インド最前線 The Actual India 111回 [2007年07月17日(Tue)]
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《 ウィークリースポット Weekly Spot 》その8 2 0 0 7年7月 16日
モスク(イスラム寺院)を武力攻撃した政府軍 7月1 0日、パキスタンの首都イスラマバードのイスラム寺院(モスク)で、篭城していた学生と活動家たちの掃討作戦が実施された。 首都であり政府機能の中心地であるイスラマバードは、あらたに開発された都市で、古層の文化は限られた地域にあるのみである。この寺院はラル・マスジット、赤いモスクと呼ばれて、観光スポットにもなっている。イスラマバードの限られた文化建築のひとつである。ラル・マスジットにはイスラムの教育施設マドラッサ、ジャミア・ハスファが併設されていて、これもよく知られた有名学校である。 突入作戦のときには、約千人が篭城していると伝えられていた。作戦では、篭城を指揮していたといわれるアブドル・ラシッド・ガジ教導師が殺害され、死者は7 0人とも8 0人とも報道されていて、正確な実数は発表されていない。篭城側では、1 0日の突入以前、すでに数百人が、散発的な攻撃で殺害されモスク内に葬られていると表明していた。 1 2日、報道陣に公開されたモスク内部は戦闘の激しさをうかがわせるのに充分なものだった。壁には無数の弾痕が穴を開け、室内は破壊しつくされていた。モスクは、迷路のように改装されていて要塞化していたという。また、篭城者たちが応戦した武器が押収され、公開された。 7月はじめから警備軍はこのモスク、ラル・マスジットを包囲していた。突入のXデーは何時かと注目されていた。 ムシャラフ大統領府は、一週間、突入の時期を計っていたのである。 底流にある教育制度改革 イスラム宗主国であるパキスタンでモスクを警備軍が攻撃するという素直には理解できない事態はなぜ起きたのか。 6月下旬から、マドラッサの学生を中心にした集会やデモが繰り返されていた。その主張は、反ムシャラフ体制とイスラム原理の守護だった。 大統領再選を控えたムシャラフ大統領は、この欄でも既報した5月の最高裁判事問題を強硬策で突破したのだが、左右両勢力に抜きがたい不信感を植え付けている。 民主派からは参謀総長として軍服を脱がない大統領への危惧、右派には親米路線を突き進むことによるイスラム諸国からの孤立への危機感がある。 A . ラシッド・ガジ師と学生たちのキャンペーンは、これらの左右両勢力の不信感と重なりながら、少し違っている。 イスラム学校マドラッサは、経典コーランを読み込むことがすべての教科になっている。国語、社会、数学、経済、政治、すべての学科はコーランの理解と解釈を施すことに依拠している。 たとえばインドでは、マドラッサは課外学校として放課後に開校されている。公的支援も受けている。 イスラム宗主国パキスタンではマドラッサが公教育のはずである。 しかし、昨年来、アフガン国境地域のマドラッサがタリバン養成の温床になっているとアメリカとその同盟国から批判を浴びてきた。ムシャラフ政権は、国境地帯のマドラッサをたびたび攻撃し、ときには児童生徒まで犠牲になった。国境地帯は、少数民族居住地域で彼らの不満は増殖されてきていた。彼らが、アフガンを追われた過激派と結びつくのは容易だった。 ムシャラフには、教導師や地域聖職者が力を発揮するマドラッサ、いうなれば寺子屋は、彼の体制にとって危険な存在だった。教育制度の二重基準を排除して、公教育の国家的統合、一本化を推進しなければならなかった。それが、ラル・マスジット篭城の最大争点だったのである。 大統領府は、警備軍包囲の一週間、アメリカの賛同、民意の騒乱への忌避感の高まりを待っていた。そして、総攻撃になったのである。 |



