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松井 二郎
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水の中の月 [2013年03月08日(Fri)]

  ◆続・クローン病中ひざくりげ(37)
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 高校に通いはじめて何ヵ月かたったころである。

 私の体に異変が起きた。
 朝、起きられないのだ。

 目覚まし時計が鳴っている。止めよう。しかし、指先ひとつ動かない。体じゅうが、ずっしり、鉄にでもなってしまったかのように重たい。ああ、目覚まし時計が鳴っている。うるさい。止めよう。止められない。
 しばらく努力すると、なんとか目覚ましを止めることができた。さて、起きなければ。しかし、体は動かない。重い。ベッドに沈み込んでいくようだ。まるで「康一くん」のスタンド "エコーズACT3" の必殺技・フリーズにやられた吉良吉影(キラヨシカゲ)のようだ(このネタがわかる人は読者の1%と思われる)。

 30分くらい努力すると、ようやく、ベッドから床に転げ落ちることができた。それから、完全な寝ぼけまなこで洗顔し、まぶたが落ちそうになりながら全く食欲のない胃袋に朝食をつめこみ、半分眠った状態で自転車にまたがり例の無人駅にむかった(田舎だから車にはひかれない、というか、車、通ってない)。M高に到着すると、1時間目が始まるころには、体はなんともなくなっていた。

 こんな日が毎日続いた。

「寝不足なのかなあ」
 べつに夜ふかしはしていない。勉強をしても時計の針が翌日になるまでには就寝している。それでも睡眠時間が足りないのだろうか。そう思って、学校で話題についていけなくなることも恐れず、電波少年もボキャ天も見ないで夜10時に寝るようにした。
 それでも改善しない。ますます体の重さはひどくなる。

 慢性疲労などという病気があるのを、まだ子供の私はしらない。けっきょく高校3年間、だれにもこのことを言わずに、卒業をむかえた。

 大学受験は失敗した。
 あれほど勉強したのに、というより勉強しかしなかったのに。
 あたりまえである。勉強意欲どころか、生きる意欲がなくなっているのだから。3年間、勉強しかしなかったが、東大組に入れなかったのはもちろん、慶応・早稲田にも届かず、ギリギリ東北大学を受験可能なレベルに達し、いちかばちか受験したが、落ちた。さらに私立大学を4つも受けたが、すべて落ちた。後期日程に出願した大学に、なんとか、拾われた。

 しかしこれで、ようやく、ああ、ようやく、この田舎から、イヤな思い出しかない、クサレ田舎から、脱出できる!
 新天地。そこで私は救われるんだ。

          ◇

 人生に何かミラクルを期待することは無意味である。環境を変えたところで、自分が変わらなければ、人生は変わらない。

 と、いまでこそもっともらしく書いているが、まだまだ子供の私は、そんなことも知らない。
 はなやかなキャンパスライフが始まり、私の過去を知らない学友に囲まれたというのに、ちっとも面白くも何ともないのである。それどころか、苦しい。友達に囲まれていると、息が詰まる。勉強にはあいかわらず興味がわかない。新歓コンパが目白押しであったが、おぼえたての酒をどれだけ飲んでも、バカ騒ぎに加わってみても、窒息しそうに苦しかった。なにが、どう、苦しいのか、といわれても、苦しいとしか言いようがない。なんで苦しいんだろう。なにが苦しいんだろう。自分でもわからなかった。

 体の異変もいっそうひどくなった。高校のときは目が覚めて2〜3時間もするとなんともなくなっていたのだが、あのズッシリ感が一日じゅう続くようになったのである。それでも慢性疲労を知らない私は、自分の体がおかしくなっていることにまだ気づかない。
 体がおかしくなっているというより、心がおかしくなっているのに気づかなかった。心をなんとかしないと、もはや生きていけない体になっていた。これに気づくのに、さらに7年の時間を要することになる。

 一人暮らしのボロアパートで、明かりもつけず、鈴木祥子の歌を(鈴木祥子がわかる人は読者の0.1%と思われる)くり返しくり返し、聴いていた。

 「窓にともる灯(ひ)を数えて、追い風の中を歩いてる。
 白い月影にこのまま、溶けてゆきそうで、目を閉じた。
 悲しみの川底に、沈む月の輝き。
 たどり着く場所もなく、どうして、生きるのだろう」
  (♪鈴木祥子『水の中の月』)

          ◇

 こんな人間が、なにくわぬ顔をして社会人になってしまうのであるから、恐ろしい。

 こんな私も就職し、サラリーマンになった。東京・丸ノ内にほど近い金融関係の会社の、IT部門である。ほんとうは文章を書く仕事がしたかったが、小さいころにその夢を父に話すと、
「そんなもんでメシが食えるか。公務員になれ」
 と一蹴された。それからも、公務員、公務員、コウムインと父はうるさかった。幼少から極貧で、中学しか出してもらえず、いまでも貧しい父である。やむをえない。
「公務員は、いいぞ。あんなラクをして金をもらえる仕事はねえ」
 しかし、そんな話をずっと聞かされた私は、公務員とはなんとあこぎな職業かとカンちがいし、公務員にだけはなるものかと決心してしまった。とはいえ父の機嫌もそこねたくない。
 そこで、まあここならば待遇面で父も文句を言わないであろうと思われる会社に入ったのである。

 IT部門をえらんだ理由はもう一つあって、事前に職場を見学させてもらったところ、全員がジッと椅子に座って、動いている様子がなかったからである。
「ここなら、こんな疲れた体でも、働けそうだ」
 思惑は的中し、一日の大半を座って過ごせるようになった。しかし、それと仕事がキツくないかどうかは別の話である。金融のシステムというものは、24時間、止まってはいけない。システムはサーバーといわれるパソコンのおばけの中で稼働するプログラムによって動いている。そしてプログラムというものはバグ(プログラムミス)があってなんぼである。しょっちゅうフリーズ、といってもこれは「康一くん」のスタンドの技ではなく、読者諸氏もパソコンをしていると突然画面が砂時計のまま固まってしまい泣く泣く電源を切ったことがおありかと思うが、あれが金融機関のシステムといえども、しょっちゅう、いや、ときどき、たまに、まれに起きているのである。しかし、そこをなんとか、24時間止まらなくてなんぼのシステムにしなければならない。そこで、つねにIT部員のだれかは会社に常駐し、砂時計になってしまったサーバーを再起動してやるのだ。
 一日のほとんどを会社で過ごすことになったわけである。会社の独身寮には文字どおり寝に帰るだけだった。いっそ会社に泊まったほうが体力を節約できた。

 慢性疲労は、頂点に達していた。目覚めたときの鉄のような体の重さは高校時代に感じていたよりも10倍くらいになり、ベッドから転げ落ちるのに1時間くらいかかって、そして今度は、日中になっても回復しない。その体の重さが、会社で仕事をしているときも続いているのだ。

 プログラミングというのが、また報われない仕事で、待遇にはまったく文句はなかったのであるが、むしろ恵まれていたと思うが、やってもやっても、「24時間止まらなくてなんぼのシステム」は止まり、止まると、よその部署からクレームがきて、そしてクレームしかこない。褒められるということはないのである。
 疲れた体にムチ打って終日パソコンとにらめっこする価値が、私には感じられなかった。

 おれはなんのために、ここに座っているんだ?

 「窓にともる灯(ひ)を数えて、追い風の中を歩いてる。
 白い月影にこのまま、溶けてゆきそうで、目を閉じた。
 悲しみの川底に、沈む月の輝き。
 たどり着く場所もなく、どうして、生きるのだろう」

 体のつらさよりも、あの、わけのわからない苦しさが、もはや限界にきていた。

 (つづく)




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 ◆ 編集後記
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kao05.jpg 「康一くん」も鈴木祥子も、検索すれば出てきますんで……。すんません。





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