日本財団公益コミュニティサイト CANPAN CANPANブログ:公益法人,NPO,CSR,社会貢献活動のための無料ブログ

«パキスタン首都イスラマバードで大規模テロ インド最前線 The Actual India 第141回 | Main | インド、ムンバイ・同時多発テロ攻撃 インド最前線 Actual India 第143回»
インド、アッサム同時多発テロ インド最前線 The Actual India 第142回 [2008年11月05日(水)]

     《 ウィークリースポット Weekly Spot 》その3 6

州都と広範な周辺に展開した同時爆破
 10月30日、インド東北部アッサム州で同時多発テロが発生した。
 現地時間午前11時頃から約1時間半の間に18か所で爆破が起こった。州都グワハティと周辺3つの町で、31日午前には、死者62名、負傷者300人、他に重傷者30人余りと伝えられた。その後、11月1日になって死者は75人以上になった。病院に運ばれていた重傷者が亡くなったのだと報道された。死者は、まだ増えるだろう。
 州都グワハティ市内では、買い物客がようやくにぎわいはじめた朝の市場や地方裁判所近くの路上などだった。合計6個の爆弾が破裂し31人が死亡、125人の怪我人を数えている。
 その他は、周辺の小都市、町などの地方事務所、会議所など、かなり広範な地域にばらついている。
 すぐに思い浮かぶのは、9月、首都デリーで発生した市街テロだ。市内各所での同時多発の手法がよく似ている。メディアも警備当局も、そこに注目している。
 しかし、だからといって、ただちにおなじ集団による犯行とは断定できない地域特有の問題がある。
 アッサム、隣州の西ベンガル、マニプリなど東北部では、最近、頻繁にテロが起きていた。
6月末、ブータン国境に近い町の食肉市場で爆発があり、5名の死者と80名以上のけが人がでている。狙われたのは豚肉店で、そこにいた顧客が被害にあっている。一般のインド人の反応は、豚を嫌うイスラム教徒の犯行、ということになってしまう。
 この頃から毎月、小規模なテロが続いてきた。
 10月の初旬には、マニプリ州インパールで爆破テロがあった。インパールは第二次世界大戦末期、日本陸軍が攻め入ったインド唯一の地だ。過去、ここでテロが発生したことはなかった。
 おなじ10月初旬の7日、死者13人を記録する暴動があった。今回の同時爆破テロが発生した州都グワハティの郊外ウダルギリとダラングの両町で、少数派ボド族とイスラム移住者が激突した。
 ウダリギリでは、最近たびたび衝突があり合計30人が死亡している。ふたつの町では25万の集落を失った両派の人びとが53か所の難民キャンプに逃れている。
 今回のテロの背景には、移住民と少数派の問題があった。

辺境の国境地帯、アッサム
 アッサムは、日本人にも馴染み深い紅茶の産地でヒマラヤの山並みを控えた山間の地だ。風光明媚な観光地でもある。
 紅茶栽培には、多種の少数民族や出稼ぎ人が従事している。彼らは、落差数百メートルの傾斜地の紅茶畑で、厳しい栽培労働の生活に勤しんでいる。
 少数民族は、もとは山間採集農業に勤しんでいた。彼らは、200年ほど前からイギリス人経営の紅茶園に吸収され、生活が変った。山を捨て、栽培労働者になったのだ。
 独立解放後、隣州西ベンガルのダージリン地区とともに紅茶園はインド政府管理の経営になった。やがて後に、民間へ委譲された。しかし、経営権を得たのは、中央から参入してきた政治的コネクションを持った人たちだった。少数派種族は、幸運にも紅茶園の経営者になった成功者もいるが、多くはまったく変らず日雇い労働者のままだった。
 さらに、紅茶園を目指して異境の地から多くの移住民がやってきた。もともと茶の苗木をインドに持ち込んだチベット人、そして近年、少なくなったが中国人、韓国人などがインド人出稼ぎとともに紅茶栽培労働者になっていた。
 しかし、西ベンガル、アッサムの両州が国境を接する旧西パキスタン、現バングラデッシュからの移民労働者が、なんといっても圧倒的に多い。多くのバングラ人は無法な越境者だ。1970年代のバングラ独立以来、難民化した集団が波状に流入してきている。
 07年初頭以降、バングラデッシュは政変と内政の不安定に加えて、サブプライム症候群で通貨の下落が激しく、インドへの脱境流入者がふたたび急増している。
 今回のテロ発生直後、警備当局はベンガル、アッサム分離独立派の犯行の可能性を示唆
した。
 アッサム独立派は、70年代のバングラデッシュ独立前後から活動していた。西ベンガル州のダージリン地域の谷間を拠点に活動をはじめた反政府ゲリラ集団ナクサライトと提携したこともある。
 80年代末になって、第二次印パ戦後、イスラム色を強めた集団は、西ベンガル・アッサム独立をスローガンに再組織化された。
 彼らはバングラと交流し、ブータン国境を侵して、ベースキャンプを設営していた。04年、インド政府はブータン政府の要請を受けて、彼らのキャンプをブータン領内で掃討した。
 その後、西ベンガル州などで散発的にテロ行為をおこなってはいるが、今回のテロと重なる要素は、きわめて薄い。今回の事件は、少数派ボドが鍵になっているからだ。

クリスチャンか? 分離独立派か?
 10月6日、ザ・タイムス・オブ・インディアは、ボド族とイスラム系移住者との衝突を「民俗浄化」への動きだった、という州政府当局者の分析を報じている。「ボド民主化戦線(NDFB)」が関与しているというのだ。最近の紛争、ならびに今回のテロは「ヒンドゥ教徒とバングラからの移住イスラムの問題ではない。NDFBが大きな影響力を行使しているのは、イスラムやヒンドゥ、一般のボド族、そして多種少数派が、彼らの大量殺戮を恐れているためだ」と述べている。
 中央政府は00年「ボド地域協議会(BTC)」を組織して、住民とボド過激派との緩衝に立てた。03年、BTCは当時のボド過激集団「ボドの虎」を吸収し和平に導いた。しかし小規模な紛争は収まることなく、03年頃、民主化戦線NDFBが形成されてきた。彼らの主張は、ボド住民地域のインドからの独立である。
 NDFBは、カシミール分離派とほぼおなじ政治的スローガンを掲げている。しかし、カシミールと違うのはイスラム系組織ではないことだ。そして、今回のテロ実行犯が、イスラム学生組織SIMIや、その内部フラクション(分派)インディアン・ムジャヒディーン(インド聖戦士)だったのではないか。彼らによる反ボド・テロだったのではないかということだ。
 また、NDFBのメンバーの多くはクリスチャンで、リーダーのランジャン・ダイマリーも改宗したキリスト教徒でバングラの出身、といわれている。
 イギリス統治時代から紅茶園に職を求めていた人びとの多くが、クリスチャンに改宗した。この地域には、以来、キリスト教が根付いている。しかし、インドからの分離独立を主張するNDFBがクリスチャンであるという報道を、にわかに信じることはできない。
 NDFBは、はたしてほんとうに少数種族ボドを代表し、その意思を与しているのだろうか。
 「われわれはNDFBが紛争に関わっているのか、捜査報告を待っている。もし証明されたら、警備軍による停戦を指示する」と州政府首班タルン・ゴゴイは語っている。
 31日、マンモーハン・シン首相と与党会議派コングレス総裁ソニア・ガンディがテロ現地を慰問した。病院を訪れ、被災者を見舞った。おなじ日、野党人民党BJP総裁アドヴァニも現地に赴いている。政府、政界の首脳が相次いで訪問したことは、この事件が重大なものであることを語っている。
 インドは、1970年代以前の東西パキスタン時代の負の遺産を、インド内政の課題として、いまだに解決できないままかかえているといえるのだろう。
Posted by 森尻 純夫 at 14:39 | この記事のURL