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南インド、宗教紛争  インド最前線 The Actual India 第140回 [2008年09月20日(Sat)]


     《 ウィークリースポット Weekly Spot 34》

平和な町が一転、騒乱
 インド西南部、アラビア海に面した中都市マンガロールで宗教紛争が起こった。
 普段は、カソリック、プロテスタント、そしてイスラム、ヒンドゥ、それにジャイナ教も古くからの拠点地域で、それぞれの宗派が他との調和を保って、平和な町だ。
教育都市でもあり、学部大学が医歯学、法学、技術系など市内、郊外に8校を数え、中国、韓国、UAE、マレーシアなど、海外留学生を含めて全国から数千単位の学生が集まっている。
 小学校から大学予科までのミッション系英語学校は10校以上あって、英語の流通はデリーよりも高い。また、公立のカルナータカ語、カンナダ教育の学校とともに、課外学校であるイスラム教育のマドラサも大抵の寺院モスクに併設されている。
 イスラムは一般に教育には不熱心といわれているが、この地域にはイスラムの医学専門大学があり、病院も設置されている。黒いブルカ(イスラムの女性外出着)の上に白衣を着けたスカーフ姿の女学生が闊歩している。
 中世からの港町であり、商業都市であるこの町は、暮らしむきは豊かで、そのために経済成長するインドの都市としては好況に乗ろうという意欲が薄いともいわれている。郡都マンガロール市内人口は80万、南カルナータカ郡では200万を数えている。
実は、筆者が、まる12年、住んでいる町だ。
 この静かで平和な町が、12日金曜日の夕刻から、一転、きな臭くなってきた。そして土曜日から火曜日まで、町は機能停止の状態になった。

火の手は東部オリッサ州で上がった
 騒動は、ヒンドゥとクリスチャンの間で繰り広げられた。ヒンドゥがカソリック、プロテスタントなどの教会を攻め、破壊するという行動が相次いだのだ。各教会近くの路上では、警官隊とちいさな衝突が繰り返され、催涙弾と石礫が飛び交った。
 13日の土曜日だけで、13か所の教会、集会場が破壊された。負傷者は相当数にのぼったが、死者はでていない。
 今回の騒動のきっかけは、12日金曜日の午後、カソリック・クリスチャンの集団が市内をデモしたことにはじまる。彼らのデモは、8月の中旬から、数回、おこなわれている。警察に届け出た平穏な行進だった。
 デモの趣旨は、インド東部オリッサ州で続いているクリスチャンへの攻撃に抗議するというものだ。
 オリッサでは、7月頃から、農村地帯のクリスチャンが襲われ、家を焼かれ、少女が強殺され、一部のクリスチャンはテント暮らしを強いられ、難民化している。
 8月22日、ヒンドゥのブラーミン(祭祀者)が銃撃、殺された。これがヒンドゥの怒りを倍化させ、事態は泥沼化の様相を呈した。そして、各地に飛び火したのだ。
 ヒンドゥ側は、狙撃したのはクリスチャンだといっているが、マオイスト・テロ集団の幹部だとの説もあって特定されていない。
 8月26日のBBC電子版には、オリッサ州の現場集落を取材した記事が掲載されている。
このBBCの取材時点で、8名が殺されていた。18日現在では20名以上と伝えられている。
 インド人とおぼしき署名をしている取材記者は、末尾に不可解な3行を残している。昨夜、焼き殺された女性は、当初、修道女だったとレポートされていたが「わたしたちの調べではヒンドゥです」という趣旨の発言が現地のある人物によってもたらされた、というのだ。記事からは、クリスチャンによる犯行、というニュアンスは届いてこない。が、クリスチャンへの距離感を感じさせる。
 筆者は、当時、この意味不明のメッセージを気にはなったが黙殺せざるをえなかった。
 おそらく取材記者も詳らかでなかったこの発言の意味が、カルナータカ州に飛び火して、はじめてあきらかになった。オリッサ州の現地発言者も定かではなかったのだろう。
 13日土曜日の教会襲撃が、13か所と報じられて、数え上げてみたが、確認できない。そこで、カソリック、プロテスタント、そしてヒンドゥにもしつこいほどの取材をしてみた。最後に、大新聞の地方記者と議論して、ようやく真相をあきらかにする道筋が見えてきた。
 この日、襲われたカソリック、プロテスタントの教会は、どう数えても8か所、あとの5か所はクリスチャンの家、あるいはホール(集会場)と警察は表現している。信者の私宅を襲うというのは、おかしい。だとすると、まったく異質の宗教活動をおこなっている場所なのだ。

新宗教との三つ巴だった
 14日の日曜日、騒乱の首謀集団と目されている野党インド人民党(BJP)の地域支持組織で活発に活動するある人物を我が家に招いた。そして、わたしの取材結果をさらけだして質問を浴びせた。かねてからの友人である彼は、ようやく重い口を開いてくれた。
 ヒンドゥ主義である彼らがターゲットにしていたのは、実は「ニュー・ライフ」と呼ばれるキリスト教系新宗教だった。15年ほど前、アメリカから来たらしい、と彼はいった。わたしの取材によると、オリッサ州でもおなじだ。
 彼らは、日曜日ではなく土曜日に礼拝する。教会を持たず、個人宅や集会所に集まる。偶像は一切なく、教導者との面談と討議が主活動だ。生活者としてはまったく普通で、しかし、豚を食べない。
 なぜ、ヒンドゥ政党人民党BJPの地域組織が、敵対するのか。この質問には、彼は生き返ったように答えた。「彼らのバイブルには、クリシュナやラーマは神ではない、と書いてある。ヒンドゥに対する侮蔑だ」
 それは当たり前だ。それぞれの宗教は、それぞれの神しか信じない。どうして、プロテスタントやカソリックを襲うのだ?「・・・、いいにくいことだけど、混乱しているのだ。カソリックは、ニュー・ライフのためにデモをしたと、みんなおもった」
 即刻、やめるべきだ。「そうおもっている」
 この日曜日の朝、あるカソリック教会の前で、人民党の地域支持団体の指導者がバイクで乗りつけた4人組に刺されている。4人とも顔面をマスクで隠していたという。傷は軽症だった。
 翌14日月曜日、騒乱は続いたが、前日に比べると抑制されていた。しかし、市外や他州からの長距離バスは運行せず、機能は麻痺したままだった。
 15日火曜日、市内はストに入った。一切の交通は止まり、商店、市場も休業し、学校はすべて休校になった。街路は、もぬけの殻だった。
 この朝、カソリック教区主教(ビショップ)は会見を開き、はじめてニュー・ライフに言及し「われわれとは無関係の存在だ」と表明した。彼らの活動とわれわれを混同しないで欲しい、と明確に述べた。
 この表明を境に、新聞紙上にもニュー・ライフの文字が載るようになった。それでも、いくつかの騒乱が伝えられた。

背後には、ヒンドゥの政治力学
 ストのあけた16日朝、カルナータカ州政府首班B.S.イエデュラッパは、襲撃されたニュー・ライフの祈祷所は州政府が修復費用を出す、と会見で述べた。
 これは、われわれの常識では仰天ニュースだ。ヒンドゥ主義政党人民党の下部組織が動いているとはいえ、犯人も特定されていない状況で、補償が先走りするというのだ。
 州政府首班イエデュラッパは、インド人民党で去る5月の選挙で勝ち、内閣を組織している。中央政府はコングレス(会議派)が与党で、カルナータカ州は野党政権ということになった。
 補償弁済のニュースを地域の多くの人びとは、微苦笑をもって迎えた。語るに落ちたというわけだ。
 9月初頭に、人民党支持団体の集会で、「ニュー・ライフは、そのバイブル(テキスト)でヒンドゥ神を否定している」と団体のリーダーが演説した。あきらかにこれがアジテーションだった。
 インドには「改宗禁止法」という独特の法律がある。出自(ジャティ)である宗旨を変えてはいけない、というものだ。ジャティは、本来、産湯の意味で、産湯に浸かった川や井戸、その水の地、すなわち生地をいう。それが、父祖の職能、家業の継承、出身言語とその宗教共同体を規定している。これが実体のないカースト(制度)と混同、あるいは誤用されているのが現実だ。
 地域、州によって異なるこの法律は、州法として設置されたが、1940年代から2000年代の現在まで、反対と推進の激しいせめぎあいに曝されてきた。すでに多くの州では、この法の改変、廃止が決まっている。運動の担い手の中心は、イスラムやクリスチャン、それに新仏教徒たちだ。
 推進派であるヒンドゥ政党人民党は、ヒンドゥイズムである以上に近代ブラーミズム、すなわちヒンドゥ・ファンダメンタリズム(ヒンドゥ原理主義)の立場にある。ジャティの固定化は、喉元に詰まって、しかし発声できない本音なのである。
 彼らが、カルナータカ州選挙で勝利した勢いを、来年前半の総選挙に上昇させようとしているのはあきらかだ。04年以来失っている中央権力への奪還に向けたおもいは膨らむだけ膨らんでいる。

近代ヒンドゥイズムの危機
 オリッサで焼殺された女性が、クリスチャンともヒンドゥともいわれたのは、彼女が改宗者だったからだ。ニュー・ライフへの改宗だったのだ。いや、改宗者と誤認された可能性も捨てきれない。
 ヒンドゥたちが、いま、もっとも恐れ、警戒しているのはジャティを離れる改宗者の増大である。それは、彼らが保ってきた社会秩序の基盤が揺らぎ、立場を失わせることに繋がっているからだ。同時に、政治的なイデオロギーの喪失を意味している。
 マンガロールの都市部は、イスラムが35〜7%、クリスチャン、プロテスタントが15〜20%、それにジャイナ教が3〜5%、ヒンドゥは40〜45%程度である。軍部でも誤差5〜10%くらいで、ヒンドゥが圧倒的という地域は、ほとんどない。大学のある地域は、イスラムが65%以上を占めている。
 マンガロールの平和は、住民の誰もが自らをマイノリティ(少数派)と自覚し、相手への寛容を発揮する調和感覚によって保たれてきた。それが一転して崩れたのは、ヒンドゥ政権の膝元で、新宗教の浸潤に気づかされたときだった。
 貧しい農村地帯に布教されてきた新宗教が、実は豊かな都市生活にも忍び込んでいたことは、ヒンドゥ・ファンダメンタリストには脅威だった。
 9月18日のザ・インディアン・タイムスは、コングレス会議派総裁のソニア・ガンディが、緩やかに用心深く「改宗禁止法」の見直しを進めていくことをプランしている、と報じている。ラジヴ・ガンディ元首相の未亡人でイタリア生まれのソニアは、ジャティに嵌め込めばカソリックである。
 改宗法の議論がどのように展開していくか、そこにインドの未来と命運がかかっているといえる。
 18、19日は、郡都マンガロール市内からは遠のいたが、騒動は郡部で激しく展開された。
 20日朝、テレビは人民党支持者集会でニュー・ライフのテキストを槍玉に挙げたマヒンドラ・クマールが逮捕されたと速報している。
 その歴史と必然を詳らかにするいとまはここにはないが、いま、「近代ヒンドゥ国家インド」はゆっくりと、しかし、たしかに崩壊にむかっている。

Posted by 森尻 純夫 at 16:12 | この記事のURL