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松井 二郎
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自分を愛して! [2014年08月09日(Sat)]

  ◆続・クローン病中ひざくりげ(88)
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 2冊の秘密兵器、まずはこっちから読むことにした。


 『自分を愛して!』(リズ・ブルボー著、浅岡夢二 訳)


 印象に残ったところを、冒頭の「はじめに」から引用しよう。――

          ◇

 ある時、若いお母さんが私のところに相談に来ました。右腕の腱が痛くてたまらない、というのです。そこで、私は、その結果として何ができなくなったのかを尋ねました。すると、彼女は、テニスができなくなった、と答えました。
 彼女の立場であれば、他のことができなくなった、と答えることも可能です。たとえば、子ともを抱くことができなくなったとか、家事を行なうことができなくなった、と答えることもできたはずなのです。
 ある痛みや不調が原因で、何ができなくなったかを尋ねると、その痛みや不調の原因が簡単に分かることがあります。私はこのお母さんの答えを聞いていて、この人は本当はテニスをしたくないと思っている、ということがすぐに分かりました。

 そこで、私は彼女に、どうしてテニスクラブに登録したのかと尋ねてみました。すると、彼女は、ただ単純に楽しみたかったから、と答えました。実業家の夫と二人の子どもがいて、人生が少しばかり退屈に感じられるようになっていた、と言うのです。さらに質問を続けるうちに、彼女が他の三人の女性に誘われて二組のチームを作り、毎週、かなり激しい試合をするようになっていた、ということが分かりました。
 ほんの気晴らしのつもりで入ったのに、猛烈な試合をするはめになってしまったのです。そして、彼女がちょっとでも失敗すると、パートナーからさんざん文句を言われるようになっていたのです。
 ところが腱鞘炎になったために、彼女は、必然的にテニスをやめざるを得なくなりました。そのことを指摘すると、彼女は、相手に嫌われるのが怖くて、自分からテニスの試合をしたくないとは言えなかった、ということに気づきました。
 彼女のエゴは、どんなことでもまじめにやらなければならない、単なる娯楽のため、遊びのためにテニスをやってはならない、と信じ込んでいたのです。(中略)

 私たちは何か苦しいことが起こると、「これは、何かをしなさい、あるいは何かをしてはならない、ということだろう」と考えがちです。たとえば、このお母さんも、次のように考える可能性がありました。「肘の痛みは、私に、もうテニスはやめたほうがよい、と訴えているんだわ」でも、注意してください! そういう考え方こそエゴの戦略なのです。あなたがそう考えている限りあなたは自分の〈思い込み〉を改めずにすむからです。しかし、あなたが本当になすべきなのは、自分の〈思い込み〉を変えることなのです。(中略)
 自分の不調あるいは病気が、純粋に肉体的なものだと思われる時こそ、特に注意が必要です。(中略)
 エゴは、あなたが、問題の原因を外側の世界に探すことを絶対的に望んでいます。エゴは、病気の本当の原因である自分の〈思い込み〉にあなたが気づくことを、極度に恐れているのです。(中略)
 病気の原因のうちで最も一般的なのは、罪悪感、そして、その他のネガティブな態度や感情です。また、他人の関心を引くために病気になる人もいます。あるいは自分にとって都合の悪い状況に直面しないために病気になる人さえいるのです。(中略)

 この本のタイトルが主張しているように、それぞれの不調や病気は、実は、あなたに対して、「自分を愛して!」と言っているのです。(中略)
 自分を愛するというのは、自分に対して、さまざまな経験をするのを許すということ、他者を愛するのを許すということ、さらに、他者に対して、さまざまな経験をするのを許すということなのです。
 つまり、自分に対して〈人間であることを許す〉ということなのです。恐れ、思い込み、弱さ、欲望、あこがれを持った自分をまるごと認めるということ、現在の自分をありのままに完全に受け入れるということなのです。(中略)
 あなたのからだをブロックして病気や不調の原因を作っている〈思い込み〉を発見したなら、次にはそういう自分をそのまま無条件に認めてあげてください。そうすれば、必ず、あなたに必要な変容が起こり始めるでしょう。(中略)
 病気や不調が送ってくるメッセージを私たちが理解した時、その病気や不調は治り始めます。


          ◇

 ――ここでいったん本を閉じた。
 自分を許す。この本によれば、私のクローン病が治るかどうかは、ここがカギであるらしい。けれども、
 「自分を許せっていわれてもなあ……」
 わかってる。わかっているのだ、が、それができないから、今日まで自分を許せていないわけで、許せない自分をどう許したらいいのか、そこを教えてほしいのである。この先に書いてあるといいのだが。

 (つづく)




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 ◆ 編集後記
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 また書きたいことが出てきちゃったので、もういっちょう、松井のいきなり文章教室。
 改行と同様に、読点「、」も不注意に打つことはできません。たとえばこれを比べてみてください。


 <例1>
 彼女は僕に告げた。

 <例2>
 彼女は、僕に告げた。

 <例3>
 彼女は僕に、告げた。

 <例4>
 彼女は、僕に、告げた。


 どうです? これまた、ぜんぶ印象がちがうでしょ。
 <例2>は告げたのが「彼女」であることが強調されています。
 <例3>は「告げた」ことのほうが強調されています。
 <例4>はすべての文節が強調されています。映画でいえばスローモーションがかかった状態。たいへん重要な場面だと想像できます。
 これらに比べると<例1>はたんに事実を淡々と述べた説明文であることがわかります。
 テンやマルも、重要な一語。何も考えずに打つと文章の意味が変わってしまうのです。





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