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ネパール、毛沢東主義派、政権奪取 インド最前線 The Actual India 135回 [2008年04月21日(月)]


    《 ウィークリースポット Weekly Spot 》その3 0         

ネパール、新体制への選挙
 4月10日、ネパール総選挙がおこなわれた。今回の選挙は、憲法制定を目的に実施された。王政を廃止し、新憲法を制定するネパールという国家の歴史的結節点になる。
 たびたび延期されたこの選挙が、ようやく無事に施行された。
 この選挙には、国連が組織した指導と監視の要員が各国から送りこまれていた。日本も自衛隊から数名が丸腰で参加している。元アメリカ大統領ジミー・カーター氏も一員として参加していた。
 投票終了後、ただちに開票がはじまり、意外な結果に世界の注目が集まった。
この選挙は、小選挙区と比例代表制の複線でおこなわれている。
 開票は、総定数601議席のうち小選挙区196議席からはじまった。事前の予想では、小選挙区投票では、首都カトマンドゥをはじめ人口密度の高い都市部に安定した支持を持つ現与党ネパール・コングレス(会議派)が優位だろうと見られていた。
 ところが、開票直後からネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)の票の伸びが著しかった。
 即日開票だからといって即日に結果判明とはいかない。比例案分まで終了するのは三週間近くかかるだろうと伝えられている。
その日の深夜から開票状況は逐一、伝わってきた。
 当初「マオイスト、健闘」と伝わり、12日には「マオイストがリード」、13日、遂に「マオイスト、第一党か」に刻々と変っていった。
 13日、ニュースはカトマンドゥの街路に飛びだした支持者たちが、聖なる赤い粉を振りまいて身体中を染めあげ、狂喜乱舞する姿が映しだされた。また、毛沢東派議長プラチャンダも顔をまっ赤にされて群集に囲まれていた。
 翌日から伝わってきた、卑近に隣接するチベット自治区の暗くやりきれない映像とは正反対で対照的だった。

武器を捨てたテロ集団が第一党
  4月15日夜の開票段階で、ネパール会議派32議席、統一共産党27議席、人権会議派18、民主党5、そして毛沢東主義派は110議席を獲得している。
 比例代表案分も進んでおり、会議派は22、統一共産党21、毛沢東主義派32パーセントとなっている。
 この勢いでいくと、マオイスト、単独過半数の可能性さえでてきたと伝えるメディアもあった。最終的には、250議席以上を確保する見通しで、単独過半数には届かない模様だ。
 よく知られているように、ネパールのマオイスト、毛沢東主義派は、テロリスト集団として非合法に活動を展開してきた。地方から都市へ、という戦略は毛沢東主義といえるが、山岳地帯を根城にゲリラ、テロリズムを展開する軍事戦術は中南米のキューバやボリビアの革命運動に学んだものだ。
 このようなテロリスト集団が、広範な国民の支持を受けるということは、一般的には、まったく信じられない。
 しかし、70年代に発する彼らの長い歴史と80年代の内戦を潜り抜けてきた政治への不屈の主張は、その奇跡的な支持を獲得したのだ。そこには、彼ら自身が、変ったという最大の事実があることも明記されなければならない。
 非合法のテロリスト集団が、武器を捨てて合法化したのである。しかも、党派を担う人物たちは変らずに合法政党になったのである。
 12日に早々と当選を決めたある候補は、国軍警備当局が重要手配の一番に挙げていた。最大のお尋ね者が国会議員になってしまったのだ。
 当初は、おそらく隣国中国の革命に触発され、当時のインド非合法ゲリラの影響を受けながら、ヒマラヤの麓、厳しい環境にあえぐ貧農層のか細い支持を頼りに活動を開始した。
 90年代半ば、中国、インドの経済発展にさらされ、戦術と政治スローガンを内政へむけた。王政の矛盾と既成政党、そして地方行政の堕落と腐敗を攻撃対象にしたのだ。
 それが都市部の若年世代の支持も得ることになり、02年の王宮クーデターともいえるスキャンダラスな王位継承事件も彼らを後押しした。
 既成政党も彼らを無視できなくなり、ついに06年、武器を捨てることによって中央政界に登場にすることになった。といっても議席を取るための選挙はおこなわれず、長い院外活動の後に新憲法制定選挙を迎えたのである。
 院外で彼らが主張してきた新憲法制定の最大の要点は、王政を廃止し民主的な選挙による共和制への移行という主張の実現が、目の前にやってきたのである。

周辺国と支援国、日本 
 人口2650万、ヒマラヤの山並みが北部に壁のように立ちあがった小国は、ヒンドゥ最後の王国といわれてきた。
 80パーセント以上が農民といわれ、一日1ドルの貧困層が30パーセント以上ともいわれている。
 人びとは、多くが仏教とヒンドゥ教の習合信仰で、山と水、太陽と母神に敬虔な祈りを欠かさない。朝、雪嶺の山に手を合わせ、それから野良仕事にでかける農民の姿は、筆者の脳裏から離れないネパールの光景だ。
選挙の趨勢を展望しながら、インドにはさまざまな反応がでている。
 与党ネパール会議派は、インド与党会議派とは長い信頼関係があって、現首相コイララ氏の政治履歴はインドとの緊密な関係によってなりたってきた。
インドの政治家の多くは、マオイストの第一党化に驚きと戸惑いを隠さなかった。
 しかし、ネパール共産党毛沢東主義派議長プラチャンダは、メディアの取材に答えて「インドは最も重要な隣国であり、協調体制以外の選択肢はない」という趣旨の発言を、選挙後の数日、たびたびしている。
 こうした発言を受けて、インドはプラチャンダと毛派に対して理解を示すようになってきている。なによりも圧倒的な強さで選挙を勝った事実を評価せざるをえないのだ。
 18日、インド外相プラナブ・ムケルジーは「インドはネパール情勢について読み違いはしていない。マオイストには他政党と民主的な(連立)協調体制をつくることを望んでいる。彼らが武力を放棄して協調すること、それはすでにやっている」と好意的な発言をしている。
 19日、プラチャンダはメディアに「王は自ら王政の廃絶を実施すべきだ。近いうちに面談する」と表明した。プラチャンダは、王がいまだに王を支持する勢力が残存しており、軍の一部がその近くにいることを充分、承知している。
 20日、在ネパール・インド大使に面談したプラチャンダは、毛派政権の政策と未来展望を語り、インドの理解を求めた。その後、事実上の勝利集会に登場して、ギャネンドラ王に、自ら退位せよ、演説した。
 隣国ブータンがはじめての選挙を終えて、民主体制を平和裏に推進しつつあるとき、ネパールもまた、新体制への道を発進したのだ。
 とはいいながら、世界最貧国のひとつに数えられるこの国に、課題は山積している。そして、大国中国がチベットやウィグルなど、少数民族問題を抱えているのとおなじように、ネパールもまた、小国ながらそれが底流にある。インド系の少数派が、あらたな非合法活動集団として浮上してきているのである。
 いずれにしても、今回の制憲選挙の後には、憲法制定後の総選挙の試練が待っている。2010年といわれているその選挙でためされて、はじめて真の政権与党になるのだ。
 日本は、過去も現在も、最大の援助国だ。新体制のネパールに今後どのような建設的なプログラムを提案していくか、それがわれわれの課題だろう。
日本自体の経済環境が厳しさを増すなかで、未来を開く共同参画の道を求めていかなければならない。
Posted by 森尻 純夫 at 12:04 | この記事のURL