◆続・クローン病中ひざくりげ(108)
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父から手紙が届いた。
「えっ? まさか……」
開封する指があわてた。
さかのぼること2週間前。私のほうから、父にこんな手紙を送っていたのだ。
「まえから、ひとつききたいことがあったんですが、いいですか? ぼくはこんなできそこないの子になっちゃったけれど、それでも、生んでよかったと思うかい? クローン病は必ず治すけど、もし仮に一生このままだったとしても、ただ生きてさえいれば、それでいいかなあ? どうか教えてください。」
カウンセリングをして以来、いつかきかなければいけないと思っていたことである。ずっと決心がつかずにいた。まだ、きく関係ができていない。そう考えたのだ。
それが最近は、父との関係もずいぶんよくなってきているような気がしているし、『自分を愛して!』の本にも、父親とのわだかまりを解決しておかねばならないと指摘され、もういい加減クローン病を治したいし、それに父ももう七十、いつまでも生きていてくれるなんて思っていたら、こんな大事なことをききそびれたまま永遠にきけなくなってしまうことだってありうる。とうとうきくことにしたのである。
そして、この手紙が到着するであろう日の、朝。ケータイの電源をいれると留守電のアイコンがでていた。「実家」と表示されている。緊張しつつ再生した。
「ああ、お父さんだ。いつもの薬代、送っておいたから、確認してくれ。それだけ。ブツッ」
へなへなした。全身の力が抜けた。まだ手紙が着いていないのか、それとも、読んだけれども何をたずねているのか意味がわからなかったのか。いずれにせよ、着金のむねは電話しておかないといけない。尋常でなく緊張しつつ実家にかけた。なかなか出ない。
出た。
……留守番電話が。
私も用件だけ入れて切った。
たったこれだけのことだが、しばらく横にならなければ回復しないくらい、疲れた。
それから1週間後のことだった。父から手紙が届いたのだ。「えっ? まさか……」めったに手紙をよこさない父である。あの回答にちがいない。開封する指があわてた。
果たして、いつになく長い文面がしたためられていた。
読んだ。――望んでいた答えが、たどたどしい文章でつづってあった。
その手紙を私は枕元においた。寝る前に読んだ。起床してすぐに読んだ。毎日、読んだ。
文面は、父のプライバシーにかかわるところだけカットすれば、公開してまずいものではない。
これが父からもらった手紙である。
◇
拝啓
大寒を迎え冷え込みがますます厳しくなりましたがその後いかがお過ごしでしょうか。(中略)
さて、二郎の質問ですが、お父さんもお母さんも子供から子育てという夢と希望をもらいました。そして何もやることもなかったおばあちゃんも保育所の送り迎えという張り合いができ生きがいをもらいました。お父さんも前の古い家は道路沿いで危険なので子育てにはよくないと思い今の家を建てる決心をしました。それから我が家には財産がないので子供には教育が財産だと思い働いたお金は進学後の送金にあてました。そのぶん預金はありませんでした。親は子供から生きがいという力をもらっているのです。
お父さんが一つ反省していることがあります。それは二郎が中学生の時いじめにあっている時助けてやれなかったことです。あのころは仕事のことばかり考えていていじめについてあまり深く考えが至らなかったのです。今思えばあの時会社を休んででも学校に行って先生方と話し合うべきだったと思いました。申し訳ありませんでした。
第二に、親は子供の顔を見るのが何よりの楽しみなのです。今は二郎も病気で苦しんでいるけれど医学も日進月歩でクローン病も完治するときが必ず来るものと信じています。信念を強く持って前向きに生きて下さい。父母は常に二郎の早い快復を心から願っています。(中略)二郎がつらくとも生き続けることが親孝行をしているのだと思って下さいね。(中略)
お父さんは中卒のため自分の思い通りに文章がうまく書けませんが私の気持ちが伝わればうれしいです。簡単ではありますがこのへんで失礼致します。父より
二郎へ
◇
私も1週間くらいして返事を出した。
こう書いた。
◇
前略
先日は心のこもった温かい言葉をたくさん書いて送ってくれて本当にありがとうございました。子供のころからの胸のつかえがスッとおりた気持ちです。私はてっきりお父さんに嫌われていると思い込んでいたのです。
子供のころの私の目からは、お父さんはとてもこわい人にうつっていました。なんだかいつもプンプン怒っているように見えました。それが、私がだめな子だからじゃないかと思って、お父さんの機嫌が良くなるように、言いたいことも言わずにいい子にしていました。でも、お父さんの機嫌は良くなりませんでした。
今にして分かることですが、大人であるお父さんに苦しいことやつらいことの一つや二つあるのは当たり前で、それは子供の私のふるまいなど問題でなかったのにちがいありません。しかし子供というのは馬鹿なもので、子供なりに家のことを考え、みんなニコニコするように、一家仲良くなるように、お父さんとお母さんがケンカをしなくなるように、必死に努めたのです。
小さいころの私は、いい子だったでしょう? 本当は、性根はいい子なんかじゃないのですが、私がいい子にさえしていればいつか松井家はみんな仲良くなると思って、そうならないのは私のせいだと思って、もっといい子にならなければと思いました。
だから、いじめられても黙って学校に行きました。学校がいやでいやでたまりませんでした。毎日が地獄でした。集団になって私は殴られたり蹴られたり、クツを隠されたり、授業中にうしろから叩かれたり、100円ライターの発火装置で電流を流されたりしました。それでも、私はお父さんに好かれたい一心でいい子にしていました。
中学校で勉強をがんばったのもいい子になりたかったからです。成績が良くなるといじめられなくなったのでホッとひと安心したのですが、中学3年の12月から、思い出すのもつらい地獄のいじめにあいました。そのころはいっちょまえにプライドもあったので、よけい言い出せませんでした。学校へ行くと誰も口をきいてくれず、毎日学校へ行ってはぽつんと一人で過ごし、長い長い一日を耐えて、黙って家へ帰りました。
そのいじめをやった連中の一部が高校も一緒だったので、高校3年間も地獄でした。ファミコンばかりやっていたのはそのせいなんです。もう勉強したって何をしたってムダだと思いました。もう自分には生きる価値がないと思っていました。私はゴミクズだと思っていました。でも、ゴミクズを育てるのではお父さんに申し訳ないと思い、それでも勉強はしました。本当はもう何もかもいやでした。でもいい子を演じ続けようとしました。お父さんに認めてもらえないことは私にとって恐ろしいことでした。
私はお父さんに愛されていることが分からなかったのです。だからお父さんに助けを求めればいいのにそれをしませんでした。ゆるしてください。
これはお父さんを責めているのではありません。そのとき私が言うべきだったのに、愛されていることを感じる能力が足りなかったばかりに、嫌われていると思い込んで、好かれようとして勝手に間違った努力をしてしまいました。反省しています。これは私からのお詫びの手紙です。
先日のお父さんからの手紙で、私はおのれの間違いを知りました。お父さんに好かれていたことがようやく分かりました。いじめを止めてくれることを考えていてくれたのを知ってとても嬉しく思い、救われた気持ちになりました。
お父さん、ぼくのお父さんでいてくれて本当にありがとう。くれぐれも長生きしてください。クローン病を治して遊びに行くんですからね。それではまた。不尽
二郎より
(つづく)
- PR - ◆ 編集後記
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この記事は、別のメルマガで先に公開しましたが、こんなメールをいただきました。
◇
> お手紙よかったですね〜
> メルマガ読みながら泣いてしまいました。
> やっぱり言葉にしないと伝わらないことっていっぱいありますね。
> 一言お祝いを言いたくて、メールしました。
> これからのメルマガも楽しみにしてます。
> ではでは
>
> こまめ
◇
どうもありがとうございます。まさか父が、私の質問にすんなりと、真っ向から答えてくれるとは思っていませんでした。
いや、すんなりではなかったでしょうね。ウンウンうなって書いてくれた姿が目に浮かびます……。
ううう、泣かせるじゃねえかあ、おやじ。
父とこんな話をしたことは生まれてこのかたありませんでした。よもやあの父がこんなことを書いてくれるなんて。こんなふうに思っていてくれたなんて。
ああ、もうよけいなコメントをしないで、ここで締めるとしよう。私がぐだぐだ何か付け加えるよりも、「思い通りに文章がうまく書けませんが」とあるけれどこの世界最高の文章を、よく味わってもらえたらありがたいです。
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