心的外傷後ストレス障害(PTSD)は筋肉が起こす [2015年02月02日(Mon)]
◆続・クローン病中ひざくりげ(104)  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 父のゲンコツを待つあいだ、私の体は固まった。クラスメイトの手やら足やらが飛んでくるときも固まった。 「固まる」ことで、トラウマは筋肉に刻みこまれた。いま、そこから問題が起きているのだ。 弱いなら弱いなりに、弱くなることに徹し、震えていればよかった。 しかし、強くあらねばと私は思った。反撃できないのなら、せめて、この痛みと恐怖に耐えたいと望んだ。 これがまちがいだった! 無知な、子供の私は、まちがった選択をしてしまった。固まって耐える、という選択を。 とはいえ、耐えるほかにどうすることもできなかった。ほかに、生き抜く方法はなかったのだ、が、これが私にやっかいな変化をもたらした。――(以下は引用) ◇ どうすることもできないと感じる状況に直面すると、私たちは硬直してしまうことがあります。このような状態では、私たちは直面している危険を切り抜けるための力を引き出すことができません。まったく動けなくなるのです。 カエルのお腹をこすると、カエルは動かなくなるという実験があります。カエルは本当に凍りついて硬直しているのです。これはカエルにはまったく安全な状態です。カエルは心拍数を1分間に2、3回に落とすことによって、泥の中で冬の間ずっと、冬眠することができるからです。 しかし、哺乳類にとっては、硬直は長引くと危険です。哺乳類が硬直する時、脳はエンドルフィンを放出します。このような状態では副交感神経が支配的になり、植物状態になります。 硬直を解くプロセスを行うことは、とても大切です。安全にトラウマを再体験する方法として役に立つからです。すると、トラウマは私たちの記憶に残らずにすみます。記憶に残ってしまうと、何年にもわたって、何かのきっかけで何回でも思い出すようになります。 だから、このエネルギーをため込まずに放出することが必要なのです。 ヘリコプターに追われていることに気づいた北極グマを想像してください。ヘリコプターを天敵だと思った北極グマの最初の反応は、逃げることです。ヘリコプターと闘うことはできないからです。しかし、ヘリコプターは追跡を続け、クマは疲れてだんだん速度を落とし、ついに地面に倒れます。そして硬直状態になります。硬直状態から抜け出すと、クマは激しく震え始めます。それと同時に、仰向けか横向きに横たわったまま、手足を空中で動かして「走る」動作をします。つまり、クマは硬直状態になる直前に行っていたことをしているのです。ただ、今度は、本当に逃げるのではなくその動作をしているだけです。逃げる間にしていた動作をうまく再現することによって、クマはトラウマによって生じたエネルギーを放出しているのです。 北極グマと違って、硬直をうまく終わらせることができない動物もいます。すると問題が生じます。硬直反応をうまく解放できない時、動物は弾力性を失って脅威に対処する能力が低くなります。このような動物には、動物園の動物、研究施設にいる動物、家畜やペット、そして人間などが含まれます。みんな、社会的に北極グマのような行動はすべきではないと教え込まれています。こうした動物はどれも物理的、または文化的な檻の中で生きていて、その中では規律や社会の規則が硬直の解放を禁じているのです。その結果、こうした動物はさまざまな身体的、心理的な問題に苦しみます。 私たちが硬直すると、非現実的な感覚、体外離脱状態、記憶喪失、自分が誰か分からなくなる、多重人格などが起こります。また、時間が止まってしまう、人生全体が一瞬のうちに目の前で通り過ぎるなど、時間の観念が歪むこともあります。(中略) 心的外傷後ストレス障害(PTSD)は、トラウマになる出来事が起こった時に発生した興奮がそのまま残ることによって生じます。トラウマの間に収縮した筋肉が、その後すぐに過剰なエネルギーを発散しないままでいると、体を休息の状態にする方法として、筋肉を収縮させ続けようとします。この高いエネルギー状態が発散されずにいると、それは神経回路にため込まれて、繰り返し強迫的な行動の原因となります。筋肉の緊張を体の震えによって発散するまで、自分を守ろうとするこの慢性的なプロセスは繰り返し続けられます。 (デイヴィッド・バーセリ『人生を変えるトラウマ解放エクササイズ』) ◇ 「非現実的な感覚」「体外離脱状態」「自分が誰か分からなくなる」……そう聞いて思い出すのは、父のゲンコツでもない、小学校でいじめられたことでもない、中学で集団無視にあっていたときの感覚だ。 小学校での、殴る、蹴るといったいじめもつらかったが、いじめっ子たちは私にふつうに話しかけてきた。いまにして思うに、彼らにはいじめているという意識はなかったのだろう。話しかけてもうまく返事ができない私とコミュニケーションをとる手段でさえあったのかもしれない。 しかし中学校でおこなわれた「集団無視」は、それとはまったく性質が異なっていた。私に対して、だれもコミュニケーションをとらなくなった。 教室では、休み時間も給食の時間も、私が存在していないものとして時間が流れた。私は空気になっていた。いつでも、ひとりポツンと、クラスのゴミのようにしている惨(みじ)めさといったらなかった。 学校という、一種のムラ社会において、だれも口をきいてくれないことほどつらいものはない。実際の「村八分」というものがいかに人を社会から抹殺してしまう方法であったか、私はこのとき体験してわかった。 人を殺すに、刃物はいらない。口をきいてやらなければいいのである。 さらにこれが、まもなく「集団いじめ」にエスカレートした。コミュニケーションがない状態で、攻撃だけはおこなわれるのである。 それも、殴る、蹴るという安直な方法をもはや彼らはとらなかった。クラスじゅうに聞こえるように悪口を叫びまくり、私が教室にいないあいだに机の中の教科書を床にぶちまけ、ニセのラブレターをつかって体育館の裏に呼び出し、「また仲良くしてほしい」といじめの首謀者にあてた手紙を回し読みしたあとで「これ、いらないから」と丸めて私に投げつけた。 私は、小学生のとき体得した「いじめの対処法」を、つかった。抵抗せず、されるがままにして、固まった。 しかしそれでもまだ、惨めさに耐え切れなかった。そこで、もうひと工夫を加えた。 「これは現実に起こっていることではない。現実と思わなければいい。いや、現実だとしても、何も感じなければいいではないか」 心と体を、切り離すことにしたのである。 「もうすぐ卒業だ。ふん。あと3ヵ月だけ、感情をなくしていればいいだけのことだ」 3ヵ月は、長かった。3年くらいには感じた。 ようやく高校生になり、あの陰惨な教室から逃げ出すことができた。 よし。切り離した心と体を、もとどおりつなげよう。 私はそれを試みた。 だが、だめなのだ。心と体が、いつも分離しているように感じる。 たとえば学校の帰り道、歩道橋のうえを歩いている。さらにその上空から、自分を見下ろしている自分がいる。で、歩道橋のほうの自分はというと、歩いている実感がない。足がフワフワと地面から浮いているようだ。それどころか、自分の体がいまここにあるのを感じることができない。 この体と心をつなげるには、社会人になってからカウンセリングを始めるのを待たねばならなかった。だいぶ回復したと思う。それでも、完全には治っていないのを感じる。 ここまで読んできた理論からすれば、中学生のときも、私は固まらずに震えていればよかったのだろう。しかしそうしなかった。そのため「収縮した筋肉が、その後すぐに過剰なエネルギーを発散しないままでいると、体を休息の状態にする方法として、筋肉を収縮させ続けようとし」、「高いエネルギー状態が」「神経回路にため込まれ」た。それからずっと「筋肉の緊張を体の震えによって発散するまで、自分を守ろうとするこの慢性的なプロセスは繰り返し続けられ」、今なお続いているのだ。 だから、いくらストレスを除いても、モグラ叩きのように、あとからあとからストレスがわいて出て、叩いても叩いても追いつかない。 ◇ ……と、ずいぶん長いこと引用してきたが、以上が、脳よりもむしろ体にトラウマが刻まれてしまう理論である。 なぜ、いくら免疫力を上げる努力をしてもクローン病が治らないのか? これでナゾが解けた。 そして、この体に残っているトラウマを解放する方法が、TRE(トラウマ・リリース・エクササイズ)なのである! (つづく) ◆ 編集後記  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ このころ、久しぶりに会った兄、「二郎、『人間失格』見てるか?」 KinKi Kids主演の、いじめがテーマのドラマだが、 「見てない……」 「なんで見ねえんだ! あんないいドラマ」 って、見れるかぁーい。 ◆このブログはメールマガジンの記事をアップしたものです。 最新の記事は、メールでお送りしています。 無料購読するには今すぐここをクリック |