げようという政府への上部階層出身の学生、教員による反発と異議申し立てだった。6月新学期を控えて、すべての州で解決したとはいえない実情である。
 今回の遊牧民グジャールによる騒乱は、このクォータ・システムへの抗議と要求なのである。
 遊牧という職を奪われた彼らは、大都会の片隅で移住と出稼ぎで生きてきた。しかし、彼らはいわゆるカーストの埒外、最下層の民ではない。カーストでいえば、第三階層に属している。ということは、共同体として特別な優遇措置を受けられないのだ。
 彼らのような階層は、わたしの調査したカルナータカ、タミール、マハラシュトラなどの各州、そしてほとんど全インドに及んでいる。
 騒動が拡大しはじめた5月2 8日、ジャム・カシミール州のおなじ共同体が「ラジャスタンのグジャールを支援する。これはラジャスタンだけの問題ではない」と声明している。
 パキスタン領カシミールにもおなじ共同体遊牧民はいて、タリバン、アル カイダ、そしてカシミール分離主義テロ集団を支援している、といわれている。
 グジャール遊牧民の抗議と要求に対して、もうひとつの共同体が絡んできた。ミーナと呼ばれる最下層の人びとが、グジャールの抗議行動に激しく対抗してきたのだ。ミーナの主張は、グジャールに優遇が与えられると、既得権としている待遇措置のパーセンテージが減ってしまう、というのである。

カーストと呼ぶ社会の悪意
 中央、州政府、そしてグジャール、ミーナによる三つ巴の争いは、切実ではあるがいかにも醜い。総量として決まっている援助の分捕り合戦でしかない。
 新聞はトライブ(部族)、あるいはカースト・トラブルと書き立てた。三つ巴をカースト・ダイナミックス(「ザ・ヒンドゥ」6月1日)とも表現している。
 これらの論調の基盤には、インドの社会が抱える異文化集合体の負性を強調して、誰がリードすべきかを提示しようとする意図が潜んでいる。あるいは、そうした政治性に利用可能な表現なのである。インドは、すでに誰のものでもなくなっているのである。
 過去1 5年のめざましい経済発展の現実の下、植民地時代に補強され、制度化されたカーストや定住を促された遊牧民にトライブと呼びかける感覚は理解の外だ。日々変貌する現実を生活する人びとにとって、到底、耳を傾けられることではない。
 最上階は教育優遇に激しい忌避感を持ち、最下層は優遇措置の見直しを求めている「カースト」なるものは、すでに解体、あるいは破砕されているのだ。グジャールやミーナ共同体の人びとにとって「カースト」とくくられる発言に納まる自分を発見しなければならないとき、ただ、社会の悪意を感得するだけなのではなかろうか。
 ひとえに、今回のラジャスタン州遊牧民が火をつけた騒動は、経済成長を続ける現代インドの裂け目なのである。

Posted by 森尻 純夫 at 22:07 | この記事のURL