ああカンちがい男 [2013年02月09日(Sat)]
◆続・クローン病中ひざくりげ(34)  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 「ぼくはどうして、こんなにダメなんだろう」 6年間、小学校でいじめ抜かれた私は、まったく自信喪失していた。 たとえば、次男の私が着る服はすべて兄のおさがりであったが、それにたいして私はいっさい親に文句をいわなかった。むしろ心地よかった。ぼくみたいな、だめ、なヤツは、服なんてボロでいいのだ。ボロければボロいほどよい。ボロいぼくには、ボロい服がよく似合う。 「新しい服を、買いにいくぞ」 めったにないことだが、親がそんなことを言いだすと、私はほとんど恐怖した。"しまむら" で新品の服を試着させられながら、ああ、こんなキレイな服は、もったいない、服がかわいそうだ、こんなボロいぼくに着られてしまうなんて、と思った。 そんな私も、中学生になった。みんなピカピカの学ランに身をつつんで入学式をむかえるなか、あいかわらず私は兄のおさがりで、慣れない学ランながら、ボロいという点ではしっくりきた。 田舎、の言葉のまえにドがつくほどの田舎町である。またしても、小学校のメンバーがそのまま中学のクラスメートとなった。どうせこの先もいじめられるんだろうなあ、とさえ考えないほど、いじめられる自分を私は当たりまえのものとして肯定していた。 ◇ ド田舎の中学校でも、定期テストくらいはある。 父親は、兄に受講させて良い結果がでていた "進研ゼミ" を、私にもとらせた。テスト対策としてである。れいによって私は「もったいない」と感じながらも、月に2回届くブ厚い封筒をあけて教材をとりだし、そして、「もったいないから」、すべてを完璧にやり遂げた。まちがえた問題はチェックしておき、あとでもう1回やる。またまちがえたら、またあとでやるのだ。どの問題にも答えられるようになった。 すると1年生の最初の中間テストで、私は学年147人中1位をとってしまった。 ド田舎の学校である。この時期、こんなアホみたいに勉強している子は、まだいなかったのだ。それなりに広い町だったのに、町に中学校は、一校しかなかった。競争もへたくれもなかった。 だが、私はカンちがいをした。 ボロいぼくが、学年トップ? そんなばかな。ほんとうに? ほんとにほんと? もらった成績表には、1位、と記されている。うそじゃないらしい。 朝の全校朝礼のとき、私は学年の端から端まで、ぐるっと見回した。このなかで、ぼくが、1位! 「ぼくは、ダメなやつなんかじゃ、なかったんじゃないか? ダメなやつらが、ダメじゃないぼくを、いじめてたんじゃないのか?」 そして予期しないことが起きた。 いじめが、おさまったのだ。 ◇ たんに勉強バカだったにすぎないのだが、成績が良いという理由だけで学級委員長にもさせられた。 いじめられなくなって、少しずつ友達もできるようになった。 性格が明るくなりはじめた。教室で騒ぐ、という思いもよらなかった行動もとるようになった。ぼくが、こんなことができるようになるなんて。 ああ、ぼくは、地獄を、抜けたんだ。 もう、いじめられることはないんだ。 「自信。」が、つきはじめていた。いよいよ私は "進研ゼミ" をしゃぶり尽くすようにやりまくり、定期テストがくるたび1という数字を成績表に刻んだ。 まずいことに、私はこれを鼻にかけはじめた。いま振り返れば、そうだった。言動のはしばしに、ひとを見下す態度があらわれていた。学級委員長も中学3年まで任されて、馬子にも衣装、カンちがい男はクラスをビシッと仕切るようにさえなった。 友達とのつきあいかたも、正しくなかった。 おとなしい子には、徹底的に冷たくあたった。 「田村ぁ! ○○ちゃんが見てるぞぉ〜っ!」 田村くん(仮名)は、いい男で、その○○ちゃんから好かれていることがうわさになっていた。 「やめろよ……」 微笑する田村くんに、私は○○ちゃん、○○ちゃんと連呼した。 性格が変わった私に、クラスの雰囲気が冷たくなりだした。 子供社会は残虐である。忘れていた。 ある日、 「おはよー!」 いつもどおりに教室に入ると、クラスメートたちが、ちら、とこちらを向いて、なにも言わずにそのまま顔を戻した。 あれ? なになに? これ。みんな、おっかしーの。 まだ何が起こったか気づかない私は、ふつうに席に着いた。 休み時間。 「よぉ! 田村ぁ!」 田村くんはこちらを向かなかった。 いつも声をかけてくる山岡くん(仮名)も、きょうは私に近づいてこない。なにもしらず、私はみんなの輪に入っていった。しかし、だれも私に話しかけてこないし、私が話すと、しんとした。 なんだかおかしい。 こうなると、だれともしゃべらず、おとなしくしているしかない。小学校のときのように、また私は無言の男になった。 季節は冬、受験期になっていた。のんきな学校も、さすがにみんな勉強をしだしている。休み時間には友達同士で勉強を教えあうなか、私は自分の机にぽつんと座っていた。 集団無視。 それは、いじめよりもはるかにつらい、子供社会での制裁であった。あとでわかったことであるが、無視を決定したのは田村くんだった。 私が没落したのをみて、制裁はだんだんエスカレートした。 ひとりの女子が、「これ、たのまれた」と言って紙切れを手渡してきた。2ツ折りされた紙をひらくと、こう書いてある。 "ずっとあなたが好きでした。きょうの放課後、体育館の裏にきてください。あだ名 アリス" 生まれて初めてのことである。ああ。よりにもよって、こんなときに。いま、ぼくがこんなにみじめであることを、この子はしらないのだ。アリス? だれだ。ぜんぜん心あたりがない。 知らんふりするわけにもいかない。まったく気が進まないなか、いつもどおり一日無言で過ごしたあと、放課後、体育館にむかった。 すると、なんだか様子がヘンなのだ。クラスの男子全員がうろついている。 やられた! 山岡くんがニタつきながら近づいてきた。 「どーしたのォ?」 男子全員、大爆笑である。 私は逃げるようにその場を立ち去った。背中にいつまでも笑い声が浴びせられた。 集団無視は集団いじめに切りかえられた。 ものを隠された。机の中の教科書とノートを上履きの跡だらけにされた。授業中、うしろから丸めた紙が飛んできて頭に当てられ、クスクス笑いがおきた。休み時間、 「田村ぁ、なんか臭くない?」と山岡、 「ああ、くせぇな」 「何くせぇ?」 「松井くせぇ」 「あ、あそこにいた。おい、松井、なんでいんだよ。くせぇよ! バぁカ。バぁ! バぁ! ブアぁぁぁぁ」 以下、省略。 田村くんと、山岡くんを、それまで私は親友だと思っていた。しかしそれは私の勝手な思い込みで、友達との正しいつきあいかたを知らない私は、いま振り返ってようやく思いあたるのだけれど、ずいぶんひどいことをした。小学校でのいじめとはちがい、こんどは完全に私が悪い。当然の報いだと思っている。とはいえ彼らも少々やりすぎた感はある。 「しばらくカンちがいしてしまったけれど、やっぱりぼくは、だめ、なヤツだった」 ◇ 卒業まで、残り3ヵ月ほどである。カレンダーの日付が1日また1日と消えて、学校から脱出できる日が近付いてくることだけが、毎日の幽(かす)かな楽しみとなった。 学校には毎日登校した。行けばどんなひどいことが待っているか知れないのだが、休むのは連中に屈したことになると思っていた。崩れつつある自信の、最後の砦(とりで)を守りたかった。とにかく黙って教室に入り、席に着き、その日1日を機械のように過ごせばよいことである。なにも感じまい。思うまい。そうだ、ぼくは生きていないのだ。そう考えればいい。このクラスも存在していないことにしよう。田村も山岡も存在しない。 私は黙りこくった人形と化した。男子から何をされても、それを女子から見られても、無表情で耐える、心を殺した、もぬけのカラになった。 卒業するまでだ。この防衛策は、卒業したら、もとに戻そう。 もとには戻らなかった。 (つづく) ◆お知らせ [PR]  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ いまクローン病ですが、このころが人生でいちばん苦しかった時期ですね。 当時のじぶんに読ませてやりたいのが、「生きる意味のメルマガ」。 前回もすこし書きましたが、東大卒の友人が仏教をつたえる道にすすみまして(どーゆー経歴だ)、いま彼のメルマガを読んでます。 苦しくてもなぜ自殺してはいけないのか。 その答えが、現在の実存哲学よりも2600年前にハッキリと解説されているとは。 メルマガの内容も宗教宗教してないところがいい。 「生きる意味のメルマガ」無料 ご本人からの説明があるので、ご興味があれば登録してみては。 ↓ ↓ ↓ https://true-buddhism.com/mail/j.html ◆ 編集後記  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 集団いじめを率いた2人は、仮名としました。前回もそうでしたが、これも、彼らを糾弾することが目的ではないからです。このようなストレスの蓄積が、免疫力を下げ、ひいては難病にまで発展することを書いておきたいのです。 また、書くことで、自身の心の整理をし、いまなお尾を引くストレスから脱却しなければならない。そうでなければ免疫力が回復しないと考えられるのです。 ◆このブログはメールマガジンの記事をアップしたものです。 最新の記事は、メールでお送りしています。 無料購読するには今すぐここをクリック |